3-1
多娥丸にばれてしまった。
彼は責めてくることはなく、無言を貫いている。
紅香としては居心地が悪いことこの上ない。
「あの……多娥丸くん、あのさ」
なにをどう話しかけてみても、多娥丸は冷たい目線を向けてくるばかりだった。
ときどき息を吸いこんではそこで動きを止め、紅香を見据えながらゆっくり息を吐く。彼が取る態度はそれだけだが、それをくり返されるだけで圧を感じてしまう。紅香になにかいってやろうとし、思い直す――それをくり返しているのだ。
そんな多娥丸と向き合ううちに、朝になっていた。
徹夜することとなった紅香は、深い倦怠感から深いため息をついた。
多娥丸との間にある卓袱台には、落合が封印されている書物が置かれている。
「あの、僕のせいで……申しわけありません」
おずおずとした声は落合のものだ。
目上の人間に、こちらが勝手にしたことで謝らせる。そのことにも紅香は気が重くなっていく。
「いえ、その……私が勝手にしたことなので」
「……その通りだ」
多娥丸が声を出した。
久々に聞いた気がする。
「おまえは――自分がなにをしでかしたか、そこをわかってるのか」
紅香は正面にある多娥丸の顔を見つめた。
怒っている多娥丸は、見蕩れてしまいそうになるほど整った顔をしていた。こんな状況なのに、紅香は多娥丸を描いてみたくなっている。
「自分の行動の意味がわかっているのか」
物陰から現れた斤目の手が、書物――落合を連れてどこかに消えた。
「……わかんないよ」
紅香の声は自分で聞いても不満そうなものだった。
――不満。
紅香は不満だ。
死んだのだ、といきなりこちらで目が覚めて、はぐれとなってしまった。
多娥丸は追い出そうとする素振りもなく置いてくれている。斤目とも円満だ。だが紅香はいま真っ暗な場所に立っている。この先どうなるのかわからない、前も後ろもわからない場所。
――せめて、自分がどう死んだのかが知りたい。
「おまえには……やっていいことと悪いことの区別も」
「あれは駄目なことなの? 先にいってよ、教えてよ。多娥丸くんが知ってることは、誰でも知ってるわけじゃないんだよ」
多娥丸の声の冷たさに抵抗するように、紅香の声は刺々しいものになっていた。
「……説明しなくても、あのはぐれをあちらに連れて戻るのがどういうことかわからなかったか? わかっていたから、俺になにも話さずに行動したんだろう?」
「落合さんっていうんだよ、はぐれじゃないよ! 家族に会いたがってたんだよ、あのひと。寂しいっていってた、だから……せめて家族の話すところ、聞かせてあげたいなって」
口に出すといやになってくる。
――はぐれじゃない。
――家族に会いたい。
――寂しい。
――家族の声を聞きたい。
それはすべて、目を逸らし続けている紅香の本心だった。
「おまえだって、あの瘴気に飲まれていた姿を見ただろう? あれを見ておいて、よくもそんなことを」
ふいに多娥丸の言葉が途切れた。
紅香を見つめ、そこにあった激昂の勢いが消えていく。
息を吸い、吐く。紅香の呼吸はひどくふるえていた。冷静でいたいと心底願っている。
「……私も、はぐれだからじゃない?」
多娥丸が息を飲んでいる。なにを思ったのかわからない。なにを思ったのか、それを聞きたくなかった。
「私、自画像描こうか? それで私のことも封印すればいいじゃない。それで私のことも、あのはぐれって……そういう呼び方すればいいじゃない」
八つ当たりだ。
紅香が八つ当たりをしていると、多娥丸もわかっている。そのことが悔しく、それさえも燃料にして紅香の言葉は加速していった。
「多娥丸くん怒ってるけどさ、はぐれの私がここにいる時点で、多娥丸くんもおなじなんじゃないの? これっていいの? 私がここで暮らしてるのって、多娥丸の言い方借りたら、悪いことなんでしょ?」
「……紅香」
ほんとうは理解していた。
はぐれが出没すれば、住人たちが恐れおののく。始末のために多娥丸が出張れば、自主的に避難までするのだ。
多娥丸は慎重で、亀裂を気にかけていた。そこを好き勝手に行き来しようとすれば、よくない結果になるのは理解できることだった。
そっと出かけたつもりが多娥丸にばれてしまい、無言の時間を過ごし――ろくに説明をしてくれない多娥丸に、紅香は意地になっていた。
暮らしはじめてからこれまでにあった時間に、紅香がしつこく尋ねればよかったのかもしれない。だが知るのが怖かった。紅香は全部失ったのだ。これまでの全部を。それが死ぬということだろうが、最期の記憶がない紅香にはその実感が弱いところがある。
こちらのことを、なにも知らない。
それとおなじくらい、紅香は多娥丸のことを知らなかった。
「落ち着いたか?」
「……わかんない」
「なら、落ち着いたのだろう」
紅香だけでなく、多娥丸も落ち着いたようだ。
「私も瘴気を出すようになるの?」
ああいった影になり、うねり、においや音を振りまく。自分の未練なのか、所以なのか。紅香が残すとしたら、絵の具のにおいだろうか。
「おまえのいうことにも一理ある。すまなかった、おまえはここでの善悪の区別がつかない。それを失念していた」
「うん……わ、私も質問してなかったし……」
急に身体が重くなる。
気が抜けて、疲れと眠気が一気にのしかかってきたようだ。
紅香は卓袱台に伏せた。
すると多娥丸もおなじように、だらしない格好で卓袱台に上半身を投げ出していく。
「多娥丸がぐでーっとするの、はじめて見たかも。疲れちゃった?」
「疲れるのはこれからだ」
「……なにかあるの?」
多娥丸の態度を珍しく思い、紅香は無意識に声を抑えていた。
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