第5話 旦那の死

 まず、鶴橋夫婦が、

「転勤になったので」

 ということで、前の日に、荷造りを終えて、新しいところには翌日に泊まり込むことになっているので、近くのビジネスホテルを予約し、部屋のカギは掛けずに、翌日、早朝、軽く掃除をして部屋のキーを管理人に返すことになっていた。

 しかし、翌日発見されたのは、チンピラ風の男で、名前を高倉竜二という。地元の暴力団の組員であったが、なぜか組は最初彼が組員であることを隠そうとしていた。

 殺害されたのは、午前六時くらい。物音もなかったし、抵抗した痕もあまり見受けられなかったので、犯行は顔見知りかも知れないと思われる。

 そして、引っ越していったはずの鶴橋夫妻は現れることはなく、そのまま行方不明になっていた。

 今のところ鶴橋夫妻が一番怪しいと目されているが、鶴橋夫妻との接点は見つからなかった。

 だが、新事実として、赤石から、

「不倫現場写真」

 と称して奥さんがチンピラの竜二と一緒にいるところを撮られている。

 これでは鶴橋夫婦の犯行がまた濃くなっていったのだ。

 引っ越し先のマンションにも、旦那の仕事場にもまったく現れていない。あれから二週間が経ったというのに、二人の消息は依然として知れていなかった。

「誰がどう考えても、鶴橋夫妻の犯行以外には考えられないんですけどね」

 と捜査本部で、捜査員の一人がそういった。

 彼は新人の刑事で、名前を山口刑事という。

 彼に、

「尊敬する警察官は?」

 と聞いたところ、

「桜井刑事です」

 と即答で返ってきた。

「どういうところがなんだい?」

 と訊かれて、

「勧善懲悪な考え方が、警察官の鑑だと思いました」

 という。

 実際に山口刑事に限らず、K警察署の中で、桜井刑事の人気は高く、冷静沈着で事件解決が一番多い浅川刑事よりも、ひょっとすると目指す警察官としては人が多いのではないかと思われた。

 桜井刑事もそんなまわりの反応を嬉しく思っているようで、

「勧善懲悪って、いうほど恰好のいいものではないよ。結構危ない目に遭ったり、自分を見失って、事件を混乱させてしまうこともあるからね」

 というではないか。

 それでも、山口刑事は桜井刑事に憧れていて、若い頃のミスはしょうがないとまで考えているほどで、かといって面と向かって注意するわけにもいかず、

「若いうちは、あれでいいのかも?」

 と。浅川刑事にもそう感じさせるほどであった。

――さすがに、山口刑事だ――

 と、浅川刑事も桜井刑事も苦笑いをした。

 二人とも、

「この夫婦は、事件に大きな影響を持っているようだけど、犯人と直結するにはまだ早いような気がするんだ。どちらかというと、赤石という人の方が、どうも何を重大な秘密を持っているようで、気になってしまうんだよな」

 と、言っていた。

「確かに山口君の言いたいことも分かるんだが、被害者と鶴橋夫妻の関係を結び付けるものはほとんどないんだよ。我々が捜査しても分からなかったことを、ポッと赤石という女性が出てきて、いきなり、不倫現場を思わせる写真を突き付けてきただけじゃないか」

 と浅川刑事がいうと、

「それだけで十分じゃないですか。私はその写真を見ていないので何とも言えないですが、明らかに二人は仲良く歩いていたわけでしょう? 桜井刑事の話では、何でも、女の方が積極的だったように聞いていますよ。本来なら不倫をしているのは奥さんの方で、チンピラは別に不倫でもないのだから、問題はないと思うんですけどね」

 と相変わらず、熱血漢を表に出していた。

「いやいや、どうもそれが怪しいと思うんだよ。警察が調べても何も出てこないのが分かっていたかのように、まるで鬼の首を取ったかのような態度で、生き生きと我々に訴えたんだよ。警察が、どうして二人の関係を掴めていないと分かっているんだろうね? 事実とは違っていたのではないかとは思わないかね?」

 と浅川刑事は促した。

 桜井刑事も黙して語らず、山口刑事は桜井刑事に援護射撃を望んだが、桜井刑事の態度を見ていると、

「それはできない」

 と言わんばかりの態度であった。

「そうなんでしょうかね?」

 としょうがないので、山口刑事は渋々トーンを下げた。

 それを見て、薄目を開けた桜井刑事と浅川刑事の間でアイコンタクトが行われたようで、その表情は、

――やれやれ、困ったものだ――

 と言わんばかりの表情だった。

「ということになると、まず今一番の問題は、鶴橋夫妻が犯人ではないとすれば、なぜ行方不明になったかということですよね? そして、どこにいるかという問題ですよね?」

 と、山口刑事は言った。

「ああ、そういうことなんだ。犯人であろうがなかろうが、鶴橋夫妻の行方を探さなければいけない。これはある意味後ろ向きな気がするんだ。もし犯人がこれを時間稼ぎのような感覚でいれば、我々は犯人に踊らされていることになる。それを打破するには、他に、犯人が用意したわけではない確証を、こちらで見つけることなんだ。どこまでが犯人の意図によるものなのかが分からない。これがこの事件の特徴であり、一番解決に対して難しいことではないかと思われる」

 と、浅川刑事は言った。

――なるほど、さすがに浅川刑事、俺なんかが思いもよらない発想を、今のこの情報のない中で先を詠んで考えているんだ。俺なんか先を詠むというよりも、浅川刑事のいう、犯人の用意した証拠に踊らされてしまっているひよっこではないか――

 と感じさせられた。

「とにかく、引っ越したはずの場所にはまったく現れていない。引っ越し会社も、受け取り側のマンションの管理人側も、もちろん、旦那の会社側も戸惑っていましたね。特に会社の方としては、転勤を命じたことで、その引っ越しの時に行方を晦ますことになったのだから、まるで会社の転勤命令がアダになったという風に言われてもしかたがない状態ですからね。人事部の方では大変な様子でした」

「旦那の会社というのは?」

「雑誌の編集のようですね。地元紙という感じですが、週刊誌のようなゴシップ系もあったりして、一風変わった察し者のようです」

 すると、桜井刑事が口を挟んだ。

 そういえば、山口君。君はチンピラのような連中と主婦とが繋がるとすれば、どういうところからの繋がりを想像するかね_」

 と質問を投げかけられた。

 山口刑事は今まで結構刑事ドラマなどを見てきたので、考えればきっと分かるだろうと思い、頭を巡らせていた。

「麻薬ルートの関係ですかね?」

 というと、桜井刑事は、

「うん、俺もそう思う。チンピラが街に立って主婦などに声をかけて、甘い餌で釣ったりする。そのあたりから主婦と、チンピラの関係が浮かび上がってくるかも知れないな。そして、この主婦の性格をどのように考える?」

 とまたしても質問された。

「主婦だって、一応麻薬というものの恐ろしさを訊いて知っているのは知っているだろうから、それにもましての好奇心が旺盛なことか、あるいは、自分の中で我慢の限界に来ているか何かで、麻薬の恐ろしさを知っていても、それでも一時の快楽に逃れてしまおうとする、そんな状況にいるのかも知れないですね」

 と山口刑事がいうと、

「そうだ、その通りなんだよ。つまり,捜査というのは、まずとっかかりをどこからにするかを考えて。そこからあらゆる考えられることを頭に描いて、その中で消去法を行って、いくつか残るだろう? そこから今度は、徐々に話が作れるくらいに想像を巡らしていく。最初から想像を巡らしても悪くはないんだが、違った場合は、かなりの遠回りになる。だから、最初にある程度消去法で行って、考えられる可能性から、想像を膨らませていく。それが刑事捜査の基本ではないかと私は思うんだ」

 と、桜井刑事が教えてくれた。

 あの勧善懲悪のイメージが強く、猪突猛進を思わせていた桜井刑事がここまで考えていたとは意外だった。

 そういう考え方に自然となってくるというのは分かるが、考えていることを理論立てて説明できるということは、自分でも理解しているということだ。やはり刑事ともなるとそれくらいができなくてはいけないのだろう。

「なるほど、よく分かりました」

 と山口刑事は、そう言って、親権な眼差しをその場の人たちに見せた。

 きっと桜井刑事は、山口刑事を教育のつもりで言ったのだろうが、捜査の基本をここで今一度顧みることで、自分を制したいという思いがあったに違いない。

「ということで、私の方では今言ったように、麻薬の線から、竜二と鶴橋の奥さんとの繋がりを探してみることにします。

 ということで、桜井の方が決まった。

「それじゃあ、私の方では、とりあえず会社の線から、鶴橋夫妻の行方を探ってみることにしよう。可能性としては低いかも知れないが、ひょっとすると犯人が、鶴橋の会社に何か探りを入れるようなことをしているかも知れないからな」

 と言った。

 捜査は、この二つに絞られた。

 まず鶴橋の勤めている出版社に顔を出してみた。元上司の編集長に話を訊くことができた。

「鶴橋君ですか? ええ、結構取材意欲もあって、我々から言えばいい記事を書いてましたよ。探求心もあるし、うちのような地方紙は、少々大きくとも、何でもこなさなければ生き残っていけませんからね。だから、鶴橋君のように、文化的な上品な記事から、ゴシップのような少し俗的な記事も一生懸命に取材をしてきてくれます。最初は文化面が多かったのですが、ちょうど人が辞めたこともあって、ゴシップ系にも入り込んでもらうようにお願いしたんです。彼は快く承知してくれました。ゴシップ系の雑誌というのは、文科系の記事を書くよりも難しいので、会社から少し手当てがつくんです。そういう意味もあって彼は承諾してくれたんだと思います」

 と編集長が言った。

「鶴橋さんは、どんな記事を書かれていたんですか?」

「文化面では、普通に観光スポットなどの記事を書いていましたよ。彼は元々文章が上手なので、人を褒めるのが得意なんですよ。そういう意味もあって、彼の文化面での記事は公表でした。料理屋などでは、彼に取材してほしいという店主もいるくらいでしたからね」

「じゃあ、途中から、ゴシップ系にシフトしたんですか?」

「そうですね。前任者がいきなりやめたので、引継ぎも特になくて、彼には気の毒なことをしたと思いました。でも、彼は愚痴をいうこともなくこなしてくれて、ありがたいと思っています。最近の彼のゴシップは、最近の主婦の浮気感情について取材していたようですね。張り切ってやっていましたよ」

「その時に何か悩んでいる様子はなかったですか?」

「そういえば、少し落ち込んでいたような気はしましたね。その落ち込みがどこから来るのか私には分かりませんでしたが」

 というのを訊いて、

「自分の奥さんについて悩んでいるというようなことは?」

 と訊かれると、

「それはないと思います。どちらかというと、他の女性のことで悩んでいるようでした。相手は奥さんではないということでしたが、だからと言って不倫というわけではないということです。取材を続けるうちにその人のことが怖くなってきたと言っていました。恋愛感情とは正反対のものを抱いていたようです」

 と編集長は言った。

「ということは、取材を重ねていくうちに、何か一人の女性が浮かび上がってきて、その人が気になりだしたということですね? でも、それだったら、その人と関わらなければいいだけですよね。そうもいかないということなんでしょうか?」

 と言われて、編集長は、

「そうですね。そうもいかないみたいでした。彼の話によれば、どうやらその人はご近所さんらしくて、顔を合わせないわけにもいかないし、自分が無視してしまうと、家族に危険が及ぶかも知れないとまで言っていました。もちろん、何かがあったわけではないので、警察に相談しても何もならないのは分かっているわけですので、こちらも助言できるわけでもない。とりあえず私は様子を見ておくしかなかったのですが、転勤したはずの先には行っていない。しかも行方不明ということもあって、私は気が気ではありませんでした」

「警察が一度聞きに来たと思うのですが、その時にどうして言わなかったんですか?」

 前に来たのは桜井刑事だった。

 その時は、事件の内容を探る程度だったので、ありきたりな質問しかしなかったのだろう。

「本当はどうしようか迷ったんですが、殺されたわけでもなく、引っ越した部屋から別人の死体が出てきたというのでしょう? たぶん鶴橋君が疑われるのではないかと思うのは当然のことで、でも、ハッキリと確証もないことをあの段階で話していいものかどうか悩んだというのが正直なところです」

 と編集長は答えた。

「それはごもっともなことだと思います。その時編集長がそう判断されたのであれば、我々もそれをとやかくいうことはできないと心得ております。また、何か分かったことがあれば教えていただければ幸いです。あと、そうですね。もしよろしければ、その問題の女性のことで取材をしていたと思われる内容の記事が乗っている雑誌のバックナンバーがあれば、お借りできないでしょうか?」

 と浅川は言った。

「ええ、あると思いますので、後でお渡しいたしましょう。ところで、鶴橋君たちの消息はまだ分からないのですか?」

 と編集長が訊いた。

「ええ、今のところ分かっていません。どこに行ったのかということが少しでも分かればと思いましてね」

 と浅川がいうので、

「仕事の場合であれば、何となく想像もつくのですが、奥さんと一緒に行動しているのであれば、まったく想像つきませんね。奥さんの方の線から探しても、分からないのですか?」

「ええ、今のところ、何も分からない状態なんです」

「それは恐ろしいですね。引っ越した後の部屋から他殺死体が見つかって、その部屋の住民だった夫婦の行方が二週間も経っているというのに、まったく消息がつかめないというのは、一体どういうことなんでしょうね?」

 と、本当にミステリー小説さながらだと言わんばかりの編集長だった。

 ふと編集長が思い出したように。

「そういえば、彼はミステリーが好きだったな。彼が文章がうまいので、昔聞いてみたことがあったんですが、どうやら学生時代は作家になりたかったといっていました。特にミステリーには造詣が深く、憧れの念のようなものを持っていました。特に、昔の探偵小説と言われていた時代のものが好きなようで、トリックなどの謎の面白さと、描写などの耽美的な部分、さらにホラーのような怪奇な部分。

「すべてが、探偵小説には盛り込まれている」

 と言っていましたね。

 彼が探偵小説が好きだったというのは意外だった。これまで事件の中で鶴橋氏という捜査線は現れていなかったが、俄然浮上してきたような気がする浅川刑事だった。

「どんな小説が好きだったんですか?」

 と聞くと、

「最初は、昔の本格探偵小説であったり、耽美系の探偵小説などを好きだったりしたんだけど、途中から変わってきたんですよ」

 と編集長がいうと、

「あっ、無知で誠にすみませんが、耽美的というのは、どういうものなんですか?」

 と桜井刑事は、最初聞き流そうかと思った言葉だったが、何度か出てくるうちにさすがに知らないとまずいと思ったのか、恥ずかしげもなく聞いてみた。

「ああ、これは小説用語のようなものを思っていただいてもいいかも知れませんが、これは探偵小説に限らず純文学なんかでも耽美主義的な小説もあったりするんですよ。純文学でいうと代表的な作家として、谷崎潤一郎であったり、三島由紀夫、泉鏡花などがそうかも知れませんね。探偵小説などの大衆文学だと、、江戸川乱歩や夢野久作、永井荷風などがその代表でしょうね。要するに耽美主義というのは、美というものw追い求める主義といえばいいのか、美最上主義とでもいえばいいのか、美しければそれが道徳や倫理感を廃して、美を追い求めるという考え方ですね。死体をいかにきれいに飾って、自分の殺人を芸術として表現するような作品があったりするじゃないですか、ああいう考えが耽美主義なんですよ」

 と言われて、

「なるほど、確かに美に耽ると書きますもんね。そういう学問というか、考え方があるのは知っていましたが、なかなかお目にかかることはないですからね」

 と浅川刑事がいうと、

「それはそうでしょう。そんな犯罪は猟奇殺人の類なので、そんなに頻繁にあったら怖いですよね」

 と編集長がいうと、

「でも、犯人の中には自分が目立ちたいという発想から、警察や社会に挑戦してくるような犯罪もありましからね、あれも一種の耽美主義なのでしょうか?」

「そうなんじゃないかと思いますよ。犯罪というのは、相当なリスクがありますからね。特に殺人などであれば、相手は死んでしまっているのだから、もう取り返しは尽きません。何かのものが壊れたというだけではすみませんからね。人間には、生殺与奪の権利なんてありませんからね」

 と、編集長が答えた。

「生殺与奪なんてあったら、警察は溜まったものではないですよ」

 と浅川が苦笑いしながらいうと、

「そういえば、彼は生殺与奪ということに興味を持ってしらべていたことがあったな。それも、生殺与奪をありだと思っていたところがあるような気がするんですよ。一度、彼の主観が入った記事で、その生殺与奪について書いていたのがあったんですが、さすがにそれを雑誌の記事として載せるわけにはいかないので、私がその記事を書きなおさせたことがありましたね」

 という編集長に対し、

「編集長がいうのだから、相当無理のある記事だったんですか?」

 と浅川は訊いたが、

「いえ、記事自体はそれほど奇抜なものではなかったんです。ただ、記事の内容が生殺与奪に向かって一直線で、さらに生殺与奪という言葉が出てきたことが問題だったんです。だから、最初の方は普通の記事でした。そうですね、途中からライターが別人になってしまったのではないかと思うほどの変わり方でした」

 と編集長はいった。

「彼はそういう途中で急に変わってしまうような記事を書く人だったんですか?」

 と浅川が訊いたが、

「そういう傾向はあったかも知れませんが、彼が優秀な記者だという根拠は、ブレない筋道というのが売りだったんです。つまり、最後まで一貫しているのが彼の描き方。だから、彼が途中で川ってしまったとしても、それは彼なりのやり方で、最初に反対意見のようなものを書いて、途中から自分の意見を書く。彼特有のテクニックのようなものだったんですよ」

 と編集長がいった。

「じゃあ、他のライターさんは、どうだったんですか?」

 と浅川刑事が訊くと、

「他の人にはそういう書き方はありませんでした。やはり彼独特のものなのでしょうね」

「でも、生殺与奪というと、ちょっと穏やかではないですよね? どちらかというと、雑誌社の方では放送禁止用語に近いものではないんですか?」

「そうかも知れません。倫理に照らし合わせて考えると、宗教的な発想にも抵触するし、人の命の尊厳を、根本から揺るがすものですからね、これは雑誌の世界だけに言えることではないと思いますね」

 という編集長に、

「警察にはもっとですよ。特に日常茶飯事で殺人事件は起こっていますからね」

 と浅川刑事は言った。

「探偵小説が好きで、取材としては、麻薬ルートを追っていたということは、旦那の方で、殺されたチンピラとかかわりがあったということはありませんかね?」

 ともう一人の刑事が訊くと、

「いや、そんなことはないと思いますよ。我々はゴシップを取材することがあるといっても、あくまでも地元の小さな雑誌で、基本的には文化的な雑誌なんです。だから、あまり強引な取材をすることを強要もしないし、むしろ君子しているくらいです。下手なことをすると。本人にも危険が及ぶし、本人以外の家族も危険ですからね。そんなリスクは背負えないし、手当にも似合いませんからね。当然、そのあたりは鶴橋君も分かっていると思います」

 という編集長に。

「それはそうでしょうね。自分だけの危険ではなく、家族もと思うと、まず下手なことはできませんからね」

 と浅川刑事も納得したようだ。

「ありがとうございます。また他に何か分かりましたら、ご連絡ください」

 と浅川刑事は結んで、編集者を後にした。

 浅川刑事は痣かった週刊誌を数冊持って、署に戻った。

 署に戻った浅川刑事は、借りてきた雑誌を読んでいたが、確かに鶴橋啓二の書いた麻薬に関しての記事は、犯人を特定するかのような刑事捜査的な記事ではなく、どちらかというと、麻薬というものがどのように恐ろしいものか、あるいは、麻薬がどのように、普通の家庭に浸透してきているか、などという内容のものだった。

 だから、実際に麻薬を扱ってる連中や、運び屋何焦点が当たっているわけではなく、取材内容も、医者であったり、主婦などの一般人に意見を聞くといった程度で、ヤクザ関係のことには決して触れていなかった。

 しかも、取材内容は、あまり難しく書かれていなかった。それは取材内容もそうであるが、さっきの編集長がいっていた通り、鶴橋氏の文章が上手なところから来ている。だから、微妙な問題を孕んでいる記事ではあるが、さほど難しい内容であるわけでもなく、意外とスラスラ読める内容だった。

「これなら、あのチンピラ竜二との接点はないような感じだよな」

 と思いながら読み進んで行くと、ふと気になったページがあった。

 そnページは、ご近所の主婦にインタビューしているもので、その主婦の中に、

「赤石」

 という名前があった。

「これは、お隣のあの女性のことではないか?」

 と思ったが、記事としては、そこに主婦と書かれていた。

 実際には主婦ではないのに、鶴橋が勘違いをしたということなのか、それともそんな勘違いをしてしまいそうな誰かと同棲していたということなのか、浅川には分からなかったが、この記事を捨ててはおけない気がした。

 そのことを少し頭に入れながら、記事を読み進んでいた。

 赤石は、その時、無難な受け答えをしていた。

「ええ、私たちの近くには、麻薬などという物騒な話は聞いたことがありませんね。テレビドラマなどでは、団地や集合住宅に住む主婦が狙われたりするようなことも見たりしますが、私は知らないですね」

 というような回答だった。

 浅川はこれを見て、この赤石という女が。ではバリなところは昔からだったのかと感じたが、実名で乗っているというのもm何かの曰くが感じられる気がした。

 ただ、後でこの時の裏を取った時、実名が書かれている人は、本名であることが多かったので、それは考えすぎだと思った。

 だが、少なくとも、赤石の話では、

「隣人はおろか、私はほとんど近所づきあいはしていませんからね」

 と言っていた言葉に信憑性がないような気もしていた。

 それでも、贔屓目に見れば、この女は表に出てきたいという出しゃばりなところがあるだけで、別に、近所づきあいをしていたわけではない。つまり、ウソは言っていないということになるのだろうが、ウソを言っていないだけで、却ってその言い方はわざとらしさのようなものが感じられ、信憑性の問題よりも、

「言葉の裏を読まなければいけない相手ではないか」

 という思いが頭をよぎるのだった。

「どちらにしても、もう一度、この件について、この赤石という女に確認してみる必要があるようだな」

 と浅川は感じた。

 しかし、その反面、

「覚えていないと言われればそれまでだが、本当に簡単なごまかしをするだけで終わるだろうか?」

 という思いもあった。

 あの赤石という女に関しては、浅川は、どこか気持ち悪さを感じていて、得体の知れないものがあった。

 この女についても、前に住んでいたところの話も分かればいいと、彼女の前にいた街にちょうど知り合いの刑事がいるので、少し調査をお願いしていた。殺人事件の捜査としては、容疑者でもない女性の捜査なので、どこまで分かるかは疑問だったが、何も情報がないよりもマシだろうというのが本音だった。

 そのお願いした刑事というのは、門倉刑事という、以前まで一緒にK警察刑事課で同僚として仕事をしていた仲間だった。ライバルだったと言ってもいい。

 その男が別の署に転属になった時はショックだったが、別に責任問題で飛ばされたわけでもなく、ある意味栄転と言ってもいい人事だったので、彼の転勤を皆で祝ったものだった。

 門倉刑事がK警察で最後にパートナーだったのが、桜井刑事だった。元々勧善懲悪だったところもあったが、その勧善懲悪が悪いことではないと教えてくれたのが、門倉刑事だった。

 彼は、桜井刑事に負けず劣らずの完全調抱くだった。

「勧善懲悪というのは、一つの部署に一人はいるものなのか、それとも、勧善懲悪は伝統として受け継がれていくものなのか」

 という意識をまわりの人に持たせた人物であった。

 警察というところは、なかなか融通の利かないところとして有名だ。以前刑事ドラマで、いかにも縦割り社会して描かれたことで、

「警察で何かをしたいなら、偉くなれなければダメだ」

 という格言めいた内容の話があった。

 捜査本部が作られれば、その中でしか、その捜査に関しての権限はないのだが、一人だけ違う意見を持っていたとしても、捜査方針が別のところにあったとするならば、それに従わなければ、捜査から外されるくらいに厳しいものである。

 つまり、

「捜査をしたいなら、上の決定には逆らうな」

 ということである。

 確かにそれぞれ捜査員が自分の意見で勝手に捜査をすれば、まとまらずに真相究明に余計な時間が掛かったり、ミスリードすることになるだろう。しかし、捜査本部の考え方というのは、多数決であれば、まだいいのだが、下手をすれば、捜査本部長の意志に則るものだったりすることもある。

 捜査本部長はそれだけの実績を積んで捜査本部長になっているのだろうから、説得力はあるのだろうが、実際にはキャリア組の、最前線で下積みの捜査などしたことのない人だったりするから、偏った意見になったりする。

 捜査の最前線でずっと下積みを重ねていた刑事にはどうしても承服できないこともあるだろう。それでも従わなければいけないのは警察の倫理であり、理念だと言ってもいいだろう。

 そんな雁字搦めとも言える警察機構の中でも、下積みは下積みで力を持ってきていることをK警察署は実践しているようだった。

 そんな捜査を進めていた矢先のことだった。鶴崎の会社の編集部にお邪魔して編集長と話をしてから、鶴橋の書いた冊子を持ち帰り読み返していたちょうどその時、捜査本部で消臭が掛かった。どうやら事件に急展開でもあったということなのだろうか?

 浅川が捜査本部に入って行くと、すでに桜井刑事、山口刑事と集まっていて、後から捜査本部S超が、見知らぬ二人を従えて入ってきた。

 二人は一同に頭を下げ、

「私たちは、H署刑事課の者です。実はうちの館内で、一人の男性の他殺試合が見つかりました。その死体の身元を探っていると、どうもこちらでも、その男の行方を探っていたということで、私どもの管轄の殺人事件と、この捜査本部の事件とが結び付いているということが判明したので、こうやって出向いてきたというわけです」

 と一人の刑事が言った。

「その殺害された人物というのは、誰なんですか?」

 と桜井刑事がいきなりであったが訊ねた。

 それは誰もが聞きたいことであり、そういう質問を代表して口にするいつもの役目が桜井刑事だったのだ。

 H署の刑事は少し考えて、間を図ったかのようにその人の名前を口にした。

「鶴橋和樹氏です」 

 というと、一瞬その場が凍り付いてしまったかのようだった。

 どうして彼が殺害されることになったのか、そして、一緒に行方不明になった奥さんはどうなったのか? 捜査員、誰もが感じていることだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る