第4話

☆☆☆


ニナは毎日一番最初に部室に来て練習をして、一番最後まで残って練習をしているようだった。



それでもなかなか上達しないのはニナの演奏を聞いていればよくわかる。



人はどんなことでも一定まで成長したらそこから先の成長がゆっくりになる。



ときには今までできていたことだってできなくなってしまう。



いわゆるスランプというやつだ。



それを乗り越えた時に更に前に進むことができるのだけれど、スランプ状態からなかなか抜け出せずに諦めてしまう人もいる。



「なんかさ、ニナの演奏だんだん下手になってきてない?」



部活終わり、サトコに誘われてまたケーキを食べに来ていた。



ニナは案の定、今日も一人で練習を続けている。



「うん……」



アサミはプリンアラモードにスプーンを突き刺しながらぼんやりと返事をした。



スランプになったことはもちろんある。



だからそのときの辛さも十分理解しているつもりだった。



「どれだけ練習したってさ、結局能力がないと無理なんだよね」



サトコはそう言ってショートケーキにかぶりつく。



口のまわりにクリームをつけながらも、美味しそうに微笑んだ。



「アサミは能力があったから良かったよね」



アサミは顔を上げてサトコを見つめた。



悪気のない笑顔がそこにある。



人がどれだけ努力してきたか知らないくせに。



そんな言葉が喉元まで出かかって、慌てて押し込めた。



「そうだね」



短く返事をして、なんの味もしないプリンを口に入れたのだった。



毎日人一倍頑張っているニナを見て声をかける生徒たちが出てきた。



特に1、2年の後輩たちはニナのことをよく見ていて、帰る間際に必ず「頑張ってください」とか「おつかれさまです」を言うようになった。



自分だってみんなと同じ練習量をこなしているのに、なんだかアサミの心は晴れなかった。



それどころか、練習してもしてもうまく吹けないような気がする。



サトコは「大丈夫だよ、上手だよ」と言ってくれるけれど、不安は拭いきれなかった。


☆☆☆


「ただいま」



少し沈んだ声で言って玄関を上がると、リビングからお母さんが顔を出した。



「アサミ、もう帰ってきたの?」



「え? いつも通りの時間だよ?」



「あら、本当? さっきニナちゃんのお母さんに会ってね、ニナちゃんはまだ学校で練習してるって聞いたから、てっきりアサミも遅いのかと思って」



お母さんは悪気なく笑う。



「コンクールのことも聞いたの?」



リビングへ戻っていくお母さんを追いかけてその背中に質問した。



「えぇ聞いたわよ。ニナちゃんも選ばれるかもしれないのよね?」



ソファに座りながらなんでもないことのように言う。



アサミは目を見開いて母親を見つめた。



私は嘘をついてしまったのに、どうしてそんな風に平気でいられるんだろう。



てっきり怒られると思っていたアサミは戸惑った。



「でも大丈夫よ。アサミが選ばれるに決まっているんだから」



お母さんはアサミの方を見もせずに、そう言い切ったのだった。


☆☆☆


ニナよりも私の方がずっと上手だ。



どれだけ練習してもニナの演奏はうまくなっていない。



それは聞いていれば一目瞭然だった。



ニナは練習を頑張りすぎて完全なスランプ状態だ。



そこから抜け出せるのはいつになるのか、当人にだってわからない。



課題曲の発表までに間に合うか、いや、コンクールまでに間に合うかどうかもわからない。



下手をすればそのまま楽器から離れてしまう可能性だってある。



「はい、じゃあみんな教室に入って」



まだ練習時間中なのに先生にそう言われてアサミはフルートを片手に教室内へと移動した。



広い音楽室だけれど50人も入れば結構密集してしまう。



更には楽器が加わるのだから、少し窮屈なくらいだ。



「それじゃ今から課題曲を合わせて演奏してみましょう」



先生の指示に従い、パートごとに別れて座る。



アサミと右隣はサトコで、左隣りがニナだ。



背の低いニナが椅子に座ると更に小さく見える。



そして演奏が始まったとき、すぐに気がついた。



つい昨日までスランプ状態で下手な演奏をしていたニナが、格段に上達していたのだ。



左隣りから聞こえてくる旋律は、サトコのものよりも切なく感情を動かされるようなものだった。



危うく自分の演奏がおろそかになってしまいそうで、慌てて集中した。



だって、いつの間にこんなに上手になったの?



それでもまだ少しアサミのほうが上手だったが、その差はグンと縮まっていた。



このままじゃ、ソロパートが危ういかもしれない。



そう考えた瞬間アサミの音が乱れた。



低音を吹くところでひとりだけ甲高い音を出してしまい、慌てて修正する。



アサミが驚いた表情でこちらを見ているのがわかった。



大丈夫。



こんなのただのまぐれだから。



それに、私がニナくらい練習すればすぐに追い越すんだから。



アサミは自分自身にそう言い聞かせたのだった。

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