第6話 写真の真実

「一体、どういういきさつで鶴橋氏の死体が発見されたんですか?」

 と桜井刑事が訊くと、

「死体が発見されたのは、四日前のことでした。河川敷にある結構雑草が生えそろった場所があって、普段はあまり誰も立ち入ることのない場所だったのですが、イヌを散歩させていた人が、イヌの反応を見ておかしいと思って警察に通常されたんです。死後少し経っていたので、イヌには分かるくらいの異臭が漂っていたんでしょうね。さすがに犬の飼い主はその現場に立ち入ることを恐れてすぐに警察に通報したのですが、正直、飼い主の行動派正解でした。ナイフで刺されて、亡くなって否んです」

 とH署の刑事がいうと、

「凶器はどうだったんですか?」

 と、桜井が訊き返した。

「胸に刺さったままでした。凶器が刺さったままだったので、付近にそれほど血痕が残っていたわけではなく、もし、血がもっとたくさん付着していれば、あのあたりは犬の散歩をする人が多いので、もっと早く死体が発見されていたのではないかと思いました」

「ということは、他の場所で殺害されて運ばれてきたのかどうかは分からないということでしょうか?」

「いえ、あんな危険な場所で殺し合いはしないでしょう。あの場所にある雑草はまるで竹のように鋭いものを持っている場所でもあります。格闘すると自分もけがをする可能性がある。疑われた時に傷ができたことをどういいわけすればいいか分かりませんからね。つまり、死体を放置するにはちょうどいいけど、殺人現場としては、まずありえない場所ということになります」

 と、相手の刑事は言った。

「殺されたのはいつ頃だったのでしょう?」

 と、浅川刑事が訊いた。

「鑑識の話によると、死体発見から三日ほど経過しているということですから、今から一週間前くらいということでしょうか? つまりこちらのマンションを引き払って、引っ越してから、一週間くらいが経過していたということですね」

 という話を訊いて。

「じゃあ、その一週間、一体どこで何をしていたんだろう? それに一緒に失踪したと思われる奥さんはどうなっただろう?」

 と桜井刑事は独り言のように言った。

「そこが大きな問題なのは間違いないだろうね。我々もあれから夫婦の行方に関してはいろいろ調べたんですが、まったく足取りがつかめない。特に、引っ越しの夜に近くのビジネスホテルに泊まったのは間違いないんですよ。宿泊履歴にも残っていますし、宿の受付の人に写真を見せて、間違いないということだったからですね。しかも、朝食の時、ちょっとしたクレームがあったとかで、余計に覚えていたということなんです」

 という浅川の報告だったが、

「というと、どんなクレームなんですか?」

「いや、クレーム自体は大したものではなかったようで、別にトラブルに繋がることではなかyったようだ」

「ということは、彼らは自分たちを印象付けようとして、わざとクレームを申し立てたと言ってもいいかも知れないんですね?」

「穿った言い方をすれば、そういうことだろう。真相のほどは分からないが、結果的に彼らが停まったということを印象付けるには十分だったわけだからね:

 という浅川の報告だった。

「先ほど、残っていたナイフというが、そのナイフに付着していた血液は?」

 と訊かれて、

「B型に血液だそうです。ただ、どうも血痕が一種類ではないようなことを鑑識は訝しがっていました。まさかと思ったので、こちらに持参して、今こちらの鑑識に見てもらっています」

 とH署の刑事が言った。

「なるほど、竜二というチンピラを差した凶器も見つかっていませんからね」

 と浅川は言ったが、考えてみれば、もう竜二の遺体は荼毘に付されていて、火葬されてしまっていた。新たな科学捜査は不可能であるため、同じナイフが使われたのかどうかは確定はできないが、少なくとも、竜二の血液型がB型で、凶器の種類は似たような傷口だったことから、限りなく同じ凶器だという結論に達してもいいだろう。

 浅川は、やはりこの二つは切っても切る離せない関係にあることは分かった。

「イヌを散歩させていた人が発見したということは、イヌの散歩コースでもあったんですよね? 他には子供が遊んだ李、カップルが近くにいたりとかはないですか?」

 と浅川刑事が訊いたが、

「確かに子供が遊ぶことはあるかも知れませんが、カップルがいちゃつくには、少し寂しすぎるし、やはり危ないというのもありますね」

 と、H署の刑事は言った。

「じゃあ、ホームレスなどはどうですか?」

 と桜井が訊いたが、

「それは可能性は大きいと思います。もしあのあたりで何かを発見する可能性が高いとすれば、ホームレスというのが一番だと思うんです。あのあたりには結構ホームレスもいますからね」

「とすると、即座に見つけるとすると、ホームレスに見られる可能性、時間が経ってしまうと、今回のように犬の嗅覚ということになるんでしょうか?」

「その可能性が一番高いと思います」

「ということは、犯行現場はやはり別の場所だという可能性が高くなったというわけですね。争っていたのであれば、ホームレスの誰かが発見しているというわけですよね?」

「おっしゃる通りだと思います。ただ、どうしてあそこに死体を遺棄したのかはよく分かりません。処分しようと思えば、いくらでも方法があったと思います。どこか山の中に埋めてしまうとか、海の底に沈めるなど、あんな場所に放置するというのは、死体を隠滅しようとしたわけではないと思われます。発見されることを最初から予知していたことは間違いのないことでしょうね」

「発見されても構わないが、すぐに発見されては困る。そう考えると、いろいろなパターンが考えられますね。例えば、犯人のアリバイの立証に、少しでも死亡推定時刻が遅いことを願っているという場合や、少しでも時間が掛かっていると、鑑識の結果に何かの誤差が出るような話であったり、何かの証拠が時間とともに隠滅できたりなどのことが考えられますよね」

 と、桜井刑事は言った。

 それに付け加えるかのように、浅川刑事が質問した。

「ちなみに、発見された死体の身体から、何かの薬物反応はありませんでしたか?」

 と訊かれて、最初は何のことを言われているのか分からなかったH署の刑事だが、

「被害者は雑誌社に勤務していて、一時期、ゴシップネタとして、麻薬ルートを調べていたということなんです。少なくとも麻薬をやっていた可能性もあるので、少し聞いてみたかったのですが」

 と浅川が訊くと、

「いえ、薬物反応は出なかったということです。一応、司法解剖もされましたが、薬物に関しての反応はなかったようです。ただ……」

 と言って、H署の刑事は少し言葉を濁したが、

「実は被害者は、癌を患っていたようで、一応今のところ、命に別状はないということでした。本当に初期だったので、そのための投薬は行っていました。末期などの痛みを伴っているわけではないので、モルヒネ系の痛み止めを摂取しているわけでもありませんでした」

 という話である。

「それで、保険金などは?」

 と桜井は訊いたが、

「癌保険には入っていたので、治療には十分なお金が保険会社からは払われているようです。もっとも、そんなにひどい状態ではないので、一、二か月に一度、検査通院を行っていて、今のところ、悪化の症状はなく小康状態のようでした。むしろ精神的なところで少し参っているような話を訊いたんですが、本人の希望で、家族や誰にも告知しないということだったようです」

 ということだった。

「家族思いな人だったんだね?」

 と浅川に言われたが、

「いや、そうではなかったようで、逆に家族のことは信じていなかったと言います。癌が発見されてから、死亡保険の受取人を、最初奥さんにしていて、今も奥さんではあるんですが、途中に何度か受取人を書き換えようとしたくらいだったんですよ。その理由はよく分からなかったが、最終的には他にもいないので、そのままにしたそうです」

 という話を訊いて、桜井の脳裏には、赤石に魅せられたスマホの写メを思い出さされた。

――あの写真が本当だとすれば、旦那の方が奥さんを疑っていたという話とは辻褄が合うのではないか――

 と考えられた。

「癌を患っている状態で殺されるなんて、実に気の毒な感じもするな」

 と桜井がいうと、

「これは念のためにお聞きしますが、本当に命には別条がなかったんでしょうね?」

 と浅川が訊いたが、

「ええ、それは間違いはないと医者が言っています。ただ、あの人は神経質なところがあったので、どうしても悩んでしまうだろうから、気が付く人には、理由は分からなくとも、彼が何か重大なことで悩んでいることに気づくはずだというのです。だから、、旦那さんは結構深く悩んでいたんじゃないでしょうか?」

 と言われた浅川は、

「じゃあ、本当に家族は知らなかったんでしょうかね?」

 と言われると、

「それは分かりません。我々は彼が殺されてからしか、捜査をしていません、生前の彼にあったことがないので、本当はどんな顔をしているのか、どんなことを考えているのか、そしてどんな顔で笑うのかなどということはまったく分からないんですよ」

 とH署の刑事は言った。

――それは当たり前のことで、聞くまでもないことであったが、どうしても聞いてみたかった。なぜなら、H署の方で、彼の生前について、どれほどの情報を持っているのかということを少しでも知りたくて、カマをかけるようなマネをしてしまった――

 と浅川刑事は考えていた。

 どちらにしても、合同捜査にはなるのだろうが、今回の事件において、これは普通の連続殺人なのか、それとも、どちらかが本命であり、どちらかがカモフラージュのようなものなのか、後者は少し考えすぎなのかも知れないが、ありえないことではない。

「ところで、桜井刑事は、麻薬の線で、被害者の奥さんと、最初の被害者であるチンピラの竜二という男との関係を洗ってくれていたよね?」

 と浅川刑事は、桜井刑事に向かって聞いてみた。

「ええ、私の方では山口刑事と、この二人の関係を少し探ってみました」

 と桜井がいうと、

「それはどういうところからの発想だったんですか?」

 と何も知らないH署の刑事が訊いた。

「こちらでは、今、容疑者の洗い出しという意味で、犯行後にいきなり行方不明になった鶴橋夫妻の様子を探ってみていたんです。その時、以前に被害者のとなりの家に住む赤石という女性の証言として、スマホで撮った鶴橋の奥さんと、チンピラの竜二が仲良く歩いている写メを見せてもらったんです。その裏付けをするという意味でいろいろ探ってみたのですが、どうもよく分からないんですよ」

 と桜井刑事は言った。

「どういう意味でだい?」

「竜二という男は確かに街のチンピラで、店をやるためのショバ代という意味での組への上納金、いわゆる『みかじめ料』と呼ばれるものを取り立てる役で、そのみかじめ料の代わりに、用心棒のようなことをしているのが、やつの商売だったんです。でも、彼は適当なチンピラが多い中でも、意外と組の中ではしっかりとしていて、律義なところと頭のいいところでは兄貴連中も一目置いていたようで、あまり変なウワサも聞きこむことはなかったんですよ。で、やつの兄貴に聞いてみると、どうもカタギの奥さんと不倫をするような性格ではないというし、奥さんの写真を見せると、やつが好きなタイプの女性とは正反対だという話だったんですよ。だから不倫ということはありえないという話でした。そして、彼には付き合っている女性がいていずれ結婚を考えていたようなんですが。急に彼女が竜二の前から姿を消したそうなんです。雄二はショックで、数日気が抜けたみたいになっていたようですが、すぐに立ち直って、割り切っていたようにまわりには見えたということでした」

 と桜井は言った。

「なるほど、いろいろなところで気になるところがありそうだね」

「ええ、そうなんです。私が一番気になったのは、竜二には結婚を考えた女性がいた。それなのに、赤石という女は証拠のように写メを提示した。しかも、その写真は、まるで不倫を思わせる。しかし、竜二は律義な性格で、二股などできるはずもない。そうなると、なぜ結婚まで考えた女性が彼の前から立ち去ることになるのか?」

 と桜井は言った。

「なるほど、竜二の彼女の行動も何か怪しいね。他の人が彼ほど律義な性格はいないと言っているのに、一番身近なはずの彼女がいきなり彼から離れてしまった。浮気を疑ったわけではないと思える。そうなると、誰かの入地絵という発想も出てくるが、逆に本当の彼は二重人格か何かで、不倫を悪いことだと思わず、下手をすると、人助けだなどと思っている勘違い野郎なのかも知れない。と、そんな風に桜井君は感じるのかな?」

「ええ、その通りです、表に出ていることだけを素直につなぎ合わせると、悪らかに矛盾なんですよ。そうなると、無訓を解消するには、どちらかの発想を変えなければいけない。それをしてみて、よりしっくりくる方が真実に近いんじゃないかと思うのは、無理もないことだと思いますが」

 という桜井刑事に、

「その発想は間違いないことだと思うよ。捜査とすれば教科書的な発想だと思う。だけど、思い込みだけには気を付けた方がいい、せっかく、いろいろな可能性を考えて、少しずつ範囲を狭めていくのだから、最後に思い込みで絞ってしまうと、違った時に。まわりが見えなくなってしまって、取り返しがつかなくなっていることに気づかないと恐ろしいのではないかと思うんだ」

 と浅川刑事は言った。

「彼女が誰のところにも出てこなくて行方不明ということは、どういうことなのかって思うんですよ。この事件は行方不明者が多いというのも特徴ではないかと考えるんです。もっとも、被害者の彼女の行方不明はまた違っているのかも知れませんけどね」

 と桜井刑事は言った。

「それはどういうことかな?」

「まわりの人に訊いた話では、竜二という人は、チンピラに似合わすに今言ったように、律義でカチッとしているところがあるんですよ。だから彼女は竜二を好きになったのかも知れないけど、カタギの女性にはそれが重たかったのではないかという人もいるんですよ。チンピラというのはいい加減な人が多いので、いざとなれば別れればいいわけでしょう? 彼女たちも、生きるためなのか、風俗に勤めていたり、借金がある女性がチンピラとくっつくというのも、少ないですがあるという話でした。どちらも自分で自分を底辺だと思っていることで、相手の気持ちも分かるというのでしょうか。それだけに、居心地はいいそうです。でも、竜二のような律義な男性はそうはいないので、女性の方も戸惑うんでしょうね。それだけに。付き合っているうちに思たくなって煩わしくなるということも多いんでしょうね。それだけに、竜二は彼女にとって、別れられるなら別れたい相手だっとのかも知れないですね」

 と桜井は言った。

「確かにそうかも知れないな、女とすれば、用心棒的な男であればそれでよかったのに、まさか相手が結婚まで考えているとなると女も考えるだろうね。途中まではお互いに底辺だということで傷を舐めあうような感じだったんだろうけど、女はそれでよかった。しかし、男は女性に対して責任のようなものを感じ始めたことで、二人はおかしな関係になっていたとすれば、失踪というのも分からなくもない」

 と浅川は言った。

「竜二という男、カタギだったら、結構女性から好かれたかも知れないな。そういう意味では気の毒な気がする」

 と桜井がいうと、

「それは違うんじゃないかな? 言い方は悪いが、竜二という男の間違いは、中途半端なところにあると思うんだ」

 と浅川刑事がいうと、

「中途半端?」

 と浅川刑事が訊きなおす。

「ああ、そうだよ、彼の本心が何なのか分からないが、普通なら、優しさとチンピラとしての顔は違う場面で出すべきなのだろうと思うんだ。それでこそ、優しさが生きてくるというもので、チンピラとしてのやつを好きになった女性に対して、優しさなどという感情はいらないものなんじゃないかな? それを自覚できていなかったところが、竜二の間違えたところであるが、気の毒という感覚とは違う気がするんだ。確かに結果的に殺されてしまったので、同情の気持ちが生まれるのは仕方がないが、やつの本性が、どういうところにあるのか分からないが、表の顔はあくまでもチンピラなんだ。借金取りとして、借金のある人を追い詰めたり、みかじめ料を払っている店の用心棒だったりと、完全にチンピラなんだよ。足を洗ってから、あの叙と真摯に向き合うのであれば、問題ないが、チンピラのままであれば、彼女はやつをチンピラとしてしか見ていないんだよ。きっとその彼女は、二重人格ではなかったんだろうね」

 ということであった。

「二重人格って、私は結構いると思うんですよ。もちろん、自他ともに認める人もたくさんいるけど、まわりはそう思っても自覚していない人がほとんどなんだって思います。だから、あまりいい意味で捉えられないと思っていたんですが、ただそれだけのことで、あまり弊害がないと思っていました。でも今の浅川刑事の考え方を訊いて、二重人格という弊害は、自分にあるのではなく。見ている相手がいかに受け取るかということの方が大きいということを思い知らされた気がします。確かに相手があっての感情だとは思うけど、ほとんどの人間関係は、自分中心じゃないですか。ここまで相手による関係があるということを理屈で分かっていたつもりでいたけど、理屈ですら分かっていなかったんだってことを、思い知らされた気がしますね」

 と、桜井刑事は、まるで、

「目からうろこが落ちた」

 とでも言いたげであった。

「そういえば、我々が捜査した中で、今回の被害者である、鶴橋和樹という男性も中途半端な人間だっていう話を訊きこんだんですが」

 と、H署の刑事は言った。

「それはどういうことですか?」

 と、浅川刑事が訊くと。

「私たちも浅川さんたちと同じように、私たちの方でも編集者の方を訊ねたんです。同じ編集長という人にも話を伺ったのですが、その時聞いたお話として、たぶん同じ内容だったとは思うんですが、彼の文章がうまいという話をしていたと思うんです」

 というと、

「ええ、それは伺いました」

 と頷いた浅川だったが、

「その時に、彼が以前取材をした中に、日本庭園の取材があったんですよ。そこで、本人は普通に褒めたつもりだったのでしょうが、同じ敷地内にある洋館についても、少しですが書いていたんです。日本庭園を盛り上げるつもりだったのか、洋館の方を少し露骨な比較対象にしてしまったんですよ。実はその両方は同じ経営者がやっていたために、洋館の支配人の方がクレームを申し立てたんですね。善かれと思ってしたことなのかも知れないんですが、ちゃんと調査もせずに、比較対象にするというのがまずかったのか、しかも、彼の文章が達筆なだけに、まわりの人への信憑性もリアルにあったので、余計にこじらせてしまったようで、普通の人は慌てなくてもいいところと慌てなければいけないところの区別はできるんですが、彼が猪突猛進なところがあるのか、肝心なところで調べを怠ったりするんですよ。それが彼の致命的なところだと、編集長はおっしゃっていました」

 とH署の刑事は言った。

 同じ相手に別の主旨で警察が話を訊けば、同じ人の話題でもここまで違ってくるものだ。

 いくら、殺人事件の捜査であったり、失踪者の捜査と言っても、本人に尊厳がないわけではない。当然、聞かれたこと以外は答えないし、よほど気になっていて、警察に相談するべきことなのかを悩んでいるとすれば、聞き込みを受けた人は答えないだろう。

 だから編集長の意見も、H署の刑事が訊き出した部分を、浅川たちが知らないという今回のようなこともあるし、逆に浅川たちは聞き出せたが、H署の刑事は聞き出せていない部分というのもあるだろう。

 警察というところは、縄張り意識の強いところなので、管轄違いの刑事が捜査して得た情報は、普通なら管轄違いの刑事には教えないだろう。

 これがいくら殺人事件の捜査とはいえ、昔から警察というところはそういうところで、世間の人から嫌われているところだった。

 そして世間の人に嫌われているもう一つの大きな部分は、

「警察は何かがないと動いてくれない」

 ということであった。

 ストーカー事件や痴漢などの被害は、極端な話警察に相談しても、帰りの時間に合わせて、帰宅迄をパトロールしたり、自宅近くの警備を、一日二周から三周にすると言った程度の、まるで、

「子供の遣い」

 レベルの手しか打ってはくれないのだ。

 つまりは、

「捜査は殺されるか、重症でも負わされなければ、我々が相手に対して何かアクションを起こすことはしない」

 ということだ。

 相手が分かっていれば、注意をするように促すかも知れないが。その時に一緒に、

「警察が注意をしてもかまわないが、そのせいで相手が逆上してあなたを襲うということが現実味を帯びてくるかも知れませんが、それでもかまいませんか?」

 というであろう。

 つまり、

「あなたがそこまでいうなら、注意はしてあげるが、そのあとどうなっても警察は責任は問わない」

 と言っているのと同じである、

 そんな警察に誰が協力などするものか。

 当然、聞かれたこと以外は何も話さない。それが当然だと誰もが思うであろう。

「どうせ、一般庶民は殺されなければ動いてはくれないんだ。そんな警察が殺されてから動いているのに、一般市民が協力などしなければいけないんだ。こうやって下手に協力して、犯人から恨まれても警察は守ってくれない。警察は殺されるのを待っているだけなんだ」

 と思っている人は大いに決まっている。

「警察に、口では何とでもいえるが、事件を未然に防ぐなどという意識はこれっぽっちもないんだ」

 と、本当はあの編集長も思っていたのだ。

「実はそんな中で気になる話を訊いたんですけどね」

 とH署の刑事は言った。

「と言いますと?」

「この事件において、殺された例のチンピラですね。高倉竜二という男ですか? あの男はこの事件では大した役割ではなかったはずだ」

 といううんですよ。

「編集長がですか? 誰からそんな話を?」

「編集長は、鶴橋氏から聞いたと言っています、そして、鶴橋氏はそのあと意味深なことをいったそうです。『この事件はこれで終わりではない。これが序曲なだけなんだ。しかも、やつはこの事件でそれほどの役割があるわけではない。そういう意味ではまだ事件は始まっていないのかも知れない。今に兄か事件が起こる。そこからがこの事件の本番なんじゃないか?』って言っていたんですよ。それなのに、その本人の彼が殺されるというのは、実に皮肉なことですよね」

 と編集長から聞いたという話だった。

「じゃあ、彼は何か重大なことを知っていた。知っていたから殺されたということでしょうか?」

 と桜井がいうと、

「そうじゃないだろう。こちらの言われるのは、これから重大な事件が起こることを予感していたという。でもそれがまさか自分だとは思わなかった。自分が殺されると思ったのなら、自分を隠そうとするはずだからね。いや、だから夫婦で失踪したのかな? そうも考えられるわけだが、それだとどこかに矛盾がありそうな気がするんだ」

 と浅川刑事も、言いかけてから、自分の言った言葉に自信が持てなかったのか、頭を抱えてしまった。

 こんな浅川刑事を見るのは珍しい。

「確かに浅川さんの言われる通りなんですよ。我々も、一見、その言葉をそのまま鵜呑みにすると、失踪した辻褄が合う気がした。しかし、それはあくまでも失踪した本人が言っていたことで、その言葉を信じられないとすれば、あの言葉は、失踪のもっともらしい言い訳のように思えるですよ。だとすると、この事件は、二つの側面が見えるんですよ。まずは、鶴橋氏の言っていることが本当であるという考え方。そして、あの話は言い訳であり、失踪に何かの秘密があるという考えですね」

 とH署の刑事が言った。

「じゃあ、チンピラの竜二の死はどういうことになるんですか? あたかも引っ越していったはずの部屋から見つかる。しかも、顔見知りの可能性が強い。そう考えると、もしあの話が本当であれば、竜二の殺害はカモフラージュなのか、それとも何かの口封じなのか、それとも、用済みなので、本当は何も知られずにどこか外国にでもやろうと思っていたのを、秘密を知られたか何かして、脅迫されて殺してしまったか。要するに衝動的な犯罪ではないかとも思えるんだ。しかし、香者だとすると、失踪が本当の目的だとすると、竜二の死はどういうことになるのだろう? 今のところ鶴橋を殺した犯人として一番有力なのは、奥さんということになる。だが、不倫の写真を本当だとすると、奥さんは、二人を殺した可能性が高くなる」

 と浅川がいうと、

「どうしてですか? 二人が共謀したとも考えられないですか?」

 と桜井がいうと、

「それはないんじゃないかな? だって、争った跡も物音も聞こえなかったわけだから、顔見知りということになる。そうなるとさすがに竜二でも、夫婦二人で訊ねてくれば、それなりに警戒するというものだよな。少なくとも不倫という話が出ている奥さんを伴って旦那が来たとなると、その瞬間、修羅場が考えられるだろう? 修羅場になっていないということは、一人で来た可能性が高い。その場合旦那よりも、奥さんの方が可能性は高いよね。ただし、これは不倫の清算という意味合いを込めてだけどね。でも、それも少し違う気がするな」

「どうしてですか?」

 と桜井刑事が訊く。

「夫婦は引っ越していくんだろう? 少なくとも清算しなくとも、なかなか行動範囲が限られているチンピラに、引っ越していった奥さんをいつまでも不倫相手として付き合うわけにもいかないだろう。よほど離れられないくらいに惚れていたのであれば別だが。そんな話もないようだからな。竜二にとっては、ただのつまみ食い程度でしかないんだ。女も分かっているだろう。そうなると、今度は鶴橋夫妻のどちらにも、竜二を殺害する理由がなくなってくるわけだよ。そうなると気になってくるのが、赤石という女の写メさ。あれがどういう意味を持っているのかが疑問になってくる。ここで俄然、あの隣人の赤石という女の存在がクローズアップされるわけさ。あれだけマスコミや警察の表に出て来ようとするのは、何かがあると思ってもいいんじゃないか?」

 と浅川刑事は言った。

「もう一度、赤石という女に話を訊いてみる必要があるかも知れないな」

 ということになった。その役割は浅川刑事が行うことになった。

 さて、麻薬と奥さんの関係について調べていた桜井だったが、

「そうですね、我々が今までに調べたところでは、麻薬に関しては、あのチンピラ連中が運び屋をやったり、末端の売買に関わったりはしているようです。そのあたりは麻薬捜査官の人たちとも情報共有を行いながら進めているから間違いはないと思います、だけど、鶴橋の奥さんに関しては、それらの一連の麻薬との関係は出てこないんです。それに麻薬捜査官の中では奥さんの名前が挙がったことはないようです。だけど、奥さんとチンピラたちとの間には何かがあるようなんです。もちろん、これから何かに利用しようと思っていた矢先のことだったのかは分かりませんが、今のところは、まだそんなに深い仲になっているというわけではなさそうなんです」

 という話だった。

「ところで、旦那さんが末期がんだったという話だが、誰かその話を知っている人はいたんだろうか?」

 と浅川刑事に訊かれると、

「それがよく分からないんです。奥さんはかなり献身的だったという話を訊きましたが、それも途中からだったんですよ。旦那の身体を庇っているようにも見えたが、どうもそうでもないような気もします。その様子は不倫をしていて、それをごまかすためではないかと最初は思っていたんでsyが、それは旦那が末期がんだという話を訊く前のことだったので、疑いもなく浮気をごまかすためと、その後ろめたさからの行動だとしか思っていませんでした。でも、今は分からなくなってきたんです。近所の奥さんの評判は悪いところはありませんし、夫婦仲もよかったということなんですよね。ただ、礼の赤石という女だけが、奥さんがチンピラと不倫をしていると言っているだけで、しかも、写メまであるので、余計に頭の中がこんがらがってくるんです」

 というのだった。

「やっぱり、あの赤石という女が少なからずこの事件で大きな役目を果たしているのは間違いないようだ。推定としては有罪に近いものを感じる。本当なら、確固たる証拠もないのに疑うというのはいけないことなのだが、あの女に関しては、そんなことを言っていると、真実を見失ってしまうような気がするんだ。このまま間違った考えに至ってしまうと、あの女の思うつぼに陥ってしまいそうで、怖いんだ」

 と浅川刑事は言った。

 浅川刑事がこんな言い方をするのは珍しい、ただ、日本の国というのは、

「疑わしきは罰せず」

 という原則がある。

 疑わしいというだけで、決定的な証拠がなければ、証拠不十分ということになってしまい、無罪放免となるだろう。

 しかし、一度は逮捕したが、不起訴になったり、釈放しなければいけなくなったりした場合の再犯率というのはどうなのだろう? 

「あの時逮捕して、罪に問うていれば、新たな犯罪は起こらなかったかも知れない」

 という案件はいくつもあることだろう。

 もちろん、罪に服して出てきても、再犯を行うやつは少なからずいるのだが、不起訴や釈放してしまい再犯した人間に対しての警察の無力感はハンパのないものではないだろうか。ここにいる警察官も、何度も同じような思いをしたに違いない。

 浅川は、この事件において、一つのポイントとして考えているのは、

「鶴橋氏が末期がんであったという事実」

 だと思っている。

 このことを奥さんは知っていたのではないか? しかも、それは思いもよらない人物から教えられ、それを不安に思っているところを付け込まれたのではないか? と思うのだった。

 いや、正確にいえば、末期がんだと教えたのは、犯人なのかどうかまでは分からないが、奥さんが不安に感じるであろうこと、そして不安になった奥さんを自分が洗脳できるのではないかと考えたとすれば、これ以上の悪魔はいないだろうと思われる。

 考えただけでも胸糞悪くなる思いであったが、その人物は間違いなく、赤石というあのオンナだとうを思うのだった。

 そうすると、あの不倫写真などは、まっかなウソで、あの女が言葉巧みに写メに収めたのではないか。そこに洗脳というキーワードが生まれ、この夫婦に対して、

「百害あって一利なし」

 という悪魔のような女であったのだろう。

 とにかく、あの女をこの事件の悪魔だとして捉える必要があるようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る