応援コメント

34 決戦」への応援コメント

  • ドラマなどでは割と手短に演出される気がする山崎の戦いですが今回各武将の配置図もあったので
    「機也」という言葉の重みが増しました

    そして勝つものがいれば敗れるものも

    明智光秀じいちゃん…潔い
    もしこのまま御牧さんが突っ込まなければもしかしてもっと逃げれたかなぁとか考えてみたりします

    作者からの返信

    山崎の戦いって、数々のコンテンツで、「秀吉が大軍で攻めて勝利!」と述べられて、それで終わりにされている印象です。
    それで合っているから、そうなってしまうんですけど^^;
    それでもただ攻めただけでなく、双方とも、特に羽柴軍はかなりのタフネスを発揮して、だからこそ秀長の「攻め」が光った……というのを書きたかったのです。

    そして敗北した明智光秀。
    敗勢を支え、味方を逃がそうと必死だったことが伝わるエピソードです。
    御牧さんも悪くなかったんですが、でも、何がベストかわからない状況でしたから、仕方ないのかもしれません^^;

    ありがとうございました。

  • 伊勢貞興、弱冠二十にしてこの風格。
    戦国の世は、人を早く成長されるのかも。それだけに、光秀の老いが際立つか。

    他の作品では、若い頃からの活躍ぶりで人気の高い十兵衛光秀。その惜しい最期をどう美しく、鮮やかに描くか、が本作のもう一つの山場かしら。
    史実を曲げるわけにはいかないのが残念です。勝たせたら別のジャンルの小説になっちゃうし。

    >羽柴秀吉は、近侍の石田三成から「池田隊、突進」の方を聞いた。
    ↑報を
    ですよね。

    作者からの返信

    校正ありがとうございます。
    早速修正しました。

    伊勢貞興、ホントに足利幕府も最後の最後に、有為の人材が現れていたようで……^^;
    でも有為だけに、明智に付いてしまいます(笑)
    選択肢としては悪くなかったんですが、まさか明智がああなるとは……^^;

    十兵衛光秀、ついに落日の時が迫ります。
    おっしゃるとおり、他の作品はこれまでのコンテンツで描かれている、彼の最期。
    果たしてどんな風に描くのか、難しいところです^^;

    ありがとうございました。

  • 山崎の戦い、事実上の決着ですね。
    池田恒興の渡河、奇襲の流れはねね様進言となりましたか。
    事前に危険を犯して、明智陣営に潜り込んだ甲斐がありましたね。
    勝負どころとなる、ここに繋がってきましたか。
    光秀は逃亡を見つけた時に切り捨てておけば……。
    栓なき事ではありますが。

    作者からの返信

    おっしゃるとおり、山崎の戦い、これで決着です。
    池田恒興の渡河奇襲作戦は史実で、おそらく秀吉&官兵衛の策によるものですが、拙作ではねねさまのお手柄にさせていただきました^^;
    これもおっしゃるとおり、ここで明智軍への潜入が生きて来た、というところです^^;
    そして光秀が「脱出」に目をつぶらなければ……でもそうしないと、拙作の光秀じゃないし……何とも難しいところです^^;

    ありがとうございました。

  •  こんばんは、御作を読みました。
     ねねさんのナイスアシスト♪
     これはもう、光秀さんにもどうにもならないか……。
     秀吉の怖さ、強さが伝わってくる回でした。
     伊勢貞興って、若かったんだなあTT
     面白かったです。

    作者からの返信

    史実では池田勝入斎のファインプレーだったと思います。
    むろん、秀吉&官兵衛の采配で動いているのでしょうけど(笑)

    で、拙作ではその辺をねねさんの手柄にしてしまいました。
    そうすると秀吉、官兵衛、ねねという三頭を相手にする光秀という構図に^^;
    つくづく秀吉は魔王になってしまったなぁと、私も思いました(笑)

    伊勢貞興、あまり目立たないけど、この若さで明智軍団の柱石となっている凄い人です。
    もっとこの人にスポットを当ててやろうというのが、執筆のキッカケのひとつです^^;

    ありがとうございました!

  • 伊勢貞興氏はこんなに若かったんですね……!そして涙する光秀さん。歳を取ると涙脆くなる。ああわかる、わかるんですけれどこの人、元々涙脆そうなイメージです

    作者からの返信

    伊勢貞興、こんなに若くして散ってしまったので、逆に後世にあまり知られない存在になってしまいました。
    マイナー好きの私なんで、拙作では可能な限りクローズアップしてみました^^;

    泣いた赤鬼、じゃなくて光秀。
    歳を取ると……とか言ってますが、おっしゃるとおり、元から涙もろいと思います。
    浪花節で生きて来たのでしょう^^;

    ありがとうございました。


  • 編集済

    読みかえしてみても、

    光秀さんが勝利するチャンスはあった…

    しびれを切らすように仕向けられ、

    じっさいにこらえきれず、

    最後は股肱の臣を失う。


    負け戦、とはそういうものだが、信長なら、必ず生き残った。
    (その際に戦死した重要な家臣は、名を残せなかった)

    本当に、今考えても、なぜ、光秀に討たれたのか…

    信長も、共に老いてしまったのかもしれないと、ふと考えざるを得なかった。

    秀吉は、この時、戦場のケーススタディと、

    死ぬならそれまで、負けるならそれまでの漢、

    と割り切っていたのかもしれない。


    目覚めた男に、運命は必ず微笑む。

    作者からの返信

    光秀は光秀なりにもがいていたと思うんですが、やはり秀吉の方が一枚上手だったんでしょう……。
    こらえ性の無さとか、そういうのを読まれて布陣や作戦を組まれていますので、これはもう負けるべくして負けたと思われても仕方ないでしょう。

    やっぱり光秀は守成の人で、どうしても保守的に考えてしまい、加えて歳が歳。
    積極戦法が取れなかったのも原因かと思います。
    秀吉は中国大返しという、積極性の極みを実行しているので、なおのことそれが際立ちます。

    そしておっしゃるとおり、秀吉はここで終わるならそれまでという密かな覚悟があったのでしょう。
    また、史実ではこの時、「ねねが死んでいるかもしれない」と感じているでしょうし、そういう意味でも「死んでも、かまうものか」の心境だったと思います。

    ありがとうございました。

  • 拝読致しました。
    なるほど、敵陣にもぐり込んで渡河ポイントを調べ上げてきた。
    うん、まさしく素波……いや、くノ一として恥じない功績(^_^;)
    疲労困憊した兵を動かす(たぶん)唯一の方法は、味方の勝ち運に乗せることだと思いますが、まさに兵たちはアドレナリンが出まくっていたことでしょう!(⁠*⁠ノ⁠・⁠ω⁠・⁠)⁠ノ⁠オリャー
    そして勝負が極まり、大将の仕事は味方を逃がすこと、という潔さ。ここが読んでいてきもたよいですね(^^)

    作者からの返信

    藤堂高虎がエスケープは川で、というのを覚えていて、そういえばここから攻めればいいのではと思いついたっぽいです。
    ねねさん、何というか「やっているうちに思いつく」タイプの人という設定ですので^^;

    秀吉、本陣深くにかまえていましたが、機を見るや総攻撃の指揮を執ります。
    おっしゃるとおり、疲労困憊の将兵だから、一回こっきりの攻撃しかできないだろうという目論見の上での、ここ一番の「攻め」です。

    光秀、基本的には良将なので、撤退戦のしんがりを務めようとしますが、良将ゆえに部下が体を張ってくれるという、ホントもう泣くしかない展開でした。
    お褒めいただき、ありがとうございます♪

    ありがとうございました!

  • 伊勢貞興若いなあ。
    この歳で明智家中で重きを置かれていたことを考えると相当評価されていたんでしょうね。
    まあ、名門なので足利幕府の旧人材の代表というポジションだったのかもしれませんが。

    事が決して光秀の夢は破れました。
    残兵700。
    寂寥感が漂いますね。

    作者からの返信

    伊勢貞興、名門でもあるし、かなり「使える」人材だったようです。
    足利義昭が鞆へ高飛び(?)するのに「ついていけない」と判じて、光秀に鞍替えしたっぽいです。
    おっしゃるとおり、光秀にかなり高く買われていましたし、室町幕府の官僚たちを押さえる人材として有為だったのでしょう。

    そして光秀、ついにその野望も果てました。
    一瞬とはいえ天下人になった男が、従える兵は七百。
    もうホント、限界まで来ちゃったんでしょうね。
    史実における、このあとの光秀の行動から判ずるに。

    ありがとうございました。

  • 切り札が無かった光秀ですが、実はひとつ方法があったんですよね。
    総大将が旗本を率いて前進する。絶対に討たれてはいけない総大将を切り札として戦線に投入する。
    信長なら、やったでしょう。桶狭間のように。ほかでもやってますし。
    そして、秀吉は勝ちが見えた瞬間にこれができるし、もし名人久太郎みたいな良い手札が無ければ、自分が行ってた可能性もあります。金ケ崎のように、ここぞという所では身を捨てて賭けられる。
    毛利が来るとか、宇喜多が裏切るならそれでも構わんと姫路を空にできる。
    条件が違いすぎるとはいっても、京を捨てられず、近江に秀満を置かざるをえなかった光秀の、そこが限界なのかなとも思いました。

    作者からの返信

    大将による「中入り」戦法ですね。
    乾坤一擲の戦法ですが、かなりリスキーです。
    信長の尾張統一時代は、まだ土豪というレベルですから、信長自身で出張る必要があったからというのもあるでしょう。
    秀吉は秀吉で、信長に仕える一部将レベルだからできたという面もあると思います。

    さてこの時の光秀にその戦法を採れというと、やはりやらないでしょうし、それが限界かと思います、おっしゃるとおり。
    近江か丹波に引っ込めばという思考から逃れられなかったでしょうし、まだ細川か筒井が来てくれるかもという期待も捨てられなかったでしょうし。
    ……それでも実行したら討てたかというと、秀吉には七本槍のメンバーや、織田信孝、丹羽長秀とかもまで控えているから、難しかったと思います^^;

    ありがとうございました。


  • 編集済

    譜代の臣下がいない秀吉には、ねね&子飼いの若者という最強の味方がいますね~。

    「だから、京の前ではなく、後ろの近江にと……いや、今は詮無せんなきこと」
    ← そんなこと言っていましたっけ? 貴作の布石に気づきませんでした。

    二十歳の若者が策を誤った高齢な主君のために戦死……不条理の極みですね。

    たいていの歴史小説で山崎の戦は簡単な事実関係を並べて終わっていますが、貴作で初めて詳細を知りました。

    作者からの返信

    秀吉の前半生は「人」を得ることに必死でしたから、子飼いの「育て」には邁進していたと思います。
    実際にはねねが大半を担っていたと思いますが^^;

    斎藤利三が近江で迎撃しようと提案したのは、地の文でさらっと述べていたと思いますので、多分そのせいであまり印象に残っていないと思います^^;

    伊勢貞興、この時二十歳なんですよね……。
    されど、足利義昭なんていう、ついていけない公方よりも、明智光秀という「己を知る」君主に見出されたことを恩義に思っていたのではないでしょうか。
    確かに不条理な死ですが、貞興としては光秀以外に仕える気が無かったので、こうなる定めだったのかもしれません……。

    山崎の戦い、「秀吉が大軍で押して勝った」と言えばそれまでなんですが、調べてみるといろいろとあるもんだなぁ、と私も書いていて感じました(笑)

    ありがとうございました。