4-1

 迷わず別宅に到着できて、紅香はほっとしていた。

 やけに濡れた質感のある赤い門の先、そこに建つのは見た目はどこからどう見ても土蔵だった。しかも大きい。

 多娥丸から預かった風呂敷包みを玄関先で確認すると、なかには弁当箱と鍵が包まれている。

 扉に鍵を挿してまわすと、かちりと手応えがあった。多娥丸の話していた目的地は、ここで間違っていないようだ。

「……別宅……」

 足を踏み入れ、紅香はつぶやいていた。

 おそらく、書物を置くための倉庫として使っている場所だろう。

 別宅こと土蔵のなかは、多娥丸の家とほとんど一緒の状態だ。たくさんの本が積み上がっていくつもの壁をつくり、全体が雑然としている。

 高い天井を見上げれば、金属の籠が取りつけられていた。

「灯して」

 声をかけると、籠のなかでちいさな火が上がった。ぐるりと渦巻き、ぼっと音を立てて大きな火になる。母屋や離れとおなじく、それで屋内を照らす十分な明かりとなった。

 明かりが点いたので扉を閉めると、ひどく重いガッチャン、という音が響いた。

「あ」

 いやな予感がして、紅香は扉に飛びついた。

「待って……開かない……っ」

 ――迎えにいくまではそこで。

「こ、これってあれだよね、オートロックっていうやつ……」

 ただし、なかからも開けられない。扉は頑として動かず、巨大な岩に立ち向かっているかのようだった。

 扉を開けるのは諦め、紅香は土蔵のなかほどへ進んでいく。

 なかなか広さがある。多娥丸が収納しようというときの癖なのか、こちらも書物や木箱が積み上がっている。

「限界に挑戦してるのかな」

 急な階段をのぼってみると、ロフトを思わせる空間があった。

「風呂敷、軽くてよかったぁ」

 階段をのぼらなければいけないからか、そこにはほとんど物が置かれていない。すみっこになにやら布の山――と見えたのは布団で、紅香はここで眠ることに決めた。

 紅香は窓に手をかけてみる。こちらは扉と違い、重さがあるが開けることができた。網戸までついていて、気持ちのいい風が頬を撫でる。

 土蔵の周囲は竹に囲まれていた。入ってくるときに見た覚えがなかったが、ここから見ると竹林の真ん中に土蔵はあった。どこまでも背の高い丈が連なり、紅香は先を見透かすのをやめた。

 物音もとくに聞こえてこない。多少話しをしても大丈夫そうだ。安心して落合に声をかけられる。

「落合さん、今日はここに泊まります」

「こちらは?」

「多娥丸くんの別宅らしいです。倉庫に使ってるのかな、本だらけで」

 風呂敷から落合を取り出し、紅香は弁当箱をひざに乗せる。弁当箱のなかはおにぎりと漬物だ。ちいさな竹筒も添えられ、中身はお茶だった。

「お弁当って、遠足とかじゃなくても楽しいですよね」

「それがねぇ、コンビニ弁当を毎日食べたりすると、味気なく感じてくるんですよ」

「……たまに、っていうのがいいのかなぁ」

 斤目の手製だろう弁当を食べ布団を敷くと、紅香は持ちこんでいる荷を広げていく。

 紙や矢立を持ってきていた。

 時間潰しにはちょうどいいだろう――落合が退屈かもしれないが。

「紅香ちゃん、それはなんですか」

「矢立だよ」

「……なんです、それ」

「持ち歩きのできる、筆と墨で……昔って墨汁どこでも売ってたってわけじゃないから、こう、はんこの朱肉みたいにしてあるんです。布とかそんなのに染みこませたりとかして持ち出せるように」

 こちらはかなり昔の生活様式となっているが、紅香はそれを不便だと感じていない。足りているのだ。

「へえ、そんなのがあるんですねぇ。知りませんでした」

 感心した様子の落合はともかく、紅香は現世でそれを知っていた。絵を描いているときに知った知識で、それを口にするか迷ったが結局紅香は話さなかった。

 ――鮮度の高いうちに、描いておこう。

 覚え書きていどでもいいから、記憶のなかにある物を書き留めておこうとしていた。

 ざっと店内の様子を描いていく。

 入り口から見て、右に茶器やギフト用品が並んでいた。左には量り売りも受けているようだったレジカウンター。奥まったところには店内を仕切る暖簾があり、その向こうはイートインになっていた。

 筆を取り、紅香は気がついた。

 ――落合のときとは違う。

 あのとき共鳴したのは、落合の封印に紅香が描いた絵が使われたからだった――そう予測されていた。

 もしかしたら、違うのか。

「あれ、これってあの、ほら、お茶の……薫芳園ですよね」

「え?」

「違った? ちょっと駅から離れてるところに商店街があって、そこのお茶屋さんですよね」

「……じゃあ、やまを町の?」

「そうですそうです。値段は張るんですが、品物が確かだって評判で……ただ後を継ぐ方がいなかったのかな、閉店なさって。どこいっても後継者問題ってあるから」

「さっき、染みからうにゃってしてるの出てきたじゃないですか」

「ええ、うにゃっとしてて、紅香ちゃんのことつかんでましたね。そのあと気絶してましたよ」

「気絶してるとき、そこの……薫芳園っていうお店のことが見えたんです。夢にしてははっきりしてて、いまも覚えてて」

「そんなことが?」

「店長さんがおばあさんで、智弥子さんってひと。娘さんがふたりいて、春美さんと秋江さん……」

「そっ、そうですよ! 当たってます! うちの長男と上の娘さんがおなじ中学で……」

 ――コンビニもお茶屋も、近所にあるということか。

「いやぁ、びっくりしました……正気づいたからってすぐ成仏してたら、こんな場面に立ち会えませんでしたね!」

 うっすらと残っている紅香の記憶のなか、コンビニでお茶を買おうとしていた――まさかそこが落合家が営む店だったりはしないか。。

 ――まったく有り得ない話ではない。

「あ……」

 紅香は気づき、声を上げていた。

 またコーヒーの染みが変化している。

 蔦に似た無数のそれが急速に育っていき、なにかを求めるようにうねり出していた。

「紅香ちゃん……そ、そっと逃げて……」

「お、落合さんも」

 囁き合ったとき、それは一瞬で紅香の手首に絡みついた。

「ひぇ……」

 なにかが入ってくる。なにかに入っていく。溶け合ってしまう――その先にどうなってしまうのか、そこが怖い。

 一度目に起きたとき、それは落合との共鳴と違って身体の負担が軽かった。

 ――連続で起きたとき、どうなってしまうのだろう。

 羽織の染みの上、空中に黒々とした淀みができている。

 それは花のつぼみだった。

 漆黒の花。

 ゆっくりと花開き、中央には渦を巻いた瘴気の淀みがある。

 その先には風景が広がっていた。

 どこかの町、どこかの商店街、どこかの――やまを町の薫芳園。

「こ、これは……っ」

 落合が驚くのは無理もない。淀みは育っていった。紅香の意識が取りこまれていく。

 耳の奥、智弥子の声がした。

 ――やだっ、痛いっ。

 息を飲んだとき、紅香はそのまま気を失っていた。

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