3-5
「お茶屋さんがなくなるなんて、ほんと寂しいわよね」
周囲の顔がうなずいていく。
「カフェだなんだっていうけど、コーヒー飲めるとこばっかりできてもねぇ」
べつの声に、やはり銘々うなずいていった。
「そういってもらえると嬉しいわねぇ」
そこから言葉を続けるのが難しい。
三代続いたが、寄る世間の荒波には勝てない。
近隣にコーヒーを出す店がいくつもでき、おしゃれで長時間滞在を歓迎するカフェが増えた。若い層の来客がほとんど見込めなかったこともあり、薫芳園は次第に営業が立ちゆかなくなっていった。
その日集まってくれたのは、店主である
店が定休日である水曜日、閉店はまだ先ながら、ちょっとはやいお疲れ会をしよう、となったのである。
「贈答品でもお茶って珍しくなっちゃったのかしら、昔ほどお歳暮なんかもやり取りしないし」
「この先どうしたらいいのかしら。お茶が飲みたくなったら薫芳園にきてたのに」
智弥子は笑う。
愛想笑いだ。
全員同世代であり、すでに孫もいる。どの顔も孫を連れ、近隣のコーヒー店に休憩に通っていることを知っていた。
それはもう仕方がない。
学校を出てからずっと、智弥子は生家の薫芳園で働いてきた。よそで勤めたことはなく、徐々に経営が先細っていく実感があった。だが娘ふたりを大学まで出せたのだから、智弥子としてはこれ以上望むものはなかった。
夫に先立たれても、娘たちがよそに就職しても、智弥子は薫芳園の営業を続けた。
ほかになかったからだ。
土地ごと自分のもので、細々とやっていければいい、そう思いながら営業していた。
――それも立ちゆかなくなってしまった。
「棚卸しして、在庫一掃するから。特売の時期が決まったら告知出すわね、そのときは冷やかしにきてやって」
「茶器も特売するの?」
「そっちは引き取ってくれるっていう店があって……っていっても、半分くらいは委託販売なの」
「委託?」
「茶器の作家さんに棚を貸してるのよ。売れるまで、作家さんの実入りにならないんだけどね」
「いろんなやり方があるのねぇ」
うんうん、とどの顔もうなずいている。
顔馴染みたちはおなじ商店街に店を構えていたり、近所に住んでいたり、なかには小学校時代の同級生までいる。
智弥子を含め、六名。
六名が全員違う人生を送っていると思うと、急に感慨深くなった。生業を閉めるとあって、感傷的になっているらしい。
鼻の奥がやけにツンとしてきた、智弥子はお茶を口にする。
いいお茶だ。
かおりもよく、口に含むと甘い。だが一番すばらしいのは、飲みこんだ後に鼻腔に残る清々しいかおりだ。
値段の低い手の出しやすい茶葉でも、かおりを楽しむことができるもの――それが薫芳園で扱っている商品の売りだった。
売り上げが下がった理由は、じつは理解できていた。
手の出しやすい価格設定のものを商う――それでも薫芳園の茶葉は安いわけではなかった。
ひとり暮らしの若い世代が手を出しにくい価格であり、彼らが年齢を重ねたとき緑茶を飲む習慣を持っていない。
ずっと誰にも話さず、誰からも指摘されなかったことがある。
智弥子は緑茶があまり好きではなかった。
好きではないが、いいかおりだと認めている。そしてお茶を好んでくれる顧客の笑顔がなにより好きだった。
だから続けられたのだろう。
集まってくれた顔と世間話に興じながら、智弥子は過去に思いを馳せ――気がつけば、自分と常連たちと比べてしまっている。
販売員、事務員、営業、保母、看護師。
全員職業が違う。
「いうなればさぁ、自分の城じゃない? したいことができたのって、いいわよねぇ」
そう話す彼女は、智弥子をうらやましがることが多かった。
彼女は販売が好きで、特殊なラッピングを自身でするのが好きで、曜日を問わず出勤する姿をよく見かけた。
薫芳園の贈答品のラッピングの仕方を相談したことがあったが、見本をいくつか包んで見せてくれた彼女の手業は見事なものだった。
残業手当てもつかないのよ、と話すこともあったが、彼女が仕事に不満そうな顔をしたことはなかった。
「わかるわぁ、店の前通りかかるとさ、チャコちゃんが背筋ピーンてして立ってるじゃない? かっこよかったもん」
「それ、あたしもわかる! キリッとしてるんだよね、チャコちゃんって。ここの制服もさ、羽織でかっこいいし……新撰組カラーなのもいいわよねぇ」
うなずき合うふたりは、それぞれが事務員と営業として勤め、退社後は家庭で母として忙しい日々を送っていた。
彼女たちは「限界なの」といって、時々すっぴんにスウェットの上下で店を訪れた。
そういうときのふたりは、疲弊した、濁った魚そっくりの目をしていたものだ。そんなときは店内ではなく、二階にある居住スペースのリビングに通した。
ポットのお茶とたくさんの菓子を出し、放置するのだ。
半日ほど彼女たちはリビングにこもり、帰っていくときには表情に生気が戻っていた。
智弥子の表情とは違う種類のものだ。
智弥子は取り繕うのが得意だった。頭ではぼーっとしているのに、真面目そうな顔をして過ごす。
ちいさいころから得意だったのだ。
「いまでいうクレーマーっていうのかな、お詫び入れなきゃいけなくなったとき、チャコちゃんとこのお茶ってありがたかったのよね。薫芳園の紙袋見ると、クレーマーの機嫌よくなるの。あー、でも思い出しただけでむかつくわ……」
ぬるくなっただろうお茶を一気に飲み干した彼女は、保母としてたくさんのひとたちと接してきた。
通り一遍で済ませられない事案がたくさんあっただろう。
お茶で休憩を、といってよく来店してくれた。
飲食スペースで閉店間際にひとりになったときなどは、大量の和菓子を一気食いしていたものだ。家でもドカ食いしちゃうの、とため息をついていた彼女は、それでもまったく太らなかった。
「ぶっちゃけさぁ、安く済ませようとしたら、お茶に限らずなんでもネット通販なんかに頼っちゃうでしょう? いまの時代って。でもそれって時間があるときしかできないんだよね、選ぶのって時間取られるから……チャコちゃんとこなら、どれ買ってもちゃんとした品物だから、予算だけ決まってればそれで買い物済んじゃうんだもん。業者だってさ、お金使う気があるってわかる相手じゃないと、チャコちゃんのことろくに紹介できなくなってたしねぇ」
そういって、彼女は口を不愉快そうにもごつかせた。入れ歯が合わなくなり気分が悪い、と話していたことがある。
彼女は総合病院の婦長を勤めていた。
なんの気なしに出入りの葬儀屋に薫芳園の名を告げ、いわゆる紹介された、という状態になったのだ。葬儀屋としばらくの間、固定客としてのつき合いがあった。それが切れたのは、返礼品をもっと安価で下ろすお茶屋を見つけたからだった。
席についているどの顔も、智弥子がやりがいのある――望んだ仕事をしていたと疑っていなかった。
それもそのはずで、智弥子は仕事に関しての愚痴を口にしたことがない。
「もうあの羽織着てるチャコちゃんの姿、見られなくなるのかあ」
その声に、全員の目が店のレジカウンター奥に注がれた。
そこには店主である智弥子が袖を通していた、浅葱色の羽織がある。
祖父の代から、それが店主の証しだった。
「ね、みんなお茶のおかわりはどう? 赤福もあるんだけど」
歓声が上がり、手伝ってくれるという面々と智弥子は腰を上げる。
茶葉をべつのものに、と智弥子はひとりレジカウンターに入っていく。
そこには背面をこちらに向けた羽織がハンガーで吊されている。年代物だというのに、精緻に織られた布はほつれひとつない。
祖父や父が羽織っていたもので、自分が継ぐまでは、袖を通すものではなく羽織は眺めるものだった。
智弥子の娘ふたりがおさないころに、着てみたいとねだることがあった。駄目よ、と――店長になったらね、と断ったのは、ちいさな娘の羽織の扱い方に文句があったわけではない。
――どうしてだろう。
いまになってみると、べつに着せてあげてもよかったのに、そう思ってしまう。
「チャコちゃん、ケトルのお湯沸いたわよぉ」
「はぁい」
パッケージに汚れが出て、しかしアウトレットに出す前に閉店を決めた茶葉が、カウンター下にまとめてある。智弥子はそのなかから、とくにかおりのよいものを選んだ。
立ち上がって店内を見回したとき、智弥子は頭痛を覚えてカウンターに手をついた。閉店を決めたころから、睡眠時間が思うように取れなくなっている。ときどきひどい頭痛もするし、はやく決着してほしい。
借財ができて首が回らなくなったりする前の撤退だ、全部終わったら誰のためでもなく、自分のためにお茶を煎れたい。コーヒーでも紅茶でも、気の向いたものを。
ここはなにもかもがなくなる――羽織も店の看板ではなくなる。
そう思ったとき、智弥子は羽織を凝視していた。
――看板?
いまになって智弥子は、そんなふうに羽織のことを考えていたのか、とひどく驚いていた。
頭痛と一緒にその考えを振り切り、カウンターの影で頭痛薬を飲んで息をつく。
楽しげな会話が店内に響いている。
みんなが、一堂に期す機会を持ってくれてありがたかった。
茶葉と選んだ茶器を選ぶなか、智弥子の頭痛は弱まっていっていた。
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