第11話
だけどなにかが足りない。
さっきニナの音では心が震えた感覚がしたが、それがない。
アサミは焦って次の音を奏でた。
音階もメロディも完璧だ。
だけどそれだけ。
前みたいに胸にズンッとくる音楽がそこにはなかった。
それに気がついた生徒たちが互いに目を見合わせはじめる。
アサミに聞こえないようになにかささやき始める。
それでもニナよりも自分の方がずっとずっと上手なはずだ。
ちょっと練習を休んでしまったから、調子が出ていないだけ。
こんなのどうってことない。
だってほら、ちゃんと吹けているから。
一曲吹き終えたとき、アサミの背中にはじっとりと汗をかいていた。
いい意味の汗ではなく、冷や汗だ。
音が消えてシンと静まりかえる。
その後拍手が起こるのはいつもどおりだったけれど、みんなどこかとまどっていて、拍手の音も小さかった。
「アサミ、今日も上手だったけどなんか違うね?」
サトコに言われてアサミは無理やり笑顔を作った。
なんでもないように振る舞わないといけない。
「ちょっと演奏の仕方を変えてみたの」
「そうなんだ? 私は前の方が好きだったなぁ」
そんなのわかってる。
前まで私はみんなの心まで震わせるような音を奏でることができていたのだから。
お隣さんのお婆ちゃんが笑ってくれて、文芸部の子たちが聞き惚れて。
そんな音だ。
「そ、そっか。じゃあ水曜日までにはもっと練習しておくね」
アサミは早口でそう言い、帰る準備を始めたのだった。
私はまだまだ上手だから大丈夫。
この土日でフルートを持ち帰って家で練習すればきっとうまくなる。
そう思って朝からフルートをケースから取り出したものの、すぐに演奏は中止させることになってしまった。
「ごめんねアサミ。お隣さんのお婆ちゃん今寝ているから静かにしてねって連絡が来たの。お年寄りになると昼夜逆転してしまうこともあるみたいだから、仕方ないわよね」
申し訳無さそうに言う母親にアサミは諦めてベッドの上にフルートを置いた。
「そうだアサミ、今から一緒に公園に行かない? 公園なら練習もできるだろうし」
「……うん。そうだね」
アサミはちらりと虹色の花へ視線を向けて、頷いたのだった。
☆☆☆
練習場所を変えてみてもアサミの演奏は昨日とあまり変化がなかった。
むしろ練習すればするほど下手くそになって行く気がする。
「ちゃんと上手だから大丈夫よ」
お母さんにそう言われても納得できないくらいに落ち込んでしまう。
「ほんの少し部活をサボっただけなのに、どうして?」
帰ってから自室のベッドに突っ伏してつぶやく。
今まで努力して努力して、それで少し休んだだけだ。
遊びに出かけるのは楽しかったし、知らなかったことを知ることもできた。
それが、そんなにいけないことだったんだろうか。
悔しくて下唇を噛んだ時、スマホが震えた。
クラスの友人からのメッセージだ。
《明日遊びに行かない?》
かわいいスタンプと共に送られてきたメッセージ。
明日も練習だよ。
そう返事をうちかけた指を途中で止める。
少し考えてから、《明日は開いてるから遊べるよ》と、返事をしたのだった。
☆☆☆
もしかしたら私はスランプなのかもしれない。
そんなときは無理に練習を続けるよりも思い切ってフルートから離れてみることもありなのだ。
今までも何度もそういうことはあった。
気分が乗らなかったり、どれだけ練習してもうまくできなかったり。
ずっと練習を続けているよりも休憩したほうが上手く進んでいくときはある。
「ごめん、待った?」
集合う場所のコンビニにはもう2人の友人が到着していた。
「大丈夫だよ。今日どこ行こっか?」
「私買い物しに行きたい」
アサミは右手を高く上げてそう言った。
「いいね。じゃあ駅前行こうか」
「行こう行こう!」
3人で肩を並べてはしゃぎながら歩く。
その瞬間アサミは本当に吹奏楽のことが頭から消え去っていたのだった。
☆☆☆
友人たちと過ごす楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
どれだけもう少し長く一緒にいたいと思っても、太陽が落ちてくるにつれて門限は近づいてきてしまう。
「そろそろ帰らないとねぇ」
太陽が傾き始めたのを見て1人が言った。
「そうだね」
もう1人が同意しても、アサミはななか頷くことができなかった。
もう少し一緒にいたい。
遊びたい。
それが現実逃避だということはわかっていたけれど、そう思わずにはいられなかった。
「どうしたのアサミ?」
「ううん。大丈夫、そろそろ帰ろうか」
にっこりと笑顔を浮かべたとき、中学校の方向からフルートの音が聞こえてきて3人同時に足を止めていた。
そして学校のある方角へと視線を向ける。
「今日も練習してる子がいるんだね」
「あれってフルートの音?」
聞かれて、アサミはぎこちなく頷く。
間違いなくあれはニナが奏でるフルートの音色だ。
離れていてもそれがわかるくらい、一緒に練習してきた。
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