虎尾春氷

第28話

「エイミー遅いなあ」

「そうやなあ。夕方仕事行ったのに、もう10時半やで?」


 覚前と浅田がそう言っているのを横で聞いている。確かに遅い。さっき「終わったか?」と入れた連絡も見ていない。


(何もなければいいんだがな……)


 そのときだった。

 ビィーッ! ビィーッ!


「この音は――!」

「制服に着替えてグラウンド。急げ!」


 フリースペースから出て一目散に自室にダッシュする。ズボンとカッターシャツを着てベルトを通した段階で、パーカーを手に部屋を出た。走りながら服装を整えていく。


 グラウンドに着くと、俺らの身長は超えているがさほど大きくはない穢れだった。あとから先輩方や浅田、覚前が到着する。


「階級は?」

「多く見積もって尭、準尭といったところでしょう」

「よりによって先生みんな出払ってるときにって思ったけど、案外大丈夫そうやな」

「中学生は」

「寮にいろって言うてきた」


 有馬先輩が言うなら間違いないだろう。

 さっきの音は学校に穢澱あいでんが出たときに鳴るサイレンだ。しかし珍しい。


「取り敢えず様子見やな。河内」

 七先輩に促されて《撃》の体勢を取った。白い球体が発射されるも、


 バシッ!


「嘘だろ――」

(あの速さのが見えてるってのか?!)


 ドォン!


 払われた白い弾丸がグラウンドに突き刺さり、土煙が立つ。シュウウと音がして、弾が触れたであろう穢れの一部が白くなり、そしてまた黒く変色した。


「おいおい、階級変動の兆しはやすぎやろ……」

 川上先輩が畏怖の笑みを浮かべる。


「ていうか、何か聞こえません?」

 覚前の言葉に全員が耳を澄ませる。すると何か小さな、今にも泣き出しそうな声が聞こえてきた。


「ャ……ィャ……ィヤ……イヤ……嫌……!」


 はっとした。頭の中に電撃が走ったかのようだった。


「耳塞げっ!!」

 七先輩の言葉に少し遅れて反応する。


「嫌ぁぁぁあああああああああっ――――!!」


 喉から絞り出すような、声帯が引き千切れるような、悲痛という言葉では言い表せないほどの叫び声。


「うっ……耳イカれるっ……!」

 隣の浅田が顔をしかめて歯を食いしばる。


「本格的に階級訂正や。階級は準藤くらいちゃうか」

「準藤に片足突っ込んだ尭であると信じたい」


 七先輩と川上先輩の言葉なんて、耳に入っていなかった。

 準藤ほどの実力を出せる見込みがあり、《撃》を見切ることができ、かつこの声と言葉。


 ここに帰ってくるべき人。


 そしてこの場に唯一いない人物。


「おい! 聞こえるか御月っ!!」

「え、うそ!?」


 その場の全員が驚きで身を固くする。しかし俺を含め、もう一人は冷静だった。


「あの声はそうでしょう。何があったかはわかりませんが」

「いやいやいやいや、どないするんすか!? 浄化師が穢れになることなんてあんのん!?」


 最後の方は敬語を忘れた浅田。同じ気持ちだが、なんとかするしかない。有馬先輩が片目を隠して淡々と報告する。


「自我が消えてる。もはや俺らの声も姿も判別できてへん。信じられへんけど、そんくらいの感情ってことです」

「穢れに体を乗っ取られて核にされてるってとこやろか」


 全員がまずいという表情を浮かべる。


 それもそのはず、御月は時渡人。最低限の力として未来が見える。攻撃が通るはずがない。それでも、


「あの時、もう少し何か言ってやればよかった。お前が抱え込んでるのをなんとなくわかってて、何もしなかった俺が悪かった」


 覚悟を決める。もし倒せなくても、久々宮さんが来るまでの時間くらい稼いでみせる。


「埋め合わせは、ここでする」


 他も皆、やらなければいけないと決心したようだ。臨戦態勢を取る。



「ワタシノ……わたしノ……私のっ……幸せを、奪わないでっ――――!!」


(待ってろ、御月)

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