第3話

「ニナとアサミなら、断然アサミの方が上手でしょ」



練習が終わるまでの時間に同じ3年生の部員たちから幾度となくそう声をかけられた。



そのたびに微笑んで「ありがとう」と答えるのだけれど、本当はひとりで熱心に練習を続けているニナのことが気になって仕方がなかった。



ニナの演奏は本当にうまくなってきているし、このまま練習を続けられたらソロパートを持っていかれてしまうかもしれない。



そのためアサミはこの日普段よりも念入りに、自分の苦手な部分を練習したのだった。



「アサミおつかれ! 今日ケーキ食べに行かない?」



部活が終わった後サトコがそう声をかけてきた。



「いいね!」



吹奏楽は見た目以上に体力を使う。



部活が終わった後は甘いものが食べたくなるときもあるんだ。



「じゃあ今日は前祝いってことにしようよ」



「前祝い?」



「そう! アサミソロパート決定おめでとうってことで!」



あまりに大きな声で言うのでアサミは慌てて教室内を見回した。



幸いにもニナはまだ戻ってきていなくて、今の言葉は聞かれていなかったようだ。



ホッと胸をなでおろして「そういうこと、ここでは言うのやめて」と、声を潜めた。



「あ、そっか。ごめん。でもさ、みんな同じこと思ってると思うよ? いくら3年生になってから頑張ってるって言っても、ずっと頑張ってきたアサミには勝てないよ」



その言葉に少しだけ嬉しくなる。



小さな頃から音楽は好きだった。



クラシック音楽を始めとして、洋楽、アイドルの曲、なんでも聞いてきて気に入った音楽は自分の手で演奏してきた。



「うん。絶対に負けない」



アサミは頷いて答える。



2人して音楽室を出た時、まだフルートの音が聞こえてきていることに気がついた。



廊下を曲がってそちらを確認してみると誰もいなくなった隅っこのほうでニナが練習を続けている。



その表情はとても真剣で、額には汗が滲んでいるのが見えた。



少し休憩すればいいのに。



そう思ったが、声をかけられないような集中力を感じてアサミたち2人はそっとその場を後にしたのだった。


☆☆☆


「ニナも選ばれるために必死なんだねぇ」



目の前にあるショートケーキを突きながらサトコが言う。



アサミは注文したチーズケーキが運ばれてきても、それに手を出す気にはなれなかった。



帰り際に見たニナの練習光景を忘れることができない。



ニナは本気でソロパートをやりたいと思っているに違いない。



「でも大丈夫だよ。アサミがもう少し練習すればすぐに差がつくって」



黙り込んでいるアサミを元気づけるように言う。



アサミは笑顔を作り、そしてケーキを一口食べた。



そうだよね。



今更頑張ったって遅いに決まってる。



私の方がずっとずっと努力してきたんだから……。



そう思って、ケーキを一口食べたのだった。


☆☆☆


家にかえってからアサミはコンクールの話を両親にして聞かせた。



本当はまだソロパートをすると決まったわけじゃなかったけれど、もう確定したかのように話をした。



そうすることで喜んでもらいたかったし、自分も安心したかったのだ。



こうして声に出していると、それは事実になるなんて事も言われているんだし。



「すごいじゃないか! 3年生最後のコンクールでソロに選ばれるなんて、大したもんだな」



お父さんが上機嫌に言い、ビールをひとくち飲んだ。



「えへへ。まだ、どうなるかわからないんだけどね。私以外にも上手な子はいるんだし」



「それでもアサミで決まりなんでしょう? さすがねぇ」



お母さんは関心したようにそう言って、スープのおかわりを出してくれた。



一瞬頭の中にニナの顔が浮かんできたけれど、2人にはそのことは黙っておいた。



友人からも家族からもお祝いされたアサミはすっかりその気になっていたのだった。



翌日の練習中、途中で部室に呼ばれたアサミたちはフルートを片手に壁際に立って先生の話を聞いていた。



「みんな聞いて! 課題曲の発表する日を決めたから」



先生のひとことで教室内はすぐに静になる。



アサミは背筋を伸ばして先生を見つめた。



今練習している課題曲で、ソロパートの演奏者が決まるのだ。



アサミはゴクリと唾を飲み込んだ。



「課題曲の発表は来週の水曜日にすることにしました。それまでにみなさんしっかり練習しておいてくださいね。あまりできの悪い状態だと、コンクールの出場ができなくなりますよ!」



先生は最後に脅し文句のようにコンクールのことを出してきた。



だけど今まで恐怖中学校吹奏楽部がコンクールに出場できなかったことなんて、1度もない。



「それと、アサミさんとニナさん」



名前を呼ばれて更に背筋が伸びた。



斜め前にいるニナは少し猫背気味で、不安そうな雰囲気をまとって先生を見つめている。



「来週の水曜日の課題曲で、あなたたちどちらかにコンクールでソロをしてもらうか決めることになります。他のみんなより少し重要な立場だから、頑張ってね」



そう言われてアサミは息を吸い込んで「はい」と返事をした。



ニナも同じように返事をしたようだけれど、その声はとても小さくて聞き取れないくらいだった。



きっと自分の演奏に自信がないのだろう。



それなのにソロに選ばれるかもしれないと思って、緊張して戸惑っているのだ。



私も小学校の頃合唱コンクールに出場して、同じような経験をしたからよくわかる。



楽器の演奏は得意でも、歌うことはそれほど得意じゃなかった。



それに舞台に上がってたったひとりで歌を歌うなんて、考えられないことだったのだ。



どれだけ練習をしても緊張して喉が狭まり、声がでないことが何度もあった。



それでも努力して、舞台に立ったんだ。



その時の気持ちを思い出すとニナの気持ちはよくわかった。



選ばれるかもしれない緊張感。



できればやめてしまいたいと思っているかもしれない。



アサミはにっこり微笑んでニナの肩に手をかけた。



振り向いたニナは案の定すごく緊張した顔をしていて、少し顔色も悪い。



「大丈夫だよニナ。ソロパートは私に任せて、ニナはいつもどおりの演奏をしていればいいよ」



そう声をかけて、自分の練習に戻ったのだった。

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