5-7
多娥丸に宛てたものだけでなく、紅香名指しでの差し入れも多数届けられていた。
――斤目の遠縁の娘っこは、絵を描いてそこにはぐれを閉じこめられる。
――だから多娥丸さんのところに厄介になっているのだ。
あっという間にその話がまわり、おそらく今後当てにされるようになるだろう。
紅香は熱を出し二日ほど寝こんだが、その間に伏丸が中心となり、あたりを調べまわったらしい。
そこで多娥丸は伏丸にも打ち明けたようだ――紅香は生者だ。
熱も下がり痛みも落ち着き、多娥丸から居間へ、と声がかかっている。
おそらく、彼は話してくれるのだろう。
紅香は緊張しながら居間に足をのばし、そこで待ち構えている多娥丸と伏丸に向き合ってすわった。
「……怪我は?」
「おかげさまで、大丈夫そうな気がする」
「そうか、よかった」
多娥丸に伏丸が同意する。
「よかったのは確かだ。小娘が死者でないとなれば、わかることはたくさんある。兄さん、話してくれてありがとう」
すっきりした表情で伏丸は礼をいうが、紅香としては釈然としない。多娥丸がさっさとそれを話していたらよかったのではないか。
「わかることって?」
「生者が紛れこむことで、はぐれと亀裂が発生しやすくなる。この場が現世に近くなるんだ。はぐれにすれば過ごしやすい環境だ」
「わ、私の近くにはぐれが出てるっていってのは……」
「本能的に、過ごしやすいおまえのそばに寄ってくるんだろうな。今後もおそらくそうだ」
どうこたえたらいいものか、紅香はお茶をすすった。
多娥丸もお茶をすすり、そちらに紅香と伏丸の目が向く。
「……多娥丸くん」
うなずいてから、多娥丸は湯飲みを卓袱台に置いた。
「俺は――昔から、ときどき現世をのぞいていた」
紅香は相づち代わりにあごを引く。
「おそろしく昔に、弟があちらに妻子を持ったことがあって」
「えっ、既婚者?」
「もう恐ろしく昔のことだ。通力の塊みたいな女でな、こちらとあちらの狭間で所帯を持つような真似をした」
伏丸はなつかしそうに目を細める。
「伏丸くんの奥さんたち、は……」
「俺の妻は順当に死んで、いまはこちらで暮らしている。子はここで暮らすのは拒んだ。現世に残った子孫は血をつなげていって――いまも挾間の近くで、俺の子孫は暮らしている」
「まさか」
紅香は彼にそっくりな顔を見ている。
「まさか……施徳寺の……」
「そう、そこだ」
多娥丸の目の色が深くなる。
「狭間も薄まっていて、通り抜けるのはなかなか……その、通力を使うことになる」
「それなのに多娥丸くん通ってたの? 身体悪くしてるんでしょ、そんなことしたら」
――そんなことしたら。
――もしかして。
紅香は多娥丸の顔を食い入るように見つめた。
――もしかして逆なのでは、と。
気まずそうに多娥丸は目を逸らしたが、口は動かしていく。
「……俺は閻魔庁で働いていたが、ごろごろのんびり暮らしてみたくなっていた。実行したのは何百年か前なんだが、休暇を取ってひとりでだらだらと暮らしたんだ。それがなんというか……性に合った」
咳払いをする多娥丸の前に、斤目の手が新しいお茶の入った湯飲みを置く。空いた湯のみはそのままだった。
「べつに俺がいなくても滅法院は回ってる。優秀な統治官が多いから問題ない。そういう状況を考えていたら、俺は……働きたくないんだと気がついた。休暇ではなく、働きたくない」
「いまって、私がじつは生きてるっていうことの説明だよね? 多娥丸くんが仕事したくないって話はつながってるの?」
「つながってる、大丈夫だ。それで、その……現世をのぞくと、通力が都合よく目減りすることに気がついて、定期的に」
療養などではない、多娥丸のこれは。
「そういう使い方していいものなの? はぐれとか亀裂とかは行き来したら駄目なのに?」
「小娘、兄さんをはぐれなんかと一緒にするな」
「だって、だってさ……復職したくないから見にいってたんでしょ?」
多娥丸が黙りこんだ。
「で、なに。続けなよ」
「……夏のころにあちらにいき、木に登っていたらおまえに見つかったんだ。ひとまず俺は身を隠したが、おまえまで木に登りはじめて……落ちた」
「そこで私は生きてたんだよね?」
「生死の境にいた、というのが正解だ。俺は……なんというか、驚いてしまった。驚いてとっさに常世に戻ったのだが――おまえの魂が一緒にきてしまったんだ」
胸に湧き出る衝動じみたものがある。多娥丸に一発げんこつでもお見舞いしてやりたくなっていた。そうしたところで、解消されるかわからないものだが。
「小娘、そんな顔をするが、他人の魂も一緒にこちらに帰還させるのは兄さんほどの力量でなければ」
「伏丸くん、ちょっと黙っててくれる? 多娥丸くんしゃべってる途中だし」
兄弟は顔を見合わせた。そうするとよく似ている。
「……俺はこの生活を手放したくない。ほかの住人もいるんだ、できるだけここではぐれを封印しながら暮らしていきたい。だがおまえを連れ帰ってしまっただろう? おまえから事態が露見しかねないんだ」
「ええと……ほんとは生きてる人間の魂がなんでここにいるのか、ってことだよね」
「そうだ。頭から落ちていたんだ、ひどい音がした。大方死ぬだろうと思って連れ帰ったが……どうやら死ななかったようだ」
「……多娥丸くんはどうしたいの?」
「できることなら――この件をもみ消したい」
「伏丸くんは?」
「兄さんが暮らしやすいなら、多少の隠蔽くらい構わんだろう」
「やっぱ兄弟、ってことなのかな。顔も言動も似てる」
また兄弟は顔を見合わせた。そうして笑い合っているが、紅香はひとり不機嫌になっていた。
「どうにか隠密裏に解決しようとしていたら、紅香は婆ァさんに気に入られるし絵を描くしで、落合の封印の件もあっただろう? どうするかと思案していたら、今度は伏丸がきてしまって」
「ひとのせいみたいな言い方しないでよ、多娥丸くん」
全部おまえのせいだったのか――怒っているのに、紅香は笑い出していた。
死んでいない。生きている。いまの自分はどこにいるのだろう、病院のベッドだろうか。生きているのだ、瘴気も出さずはぐれにもならず。不思議に思ったりもしていたが、当たり前だったのだ。
「どうした小娘、正気を失ったか?」
「失ってないよ、むかついてるだけ」
――手元の湯飲みを投げつけたら、びっくりするだろうか。
そんなことを思いもするが、じつは生きていた、といわれた紅香以上に驚いたりはしないだろう。
「安心しろ、小娘。おまえの扱いについて方針を決めた」
「ど、どんな?」
「兄さんのもとにいたのだから、おまえはずっと統治官に保護されていた、という体裁で押し切ろうと思う」
「……なんの話してるの?」
「兄さんはいまの暮らしを続行したいんだ、死守するためには方針決めからしておいたほうがいい」
兄弟の方針ならもう決まっているだろう――もみ消す。
「安心していい、全部紅香が帰ってから動く。紅香の絵に封印したものは、伏丸があちらで開封すれば大丈夫だ。閻魔庁の連中は、ここにはほとんど興味がないからな」
卓袱台の下、斤目が手をにぎってきた。
温かい。
斤目の温度に、これから自分が帰れるのだと、その実感が強まっていった。
「紅香、すまなかった。おまえがいて、なかなかおもしろかった」
悪態をついてやりたくなったが、また紅香は笑い出していたのだった。
●
離れの部屋で、紅香は大の字になってみた。
余計な情報は与えない、ということで、落合にはなにも伝えないことになった。紅香は突然消えてしまう。きっと三途の川を渡ったのだろう、と後から知らせるていどにするそうだ。
――現世に帰る。
戻ったら色々大変だろうか。なにが起こるかわからないが、紅香はとにかく絵が描きたかった。
多娥丸の絵を描いてみたい。
その気持ちは変わっていなかった。
――現世で目を覚ました紅香は、常世のことを覚えているだろうか。
それがわかるのはまだ先だ。
きっと多娥丸を描ける。根拠のない自信がみなぎっていた。そのための絵の具なら、智弥子の遺品を祖母が受け取っている。
先がどうなるか。
そのこたえは見えていないのに、紅香は顔をほころばせていた。
了
さらさらと流れるように描くように 日野 @hino_modoki
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