4-6

 祖母である美智花からの用事は、いつも唐突だ。

『ばあちゃんちの近所のお寺さんあるでしょ、施徳寺さん。紅香ちゃん、ちっちゃいころにお泊まり会いったじゃない?』

 その寺は知っている。やたらと猫がいて、幅広い年齢層の来客がある寺だった。

 猫の寺、と紅香やその友人たちは呼んでいた。紅香は両親とともに、四年前まで――中学を卒業するまで祖母と同居していたのだ。

 父の仕事の都合で引っ越し、そこで家を買った。

 田舎で暮らしていたときは、家を買う話など家で一切出なかった。

 持ち家に興味がないのかと思っていたが、いざ新居で暮らしはじめると、母はずっと家がほしかったと話していた。で買うのはいやだったから、とも。

 両親と祖母は仲がよさそうだったが、そこに隠されていたなにかがあってもおかしくはない。祖母と、でなくとも、周囲となにかあったのかもしれなかった。

『お寺さんね、改築工事するんですって。夏休みの後半がそれで潰れちゃうから、前半にみんなで遊ばせてくれるっていうのよ』

 そこまで聞いて、紅香はすでに断りたくなっていた。どうしてか、そこでいわれる『みんな』に自分は入っていない気がしたのだ。遊びにおいで、という話ではなさそうだった。

『小学生の子たちが、お泊まりと肝試し大会するっていうのよ。ほかのおとなはその準備とお寺の片づけするんだけど、紅香ちゃんもいらっしゃいな』

「……掃除するの?」

『みんなでやれば一瞬よぉ』

「掃除にいくくらいなら、私は課題やりたいんだよね」

 正直にいってみる。

 が、それが通ると思えなかった。

『そういわないで、紅香ちゃん。ちょっと遊びにいらっしゃいよ』

 ね、と何度も祖母はくり返した。

「……バイトのシフト、都合ついたらいくね」

『お願いね! 井戸端さんとこもバタバタしてるし、じつはもう紅香ちゃんがきてくれるって話しちゃったのよぉ』

 屈託なく美智花は笑い、紅香は隠さずため息をついた。井戸端というのは施徳寺の住職の姓だ。紅香の記憶にあるのは、つるつる頭のおじいちゃんだった。

「……シフトわかったら、また連絡するね。おばあちゃんがお寺さんになんていったか知らないけど、まだいけるかは」

『紅香ちゃんの好きなものたくさんつくるね! じゃあね!』

 祖母との通話は一方的に切られて終わった。

 自宅の電話にかかってきた電話だけで、紅香はため息をついていた。スマートフォンの番号は教えていない。しかし祖母が自分のスマートフォンの扱いに慣れたら、メールなりで連絡がくるようになりそうだ。

 祖母のことは好きだった。

 昨年紅香は受験の時期に高熱を出し、試験会場に向かう途中倒れてしまった。

 そして浪人生活に入った。

 浪人の資金源は祖母だ。

 浪人することに対し母の言葉がきつくなったとき、たまたま遊びにきていた祖母が口を挟んだのだ。全部出す、だから詮ないことを責めるな、と。

 祖母に迷惑をかけてしまう、と思った瞬間から、紅香は距離を取りたくなっていた。

 浪人したことをきっかけに、気軽に祖母に会いにいけなくなっている。田舎田舎といってしまっているが、電車で一時間もかからない距離だった。それなのに、ひどく遠く感じられる。

 壁に飾られた七月カレンダーに目を向けた。

 じつは紅香はのアルバイトは、六月いっぱいで終わっている。

 受験対策だ。夏以降は勉強に専念したかったため、短期間のアルバイトをしていたのだった。

 気乗りしなかったが、二階の自室に戻るころには気持ちはかたまっていた。

 ――迷惑をかけてしまう祖母にも、顔を見せたほうがいい。

 会いにいっている間くらい、受験のことを忘れられるだろう。

 リフレッシュしよう、と気軽に紅香は出かけていこうとしていたが、前日にはげんなりすることが起きた。

 口止めしておいたのに、父が祖母にバラしてしまったのだ――紅香がアルバイトをしていないことを。

 小旅行気分、リフレッシュする時間、という感覚でいられたのは、やまを町に着いて歩きはじめたころだけだ。

 コンビニでお茶を買い、水分補給をしながら歩いた。七月とはいえ暑く、飲んだ分のお茶はすぐ汗となって身体から出ていった。

 到着した祖母の家では、あれこれと用事を頼まれた。

 家の掃除の細かいところからはじまり、近所への挨拶などが続く。ゆっくりすわっている時間などないほどだった。

 夕方になって買い物に出てみると、ついてくる祖母の歩みは遅く、おそらくは紅香ひとりで出かけたほうがはやく済む。日が落ちても一向に涼しくならず、紅香は疲労感を覚えていた。

「紅香ちゃん、疲れちゃった?」

 言葉少なになった紅香に、祖母が尋ねてくる。

「……疲れたっていうより、あっつい」

「夏バテには気をつけないとねぇ。明日は井戸端さんに挨拶いきましょ」

「掃除の段取りって、もう済んでるのかな」

「井戸端さんだもの、そのあたりに抜かりはないでしょ。たぶん。あっちの高校いくほうの商店街あるじゃない? おいしいケーキの出る店できたのよ、今度いきましょ」

「ケーキよりかき氷がいいなぁ」

「あるんじゃないかしら、メニューの種類多いみたい」

「そんな店あったっけ?」

 商店街を想像するが、そんな店があった気がしない。

「アサギって店。繁盛してたよ、いつのぞいてもお客さん入ってるし」

「アサギ……なんか古めかしいね」

 頭を古式ゆかしい純喫茶がよぎっていく。どんな店にせよ、ケーキないしはかき氷をエアコンの効いた涼しい場所で食べられるなら、なんでもいい気がした。

「このあたりって、空気いいよねぇ」

 紅香は道の途中で足を止め、生暖かい空気を胸に吸いこむ。道端に近隣の地図が掲示され、どの道を進んでも施徳寺に行き着く、と気がついた。

「田舎だもん、空気くらいいいわよ」

「マイナスイオンだっけ」

「紅香ちゃん、夜はちらし寿司にしようよ」

「えー、扇ぐのたいへんじゃん」

 酢飯は食べたくなったが、冷ますためには扇ぎ倒さなければならない。紅香がやるにせよ祖母がやるにせよ、面倒事なのはおなじだ。

「弱の扇風機当てるから大丈夫よ」

「文明の利器だねぇ……」

 紅香のつぶやきに美智花が微笑んだとき、強風というにはあまりに強いものに紅香は身体を押された。

 ――そこで目が覚めた。

 目が覚めると紅香は土蔵の二階に寝かされている。

 戻ってきた。

 紅香はのぞきこみ、手を貸してくれようとする多娥丸にうなずく。

 現世とは違う色の世界だ。土蔵の明かりは隅々までもを照らし出すものではない。うっすらとした暗さのなか、多娥丸の角はふれたくなるような煌めきを放っていた。

「……ただいま」

「紅香、おかえ――」

「小娘! 兄さんの手を煩わせるな、さっさと自分ひとりで起きろ!」

 伏丸の声が響き、紅香は彼を見つめながら多娥丸の肩に寄りかかっていった。

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