23 信長の思い描いた未来

 斯波家しばけ

 またの名を、足利尾張家。

 かつて、足利家の嫡子であった斯波家の祖が、その母親の一族の叛乱により庶子に落とされたことに端を発するという。

 しかも、新たに嫡子となった弟が早逝したため、弟の子――甥を支えて足利一族を盛り立てたという実績があるため、分家とはいえ別格という位置づけとなった。


「おれは、足利だ」


 室町幕府草創期、斯波家当主・高経はそう自負し、求められた足利家執事就任をかたくなに拒んだという。

 同じ足利家なのに、なぜ「家来」である執事になるのか、と。

 このことにより執事ではなく、管領という役職が生まれるのだが、それはまた別の話である。

 そして時は流れ――。



「……結局、斯波という姓を名乗ることになった足利尾張家は、その名のとおり、尾張守護となりましたが、やがては守護代の織田家という家系に牛耳られ、ついには信長さまに追われました」


 京。

 長谷川宗仁はせがわそうにんの隠れ家にて。

 ねねの口から語られる、足利尾張家――斯波家の略史に、宗仁は唖然としていた。

 下級武士の娘というねねが、よくぞここまでの知識を得たものだ。

 いや、その知識を応用して、ここまでの推理をする方が凄い。

 さすがに、織田家で一、二を争う武将、羽柴秀吉の女房は、ひと味ちがうと言ったところだろうか。


「その斯波の名乗りを、他ならぬ足利義昭は、織田家に与えた。信長さまはそれを、嫡男・信忠さまにお与えになった。名門・甲斐武田家との縁談を控えた信忠さまに、箔をつけるために」


 やがて甲州征伐の成功により、天下人が務まるほどの成長した信忠。

 その信忠を、信長は京に呼んだ。

 共に朝廷に参内さんだいし、征夷大将軍の位を得るために。


「その時、信忠さまは斯波信忠とでも名乗るつもりだったのでしょう。だから」


 ――城介は明日、織田秋田城介信忠では。以上だ。


「……と信長さまは述べたのです」


「…………」


 場にいる一同――長谷川宗仁、藤堂高虎、福島正則――は、言葉も無かった。



「つ、つまり……」


 まず正則が口を開いた。

 彼は決して愚かではない。

 そして直截的な切り込みが身上である。


「お、織田、じゃない、斯波の信忠さまの将軍位を得るという話を知って……光秀はそれの真似をした、と……」


「真似をした、というよりは、真似をせざるを得なくなった、が正しい、市松」


「む」


 それを聞いた高虎は膝を打った。

 信忠が将軍になるというのはわかる。

 だが、それで光秀が叛するというのはわからない。

 であれば、信忠将軍宣下という話のほかに、あるいは話に何かあり、そのため、光秀は謀叛した。

 そして、将軍を立てるという


「では、ねねさま。光秀は何で、将軍を立てる真似をせざるを得なくなったのか。それについては如何いかん?」


 ねねはうなずいて、そしてこれは想像ですと言ってから、答えた。


「おそらく信長さまは、光秀を隠居させるつもりでした。だからその兵権を取り上げるために、この折りに京へ呼びました」


「隠居」


「そうです。かつての林さまや、佐久間さまのように、信長さまは光秀を隠居させるつもりだったのでしょう、おそらく」


 織田家の重臣、否、かつての重臣、林秀貞や佐久間信盛は、信長の勘気をこうむり、つまり怒りを買って、織田家から追放されたとされている。

 その理由として、常の態度や働きが捗々はかばかしくなかっただのささやかれているが、ねねはあることに思い当たった。


「林さまが織田家を時、六十七歳とかなりの高齢でした。佐久間さまはそれほどでもありませんでしたが、それでも石山本願寺攻めという激務に心を痛ませ、調子を狂わせていたと聞いています」


 実際、林秀貞は京に安芸と旅に生きて余生を過ごしたとされる。一方の佐久間信盛も、激務を離れ、高野山でのんびりとした日々を送り、そして亡くなった。

 二人とも、大往生だったという話である。

 ねねはこれらのことを、夫の羽柴秀吉から聞いていた。

 そして。


「……であれば、、同じことを考えていたのでは」


 と思いついた。

 傍証として、ねねが弥助から聞いた、信長と帰蝶の最後の会話がある。


 ――……だって、あの十兵衛どのですよ? 


 ――甲州征伐の時も! 家康どのの接待の時も! あの時も! あの時も! みんな! みんな! 十兵衛どののためじゃないですか! それを……それを……。


 ――……人間、誰しもをする。誰しもがように。光秀の矜持きょうじを考えて、変に言葉を尽くそうとしなかった予が悪かったのだ。


「……そのための隠居です。そして光秀の兵は、もとは佐久間信盛さまの兵でした。であれば、信忠さまの副将を務める佐久間信栄さくまのぶひで(佐久間信盛の子)さまを介して、信忠さま直下の兵とするつもりだったのでしょう」



「……そ、そないな」


 宗仁はそれを知らなかった。

 信長側近の彼ではあるが、そのことを知らなかった。

 ただ、それをねねは責めなかった。

 織田信忠将軍就任とならび、それは秘事だったのだろう。

 だからねねは敢えて宗仁のその言葉を無視して、話を進める。


「甲州征伐の時、光秀は、、『われらの尽力が実った』という趣旨の発言をしたそうです」


「うっ」


 それなら聞いていた。

 巷間では信長が光秀を欄干に叩きつけて罵ったと言われるが、その場にいた宗仁は、実際の信長が、ただ、ひどくふさぎ込んでいたことを記憶している。


「そして家康どのへの料理です。これは帰蝶さまから聞いたことがあるのですが……味付けがかなり濃いめ、というかそうです」


 盟友・家康に料理を供するにあたって、信長は自ら毒見役を買って出た。

 それなら自分がやったという光秀を退け、箸をつけた信長は、おのれの舌を疑った。

 そしてこう思ったであろう。


「年寄りが好む味付け。あるいは、塩などを勘ちがいしてしまうぐらい、光秀は……」


 長年、羽柴家の台所を預かり、時には秀吉の母や、家臣たちの老父老母の世話をすることもあった、ねねならではの推論だった。

 そして信長は光秀を饗応役から外した。

 ただし、光秀の面子は考慮した。


「……信長さまは、饗応役をに代えました。光秀の面子を考え、婿、信澄さまに」


「…………」


 沈黙する一同に向かい、さらに中国攻めへ向かうように命じたのは、だったのでしょうとと付け加え、ねねもまた黙した。


 

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