第2話 自分で死ぬということ
わりと好きだった芸能人が、自殺した。
相手がどんな人間であろうとも、原因がなんであろうとも、若くして死ぬというのは悲しい。最近SNSと距離を置いているのだが、この事件を機に覗いたら死体撃ちをしているつぶやきがいくつも見つかった。
まずは悼めよ。叩くんじゃねえよ。
結局、またSNSを閉じた。アプリはアンインストールしているから、ブラウザからわざわざログインしなければ醜い言葉は見なくて済む。
……てか、お前ら死ぬ苦しみって分かんないでしょ。分からないんなら黙ってろ。
私は、何度も未遂を起こしている。
望んで死のうとしていたわけじゃない、そもそも思考すらできる状態じゃなかった。操られるように刃物を掴んで、自分の手首に当てていた。刃物を見ると衝動が来るから、しばらく包丁もハサミも隠していた。――そうしたら次は、ベルトで首を絞めていた。
何日も何カ月も何年も、その衝動に襲われた。理性を取り戻すために自分を大声で罵り、あらゆるものを投げて破壊した。
それでも耐えきれなくて、私は彼氏のたばこをくすねて火をつけ、自分の腕に押し付けた。焼ける痛みに絶叫しても、更に強く押し当てた。一回なんかじゃ足りなくて、もう一回繰り返した。
そこまでして、やっと私は我に返ることができた。
だから私の腕には、はっきりとたばこの火傷跡が2つ残っている。
現代において、自殺は病気である。深刻な病気である。
自分の意志で死んだと思わないでほしい、あれは本能のバグだ。がんで死ぬのと同レベルだ。死因ががんなら可哀そうだと騒ぐくせに、精神が病んで死ぬのは叩かれるなんて納得いかない。
とはいえ多くの人は老衰か病気でしか死なないし、自分の周りにもありふれた死しかないと思う。死に向かう苦しみなんて、そうそう分かりはしないだろう。
理論にもならないものを、理解する必要はない。それでも死は悼むものである。
綺麗事と言いたければ言え。
私は、そうやって馬鹿にされて生きてきた。何を言っても同級生から、大人から、「いい子ぶってるバカ」と嘲笑しか受けてこなかったから別にいい。
それに私だって、そいつらが今になって私と同じような綺麗事を言えば、全力で罵って黙らせる。その口で当時の私と同じ優しい言葉を吐くんじゃねえ、いい歳こいてイイコ演じるんじゃねえよと哂ってやる。
つまり、私みたいな言葉に虫唾が走る人の気持ちも、私は分かる。
でも、まずは死を悼め。
繰り返す、本当に死にたくて死ぬ人は、現代ではほぼいない。
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