第13話
☆☆☆
結局、その日サトコは吹奏楽部に顔を出さなかった。
サトコのことが気がかりで練習では思うような音も出せず、全然集中できなかった。
だけどそれは言い訳にしかならない。
プロの奏者たちは自分の身になにがあったって、いつでも同じ音を奏でることができる。
それも人の心を震わせるような音だ。
私生活で友人と喧嘩をしても、たとえば身内の誰かが亡くなってしまったとしても、それは変わらないんじゃないだろうか。
むしろ、様々な経験を乗り越えるからこそ出せる音もあるかもしれない。
「サトコ、今日は部活に出るよね?」
翌日の火曜日、昼ご飯を終えた後でアサミは隣のクラスへ向かった。
「わかんない」
サトコは左右に首をふりながらもどこか楽しげな表情をしている。
昨日は泣いていたのに、どうしたんだろう。
「サトコ、昨日あの後なにかあった?」
「別に、普通に友達と遊びにでかけただけだよ。高校生の人も一緒だったからカラオケとかにも入れたの」
サトコは本当に楽しそうな声で答える。
「高校生の人? 誰それ、いつの間にそんな人と仲良くなったの?」
サトコのことはなんでも知っているつもりだった。
でも、高校生の知り合いなんてアサミは聞いていなかった。
「いいじゃんそんなこと。今日も遊びに行くから部活には出ないよ」
「でも、ソロが決まるのは明日なんだよ?」
ついきつい口調になった。
サトコはいつもでアサミを応援してくれていたから、前日の今日だってきっと一緒にいてくれると思っていた。
「そんなの、私のことじゃないし」
サトコの冷たい一言が突き刺さる。
アサミは目を見開いて呆然と立ち尽くしてしまった。
「アサミのことは応援してるけど、もう私の応援なんていらないでしょう?」
サトコはそう言って背を向ける。
アサミは慌てて引き止めるが、それは無視されてしまったのだった。
☆☆☆
その日の部活は全く身に入らなかった。
先生からも何度も注意され、直そうとしても直すことができない。
音は乱れ、メロディもテンポもめちゃくちゃで、アサミがみんなの足を引っ張ることになってしまった。
「アサミさん、あなた一体どうしたの?」
部活終わりにひとり準備室へ呼び出されてしまった。
「ごめんなさい」
うなだれて謝ることしかできない。
「あれだけ上手だったのが、たった数日でこれほどできなくなることなんてないわ。あなた、上手な演奏をしていたとき、どうやっていたの?」
「どうって……」
そんな質問をされても自分でもわからなかった。
ただ単純に、今までと同じように演奏をしていただけなんだから。
その時虹色の種のことが思い浮かんできた。
そう、今と違うところはあれを拾って育てていたということだけ。
「とにかく、今のままではソロパートを任せることは難しいわ」
先生のため息交じりの言葉が胸に突き刺さる。
アサミは軽くお辞儀をして、準備室から逃げ出したのだった。
☆☆☆
調子がよかった頃は居残り練習なんてしなくても大丈夫だった。
部活をさぼって遊びに出たって大丈夫だった。
なにか変わったとすれば、あの種だけだ。
走って家まで帰り、たどり着く頃には汗だくになっていた。
息を乱したまま自室に飛び込んで窓辺に駆け寄る。
花を見た瞬間悲鳴を上げてしまいそうになった。
しおれていると思っていた花はすでに枯れて、虹色は茶色になっていたのだ。
「どうしよう。花が枯れてる!」
慌てて残っていた栄養をやり、水もやる。
それから、ケースに入れることもなく持って帰ってきたフルートを吹き始めた。
だけど出てくるのはひどい音。
全然人の心を揺さぶることなんてできない音。
それでも花は少しだけ左右に揺れて、枯れた部分が虹色に変化する。
それを見たアサミは続けて2曲、3曲をメロディを奏でた。
しかし花は反応しない。
元に戻って、お願い!
この植物が自分の演奏になにかしらの影響を与えていることは確実なんだ。
だからもうこれ以上枯らせるわけにはいかない。
だから……!
4曲目を吹き始めようとした時、遠慮がちなノック音が聞こえてきた。
「アサミ、入るわよ?」
いつもはそんなこと気にせずノックもなしで入ってくるのに。
そう思いつつ「うん」と返事をすると、母親が申し訳無さそうな顔で現れた。
「練習頑張ってるのね」
「うん。明日でソロパートが決まるから」
「そう。でも、その、練習は学校でやったほうが良いかもしれないわね」
「え?」
アサミは瞬きをして母親を見つめた。
今までは家で練習していてもそんな風には言われなかったのに。
「ほら、ご近所さんにも騒音になるし、ね?」
騒音?
アサミは一瞬どういうことなのか理解ができなかった。
だけど次の瞬間、自分の演奏が騒音だと言われたことに気がついた顔がカッと熱くなる。
「私の演奏、そんなにひどい?」
「そ、そうじゃないの。だけど前に戻った感じはするかしら」
言いにくそなお母さんにアサミはフルートを見つめた。
前に戻った。
つまりこの種を育てる前の演奏ということだ。
「練習していればきっとまた上手になる。だけど、場所はわきまえないとね?」
アサミはもうなにも返事をせず、フルートを片付け始めたのだった。
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