第32話

「お母様、あれは……」

「関わっては駄目よ、あきくんとは違うの」


 何度、その言葉を聞いただろうか。


「お前を産んでもらう気はなかったんだ。あの女、勝手に産みやがって」

「どこの誰が母親かもわからんようなお前を、家に置いているだけありがたいと思わんか!」


 俺は所謂、婚外子だ。


「今日は外食にでも行こうってお父さんが」

「ほんとに!?」

「大人四人、子供一人の予約で。はい、お願いします」


 俺はいつも、居ないもの扱いだった。


 バシャッ!

「俺、浄化師になるんだってぇ。手始めにお前のこと浄化してやるよぉ」


 父親は結婚前、たくさんの女と遊んだらしい。母親はというと俺を産んだあと、自分の化粧に使っていたのかそれは知らないが、べにだけ置いて行方をくらませた。そのまま放置というわけにもいかず、おかげで河内家ではいらない子として育った。そして5歳のとき家を追い出され、納屋に押し込められて使用人以下の生活が始まった。確かに、置いてもらえていただけマシかもしれない。すべてを知った後ならそう思えた。


 小学生になる頃には、俺は感情を閉ざし、ありとあらゆるものとの関わりを断っていた。そうすれば従兄弟いとこからの嫌がらせも苦じゃなかった。たとえ、寒い冬空の下で冷水をかけられたとしても。


 加えて俺は、浄化術の発現が遅かった。浄化師には能力の発現期があり、その間に能力に目覚めなければ、その後は見込めない。しかし俺はその期間に覚醒しなかった。創現浄術はおろか、浄化師の家に生まれたにもかかわらず、何一つ浄化術を持っていないと思われていた。


 しかし転機は突如として訪れる。


「あれはもしかして」

「でもまさか、そんなわけ」

「だがもしそうだとしたら? 期待以外の何物でもないんだぞ、少々癪には障るが」

「忌み子だ……異端児だ」


 そんな言葉の一つや二つ、増えても別に変わらない。しかし俺は長い縁側の雑巾がけをしている時、引っかかることを聞いた。


「あの紅はもしや、あの女がわかっていて持たせたのではあるまいな?」

「言ったのか崇春たかはる

「まさか! それに言ってもわかんねぇだろうよ」


(紅……)


 咄嗟に「これは隠さなくてはいけない」と悟った。今やこれしか残っていない母親との繋がりを奪われてたまるかと、ささやかな反抗心を覚えた。



「この子がそうか?」

「ええ。弟子入りの件、お引き受けいただきありがとうございます」


 そのとき俺は小学二年生。


(本格的に要らなくなったんだな)

 と、河内家とはつくりの違う家を眺める。


「はじめまして。俺、久々宮清仁っていうんだけど、君は?」


(君は……?)


「河内、冬青」

「よし冬青。おいで、中を見せてあげよう」


(おいで……)


 その日から清仁さんの弟子になった俺が創現浄術に目覚めるまで、意外と時間はかからなかった。


 はじめのうちこそ、

「本当に冬みたいに冷たい子」


 と言われていたらしいが、清仁さんがそれを許さなかったらしい。流石、現家守の弟は違う。


 そのうち家であったことをぽつりぽつりと話すようになった。それを聞いても清仁さんは顔色一つ変えなかったが、今考えてみると相当怒っている様子だったように思う。長い時間をかけて心を開いていった俺は、ようやく中学校に上がった。近畿校の中等部に入学することになると、清仁さんは外食に連れて行ってくれた。


「どこ行く? 何食べたい?」

「……回転寿司、行ってみたい」


 寿司を好きになったのは、この日からだった。


 それだけでもじゅうぶん嬉しかったのに、入学祝いまでくれた。耐衝撃、防塵、防水の腕時計。高かったと思う。


 入学式の日。親族の席には特別に、清仁さんが出てくれた。特任教師になったのも、この年だった。


「近畿校で浄化師をやる上で、言っておきたいことが二つある」

 そう切り出した清仁さん。ひとつは、学校では名字で呼ぶことだった。


「変に思われたら嫌だろ? それからもう一つ」

 すっと真剣な顔になったのを見て、喉がこくりと鳴った。


「入学したからには、俺がずっとついているわけにはいかない。俺と仕事にも行ったことがあるから、すぐに階級は上に上がるだろう。でも」


 あの言葉は、このときもらったものだった。


「自分は大事にしろよ。自分と、自分を大事にしてくれる人は大事にしろ。もう独りじゃないんだから、な?」


 独りじゃない、独りじゃない、一人じゃない……ひとりじゃ、ない……



 徐々に意識が現実へと引き戻されていく。


「……思い出した」


 何もかも、すべて。



「まさか! それに言ってもわかんねぇだろうよ」



「浄化術『識ノ神しきのかみ名媛七人めいえんしちにん』なんて」

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