応援コメント

38 山崎の城」への応援コメント

  • わぁぁ
    すごい色々なことが史実と繋がって鳥肌です

    光秀が消息不明なのも偶然そうなったのではなく
    計算の上で
    それを理解するねねさん
    ねねさんの策略に乗る秀吉

    すごいです

    作者からの返信

    拙作では、光秀の息子が「原因」で光秀が蜂起したとしています。
    では、その息子はどうなったのか……を調べると、このような説が出て来まして、これは使うしかないと思ったのです^^;

    そして、そうすると光秀の生死不明、行方不明もそれを見越しての布石とも思えるように書きました。
    その方が、光秀「らしい」と思ったのです。
    それはその意志を受け止めるねねと、それを分かち合うことのできる秀吉がいてこその布石。
    信長の意志を理解できなかった光秀とは、逆パターンにしてみました^^;
    お褒めいただき恐縮です。

    ありがとうございました。

  • 殺伐とした戦国時代の話でも、こういうエピソードが出て来るとホッとします。
    明智光秀は歴史の敗者というイメージしかなかったんですが、こうして嫡男が生き延びる事で、そうではない側面も見えてきました。

    作者からの返信

    光秀の嫡男も諸説ある人で、その中に生存説=出家説がありましたので、採用させていただきました^^;
    光秀は敗者というイメージですが、おっしゃるとおり、こうして嫡男が生き延びたということにより、それだけではないという風に思えるのでは。
    しかも、秀吉の大坂城のおひざ元の泉州岸和田にあるというところが何とも……^^;

    ありがとうございました。

  •  こんばんは、御作を読みました。
     御作だと天海さんは、信長の弟さんが役をやっていたので、どう決着着けるのかと思ったら、秀吉へのメッセージこめての敢えての行方不明とは、上手いなあと膝を打ちました。
     南国梵桂さんは初めて知り勉強になりました。面白かったです。

    作者からの返信

    そうなんですよ。
    天海説は自分で塞いでいたので(笑)、いろいろ悩んだあげく、行方不明にしましたが……結局は初志貫徹というか、息子のために最後までやり遂げた、というところにしたのです^^;

    南国梵桂さん、この人は光秀の肖像画のお寺を調べたら、出てきました(笑)
    このネタは使うしかないでしょ、というところで、住職エンドとなりました^^;

    ありがとうございました。

    また、近況ノートへのコメント、ありがとうございます。
    おかげさまで表彰されました^^;

    ではではノシ

  • ああ、そういうことですか。
    史実では、山で残党に殺されたことになっていますけど、実際のところは謎ですものね。面白い着眼に敬服します。

    作者からの返信

    光秀が討たれた、という結末はこれまでの創作で使われているので、へそ曲がりの私としては、それとはちがう結末にしたかったのです^^;
    光秀=天海説もありますけど、それはそれでこの物語にそぐわないし、やはり生死不明・行方不明ということで、退場していただきました。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    秀吉の戦いの事後が続くように、ねねさんも光秀の志を汲んだ戦後が続くのですね。子のない彼女だからこそ出来る、と言っては軽んじた物言いになりそうですが、経験と生き様が現れているのが好ましく思えました。

    作者からの返信

    秀吉にとっての国盗りの第一歩が終わりました。
    が、ここから賤ヶ岳、小牧・長久手と彼のさらなる戦いは続きます。
    ねねはねねで、秀吉の代理人として、そして「光秀を倒した者」としての人生がつづきます。
    勝者としての責任を果たす人生を。
    おっしゃるとおり、子どもがいないことは彼女の人生に影を落とすでしょうが、それでも彼女は彼女なりの道を歩んでいく。
    そんな「これから」を目指して書きました^^;

    ありがとうございました。

  • 拝読致しました。
    ようよう信長がいなくなった余波も鎮まり、新しい勢力図ができあがりつつありますね。
    織田家の後継は力なく、新興の秀吉に蚕食され塗り替わる、そんな新世界。
    そんな中でも、約束を果たした三日天下人、その後継は生を繋いで絵を遺し、ある意味では明智光秀の生きた姿を残した。
    次々に元・天下人が逐われる中で、負けた光秀の子が生を全うし、その姿が生き続ける。
    生きることの意味に思いを馳せると同時に、歴史の出来事を物語に取り込むその巧さに脱帽です(^^)

    作者からの返信

    秀吉の天下が動き始めたタイミング。
    ここから先は、ストライク・バックではなく、ストライク・フォワードになってしまうので、さらりと書くにとどめてみました^^;
    ゆく川の流れは絶えずして……の言葉のとおりに、そんな秀吉もまた、家康に後を襲われ……というところです。

    光秀の子が開基となった寺があり、例の肖像画があると知って考えた「結末」です。
    光秀は光秀なりに懸命に生きた。
    その証を残してやるぐらいには、秀吉やねねも度量があった……みたいにしたくて^^;
    お褒めいただき、恐縮です。

    ありがとうございました!

  • 成程、こういう流れにしましたか。

    光慶、という人物は、光秀が気に入っている嫡男、

    くらいしかイメージが無く、影が薄く感じ提案した。

    肖像画、というのは確かにその筋の者(反社的な意味ではなく)

    ではないと作ろうとも思わないですよね。

    作者からの返信

    結局、(拙作においては)信長と光秀は鏡の表と裏なんです。
    信長が信忠にすべてを譲って……と考えたように、光秀も光慶にすべてを譲るために……と思ったのです。
    そしてそれを知ったねねは、(描写していませんが)自分の子がいないことも相まって、光慶は仏門で生かしてやろうと決めたのでしょう。
    ……と、例の肖像画とそのお寺、そしてその開基の「伝説」を聞いて思いついたのです^^;

    ありがとうございました。

  • 山崎の戦い以降は戦後処理ですね。
    既に大勢は決していて、処理する段階でしかない。
    秀吉は天下取りにまい進していますが、ねねさんはねねさんで戦後処理ですね。

    作者からの返信

    山崎の戦いという意味では、たしかに戦後処理ですね。
    ここから清須会議、賤ヶ岳を向かっていくことになりますが、それはそれで別の戦いでありますし。

    こうして秀吉は政局を見つつ、一手一手進んでいく中で、ねねさんはまた裏方仕事に戻りました。
    本能寺からこっち、光秀と深くかかわった者として、「戦後処理」をキチッとやり抜くつもりなんでしょう。

    ありがとうございました。

  • そういう経緯で、肖像画が残ったのですね。
    人が生き延びる、というのは、大切だなぁ、
    繋がれた命は、何かを残すものだ、と思いました。

    作者からの返信

    肖像画が残ったのは史実なです。
    そこから逆算して、この寺の住職は明智光慶なのではないか……と思われたのかもしれません。
    拙作の場合は、そこは小説なので、住職=光慶とさせていただきました^^;
    光秀は消えましたが、繋がれた命=光慶と父への思いは残った……とした方がいい感じになると思いまして。

    ありがとうございました。


  • 編集済

    山崎城といわれるそれは、秀吉が大坂に城を築くまでの間、彼の居城となる。
    ← それは存じませんでしたし、わずかな間のことで気にも留めませんでした。

    それは上様でございます
    ← もうここで上様と言わせていますね。

    勝家にお市を譲ったのは、そういう心算でしたか。
    いなくなれる状態にしてやる……ねね、すごいですね~。
    光慶を救ったこと、のちの甥の件を考え合わせると含蓄がありますね。

    作者からの返信

    山崎城ってほとんどの人が知らない存在なので、マイナー好きとしてはぜひ取り上げたかったんです(笑)

    「上様」発言については、どちらかという官兵衛の仕込みです(笑)
    このタイミングでこういえば……と、人の悪い笑みを浮かべて(笑)、考えていたことでしょう。

    勝家、秀吉にうまうまと嵌められ、北へ帰ってしまいました。
    そして雪解けまで、秀吉がどう立ち回るか知らずに……。
    「いなくなる」の件は拙作の創作ですが、光慶の生存は説として存在します。
    秀吉もねねも、光秀の子までは手を出さなかったということかもしれませんね^^;

    ありがとうございました。