第15話 善なんて捨てちまえ。

 善人が嫌いだ。


 私は善悪の概念を信じていない。道徳観念の高い正義漢をよく見かけるが、正直そっちの方がヤバい人間だと思っている。


 たとえば挨拶。全く面識もないのに、挨拶がないと怒る人がいる。礼儀がなっていないと騒ぐ人に言いたいが、人を怒鳴りつける行為は刑法に触れる。相手を正す前に、日本の法律を勉強なさい。人にしても物にしても、攻撃して直るものなど存在しない。


 いろんな正義漢に迷惑をこうむってきたが、その全員に共通して言えるのは「なぜそれが正しいと決められたのか」を考えていないことにある。


 昔からの伝統だとか、日本人の美徳だとかうるさい人がいるが、昭和の東京オリンピック前の日本がどうだったか、ご存知だろうか。

 電車の中はゴミだらけ、道のあちこちで立小便。街は不潔極まりなく、当時の写真を見ればこの国が最近まともになったことが理解できるはずである、普通は。


 しかし、善人はそれを見ても理解できない。持論に都合のいい解釈をして、証拠を出したこっちを責めてくる。

 彼らは、別にこの世を良くしたい慈善家ではないのだ。自分より劣る存在を作って叩き、優越感に浸りたいだけのサディストなんである。

 だから私は、そういう人には近づかない。仕事で逃げられないなら仕事を辞めるし、付き合った人間がそうなら夜逃げしてでも別れる。

 とにかく善人はやべえんだよ、攻撃性がなくてもろくなのはいねえんだよ。


 私は、善悪、正誤の概念は捨てるべきだと思っている。やりたいことに没頭し、楽をするため工夫をして好きに生きていけばいい。

 自分の生活を守るためには、他人にも干渉はしない。大事なのは誰にも何にも依存しない、理性を存分に働かせる生活と人間関係。


 自分の世界をしっかり持てば、他人に関わる必要もない、自立していれば媚びることも威力を示し支配する必要もない。


 善人を演じている窮屈な周囲に、私はひっそりとこう思っている。

 ――頭使えや。マジで。





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