引きこもりJK、23時、ボイチャ相手はOLさん

にゃー

23時17分──23時56分


「ファーッ⤴⤴⤴wwwざぁまあ味噌汁wwwァ沢庵ポリポリィッwwwww」


 ヘッドホンから聞こえてくる、お下劣な笑い声。

 このお姉さんは時々、品性と知性を失う。具体的には、遠くからスナイパーでぺちぺち撃ってきてたやつを執拗に追いかけ回してキルしたときとか。

 23時17分。今日も私は、ボイチャ友達であるサトーさんとFPSゲームに勤しんでいた。


「……サトーさん。そういうのは教育上よろしくないとか、少しは思わないんですか?」


 私はバリバリの現役女子高生なのだから、サトーさんにはもう少しこう、若者に見せられる大人というものを演じて欲しい気持ちはある。私たちのあいだにそんなの今更だ、という気持ちもある。ゲーム内で出会ってかれこれ数ヶ月、サトーさんがどちらかというと駄目人間よりの大人であることは、もう嫌というほど理解していた。


「引きこもりのo-sioちゃんに言われてもねぇ」


 ほらみろ、遠慮のえの字もない言葉が返ってきた。私が引きこもりカースト最下層──イジメとか深刻な悩みとかなく、ただ学校に行くのが億劫になった面倒くさがりタイプ──じゃなかったら大問題になっていたかもしれない。


「…………」


「……あ、あれ?」


「…………」


「あの、o-sioちゃーん?」


 ちょっとしたイタズラにと黙りこくってみたら、サトーさんは分かりやすいくらいに動揺しだした。ちょっと震えてるその声を聞いているとなんだか申し訳なくなって、だったら最初から変なことするなよって自分で自分をなじる。


「……すいません、ヘッドホンのコード抜けかけてました」


「あ、そ、そう。なぁんだ、ビックリさせないでよ」


「……」


「……」


 少しの沈黙。ゲーム内ではすでに次のマッチは始まっていて、バトロワゲーのご多分に漏れず私達は初動のアイテム漁りに従事していた。別名、雑談タイム。


「…………学校、やっぱり行ったほうが良いですよね」


「ほんとすんませんでした」


「なんで謝るんですか──あ、そこ射線通ってます」


「え、どこから?……あー見えた見えた、遠っ──いやほら、流石に不躾だったかなぁって……」


「私、長物ないんで応戦できないです──不躾なのはいつものことじゃないですか」


「失礼!」


 本当に不躾なのは私の方だけど、どうしてかサトーさんにはこうやって、ついつい甘えてしまう。同級生なんかよりもよっぽど気の置けない相手だけど、それでも心のどこかで、大人として頼ってしまう私がいる。今のこの話題だってそう。散発的な銃声をBGMに、あんまり重くならないように、人生の先達に問うてみる。


「……まあ、さっきのサトーさんの言葉がどうってわけでもないんですけど。ほら、普通、学校って行くものじゃないですか」


「……そりゃ、そうかもねぇ──あーっスナぺちうぜぇー」

 

 何も問題なんて無いはずなんだから、学校には行った方が絶対に良い。そろそろ二年次も終わりが近づいてきていて、進路だとか就職だとかを考えれば、ちゃんと高校を卒業できるかどうかっていうのは、言うまでもなく大事なことだ。だけどもその“ちゃんと”がどうしても億劫で、今日も昨日も先週も先月も、私はずっと部屋に籠もってばかりいる。


「詰めます?──私も、頭では分かってるんですけど……でも、どうも」


 イヤってわけじゃない。学校が嫌いって話じゃない。なのにどうしても、制服に袖を通す気になれない。うまく言葉にできない感覚を、サトーさんなら分かってくれるかもって、そんな気持ちが胸の中にあった。自称普通のOLさんに向けるには、ちょっと重たい期待かもしれないけど。


「寄ってしばくかぁ……」


 少しのあいだ、マウスとキーボードの微かな音だけが鳴って。サトーさんの大っ嫌いな遠距離ぺちぺちマンへと近づいていく道中に、再びヘッドホンから声が聞こえてきた。いつも通りの、フランクな声が。

 

「……o-sioちゃんの学校さぁ、花壇とかある?」


「え?」


「校門前とかさ、校舎の周りとか。大体何かしら植えられてない?緑化委員とかいたりしてさ」


「そりゃまあ、ありますけど……」


「どんな花が植えられてるとか分かる?今の時期は?夏場は?」


「それは……」


 聞かれて、思い浮かばなかった。半年前、学校に通っていた頃は毎日見ていたはずなのに、思い出せない。違う、はなっから記憶なんてしてない。ただ風景として視界の端を流れていただけ。そう気付いた私に、サトーさんはどんどんと質問を重ねてくる。

 

「じゃあ校舎裏とか行ったことある?体育館裏とかは?」


「……どっちも無いですね」


「理科準備室?とかってある?何かしらの備品の倉庫とかは?」


「倉庫はよく分からないですけど……科学の実験器具の保管室とかはあったかと」


「校舎の外からさ、三階のベランダとか見上げたことある?」


「……たぶん、無いですね…………うん、無いです」


「屋上は?」


「そりゃありますけど、出入り禁止にはなってますね」


 意図の読めない質問の嵐。問われれば問われるほど、そんなのもあったなと思うのと同時に、それらの何一つとしてちゃんと見た試しが無かったことを自覚する。そうだ。普通に通えていた頃から、私にとって学校は、退屈で記憶に残らない場所だった。

 

「……わたしさ。学生の頃は毎日、つまんねーとか思いながら学校行ってたんだ」


 まるでこちらの心を読んだかのように同じことを言ってくるサトーさん。学生服を来ていた頃の彼女が私と似たようなタイプだったのかもしれないと思うと、少し嬉しくなってしまう。


「いっつも一人でむすっとしててさ。当然、部活にも入らないで、授業終わったらちょっぱやで家帰ってた」


 まさしく半年前までの私だ。始めて知ったサトーさんの過去から、彼女が言いたいことを類推しようとする。ひとりぼっちの学生生活を後悔してて、私に同じ轍を踏んで欲しくない、とかだろうか。

 

「あーいや、友達作りたかったとか、恋人欲しかったとかは、別にそんなにでもないんだ。わたし、人間関係は狭い方が性に合ってるから」


「……えっと」


 いまいち着地点が見えなくて、何と返せば良いのかも分からない。そんな私の戸惑いを読み取ったのか、サトーさんは小さくくすりと笑った。派手なフルオートの射撃音が鳴って、敵の一人が蜂の巣になる。


「ワンダウンー」


「こっちフォーカス、あ、れました」


「ないすー──で、さっき色々聞いたじゃん?花壇がどうとか屋上がどうとか」


「はい」

 

「わたしもあれ全部、なーんにも覚えてないんだよね。で、そういう……見ようと思えば見られたはずの風景をさ。知らないまま大人になっちゃったって思うと、何ていうか……時々すっごく切なくなるんだよね」


 もう二度と見られないものだから。そう笑うサトーさんの声は、なるほど確かに、少し寂しそうにも聞こえた。現に私もさっきのあれこれは、サトーさんに言われて始めて意識したものばかりで、通っていたころは気にも留めていなかった。


「放課後にでもさ、ちょっと……ほんの数分でも時間を取れば校舎裏を回るくらいできたし、花壇なんていつも視界に入ってたはずだし。屋上だって、先生に頼めば上がれないことは無かったと思うんだ」


「まぁ……そうかも知れませんね」


「でもわたしは、学校にいるあいだずっと家に帰りたいとしか考えてなかったから、そういうの全部、見落としちゃってて。授業が終わったら即帰宅〜……ってのを三年間、ずっと繰り返してたわけよ。今思うとそれ、すごく勿体なかったなぁって」


 あ、中学も合わせたら六年間か。なんて言うサトーさん。二度と見られないっていうのはきっと、学生としてって意味も含まれてるんだって、何となく分かった。仮に大人になってから何かの機会で学校に入れたとしても、そこで見るものは、学生時代に見る景色とはぜんぜん違うだろうから。


「部活とかもさ。もしやってたら、普段は縁のない施設とかに入れたかもしれないって考えると、やっぱり勿体なかった気もしてくる」


「なる、ほど?」


 専用の部室だとか、備品だとか。そういう諸々もひっくるめて、何もかもがサトーさんにはもう、手の届かないものたち。焦がれるというほどの激情ではないけれど、じんわりと、ヘッドホン越しに後悔のようなものが伝わってくる。


「ほら、RPGでマップを全部埋めないままストーリークリアしちゃった時みたいな」


「……ちょっと、分かるような」


「でしょでしょ?まぁとにかく、そんな学校の何気ない風景とか、大人になると無性に恋しくなっちゃうわけよ」


 言ってしまえば本当に、ただのもったいない精神。でも声に籠もった哀愁は、子供の私にも察せられるほどに色濃くて。変な話、なんだか大人っぽくて、色気があった。


「……そういうのを見る為に、学校に行った方が良いってことですか?」


「まあ、記憶に残しておいて損はないと思うよわたしは。義務教育課程の次くらいにはね」


 次の獲物を求めて彷徨いながら、サトーさんはそう締めくくる。ウィンクでもしていそうな軽やかな言葉尻。顔なんて見たことないけれど、パチンと閉じられた左目が容易に思い浮かんだ。


「……」


「……」


 そうしてまた、本日何度目かの沈黙。元々、私はそんなに口が回る方じゃないから、こうやって無言の時間ができることは少なくない。だけどその時間も──少なくとも私の方は──あんまり気まずくは感じなくて、ゆっくりと考えをまとめて返すまで、サトーさんは静かに待っていてくれる。……さっきみたいな例外もあるけど。

 

 そのまましばらくはゲームに集中して、二人で何パーティーかを追加で脱落させた。快調に順位を上げ、ラスト数組が睨み合う静かな時間になって、私は再び話題を蒸し返す。


「──サトーさん」


「んー?」


「私、明日学校行きます」


 結論を先に述べてみたら、ヘッドホンの向こうから息を呑むような音が聞こえた。


「……そりゃまたえらく急だね」


「サトーさんがけしかけたんじゃないですか」


「や、そうだけど……でもほら、いきなり無茶するのはそれはそれで良くないと思うっていうか、その……」


 もにょもにょと歯切れの悪いサトーさん。さっきまでの哀愁漂う大人ボイスはどこへやらだ。自分の言葉のせいで、私が無理に学校に行こうとしてるとでも思っているらしい。


「大前提として。私だっていい加減、今のままじゃ駄目だって考えてたんです」


 その上で、わがままな話だけど……何かきっかけが欲しかった。その何かは、サトーさんが良かった。そしてサトーさんの言葉は、声は、強すぎず弱すぎず、ちょうど良い塩梅に私の背中を押してくれた。友達を作るだとか人間関係がどうとかそういうのじゃなくて、もっと素朴で疲れないものへの興味を、私に持たせてくれた。


「だから学校に……探検に行ってきます」


 花壇を眺めて、校舎裏を散歩して、下から三階のベランダを見上げて。空き教室を片っ端から覗いて、部活も……いや、部活はやっぱり面倒くさそう。これはナシ。

 

「それで、見てきたものを、サトーさんに教えてあげます」


 見落としてるだけで、そこにあるものを。今しかそこにいられない私がこの目に焼き付けて。それで夜はこうやって、サトーさんに伝えてあげたい。そういう不純な気持ちから、もう一度学校に行こうと思ったんだから。やっぱり、サトーさんが変に負い目を感じる必要はないはずだ。


「……」


「どこか、見てきて欲しいところとかありますか?」


 なるべく重たくならないように、でも是非とも聞いておきたいことを問う。どうせ行くならと思って。


「……」


「……」


 今度はサトーさん由来の沈黙。何か色々考えてそうな身動ぎの気配がして、だけどちゃんと答えてくれるって信じてる辺り、やっぱり私はサトーさんに甘えてるのかもしれない。


「……」


「……」


「……放送室」


「放送室?」


「うん。毎日放送委員が何か喋ってるのが当たり前だったけど、どういう設備があるのか全然分かんないから。気になるなぁって」


「なるほど……分かりました。じゃあ明日……は無理かもしれないですけど。放送室、見てきます」


 勝手に立ち入ったら、さすがに怒られそうだけど。毎日通ってきちんと復学できれば、先生に頼んでちょっと見せてもらうくらいはできるかもしれない。いや、やる。


「……うん。楽しみにしてる」


「はい」


 サトーさんの哀愁ボイスになおのことやる気が奮い立ち、その勢いのままにもうひとつ、言ってしまいたくなった。これもまた、少し前から考えていたこと。安易に紐付けてしまって良いのかという気持ちもあるけれど、でも。


「……それでもし、ですね」


「うん、何?」


「明日だけじゃなくて。明後日も、来週も、来月も学校に行けたら──」


 不登校とか引きこもりが改善されたら。その時にしてみたかったこと。ご褒美が欲しいです、私。そんなの貰えるほど大層なことじゃないって分かってるけど、でも、お願いしますサトーさん、もう少しだけ、甘えさせて下さい。


「──私と、リアルで会ってくれませんか?」


「……」


「……」


「…………はへぇ?」


 すごく情けない声が聞こえてきた。


「ダメ、ですか……?」


「ひょえぇ?」


 押せばさらに、変な声が。もっと押すべきか……?なんて思ってるうちに、すぅっと大きく、息を吸い込む音。


「──そ、そりゃぁわたしも正直会ってみたい……じゃなくて、うん、そうだよ、ダメだよこんな、ゲームで知り合った誰とも分からない人と顔を合わせようだなんてもしかしたらヤリモクとか未成年淫行とか闇バイトとかそういう悪い大人かもしれないしいやもちろん気持ちは嬉しいんだけどねでももうちょっと警戒心とかを持った方が良いと思う気持ち悪く聞こえるかもしれないけど君は女子高生なんだよo-sioちゃん?」


 銃声かと思った。

 上擦った声が長く連結して、サトーさんの焦りっぷりを教えてくれる。それと同時に、その声音には嫌って気持ちは乗ってないということも。


「サトーさん」


「学校行こうって決心したのは凄いと思うよもちろんだからわたしもできることならサポートしてあげたいしいや正直会ってみたいけどじゃなくていやそうじゃなくて」


「サトーさん、サトーさん落ち着いて」


「あっあっ」


「心配してくれてるのは凄く嬉しいんですけど。でも私、サトーさんのこと信じてますし。あ、でも万が一……サトーさんが悪い大人だったとしたら」


 たぶん私も、学校行くぞって決心を経て少しテンションが上っちゃってるんだと思う。ものすごくテンパっているサトーさんの早口を遮ってでも、伝えなきゃって思ってしまったから。押せばイケそうっていう確信と共に。 


「──私もう、二度と外には出られなくなっちゃいそうです」


「ひゅ」


「…………なんて、冗談ですよ?」


 それから、長い長い沈黙があった。サトーさんが神がかり的なエイムで残りの二チームをあっさり倒して、勝利演出からリザルト画面まで無言のまま眺めることしばらく。一定時間の放置で強制的にロビーに戻されて、それでもまだ少し時間を置いて。ようやく、ようやく。

 

「…………せめて、親御さんと一回お話させて貰っていい……?まずはそこからかなって……」


 返ってきたのは、ふにゃふにゃに震えたそんな声だった。


「はい、勿論。楽しみにしてますね、サトーさん」

  

 時刻は23時56分。連勝もしたことだし、明日に備えて今日はここでお開き。

 



 ◆ ◆ ◆



 

「──おはようお母さん。……あの、今までごめんなさい。私今日、学校行ってくる」

 

「うん、うん。ほんと、心配かけてごめんなさい。うん、大丈夫」


「……」

 

「それとね……」

 

「……会って欲しい人がいるんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引きこもりJK、23時、ボイチャ相手はOLさん にゃー @nyannnyannnyann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ