第7話 奪われた心


僕は、バスに乗っていた美しい少女のことを考えると、眠れない日が続いた。


それは、正美さんと二人で話していた時のことだった。


「健作君、そういえば、診療所はどうだった?」

「ああ、正美さん、うつ病だって言われたよ。本当にそう見えるかな?」

「う~ん、私にはそこまではないと思うけど、でも、先生がそう言ったのでしょう?」

「ああ、そういったけど、もう高齢者でさ。あの医者はやぶ医者じゃないかな?」

「でも、やっぱり先生だから、ちゃんと薬を飲んで治療しないと駄目よ」


「まあな、でも、納得いかないよ。検査もろくにしなかったんだ。」

「ただ、俺の父親もアル中だからな」

「精神関係の疾病は遺伝するらしいから、僕もああならないといいけど……」


「健作君、考え過ぎよ。病は気からっていうでしょ。考えすぎは駄目よ」

「僕の考えすぎかな」

「そうよ、健作君、大丈夫」

「私からみても、うつ病には見えないけど、きっと疲れもあるんじゃないかな?」

「そうだといいのだけど……ありがとう、心配してくれて正美さん」

「いいのよ。だって、私と和明君と……ごめんね、言っちゃった」

「大丈夫だよ。もう昔のことだからさ、気にしないで」

「僕はもう気になっている人がいるから」

「え、そうなの?誰?教えて、気になるな」

「それは、ちょっと恥ずかしくて言えないな」

「でも、健作君も早く元気になるといいわね。きっと大丈夫よ」

「そうだね、ゆっくりと休んでみるよ」

「会社のことは私と係長に任せていて。和明君も手伝ってくれるわよ。仕事のことは心配しなくていいからね」

「ありがとう。助かるよ」


僕は、いい加減な病院だなと思ったけど、診療所へ行った。なぜなら、またあの美しい少女に会いたいからだ。そしてバスへ乗り込んだ。

バスには、やはり近所の斉藤さんが乗っており、小声で僕に話しかけてきた。


「やあ、健作君。また診療所かい?」

「はい、今日は少女は乗っていないのですね?」

「ああ、昨日は乗っていたけどな、残念だったな。だが、なんだか寂しそうな印象だったぞ」


僕の心に、少女に会えなかった寂しさが訪れた。


寄せる波に帰る心悲しけり


僕は思わず持ってきたノートに詩を書いた。そして、また診療所に到着した。

到着すると、相変わらず誰もいない。しばらくすると、近所の山上さんが来た。


「あら、健作君、調子はどう?」

「やっぱり眠れなくて……」

「そうね、相変わらず顔色が悪いわよ。ちゃんと食事と睡眠をとっているの

「いえ、なかなかです」

「そうですか……先生にもう一度、診てもらいましょう」

「はい」


僕はしばらく待っていたが、頭の中にあるのは、あの美しい少女しかなかった。


「ああ、健作君、それからどうだね?」

「やはり、眠れなくて……」

「う~ん、もう少し強い薬がいいのかな?」

「いえ、先生、この間の薬で大丈夫です」

「まあ、うつ病はしばらく休むと良くなるよ。しっかり休むことだな」

「はい」


なんて、いい加減な先生なんだろう……検査もしないでよくわかるよ。

山上さんも、僕の気持ちを見抜いていたようだ。


「健作君、先生も高齢だから許してね。大丈夫よ。ゆっくり休んで」

「はい、ありがとうございます」


しかし、僕は病気のことはどうでもよかった。

なぜなら少女に会いたかっただけだからだ。

そして、期待しつつ、帰りのバスへ乗り込んだ。

やはり、バスは斎藤さんが運転しており、小声で僕に話しかけた。


「健作君、ほら、彼女が乗っているよ」


僕は少女に一瞬だけ目をやり、すぐに席に座った。それは恥ずかしかったからだ。

少女のあまりの美しさに、僕の心は張り裂けんばかりだった。

青い海と白い少女の肌のコントラストが美しかった。

しかし、話しかける勇気を僕は持ち合わせていなかったのだ。

なんて僕は意気地なしなんだろう。情けない。

一瞬だけ見た少女は寂しげな表情だった。

そして、自宅に帰りついた。


「健作君、おかえり」

「ただいま」

「どうでした、診察は?」

「ああ、高齢のせいか、適当だったよ」

「まあ、この島は高齢者ばかりだし、過疎化で若い先生もいないのよ」

「そうですね。仕方ないですね」

「それより健作君の健康が心配です。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。家政婦さんに心配をかけて申し訳ありません」

「いえ、気にしなくてもいいですよ」


僕は美しい少女のことで頭がいっぱいだった。

そして、バスの中での少女を想うと、その日は全く眠れなかったのだ。

また、会える日が来るのだろうか……

理由はわからないが、何かしら遠い記憶が僕の脳裏をよぎった。

それは、一体何だったのかわからなかった。

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