第2話

「すいません。栄明寺えいめいじさんですか?」


 凛としたハスキーな声に、恐る恐る振り返る。


「は、はい、そうですが……」

「近畿浄化師専門学校高等部の河内冬青かわちふゆはるです。お話があって来ました」


 さらさらとした黒髪が風に揺れる。見た目に無頓着な感じはするが、何か手を加えなくてもそのままの姿で外に出られる整った顔立ち。カッターシャツに制服のようなズボンを履いており、何も知らない人が見れば普通の学生に見えるだろう。


 浄化師専門学校……ということは、この人も浄化師なんだろうか。


「ええと……妹の鈴華すずかに何かご用ですか?」

「いや、栄明寺御月さんですよね。あなたに話が」


(私に……話?)


 公園のベンチに座ると、その人は軽く自己紹介してくれた。近畿浄化師専門学校在籍の、やはり浄化師だった。四月から高等部一年になるそうで、同い年ということだ。


「まず穢れと澱み、見えるか?」

「去年唐突に、黒いドロドロしたものが見えるようになったけど……」


 久しぶりに喋る。バイトもあまり喋らない裏方の仕事をしていたから、人と話すのはいつぶりだろう。


「そう、それ。それを浄化する浄化師専門学校は日本に四つあって、ここから近い関東校、京都にある近畿校、福岡にある九州校、仙台にある東北校だ。たぶん……君の妹は関東校に行くんだろ?」

「詳しくは聞いてないからわからないけれど……」


 その人はだろうなと言って、こう続けた。



「15歳の誕生日に錫杖しゃくじょうと伝術書をもらわなかったか」



 私はびっくりして目を見開いた。もらっていたからだ。これは渡した祖父母ともらった私しか知らないことだと思っていた。


「もらっ、た……」

「あれは栄明寺家門外不出の技すべてを伝えるものだ。渡された人にしか使えず、所有者が次に渡すと本心から決定した場合にのみ譲渡される。かつ、栄明寺家の浄化師である証明だ」


(私が、浄化師……?)


「明日にでも先生と家に行って入学の許可をもらうつもりでいるけど、そもそも浄化師になりたいか」


 本人の希望は聞いてくれるらしい。でも結局、両親が許さないだろうから無理だろうな。申し訳ないけれど。


「考えておきます……明日までに」

 当たり障りのない回答を返すと、そうかと言ってベンチから立ち上がった。


「とりあえず明日、もう一度聞きに来るからそれまでに考えておいてくれ。引き止めて悪かった」


 公園を出て見送ると、その姿は夜闇の中に溶けていった。




「遅いわよ帰ってくるの! はやく準備して!」

「え……?」

「明日雲林院うんりんいん家に行くって言ってただろう。はやくしなさい」


 家に返ってくるなり、母と父がそうまくしたてる。聞かされていなかったので、何が何やらわからない。言ってもいないことを言ったことにする光景にまたかと思ったが、直後、さああと血の気が引いていった。


(そんな。明日話があるって……)


「お母さん、明日何着ればいい?」

「振り袖用意してるわよ。気にしないで頂戴」

「着物なんていつぶりかなぁ。あ、お姉ちゃ……」

「はやく準備してきなさい!」


 体が勝手に自室へ向き、知らず知らずのうちに荷物をまとめ始めていた。言われたことを素直にこなせばいい。この家で生きていくための最低限の防衛術だった。


(約束、破っちゃう。どうしよう……あれ、なんで……?)


 なんで、こんなことを思ったんだろう。今までなら仕方ないって、何が原因であれ約束を破った分の責任は全部自分が被ればいいって思ってたのに。なぜ今更反発したがるのか、自分でもわからなかった。


(きっと疲れてるんだな)

 そう言い聞かせて大きなカバンを広げる。しかしもとから少ししか無い服と、小説数冊に伝術書、錫杖まで全て詰めてもカバンに余裕があるくらいだった。


 お風呂に入ろうと一階に降りると、テーブルの上に服が一揃え置かれていた。

「お前は明日これを着なさい。どうせすぐ使用人の着物を着るから必要ないが一応な。バイト先には全て連絡を入れた。明日からは行かなくていい」


 確かに着て行ける服は無かったのでありがたかったが、裏を返せば服がないことを知っていて放置していたということだろう。祖父母から「黙っておきなさいね」と言われて少しだけお金をもらっていたからそれで買うこともできた。しかしもっと大切なことに使いたかったので手を付けていなかったのだ。それに服を買えば、お金を持っていることがバレてしまう。


(そうか……使用人になるんだ。バイト掛け持ちよりは楽かな)


 もしかすれば使用人の中で仲のいい人がひとりでもできるかもしれない。念入りに髪と肌を整えて、明日に一縷の希望を託した。

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