5-1
施徳寺に挨拶にいくと、若い僧侶に出迎えられた。
つるつる頭のおじいさん住職しかいないと思っていた紅香は、出迎えの僧侶に驚いていた。
「あの、今度の大掃除に参加します……栄紅香です」
「よろしくお願いいたします。お話はおばあさんからうかがっております」
「なんてお呼びしたらいいんでしょうか」
僧侶にももしかしたら、なにかしら呼び名があるかもしれない。しかしこれまでの人生で、紅香はおじいさんや猫住職などとしか施徳寺の住職を呼んでいなかった。
「井戸端でけっこうですよ」
「井戸端さん? でもそれって住職の――あ、そうか、息子さんなんですね」
ずっとおもてに出ていた息子が戻ってきた、とそういえば聞いていた。
「ええ。私も井戸端です」
笑い返してくる青年は、まだ三十前後だろうか。禿頭だが、頭も顔も肌は瑞々しい。顔面に功徳が宿るわけではないだろうが、井戸端青年の容貌は神々しいほどだった。
「大掛かりなものは、青年団のみなさんが休日にまとめて手がけてくださることになっています。紅香さんには納戸の整理をお願いしてもよろしいですか? 猫車もありますし、身体に負担のないやり方で」
「……雑巾がけとか、そういうのではないんですか?」
「その予定だったのですが、近所のおばあさまたちが……ほとんど毎日手伝いにきてくださいまして、その……」
「手が足りてるんですね」
それなら挨拶になどこないで、祖母の家でゆっくりしていればよかった。
「とりあえず納戸の状態見させてもらって、明日から掃除にきます」
井戸端青年が頭を下げる。
紅香も頭を下げ、そこで夢から目が覚めた。
頻繁に伏丸が姿を見せるようになっていた。
それは無理もない――はぐれの紅香がいるのだから。
即座に引っ立てようとしない理由がわからないが、紅香からそれを尋ねるのは気乗りできなかった。
ふたりの様子をうかがうと、なにやら書物の整理をしている。紅香がそこに立ち入ることはなく、ひたすら台所で斤目と野菜の下処理をして過ごしていた。自分が手がけていたことを奪われた気分で、正直あまりおもしろくなかった。
食事も紅香は台所で摂るようになっている。
伏丸の紅香に対する態度は見習えたものではないが、率先して懐柔したいとも思えない。
「晩ご飯できるって、声かけてくるね」
台所にはおいしそうなにおいが立ちこめていた。できたての料理の香りは格別なものだ。
紅香が声をかけにいく間に、斤目が居間に食事の支度を整えておく。それが日課になっていた。
「ふたりとも、晩ご飯の支度が……」
板張りの部屋に兄弟はおり、紅香が顔を出すと伏丸が手招いてきた。
「どうかしましたか?」
「小娘、おまえはいつまで兄さんに厄介をかける気だ?」
伏丸の開口一番がそれだった。
紅香は肩をすくめ、両手のひらを上に向け、伏丸に首を振って見せる。そうしながら、このジェスチャーの意味はなんだっけ、といまさら考えていた。
「見てくれ兄さん、口がついているのに、こいつは話をする気もないんだ。どうしてこんなのの面倒を見る必要があるんだ。兄さんは離れを自分の住居だなんていうのに、なんでこいつまで離れに暮らしてるんだ? どこかに小屋でも見つけて放りこもうか?」
紅香を指差し、多娥丸に向かってまくし立てる――その横顔を、紅香はじっと見つめていた。
――井(い)戸(ど)端(ばた)にそっくりだ。
――夢に出てきた、若いほうの井戸端。
「おまえに関係ないだろう」
「ないわけないよね? 俺は兄さんのただひとりの弟なんだよ、そんなにこいつことが気に入ったわけ? 顔? 顔だったら俺のほうが兄さんにふさわしいと思うよ。兄さん、こんなのに惑わされるなんて――」
伏丸の口走っていることがよくわからない。ちょいちょいと紅香の肩をつつくものがり、目をやらずとも斤目だとわかった。居間の支度が整ったのだ。
「伏丸、紅香は婆ァさんが気に入ってるし、埃まみれの部屋に寝起きさせられない。わかったな? これでこの話はおしまいだ、しつこくするな」
「女中が気に入ってるからって、あんなに甘やかすことないだろう! 兄さんしっかりしてくれ!」
「うるさい! 紅香、ちょっと酒を買ってきてくれ!」
「さ、酒? 多娥丸くん飲むの?」
実年齢はともかく、少年にしか見えない多娥丸が酒を求めると驚いてしまう。
「俺じゃない、伏丸のだ。婆ァさん、一緒にいってやってくれ」
斤目と一緒に玄関で草履を履いていると、背中に伏丸の声が聞こえる。
「帰ってくるな!」
「うるさい、騒ぐならもうおまえこそ帰れ!」
多娥丸が応酬していたものの、そこには伏丸がなにやら説得をはじめる声がかぶっていき、ひどくにぎやかになっていた。
「やかましいねぇ、あのひとたち」
斤目の手が紅香の背を撫でた。
伏丸は紅香を追い出したがっている。
無理もない、紅香ははぐれなのだから。
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