第5話 バスの中の少女

僕はいつもどおり、仕事を終えて自宅に帰った。相変わらずの日常生活が待っている。


「健作さん、やはり眠れないのではないですか?」

「そうなんですよ、最近はずっと寝付けなくて……」

「一度、診療所で診てもらった方がいいと思いますよ。その方が安心ですよ」

「ええ、同僚からもそう言われました。明日は会社を休んで行ってみようかと思います」

「是非、そうしてください。私も安心です」


翌日になり、僕は会社を休んでバスの停留所からバスへ乗り込んだ。


「ああ、そういえば、健作君じゃないか?」

「あ、近所の斉藤さんじゃないですか?バスの運転手をされていたのですね」

「ああ、そうだよ。近所同士だけど意外なところで出会ったな。このバスは一日3便しか走っていないんだよ」

「そうですね」

「この島も狭くて不便だよ。ところでどこに行くんだ」

「診療所に行こうかと思いまして」

「そうだな。そういえば健作君は顔色が悪いぞ」

「はい、よく、そうそういわれます」

「一度、先生に診てもらいなさい」

「はい」

「まあ、でも、あの診療所の先生は年だからな」

「年配の先生なんですか?」

「ああ、もう高齢者だよ。どっちが患者かわからないくらいだよ」

「そうなんですね」

「ああ、白髪に腰がもう曲がっているぞ。大丈夫だろうか?ちゃんと診察してくれればいいがな」

「まあ、心配なので、とりあえず行ってみます」

「そうだな。建物も古いけど行ってきなさい。私が降ろしてあげるから」


このバスには下車を知らせるボタンは必要なかった。小さい島ならではであった。


「健作君、着いたぞ。気を付けてな。歩いてすぐ近くにあるぞ」

「はい、ありがとうございました。斎藤さん」

「ああ、じゃあ行ってきなさい。早く良くなるといいな」

「はい」


ピンポーン


狭く、古い建物の診療所の中に入ったが、誰も患者がいないうえに、事務員も看護師もいない。仕方がなかったので、待合所で20分程度待っていた。


「あら、健作君、ごめんね。ここは患者が少ないから、休憩室で休んでいたわ」

「あ、山上さんじゃないですか?」

「そうよ。健作君の家の近くね。今日はどうしたの?」

「最近、寝付けなくて困っていました。」

「そうね、そういえば顔色が悪いわね」

「はい、家政婦や同僚からもそう言われました」

「じゃあ、先生を呼んででくるわね。もう高齢だからしばらく待っていてね」

「はい」


女性の看護師はすぐさま、医師を呼びにいった。


「先生、先生。患者さんですよ。ほら、起きてください。私の家の近所の加藤さんという方よ」

「ああ、わかった。あいたたた」

「先生、立てますか」

「ああ、大丈夫じゃよ」

「こちらが、加藤健作君です。最近寝付けないようで来たそうですよ」

「そうか、健作君か。食欲はあるかね?」

「睡眠はとれているかね?」

「いえ、食欲もないですし、睡眠もあまりとれていません」

「それは、うつ病というもんじゃ。しばらくゆっくり仕事でも休めば時期によくなる。薬を処方しておくから、それを飲みなさい」

「はい……」


本当だろうか……それだけでわかるのだろうか。


「山上さん、ありがとうございました。会計はいくらになりますか?」

「ちょうど薬代と合わせて2千円よ」

「ありがとうございました」

「健作君は車で来たの?」

「いえ、バスで出来ました」

「そう、まだ運転免許を持っていないのね。この島は車がないと不便だから、早く免許を取ったほうがいいわよ」

「そうですね」

「気をつけて、帰ってね。じゃあ、バスの時刻を調べてあげるから」

「いえ、行き道で確認しました。あと1時間くらいは時間があります」

「それなら、待合室でゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

「今日は掃除していなかったから、散らかっていてごめんね」

「いえ、大丈夫です」


休憩した後にバス停に向かうと丁度、バスが到着したのだった。

運転手の斉藤さんが小さな声で僕に話しかけた。


「ああ、健作君か。ちょっとこっちに来なさい」

「斉藤さん、どうしましたか?」

「ほら、少しだけ、少しだけ見るんだぞ」

「最後尾の席をみてごらん。白いワンピースに、麦わら帽子の美しい少女が座っているぞ」


僕は、どこまでも白く透き通った、美しい肌の女性に一瞬で心を奪われてしまった。

少女は窓から海を眺めていたのが印象的であった。


「健作君、ほら、前の座席に座りなさい」

「はい。斎藤さん」

「どうだ、美しいだろう」

「はい……」


バスのミラーに、少しだけ少女が映し出されていた。なんて、美しいのだろう……

僕は初めて本当の恋をしたような気がする。僕は少女の事が気になって仕方がなかったが、恥ずかしくて後を振り返ることはできない。


「健作君、家に帰りついたぞ。途中で降ろしてあげるからね。どうだ美しかっただろう」

「はい、そうですね」

「ここまで送っていただいて、ありがとうございます」


バスから降りて、少女の方を一瞬だけ見つめると、バスの窓から黒く美しい髪が風になびいていた。

僕は不思議な気持ちになったのだった。

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