第25話
「このままあいつに激突して、取り押さえよう」
隣を走るカツユキに声をかける。
自分の声が少しも切れていないことに驚いた。
カツユキもこちらへ視線を向けて親指を立ててみせるくらいの余裕がある。
これなら大丈夫そうだ。
「そこの男、止まれぇ!!」
テツヤは叫びながら男の体に手を伸ばした。
男はギョッとして振り返るが足は止めない。
それでもテツヤたちの方が足が早かった。
男の服を掴んだテツヤはそのまま男を追い越しそうになってしまって急ブレーキをかける。
男は前につんのめるようにしてその場に倒れ込んだ。
そのタイミングを見計らったカツユキが男の上に馬乗りになった。
男はなにが起こっているのかわからない様子で目を白黒させる。
「観念しろ。じきに警察が来るからな!」
テツヤの言葉に男は観念したようにグッタリと目を閉じたのだった。
☆☆☆
「本当にありがとうね」
おばあさんは何度も何度も3人へ向けて頭を下げた。
シワシワの手で3人の手を握りしめて目尻に涙を浮かべて。
「俺たちは当然のことをしたまでです。またなにか困ったことがあったら手を貸しますから」
テツヤは照れくさそうに頬を赤らめながらも、背を反らせて言った。
周囲にはまだ警察官がいて物々しい雰囲気が残っている。
けれど被害者が老人だったことを考慮して、今日のところは全員帰ることができるようになっていた。
昨日みたいにひとつの事件につき何時間も拘束されていたら、探偵としての仕事にも支障が出てくるので、ありがたいことだった。
「なぁ、もう1度走ってみないか?」
帰り道の途中、カツユキにそう言われたのでテツヤは足首を回した。
ひったくり犯人を追いかけて走ったとき、体は軽くて足は自分のものとは思えないくらいに前に出た。
風を切って走る音が聞こえてきて、その風は自分が起こしているものだとわかった。
思い出すだけでもとても気持ちがいい。
「いくぞ、よーい、どん!」
ジュンイチが合図を送ってくれて同時に駆け出した。
しかしさっきに比べれば体は重たくて、足は全然前に出ていかない。
隣のカツユキを見ても同じように苦しげな様子で走っている。
ものの100メートルほどで息が切れ始めて立ち止まってしまった。
「なんだよ、もう能力が消えてるのか」
カツユキが倒れ込むように寝転んでつぶやく。
その声もひどく乱れていた。
たった100メートルを全力疾走しただけで、汗が吹き出している。
「どうにかドリンクを調達したいけれど無理そうだし、必要なときに必要な分だけ飲むようにしないとな」
ゆっくりと歩いてきたジュンイチが言う。
大丈夫。
ペットボトルのドリンクはまだ半分以上の残っている。
テツヤは自分にそう言い聞かせたのだった。
翌日の学校でも3人の名誉は揺らいでいなかった。
女性を助けて表彰された帰りにひったくり犯を捕まえるなんて、大人ってそうできることじゃない。
おまけに学校関係者がそれを目撃していたようで、テツヤとカツユキの足の速さに感動したらしい。
陸上部の顧問からも散々勧誘を受けて、2人は断ることで忙しかった。
「そうか、どうしてもダメか」
陸上部の顧問は無駄な脂肪がひとつもなく、よく日焼けをした若い教師だった。
まだ20代半ばだと聞いたことがある。
「ごめんなさい」
テツヤとカツユキは同時に頭を下げる。
ドリンクの効果がすでに切れていることはわかっている。
陸上部に入部したって成果は残せないということだ。
それでも顧問は簡単には諦めきれない様子だった。
豆粒ほどだったひったくり犯に追いついて、更には追い越してしまいそうなったほどの俊足だ。
そうそう簡単に諦められるわけもない。
うまく行けば高校受験の時に2人の武器にもなると考えているようだった。
「それならもう1度だけ走りを見せてくれないか? 1度だけでいいんだ。君たちの走りが他の陸上部の生徒たちの役に立つかもしれない。頼む!」
先生にそこまで頼み込まれると嫌とは言えなくなってしまった。
それに、2人もあの風をもう1度感じたいと思っていた。
「わかりました。1度だけですよ」
テツヤはそう答えたのだった。
☆☆☆
陸上部の顧問と走る約束をした日、ジュンイチも含めた3人が放課後のグラウンドに集まっていた。
もちろん、体操着姿に着替えている。
「どうして俺まで呼ぶんだよ」
ジュンイチはさっきからしかめっ面を浮かべて愚痴っている。
足の速さについては自分は全く関係ないはずなのに、2人に頼まれてここまで来たのだ。
「もしまた入部の勧誘を受けたら、ジュンイチがいたほうが断りやすいだろ」
テツヤが小声で答える。
それは3人の中ではジュンイチが一番大人で、相手の懐にうまく入り込むことができるということを伝えていた。
ジュンイチは自分が断り要因として呼ばれたことに腹を立てながらも、こうしてきてくれたのだ。
「よく来たね! ジュンイチ君も足が早いのかい?」
若い陸上部顧問はすでにグラウンドを何周かしてきているようで、額に汗が滲んでいた。
白いタオルでその汗を吹く姿が爽やかで、女子生徒たちから黄色い歓声が上がった。
そちらへ視線を向けてみるとすでに授業は終わっているというのに、複数の女子生徒たちが教室に残ってこちらを見ているのがわかった。
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