第35話 #セーナ7(一人称パート)

「なんで!? なんで姉さんまで行っちゃうの!?」

「ごめんなさい……でも、私がここにいるとみんなが危険なの。だから……」

「いいよ! 私ひとり置いて行かれるくらいなら、テロリストに殺されたって構わない!」

「グレース……」


 艦邸に戻った私はすぐにグレースの部屋に行き、全てを話しました。


 私の父親が宰相様だった事。今後起こりうる危険の事。その為に私は帝城で宰相様の保護を受ける事を全て話しました。


 グレースをひとりぼっちにしてしまう。それをわかった上で話しました。私には、正直に全て話す事しか出来なかったのです。


 例え、グレースを悲しませることになったとしても……


 泣きじゃくるグレースに、私はベッドに押し倒されました。


「姉さんがいてくれればそれでいい! 平民になっても構わない! 私にはも姉さんしかいないの!」

「やめて!? やめなさいグレース!?」

「嫌っ!」


 彼女の手がドレスを引き裂き、あらわになった乳房を掴んできます。


「駄目っ! グレース! んっ……」


 重なり合う唇。触れ合う舌先。それは久方ぶりに味わう快感でした。


 兄が死んで間もない頃、私とグレースは悲しみから逃れようと、夜な夜な肌を重ねて過ごしていました。


 とはいえ禁断の関係はあくまで一時的なもの。ラプタル侯爵の支えもあって、グレースよりも早く立ち直った私は、グレースの求めを拒むようになり、グレースはずっと寂しかったのでしょう。


 でも……


「ごめんなさい!」


 グレースを突き飛ばして、私はその場を離れました。私を呼ぶ叫び声が聞こえてきましたが、振り返ることなく自室に戻り、鍵をかけました。


「ごめんなさいグレース。ごめんなさい」


 傷ついたグレースを突き放した後悔が押し寄せてきて、ひとしきり泣いた後、私は着替えと最低限の身の回りの物だけをカバンに詰めると、邸を抜け出して宰相様と合流しました。


 私は、グレースから逃げたのです。



✤✤✤



 忍び旅だった宰相様は、自分が帝星系外に出ている事を対立勢力に悟らせないよう、宰相家の船を使わず、チャーターした民間船でラプタルを訪れていました。演算路を持たない通常船ですから、当然、転移門を使うことになります。


 ラプタル星系から帝星系まではの距離は約50光年。みっつの転移門を経由してかかる日数は、通常10日。


 一瞬で移動できる転移を使って何故そんなに日数がかかるのかというと、まず転移門が、大抵の場合、人の暮らす本星から離れた惑星の軌道上にある為、星系内での移動に日数がかかる事。そして、転移門は近隣の転移門への転移と受け入れを順次行っている為、待ち時間が発生する発生するからです。


 ラプタル星系にある転移門は、第5惑星の軌道上にあって、1日2回、転移と受け入れを行っています。接続先は近隣の星系にある5カ所の転移門。転移と受け入れは順番なので、日程によっては最大2日待ち時間が発生してしまいます。


 例え、ラプタル星系の転移門で待ち時間が発生しないように移動したとしても、他の星系で待つことになったりするので、転移門の旅はほとんどが待ち時間であると揶揄されるくらい、時間がかかるのです。


 しかし、そこは流石の宰相様です。各星系の転移門の周期を把握しているらしく、なんと10カ所以上の転移門を経由する事で、たった2日で帝星系についてしまいました。これは、自力で転移できる大型船を使うよりもずっと早いです。


 帝国の主力戦艦であるデュランバン級でも、帝星系まで行くには最低3回の転移が必要です。一回転移した後は再転位の為に、充填と位置情報の演算に1日以上必要なので、どうしても4日か5日はかかるのです。


 距離的には50光年くらい大回りしたんじゃないでしょうか? それに転移門の利用かかるお金も安くありません。


「他の貴族家に根回しする時間があれば、1日もかからなかったんですけどねぇ」


 などとぼやく宰相様。


 確かに、転移準備を予め整えた戦艦を中継点に配置しておけば、最速で帰れたんでしょうけれど……


「帝城を5日も留守にしていました。政務院の連中が上手くごまかしてくれてると良いんですが」


 国のトップが実は5日不在だった。たぶん私が思う以上に大事なんだと思います。


 私に、そこまでの価値があったというのでしょうか?


 グレースを置き去りにしてしまった事もあって、私の気は重くなる一方です。


 帝星系の転移門を抜けたチャーター船は、転移門のすぐ近くにある近衛騎士団の要塞へと入港しました。ここから帝城には近衛騎士団の船で向かうため乗り換えです。


 桟橋に降りると、出迎えに来た若い騎士様から、帝城で問題は起きていないと報告を受けて、安堵の表情を浮かべる宰相様。


「すぐに帝城に戻ります。あと、この娘については他言無用、詮索無用に願います。部屋も私と一緒で構いません」


 騎士様は、宰相様の後ろに立つ私を見て一瞬驚いた様子を見せましたが、それもすぐに察したような顔に変わります。


「はっ! ではレディ。お荷物をお持ちしましょう」

「よ、よろしくお願いします」


 これ、絶対宰相様の愛人と勘違いしてますよね? というか、宰相様もそう匂わせるように仕向けてる感じです。


 まあ、娘とバレるよりも愛人と勘違いさせる方が安全だというのはわかります。オーナス家にとっては結構危機的状況に思えてなりませんけれど。


 騎士様に荷物を持ってもらい、私と宰相様は待機していたデュランバン級戦艦に乗り込みました。巡回している艦隊に相乗りさせてもらって、何食わぬ顔で帝城に戻るという算段です。


 勝手知ったるといった感じで通路を進む宰相様。すれ違う騎士の皆さんも敬礼をするだけで、気にせず自分の作業に戻っていきます。私の存在にも気にする様子はありません。


 全ての工程が宰相様の掌の上で消化されていく。その様子を目の当たりにして、この人が本当に鬼の宰相と呼ばれ、帝国を牛耳っているのだと実感しました。私はとんでもない化け物の手を取ってしまったのだと今更ながらに怖くなったのです。


 ホテルの地下室で見せた、あの情けない姿と、今の宰相様の姿が同一人物には思えず、頭が混乱しそうです。


 帝城まで数時間。全て宰相様の計画通り。


 しかし、それは思わぬ人物により破綻することになります。


「遅かったなギッツ。何処へ行っていたのじゃ?」


 それはメイド服を着た10歳くらいの女の子でした。案内された貴賓室でソファーに足を組んで座る姿が、妙に様になっています。


 まあ、行儀に厳しいお母様が見たら、はしたないと言ってすぐに注意したでしょうけど。


 女の子の背後には、艦長様以下、上級士官の皆さんが直立不動で勢ぞろいされています。


 これは一体……


「で、ででで……」


 さっきまでの凛々しい表情と打って変わって、言葉も上手く出ない程に驚いた様子を見せる宰相様。ホテルの地下室で見せていた顔です。


「殿下ーー!?」


 殿下!?


 今の帝国にこの敬称で呼ばれるお方はふたりだけです。帝国に残された最後の皇族である双子のご姉弟。


 宰相様へのもの言い。なにより、皇太子殿下とうりふたつなお顔。


 もしやこのお方はディア・ニィ・ルギエス殿下!?


 帝国皇太子、ゼフィロ殿下の双子のお姉様。それが、ディア・ニィ・ルギエス殿下です。しかし、デビュタント前のディア殿下は、皇太子であるゼフィロ殿下と違い、未だ公の場にお出になられたことはありません。私もお姿を拝見するのは初めてです。


 何故メイド服を着ているのかは謎ですが……


 とにかく私は、その場で傅く姿勢を取ります。案内してきた騎士様も何故かつられたように同じ姿勢を取っていました。


 騎士様ならそこは敬礼してドアの前の歩哨にでも紛れた方がいいですよ? 殿下の前で注意はされないでしょうけど、後で怒られますね。


「そこのふたり。楽にしてよいぞ!」


ディア殿下のお許しが出たので頭を上げる私と騎士様。騎士様は殿下の後ろに立つ上司らしい騎士様に目配せされて、慌てたように部屋の隅っこへと移動します。


 私はというと……


「ほう……」


 何故かディア殿下に顔を覗き込まれています。私、この表情知っています。グレースが何か悪戯を思いついた時の顔にそっくりです。


「ディア殿下!? 何故ここに!?」

「仕方なかろう。ギッツのいない帝城など、危なくていられんからな」


 どうやら宰相様の不在は、一番バレてはいけないお方にバレていたようです。


「いつの間にか、厨房の下働きの中に紛れ込んでいまして……私共も、気が付いたのはつい先ほどでして……」


 説明したのは艦長様でした。なるほど。それで案内してきた騎士様は知らなかったんですね。


「城の方には?」 

「連絡しましたが、これといって騒ぎにはなっていません。どうやら次官殿とオルカ様が共犯のようです」

「うむ。貴様の部下に居場所を吐かせて、オルカには遊びに行くといって口裏を合わせてもらったのじゃ。ギッツが乗ると聞いて昨日からこの艦で働いておったぞ! 今もお使いの最中じゃ!」


 沢山のパンが入った籠を見せるディア殿下。宰相様と艦長様一緒になって頭を抱えています。


「おひとりで?」

「そんなわけなかろう」


 よく見ると、屈強な騎士様の後ろにもうひとり、メイド服姿の女の子が隠れていました。


「やめろ!? 離せ!?」


 ソファーを下りたディア殿下が、嫌がる彼女の襟首をつかんで、力づくで引っ張り出してきました。ふたり並ぶと、そのお顔は皇女殿下そっくりで……


「ほれ、ちゃんと愚弟も連れてきたぞ!」


 訂正します。女の子ではなく男の子でした。


 このお顔は存じ上げております。我らが帝国の皇太子殿下。その人です。


「宰相閣下!?」

「救護班!」


 次の瞬間、宰相様が白目を剥いてその場に倒れてしまいました。



✤✤✤



 宰相様は医務室へと運ばれて行きました。思えばラプタルまでの強行軍でお疲れだったのでしょう。帝城に着くまでの間だけでも、しっかり休むことが出来てよかったのではないでしょうか? 知りませんけど。


 艦長様達も出て行ってしまったので、部屋には私と双子殿下だけが残される事になりました。なんか、自然と子守を押し付けられた感じです。


「あの殿下。お戯れを……」

「よいではないか。よいではないか」


 膝枕を所望されたディア殿下の為に、ソファーに座り膝を貸します。ころんと横になったディア殿下が、上目遣いでじっと顔を見つめてきます。


「似ておるの」


 きっとオルカ様の事を言っているのでしょう。さっきも会話の中に出てきましたし、宰相様の奥方様ですから、面識があってもおかしくありません。


「実に奴好みの顔じゃ。名はなんと申す?」

「セーナ・キルケシィと申します」

「キルケシィ? 聞かぬ家名じゃな」

「ラプタル星系にある小さな子爵家ですので」


 私の名が中央社交界まで広がっていると聞いていたので、不安に思いましたが、どうやらディア殿下は知らなかったようです。


「僕は知ってるぞ。毒婦セーナ・キルケシィ。何人もの男を惑わした挙句、実の兄と結婚しようとした女だ」


 そう言ったのは、部屋の隅っこに座り込んでいたゼフィロ殿下です。なんでも、大人の女性が怖いのだとか。


「愚弟よ。それをどこで聞いた?」

「婚約者候補達が話していたのを聞いた」

「ふむ。セーナよ本当なのか?」


 私はカミル様に婚約破棄を切り出されたところから、兄さんとセバン様との決闘までのあらましをディア殿下に話しました。


「愚弟。セーナのどこに非があって毒婦と呼んだ? 男がセーナに惚れたのは男の責任。セーナが血の繋がらぬ兄を好きになるのも無理のない事。ただ、不器用な男共が起こした悲劇にセーナは巻き込まれただけではないか」

「ふん。本当の事を言っているとは限らないだろう? 女は油断ならんからな」


 ゼフィロ殿下……まだ子供だというのに、一体何があったのでしょうか?


「わらわは信じるぞ。どうせ調べればすぐにわかる事じゃしな」

「殿下……ありがとうございます」

「うむ。それでセーナはギッツに買われてきたのか?」

「それは……ええ。そんなところです」


 私を信じると言ってくれたディア殿下にその場で嘘をつく形になりましたが、今はまだ私が宰相様の娘だとは名乗れません。それに、ほぼ恫喝される形で連れてこられましたし、キルケシィ家がオーナス家の支援を受けるのも事実です。


 奥方に内緒で買われた宰相の愛人。宰相様はそういった体で私を帝城で飼うつもりなのでしょうから。


「ギッツめ好みの娘を愛人にする為に、城を抜け出していたとはな。どうしてくれようか……よし!」


 起き上がったディア殿下は、私の手を引いて立ち上がらせました。


 子供なのに、凄く力が強いです。


「セーナをわらわの専属侍女にする! 早速ギッツの奴に直談判じゃ!」


 私の手を引いて医務室に向かうディア殿下。


 しかし、貴賓室を出たところで、白いコックコート姿の男性に怒られることになります。


「こらぁ! ガキ共! お使いはどうした!?」

「うにゃあ!? 忘れてたのじゃ!」

 


✤✤✤



 さて、ここまでの話が、私が殿下に使えるまでのお話です。


 私は妹から逃げ、ディア殿下に嘘をついてきました。


 しかし、ディア殿下は私が自分を追放した宰相の娘と知りながら私を信用し、傍に置いて下さいました。


 私を救うために、海賊と交渉してくださったディア殿下。


 海賊によって傷ついた民の為に、アヤハル様に協力することを決めたディア殿下。


 例え帝国全てが敵に回ろうと、どこまでもついてまいります。


 あなた様をこの宇宙で孤独にしない為に。


 


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