第8話 痛み

遂に出産の時期を迎えた。恵子に心配ないといいながら、俺が一番心配していたかもしれない。

恵子は難産が想定されるために、俺が勤務する病院へ入院となった。


「恵子、安定期に入ってつわりも落ち着いたな」

「はい、良かったです」

「後は陣痛を待って出産だな。大丈夫だよ、俺がついているから」

「可愛い子供が生まれてくるかしら……」

「もちろんだよ」

「それより、無事に出産さえできればいいのですが……」

「もう、何度も同じことを言わせるな。大丈夫だよ。これが最後だぞ」

「はい」


そういいながらも、俺は不安でいっぱいだった。それは、ある日のことだった。


「幸樹さん、雨が降っていますね」

「ああ、そうだな。早く晴れるといいな」

「そうですね。あの雨のようにならなければいいのですが……」

「いい加減にしろよ。恵子」

「ごめんなさい」

「もう、出産しかないから、それに集中するんだ」

「はい、わかりました。でも‥…」

「恵子、言っただろう。いい加減にしないと……」

「ごめんなさい」

「あ、いや、俺こそすまなかった」


俺の心も尋常ではなかった。不安へのいら立ちを隠し通せなかったのだった


我が心ここにあらず君を思いて


俺は自らの気持ちを抑えきれず詩にしてノートに書いた。

恵子、どうか、無事に出産してくれ。

駄目だ俺らしくない。

情けない想いが俺の心を揺さぶる。

恵子、どうか無事に出産してくれ。

俺の素直な気持ちだった。

そして、陣痛が始まり出産を迎えた。


「痛いです。幸樹さん。痛いです。助けてください」

「恵子、大丈夫だ。俺が手を繋いでいるから。」

「痛い。痛い。痛い。幸樹さん、お願いします。助けてください」


俺の心は気が狂いそうになるくらいだった。

そして、親友の産婦人科医に声をかけた。

遂に、出産の時を迎えた。


「どうか、恵子を助けてあげてくれ」

「ああ、幸樹、任せろ。ただしリスクは大きいから覚悟はしておけよ」

「分かった……」

「恵子頑張るんだ。もう少しだぞ。俺の手を握っておけばいいよ」

「はい、でも、痛い、幸樹さん、助けてください」

「大丈夫だ、大丈夫だ。恵子もう少しだ。頑張るんだ」


院内は緊張感に溢れていた。看護師の走り回る音が響く。

恵子の悲痛な叫びが俺を襲う、そして親友の産婦人科医に再び声をかけた。

俺は気が狂いそうだった。


「俺にも何かすることはないか」

「いや、任せろ。お前は彼女の手をつないでいていればいい」

「ああ、わかった……」

「もうすぐだ、もうすぐだぞ、幸樹」

「ああ、わかった」

「恵子もうすぐだぞ、もうすぐだ」

「はい。痛い。痛い」


オペ室の緊張感がさらに高まっていった。


おぎゃー


「よかったぞ。生まれた。成功だぞ。幸樹」

「ああ、ありがとう。助かった」

「恵子、大丈夫か」

「幸樹さん、子供が無事に産まれてきてよかったです。子供の顔をみさせてもらえませんか」

「ああ、ほら、立派な双子だぞ」

「本当ですね……」

「幸樹さん、今まで……ありがとうございました……」

「どうした、恵子……」

「恵子、どうしたんだ」


恵子の返事はなく、辺りは静まり返った。

残酷の時が訪れた。悲しみの音が静かに訪れた。

そして、息を引き取り恵子は帰らぬ人となった。

俺は信じることができなかった。


「恵子、どうした?しっかりしろ。恵子、恵子。嘘だろう」

「幸樹、残念ながら子供は生まれてきたが母体は残念ながら……幸樹、申し訳ない」

「申し訳ないじゃないだろう」

「幸樹さん、先生も必死にしたわけですから……」

「みんな、申し訳ない取り乱して……」

「いや、僕の方こそ力不足で申し訳ない……」


周囲の空気は現実の冷たさに包まれており、既に俺は俺でなくなっていた。


何がカリスマ医師だ。馬鹿野郎。

一人の愛する女性すら守ってあげられなかったじゃないか……

俺は何もすることが出来なかったんだ。何もすることが……

恵子、嘘だろう。

嘘だろう。

俺をからかわないでくれ。

どうしてだ。

どうして、恵子が……

悲しい現実が冷たく俺を襲った。

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