第10話
☆☆☆
家で1度練習をするだけで劇的にうまくなるんだから、もう居残り練習なんてする必要はなかった。
アサミが家でフルートを吹くと母親も植物も喜んでいるようだし、近所の人からの評判もよかった。
「アサミ、これお隣さんがくれたの。コンクールのときのおまりだって」
「えぇ、もらっちゃっていいの?」
「いいのいいの。お隣さんのおばあちゃんね、認知症であまり笑わなくなっていたらしいの。それがアサミのフルートを聞いているときだけはすごくいい笑顔になるんですって」
初耳だった。
まさか自分の演奏が人にそんな影響を与えていたなんて。
驚いて絶句していると、母親がお守りを持たせてくれた。
それは勝つ守りと言って勝負事に強くなるお守りみたいだ。
赤い生地に金色の刺繍で勝つと書かれている。
アサミはそれをカバンにつけて翌日登校した。
さっそくお守りに反応してくれたのはクラスの友人たちだった。
みんな赤い生地のお守りがかわいいと言ってくれる。
「アサミの演奏は本当に上手だもんね」
他の部活をしている友人が関心したように声をかけてくれた。
「ごめん、他の部室まで聞こえてうるさいよね?」
その子は文芸部の生徒だから、本当なら静かな場所で読書や考え事をしたいはずだ。
「ううん! アサミの演奏はなんていうか、色々な想像をかきたててくれるんだよね。だから文芸部のみんな、アサミの演奏に聞き入っちゃってるんだ」
「それ、本当に」
「本当だよ。あ、私今度吹奏楽部を題材にした小説を書くことにしたの。だからアサミ、色々と教えてくれる?」
「もちろん、それはいいけれど……」
自分の知らないところで自分の演奏が広がっていっている。
そんな気がして、嬉しい反面少しだけ恐い気がしたのだった。
☆☆☆
その日も部活だった。
ソロパートを決める水曜日まで時間が刻々と迫ってきている中、遊びに行こうと誘ってきたのはクラスメートだった。
「え、でも今日は部活なんだ」
「アサミはそんなに頑張らなくても大丈夫じゃないの?」
「だよね、だってもうプロレベルじゃん」
母親からも言われたプロという言葉に胸が躍る。
私は本当にプロの奏者になることができるんだろうか?
中学校コンクールなんて小さな場所じゃなくて、もっともっと大きなステージに立っている自分を想像する。
ときにはソロコンサートをして、CDなんかも出せてしまうかもしれない。
頭の中で夢はぐんぐん成長して、気がつけばみんなと一緒にハンバーガーを食べていた。
私ならきっと大丈夫。
だってもう、プロレベルの演奏ができているんだから。
中学校の部活の練習なんてつまらない。
みんな私よりも下手くそだし、全体合わせての練習なんてしたらもうめちゃくちゃになってしまう。
そんな中で練習していたら、自分は今より下手くそになってしまうかもしれない。
「あ~あ、今日も楽しかった!」
家に戻ってすぐベッドに横になる。
放課後になると誘われるがままに遊びに出かけて、そのまま帰ってくる。
それがこんなに楽しいことだったなんて今まで知らなかった。
毎日毎日練習に明け暮れていたら、こんな風に学園生活を楽しむことなんてできていなかったかもしれない。
「アサミ、今日は練習しないの?」
「あぁ……今日はいいかな、少し休憩」
「そうなの。でも昨日もしてなかったわよね?」
「大丈夫だって、私は誰よりも演奏が上手なんだから」
アサミはそう言って母親を部屋から追い出して、再びベッドに横になるとマンガを読み始めた。
出窓ではあの植物が虹色の花を咲かせていたけれど、アサミは気が付かなかったのだった。
☆☆☆
「今日はどこに遊びに行く?」
放課後、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる中でアサミはクラスの友人にそう声をかけた。
「ごめん、今日は部活出なきゃいけないんだよね」
「私も、早く帰って家の手伝いをするって約束しちゃったの。ごめんねアサミ」
友人2人がそそくさの教室を出ていくのを見送って、アサミはつまらなさそうに唇を尖らせた。
せっかく今日はみんなと買い物に行こうと思っていたのに、計画は台無しだ。
ひとりで遊んでいてもつまらないし、部活にでも出ようか。
そう思ってノロノロとあるき出す。
別に部活に出なくたって私は大丈夫なのだけれど、という感情が湧き上がってくる。
そして吹奏楽部の音が近づいてきたとき、ひときわ上手なフルートの音色が聞こえてきて立ち止まった。
この音色は誰?
先生かな?
そう思って足を進めた時、廊下の一番奥でいつものように練習しているニナの姿が見えた。
ニナの周りには数人の1年生が集まってきていて、その演奏に聞き惚れている。
うそ、これがニナの音!?
アサミは唖然として声も出せずに立ち止まった。
ニナの音はこころの響くようでとても深くて切ない。
しかしテンポのいい曲になるとまるで飛び跳ねるように楽しげに吹き始める。
ニナ自身もそれを楽しんでいるようで、時折笑顔を浮かべていた。
「ニナ、最近また上手くなったみたい」
サトコが近づいてきて耳元で言った。
そうしないと声が聞こえないからだ。
「ふぅん」
内心感じている動揺をさとられないように呟き、練習の準備を始める。
どれだけニナが頑張ったってどうせ私の足元にも及ばない。
いい加減諦めればいいのに。
往生際が悪いのだと思いながら、フルートに口をつける。
アサミがそうやって練習の準備をするだけですでに数人の生徒たちが集まってきていた。
アサミの奏でる音が聞きたい。
その思いがそれぞれの表情から溢れ出しているのがわかった。
そして最初の一音。
それは思っていた通りの音だった。
楽譜通りの音。
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