第25話 『白昼夢』/「逃げる夢」始まり指定

 逃げる夢。……白昼夢を見ている。

どこまでもどこまでも逃げていく自分を想像して、うふふと笑う。


 好きで子どもを作ったんだから。……そんなの言われなくてもわかっているわ。

「作った」は、私の場合、せっせと子作りしたという意味ではないの。

文字通り「作った」の。不妊治療を専門にしている病院で。

子どもを産んだら責任を持って、母親としての自分を人生の軸にするべきというのは、当然の意見だと思う。


「ただいまー」

 玄関を開ける音がして、私は母親の顔をする。

「ランドセル、そこにドサッと置かないの」

 少し呆れて困ったふりをして、その実全然困っていない。

躾として口を酸っぱくして言い続けてきたのに伝わっていないことへのほんの少しの落胆もありつつ、それよりも子どもへの愛情が勝っているから本気では怒っていないような、もっともらしい、母親の顔をする。


「お母さんが家にいるなら、私が鍵を持っている必要なくない?」

「お醤油が切れていることに気づいて慌てて買い物に行ってさ、下校時刻に間に合わないこともあるでしょ」

「ちょっとくらいだったら、家の外で待つよ」

「……うん。……でも、持ってて」


 鍵は、持っていてもらわないと困る。

……私がちゃんと帰ってくるとは、限らないから。


 逃げる夢が蘇る。うふふ、の気持ちは少ししぼんでいた。

逃げた先は、きっと「逃げてきた場所」にしかなり得ない。

そこで、望むものが手に入るとは限らない。

そもそも、私の望むものって、何?

欲しくてたまらなかった子ども。夫が私の思い通りにさせてくれた新築の注文住宅……全て手にしているはず。

「働かずに家にいてほしい」という夫の要望なんて、小さなことに過ぎない。


 逃げる夢は、私の頭から逃げていかない。いつまでも、いつまでも。

頭の中になぜか見知らぬ鍵穴が浮かんだ。

ぴったりと嵌る鍵がどこかにあるんじゃないかなんて、空想が止まらない。

逃げる夢を見なくなる日は、やってくるのだろうか……。

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