第9話 人はしょせん、サル山のサル。
『人間失格』が好きだ。
どこまでも暗い話である。だけど第三の手記ラスト数ページが、驚くほどあっさりとした救いを与えてくれる。私はこのラストが好きで、結構何度も読み返している。
このあっけなさを引き立てるために、今までずっと不幸話をしてきたんじゃないかと思っている。
この作品を読むと、頭の中で【サル山】という言葉が浮かぶ。
主人公の葉蔵は、子供の頃から「人というものの営み」が分からない。嫌われないよう全力でおべんちゃらを言い、道化を演じ、ひたすら媚びを打っていた。だけど自分のやりたいことが生まれた時、彼の心は最初の破綻をきたした。
私の目には、社会というのは大小さまざまなサル山が重なってできているように見えている。サル山とは、あの動物園にあるあれだ。オスのボス猿が腕力で餌とメスを囲い込み、二位以下のサルがそのおこぼれを狙っているあのピラミッド構造だ。
葉蔵は『政治家の一族』という華々しいサル山で底辺として生きていたが、その外でサル山にはない「画家」という道を見つけてしまった。サル山の総意としてはそんな職業は恥でしかないし、底辺になんぞ何も与えるつもりはない。しかし葉蔵は、安定したサル山を飛び出してまで画家の道を選ぶのだ。
大抵の人は、そこから始まる転落人生に目を覆う。
だけど私は思う、彼は新たなサル山に誘われては、逃げていたんじゃないかと。なんにも所属しない生き方を探していたんじゃないかと。そして最後にいきついた無垢な女性に縋ったが、――結局、彼らにサル山の総意として脳病院、つまり精神科に強制入院されてしまったのではないか、と。
当時の精神科は、一度入ったらまず戻れないとことろだった。
精神を病んだ人間は、法律の定めのもと、二度と人として扱われなかった。
だから『人間失格』なのだ。今とは、事の重大さも命の軽さも違うのだ。
葉蔵は、政治家二世となった兄のおかげで病院を出られた。
しかし父はとっくに死に、家族とは縁を切る形となった。
葉蔵は、お手伝いさんと二人で隠居生活を始める。この時、まだ24歳。髪はすでに白髪だらけで、表情は消えていた。
だけど最後に近況を話す部分は明るくて、彼が何も期待されないことや、誰かの監視がない事に、心から安堵している様子が分かる。
自然界のニホンザルには、もちろんサル山はない。
オスは単体で散り散りになり、メスは子育ての為に家族で行動する。おばあちゃんザルから知恵を学び、わが子に受け継ぎ、大きな争いもなく生きていく。
葉蔵は自然に帰ったのだ。人として、人のサル山に戻らなくて良かったのだ。
彼は、開放されたのだ。
そう思いながら世間を見ると、実に大小さまざまなサル山が見える。
人は閉じた世界が好みらしい。競争化社会などといいながら、少ない餌で大きな利益を得ようとする管理者のほくそ笑む顔が見えそうだ。
小さな友達単位のサル山もある。強固に閉ざしたその門扉の裏側で、どれだけのドロドロした心が蠢いているのだろう。本当に、閉じた世界に生きる人は自分の闇を隠すのがお上手である。
私も会社というサル山にいる。
でも、もう何も期待していない。争いに参加する気もなければ、好かれようという気持ちだってかけらもない。
なんだか、飽きてしまった。成長しない人間に。狂気に染まった人間に。うまく立ち振る舞おうと必死な人間に。仕事の本分を忘れた人間に。
人は、サル山の内側にいながら自然体で自我を保っていられるのだろうか。
いられたらいいなとは思う。私は自由民でいたい、サルにまで身を落としたくない。
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