第34話 #セーナ6(一人称パート)
「……結構」
はいと答えられても困ったのでしょう。宰相様からは何処かほっとした様子が伺えます。もしかすると、私の事はまだ奥様に秘密にしているのかもしれません。
まあ、元カノとの間に子供がいました! なんてそうそう言えませんよね。
「実は……侯爵にこのような場を設けて頂いてまで、私があなたに会いに来たのは、私と共に帝城に来てほしかったからなのです」
「それは娘としてでしょうか?」
「いいえ。帝城で侍女としての身分を用意します。私が勤める政務院で働いて頂ければと考えています」
政務院? 冗談じゃありません! 政務院と言えば皇帝直轄で帝城の最上階。帝宮に置かれている部署です。そこに採用されるのはほんの一握り。帝城に努める彼等、彼女等は幼い頃から英才教育を受けた天才、秀才達で、皇立アカデミーの卒業者も多くいます。そんな中に、凡庸な私がコネで入っても出来る事なんてありません。胃に穴が空くだけです!
「私のような者が政務院に入っては、努力して採用された方々に失礼です。オーナス家のメイド当たりではいけないのでしょうか?」
「そ、それは……」
奥様がいるから出来ませんか。そうですか。
唐突に若い娘を連れてくれば、周囲は愛人と疑います。だから職場で囲いたいのでしょう。帝城は現在宰相様の支配下にあるので口止めできますし、流石の奥様も皇族の居城である帝宮には手出しできませんからね。
「お断りします。妹をひとり残して行くことなんて出来ません」
宰相様の都合に振り回されるのは御免です。それに、私にはもう家族はグレースだけ。両親に続いて兄まで喪い、心を閉ざしたグレースを置いていくなんて私には出来ません。
「気持ちはわかります。ですが、これは妹さんの為でもあるのです」
「それはどういう事ですか?」
「私には敵が多い。私の事を良く思わない連中にとってあなたは格好の獲物です。あなたを攫い私を恫喝、いえ、ただ動揺させる為だけにあなたを殺し、その首を贈りつけてくるかもしれません。キルケシィ家には襲撃を跳ね除けるだけの力は無い。妹さんがあなたを襲う何者かの襲撃に巻き込まれることは十分考えられます」
宰相様の話を聞いて激しい怒りがこみ上げてきます。
……私がこの人の娘だから襲われるですって?
……私がいることでグレースにも危害が及ぶですって?
「全部あなたの都合ではありませんか!!」
「ごもっとも!」
凄い勢いで頭を下げる宰相様。ごつんと凄く良い音がしましたが大丈夫でしょうか? 一応国の宰相ですので、ここで頭を割って死なれても困ります。
「まあ、落ち着きなさいセーナ」
宰相様の様子が余程面白かったのでしょう。侯爵様の口元が緩みっぱなしです。なんというか釈然としません。
「宰相殿の言い分は最低だが、君を護りたいという気持ちは本当だ」
「しかし、何故急に? 私の父親については、これまで誰も分らなかったではありませんか?」
「いや、そうでもない」
ずっと笑いを堪えていた侯爵様の顔が真剣なものに変わります。
「ウルト殿が身籠った時期からして、相手が帝城にいる宮廷貴族の誰かだったという予測は立てられる。その中でストライエン家を黙らせることが出来るくらい力のある家となれば、片手で数えられるくらいだからな。恐らくドントレス男爵も気づいていたよ」
「ええ。探りに来たのでこちらから手を回しました。彼の男爵家は資産はそこそこでしたが、中央であなたを護るには力不足でしたからね」
ドントレス男爵は、野心的で守銭奴で、見た目も海賊みたいな方でしたが、我が家への支援はきっちり行ってくださいましたし、私だけでなく、グレースの社交界デビューの面倒まで見てくださいました。そんな男爵が、いくらカミル様の出世に差し支えるとはいえ、突然婚約破棄を命じるなんておかしいと思っていましたが、どうやら原因はこの人だったようです。
「愚息が起こしたあの決闘騒ぎは中央にまで広まったからな。セーナに関心を持つ連中が増えてきている。セーナはウルト殿に瓜二つで、父親に1ミリも似ていないから今のところ特定はされていないが、本気で探れば宰相殿にたどり着くのは時間の問題だろう」
「え、ええ。今はラプタル家の庇護下にいるから安心ですが、妹さんが15歳になれば、領主として独り立ちしなければならない。そうですよね?」
侯爵様が頷きます。侯爵様が後見人を務めてくれるのは、領主となったグレースが15歳になるまでという約束です。そこからは、自分達の力で領地を切り盛りしなければなりません。
「ラプタルを治める者として、いつまでも一家に肩入れできんからな。もし、自立できなければ爵位を返上してもらわねばならん。セバンは一生こき使ってくれて構わないが、平民となるなら猶の事、危険に晒される事になるだろう。あいつひとりで君達を護りきるなど不可能だ」
「そういうことです。私はあなたを娘として迎えるつもりも、父親ぶるつもりもありません。ですが、けじめとして、どうか私にあなたを護らせて欲しいのです。安全が確保できるようなら帰しますし、妹さんの事もできうる限り護ると誓いましょう」
なるほど。私に選択の余地は無いという事は理解しました。
しかし、気になる事もあります。
「私を娘として扱うつもりは無いという事ですが、それならいっその事、宰相様の手で私を消してしまった方が早くないですか?」
私の事も最近知ったようですし、どうせ愛情など無いでしょう。私が宰相様にとって弱点になるというなら、一思いに殺してしまえば良いのです。貧乏子爵家の令嬢のひとりくらい、宰相様なら容易く闇に葬る事ができるでしょう。どう考えてもそっちの方が手っ取り早いです。
「そんな事できるわけないでしょう!」
「そうでしょうか? 私を侯爵様から引き剝がしたところで、事故に見せかけて殺してしまおうと企んでいたりはしませんか?」
「わはははは!! とことん信用が無いな宰相殿!!」
「笑い事じゃありませんよ!?」
はい、笑い事じゃありません。何せ、私にとって死ぬか生きるかなのですから。
「私を信用できないのはわかります。確かに、娘がいたと知った時は戸惑いました。私は妻を愛しています。あなたを娘としてみる事は出来ません。宰相としての立場、殿下を護る責務、妻への後ろめたさから、あなたを放置することも、後顧の憂いを断つために私の手で始末することも考えました。ですが思い直しました。私がかつてウルトを愛していたのは本当です。付き合ってる時も、別れてからも、いつだって私が考えていたのはウルトの事です。いつかウルトと結婚して、子共が出来て幸せな家庭を築く。そんな未来をずっと想像していたんです。そんな私にはあなたを……夢にまで見たウルトとの家族を……死なせるなんて出来ませんよ」
涙ながらに心境を語る宰相様。この涙、本当に信じていいんでしょうか?
これまで見せた謝罪も涙も実は全て演技。この人が本当に噂で聞くような鬼の宰相なら、それくらいやる筈です。
海千山千の貴族と渡り合うには、私はどうしても経験不足です。私だけならどうなろうと構いませんが、グレースの事を考えると迂闊な返事は出来ません。
「まあ、愛だ何だと言われても信用できんだろう」
どうしても疑念が晴れない私の頭に、侯爵様の大きな手が乗せられます。
「セーナを死なせる事は、宰相殿にとっても大きなリスクとなる。ストライエン家やドントレス男爵はお前がこれ以上不幸になる事を望んでいない。当然私もだ。セーナを謀殺するような輩に王太子殿下は任せられんからな。もしそんな事になったら、私の手でこの男を成敗してくれる」
「え、ええ……私もラプタルを敵にしたくはありませんからね。ストライエンは勿論、ドントレス男爵も中々の曲者のようですし、あなたと妹さんを相当気に入っている様子でしたからね」
「それに、レクシオン侯爵と奥方からも見限られるかもしれませんな」
「さ、流石にそこまでは!?」
宰相様の顔が強張ります。
レクシオン侯爵家といえば、ラプタル侯爵にも匹敵する大貴族です。たしか、宰相様の後ろ盾の筈。それがどうして!?
「レクシオン侯爵夫人がウルト殿の姉君なのだ。つまりセーナの叔母にあたる。レクシア侯爵夫人はウルト殿がストライエンから勘当されてからも、何かと世話を焼くくらいウルト殿を可愛がっていたようで、騎士だった最初の旦那を亡くした際に面倒をみたり、帝城で働けるように手を回したりしていたようだ。あと、セーナは覚えていないかもしれないが、セーナはレクシオンの邸で生まれた。セーナは生まれてしばらくの間レクシオンで暮らしていたんだよ」
初耳なことばかりです。私が物心ついた頃、母はラプタル侯爵の領主艦邸で家庭教師の仕事をしていました。家ではわたしと母とふたりで暮らし。レクシオンとの関りについて聞いたことがありません。
「侯爵夫人の娘。セーナにとっては従妹だな。それが、宰相殿の奥方であるオルカ殿なのだよ。当然オルカ殿はウルト殿やセーナと面識がある。オルカ殿が宰相殿と婚約したことで、レクシオン家はオーナス家と講和を結び、後ろ盾となったが、ウルト殿は前宰相の目から逃れるためにラプタルに移る事になった。別れ際、ウルト殿とセーナを実の姉妹のように思っていたオルカ殿の悲しみは、そうとうなものだったと聞いている」
「そ、そこまでの話、私も聞いてないですよ!?」
「そりゃそうです。この件でオーナス家は完全に加害者だ。ウルト殿とセーナに関しては聞かされていなくても無理はない。前宰相……あなたのお父上は、なんだかんだで初孫に未練があったようで、密かにセーナを養子にしようと打診して、ウルト殿とレクシオンを相当怒らせたようですな」
宰相様も知らなかった事実を語る侯爵様。ラプタル家とレクシオン家は共に辺境で強い勢力を持つ家柄ですから、当主同士結構親しいようです。
「全く! 本当に父上はなんてことをしてくれたんだ!?」
頭を抱える宰相様。ですが私も同じ気分です。レクシオン家との関りとか従姉が宰相様の奥様だったとか、初めて聞いた事ばかりで頭が追い付きません。
「侯爵様はいつから私の事を?」
「セバンがお前を嫁にしたいと言い出した時だから5年以上前だな。ウルト殿も存命だったから直接話をしたし、レクシオン家にも確認を取ったからさっきの話は全て本当の事だ。ただその時は、お前の血筋が厄介すぎて、セバンでは力不足だと思い婚約を許すことが出来なかった……だが、こんな事になるならセバンと婚約させておけばよかったかもしれんな」
「全くですよ。セーナがラプタル家に入っていれば、ストライエンもレクシオンも安心して任せたでしょう。今更干渉してくる事は無かったでしょうに……」
何やらぶつぶつ言い始める宰相様ですが、それは流石に責任転嫁が過ぎます。
しかし、そこは侯爵様が上手でした。
「そういえば、オルカ殿の面影はセーナやウルト殿によく似ているぞ。別れた女によく似た自分より10歳も若い女を娶ったとなれば、そりゃ、ウルト殿の事を忘れていても無理はない」
ほう……
「ひ、ひぃ!? こ、侯爵!? 私が悪かったので、そ、そのくらいで勘弁しては貰えませんか!?」
「ははは、少し揶揄いすぎましたかな。だが、もしもセーナに不義理を働けばどうなるか? 少しはお判りいただけたかと」
「……ええ」
宰相様の顔は真っ青を通り越して、真っ白です。
なるほど。どうやら私がこの人に殺される心配はなさそうだという事は理解しました。
信用とか、愛情とかはひとまず置いておきましょう。
私は立ち上がって、宰相様に深々と頭を下げます。
「宰相様。妹共々、どうかよろしくお願いいたします」
「あ、ありがとう……これで私も救われます」
宰相様が私を抱きしめようとしましたが、私はそれをすっと躱して、侯爵様に向き直ります。
「くすん……」
背後から宰相様が涙ぐむ声が聞こえてきましたが、構ってる暇なんてありません。一刻も早くグレースとこれからの事を話し合わないといけないのですから。
「グレースと話したいと思います。私はすぐに
「そうだな。セバンを呼ぼう」
こうして、宿泊もディナーもキャンセルとなり、私と侯爵様は慌ただしく宇宙へと戻る事になったのです。
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