35 勝竜寺城にて

 一方の羽柴軍も、勝ちはしたが、将兵の疲労が激しく、とてもではないが追撃戦に出るまでの余力はなかった。


「いったい、どうしたものでしょう」


 千成瓢箪せんなりびょうたんをささげ持った石田三成は、そうこぼした。

 このまま追い討ちができないようでは、明智光秀が勝竜寺城にこもって籠城戦に出たり、あるいは再戦に挑まれる可能性がある。


「何、何とかなるもんだでや」


 羽柴秀吉は楽天的に、そう答えた。

 少なくとも、勝竜寺城は平城で、大兵力を擁することができない。

 だから籠城戦は無いし、再戦に出ようにも、その兵を整えることができない。

 そして何より、秀吉にはある確信があった。



 勝竜寺城。

 この城の北門に明智光秀はたたずんでいた。


「……是非も無し、やったか」


 それは織田信長最後の言葉である。

 光秀が今改めて思い出してみると、あれは、この明智光秀に対していろいろとやってきたことが裏目に出てしまったことを言っているのではないか。


「裏目……」


 そこでふと気づく。

 織田信長は、その正室・帰蝶は、本当に明智光秀を隠居につもりだったのか。


真逆まさか


 光秀はおのれの想像が本当であるかどうか、頭の中で立証と反証を繰り返した。


「駄目や」


 ひとりではわからん。

 もうひとり、あの場に、しかも信長の側にいた者の話でも聞ければ。

 ……思い悩む光秀の前に、ひとりの女が立っていた。


「いつの間ァに」


 ひとりだけではない。

 近くに、ふたりほど潜んでいる。

 光秀はゆっくりと、刀に手をかける。

 だが女は、それを手で制した。


「……だいぶ前から。声を何度もおかけしました」


 どうやら自失していたらしい。


「さよか」


 隠れているふたりも、襲ってくる気配はなさそうだ。

 光秀は刀から手を離した。

 そしてよく見ると、立っている女は、どこかで見た気がする。


「……あっ、そうや! おぬし、あの時、昨夜ゆうべ逃げ出した、女足軽!」


「その節は失礼いたしました。そして、改めて申し上げます。わたしはねね」


「ねね……」


 光秀はその名を反芻する。

 聞き覚えのある名。

 たしか、羽柴秀吉の……。


「そうです」


 ねねはまるで、光秀の胸中を読んでいるかのように、問わず語りをした。


「羽柴秀吉の妻女の、ねねと申します。、本能寺の、帰蝶さまに招かれていました」


 そして前田利家の正室・まつも共にいて、二人は辛くも本能寺の変から逃がれたことを語った。


「……そうや、たしか長浜を取った阿閉貞征あつじさだゆきやったか、あんさんを見たとか見ないとか」


「それは本能寺から長浜まで戻ったからです」


「……ほーう」


 それだけで、明智光秀は理解した。

 瀬田で橋を焼き落とされたこと、安土での蒲生賢秀がもうかたひでの対応、そして何よりも。


「備中高松にる秀吉に、いろいろと伝えたンは、あんさんか」


「そうです」


「…………」


 ねねがすべてを画策したとは言わない。

 それでも、光秀の目の前の、この鋭い目をした女が。


「この光秀を追い詰めたンやなぁ」


「買いかぶり過ぎです」


「……ま、そう謙遜するなや。それより、教えてくれへんか」


 光秀は、先ほど感じた疑念を口にする。

 もしかしたら信長は、光秀のことを「おもんぱかって」、隠居への道筋をつけたのか、と。


「そうです」


「さよか」


 ねねは遠慮なく答えた。

 光秀もあっさりと応じた。


「何でそう思うのか、とは聞かないのですね」


「そりゃあ、いろいろと考えたさかい……そうや、よう考えれば、そういう解釈もできるゥいうことに、今、気づいたんや」


 材料はあった。

 林秀貞や佐久間信盛の「追放」後について、調べることはできた。

 徳川家康の接待の時の料理も、今思えば料理人たちは反対していた。

 甲州征伐の「我らが苦労した甲斐があった」と言って、ちがうと言われた時も、そういえば信長は悲しげな表情をしていた。


「特に林や佐久間、この二人は年齢とし年齢としやったなぁ……この光秀と同じく」


 人は老いれば間違えるもの。

 それなら、もう隠居させた方がいい。

 多くの命をあずかる、軍団の長となれば、なおのこと。


「そして信長は、いや、信長さまは、とうに信忠さまに家督を譲っておった……」


 その信忠が甲州征伐における働きを見て、信長は事実上の当主の座も、信忠に譲ることに決めた。

 それと同時に、斯波家(足利尾張家)の家督も得ている信忠に、幕府を開かせることにした。


「その流れに思うたんや。幕府ゥ開いたら、天下が静謐になったら、狡兎こうと死して走狗そうくらるゥ思うてな」


 狡兎死して走狗烹らるとは、敵がいなくなれば、功臣はいらないという故事成語である。

 そう思うのも無理はない。

 織田信長という人物は、そういう説明を省き、行動で示す。

 信長の正室・帰蝶も、そういうがあった。 


「しゃあけど、幕府ゥ開くンやったら、この明智の働く場ァも、あったんやないかァ……」

 

 たとえば伊勢貞興のような、生粋の幕臣も明智の下にいた。

 そういう者たちを抱えた光秀は、京の治政にたずさわり、実績を上げている。


「まずそれを聞くべきでしたね」


「そうやなぁ」


 ねねは容赦ないが、光秀にとっては、それが心地よい。

 間違えた者には、結局のところ、それが一番の情けではないだろうか。


「……ほンで」


 何しに来たんや、と光秀は今さらながらに、聞いた。

 

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