第4話 再度繰り返す

 さて、その二年後、つまり、赤石の隣の部屋で、チンピラ風の男が殺された事件が大きく報道されて、そのチンピラが誰であるはすぐに分かったのだが、なかなかそこから先が分からないでいた。ただ、この男が引っ越していった部屋の人間と、関係が疑われたが、二人を結び付けるものはなかった。

 身元は、指紋などで近くのバーの店員であることが判明したが、彼の勤めているバーが、地元を仕切っている組がやっているところなので、組も当然のごとく疑われた。

 しかし、組とすれば、彼は組員であったり構成員であるということをひた隠しにしたいようだ。

 だが、警察が調べれば簡単に分かりそうなことなのに、それでも、最初は何とか隠そうとしていた。

「あれは何かの時間稼ぎなんだろうな」

 という人もいたが、その話は最初誰も信用していなかった。

 だが、実際に事件が明るみになってくると、次第にそのことが分かってくるようになった。

 その男は確かに組員であり、実際に二週間ほどどして、話を訊きにいくと、

「すみません。私たちが調べましたら、うちの従業員は皆、組に所属していました。お返事がおくれまして、申し訳ありませんでした」

 ということであった。

 その時までに分かったこととしては、男は刺殺されたのであって、凶器は見つかっていない。早朝の六時頃が犯行時間だということだが、誰も物音を聞いたわけでもないので、

「犯人は被害者と人見知りではなかったのか?:

 というウワサまで流れていた。

 警察では、二週間前に捜査本部ができて、K警察署のお馴染みのメンバーとして、浅川刑事、桜井刑事、松田警部補が、捜査に当たった。

 警察の捜査は、それ以外に進展はしているわけではなかった。

 マンションの住民にも聞き込みが行われたが、なかなか住民の人が非協力で、捜査が進まなかった。

 警察の方さが始まると同時くらいに、マスコミも取材に現れた。

 何しろ、被害者がチンピラ風で、身元は、前科があったので、指紋からすぐに分かったということだが、彼がどういう人間なのかが、浮き彫りにならない。もちろん、組が緘口令を敷いていたので、分からなかったというのもあるが、警察が捜査をしようとすると、どこかで何かの引っかかりがあるような気がして仕方がなかった。

 それと関係があるのかどうか分からないが、この事件のことをマンションの住人の中で一人だけやたらと警察やマスコミの前に出る一人のおばさんがいた。

 それが何を隠そう、赤石だったのだ。

 部屋が隣ということもあるが、別に情報があるわけでもないのに、警察が来て聞きこみをしたりしていると、警察や聞かれている人の迷惑を感じることなく、割り込んでくるのだ。

 警察としても、

「すみません。今はこちらにお伺いしているので、あなたはもう少し待ってください。また後で伺いますから」

 と、いうのだが、結局聞き込みが終わると、赤石は立ち去っていた。

 迷惑行為としてしか警察は捉えていなかったが、それ以上の含みがあるのを警察は分かっていなかった。

 ここまで割り込んでくるのは、明らかに捜査妨害だ。最初は警察もそこまで考えていなかった。

 今回の事件で、誰も被害者を知っているわけでもなく、住民からはまともな聞き取りもできなかった。

「なぜあの男がここで殺されなければいえなかったのか? しかも、争った跡も争う音も聞こえなかったというくらいなので、顔見知りと思われる」

 そこがこの事件の一番分からないところであったが、さすがに、ここまで住民が皆口を揃えて被害者を知らないというとは思わなかった。

 もっとも聞き込みの最中、あれだけ赤石という女性が割り込んでくれば、何かいおうと思っていても、何を言おうとしたのかを忘れてしまうくらいになってしまうだろう。

 それを思うと、赤石の行動には何か含みがあるとは考えられるが、どこまで計算してのことなのか分からなかった。

 しかも被害者との関係を組みが最初否定していたので、組の方からの情報は得られない。それに被害者と赤石の関係もまったく出てこなかったこともあって、暗中模索だった。

 赤石と被害者のチンピラの関係は結構早くに調べられた。隣ということもあり、捜査妨害も見られたので、早めに調べたのだ。

 だが、実際には赤石と被害者には関係があったのだが、早めに調べてもらう方が赤石にはよかった。少しでもまわりが見えてしまうと、関係が分かってしまうこともあるだろうが、警察というもの、一度調べてシロだと思ってことは、よほどの何かが出てこないと、赤石と被害者は関係ないということが確定してしまう。

 赤石は被害者とどのような関係にあったのかというのは、そう簡単には分からないだろう。それが分かってしまうと、この事件の半分は解明されたと言ってもいいだろう。そういう意味では最初に自分のことを調べさせるということで、偽装工作を目論んだのだから、この女が事件の犯人側に限りなく近いところにいるのは確かである。

 その役割がどこにあるのか。なぜ、殺されたのがこの男だったのかということが、ある意味この事件の肝であると言ってもいいだろう。

 チンピラというのは、年齢的にはまだ三十歳にもなっていないくらいの、本当に、

「街のチンピラ;

 という雰囲気の、普段からアロハシャツでも着ていると似合う感じであった。

 ただ彼は一人で行動するというわけではなく、その店の用心棒としての役目があるので、ほとんどの場合は他のチンピラ連中と同じ行動だった。

 夜は店の用心棒、昼は兄貴と呼ばれる人が借金の取り立てなどに言う時に、まわりを囲んでいる、

「怖いお兄さんたち」

 という役目があるが、昼は比較的行動が自由だった。

 そんなに毎回借金取りもないということなのか、借金取りについていく人の人数が足りているということなのか、それはありがたいことだった。

 この男は、数か月前までは、女がいたようだ、どこの何という女なのかは、兄貴と呼ばれる男は知っていた。桜井が強くいうと、アッサリと兄貴は白状したが、

「二人は半年前まで付き合っていたんだが、急に女が姿を晦ましたんだ。女がどこに行ったのか、我々にも分からないし、本人も知らなかったんじゃないかな?」

 と言っていた。

「今でも行方不明のままということか?」

「ええ、そうですね」

「じゃあ、その後、竜二に他に女ができたというウワサはないんだな?」

 いい忘れていたが、被害者の名前は、高倉竜二という。

「ええ、そんな話は聞いたことがありません。たぶんいないと思いますが、ただ、我々の知らないところで最近、人と合っているようなんです。どうも、それが女は女なのですが、付き合っているというようなわけではないということのようなんです」

 と言った。

「お前たちはどこまで知っているんだ?」

 と桜井刑事に訊かれた兄貴分は、

「詳しいことは知りませんが、どうも、その女は一筋縄ではいかない女だというのを、やつが殺されたと聞いた時、やつと一緒につるんでいるチンピラが行っていたんですよ」

「何が一筋縄ではいかないというんだ?」

「ハッキリとは分かりませんが、われわれにもその女の正体が結局分からなかったんですよ。会ったことがあったり話をしたことがあったのかも知れないけど、その正体はまったく分からない。もっというと、竜二自身が言いたくなかったんでしょうね。それは知られたくないというよりも、あんな女と知り合いだということを知られたくないというそんな思いがあっただと思います。それを感じたので、我々もそんな女に関わらないように、少し竜二を見張っていた時期がありました」

「それでも、分からなかったと?」

「ええ、そうです」

「じゃあ、君は竜二を殺した犯人に心当たりはあるかい?」

 と訊かれて、

「いいえ、私にはありません。チンピラ連中身も分からないと思います。ひょっとすると竜二自身で、分からないような細工をしていたのかも知れないような気がするんです」

「じゃあ、竜二は殺されるということを予期していたとでも?」

「そこまではないと覆いますが、少なくとも組にその女の存在を知られるのを恐れていたようなんです。女に迷惑が掛かるからというようなそういうわけでもないようなんです。逆に組に迷惑が掛かるとでも思っていたような気がしますね」

 と兄貴分が言った。

 何が言いたいのか、それ以上はハッキリと分からないが、別れた女の行方と、竜二がひた隠しにしていた女が誰なのか、それを探る必要はあるようだった。

 最初は必死になって彼の行動パターンを探ってみたが、どこに竜二がいつも出没しているのかということは分かっても、時系列で並べてみると、意外と一日に数時間、誰も分からない時間帯がある、午前十時から一時頃までは、結構分からない時間が多かったりする。その時間帯というのは、彼らチンピラが一番時間を自由に使える時間であり、お互いを拘束しないのがルールだった。

 極端な話、十時にどこかに行っても、一時頃にちゃんと集合できれば、それでいいのだった。

 それ以外の時間は、どうしても組織の中ということで高速されているので、組織に訊かないとこの辺の情報は得られない。つまり、一般の人には彼らの行動を探るということは不可能に近いと言ってもいいだろう。

 そんな時、赤石からおかしな情報がもたらされた。

「あの時に殺されたチンピラ風の人、前に一度見かけたんですよ。あの人が殺されてすぐの時は思い出せなかったけど、今なら思い出せる気がする」

 と、今になって赤石が言い出したことで、遅いのは遅かったが、警察としては何ら情報が得られていないので、情報が得られるだけまだマシだった。

「どこで、どのように見かけたんですか?」

 と聞かれた赤石は、

「あれは、一か月くらい前だったと思います。ただ私が気になったのは、そのチンピラ風の男ではなく、一緒にいた女性だったんです。これは、その人が事件とはまったく関係なければいけないので、口外しないでほしいんですが、お約束していただけますか?」

 と言われたので、

「はい、sこれは心得ているつもりです」

 と言った。

 赤石はスマホを取り出し、スクロールしながら、何かを探していた。何かの画像のようである。かなり写メの数が多いのか。探すのに一苦労しているようだった。

「この写真なんですが」

 と言って、その写真を見ると、確かにそこには、殺されたチンピラ風の男に、何やら、一人の女性が映っていた。

 その女性の視線はどこかあざとく、まるでカメラ目線ではないかと思えた。

 二人は仲がよさそうな雰囲気を醸し出していて、不倫ではないかと思えたが、どうにも相手の女性は普通の主婦であり、こんなチンピラとは釣り合わない気がした。

「この女性は一体誰なんですか?」

 と訊かれて、

「この女性は、事件のあったあの部屋に、事件の前日まで住んでいた主婦なんです。私は最初二人を見かけた時、彼女を見たわけではなく、。チンピラ風の男と主婦という一見、不釣り合いなカップルに目を奪われた時、その相手がお隣の奥さんだと思った時は衝撃でした。普段であれば、写メで撮ったりなどしないのに、その時は写メを思わず取っていたんです。それが今になって殺人事件に結び付くなど、考えられませんでした。だから、最初は思い出せなかったんですが、チンピラ風というキーワードで思い出したのが、この写真だったんです。すぐに思い出せなかったのは、殺された人がチンピラ風だということを最初は知らなかったんです。警察の人は他の人を優先して聞き取りをしていたでしょう? だから私は、最初事件に無関心だったんです。でも、それじゃあいけないと思って。警察に協力しなければいけないと思って。警察が他の人に質問している時に。せっかく私が情報を提供しようと思っていたのに、私を無視するから、私としても、どうでもいいと思うようになったんです」

 と赤石は言った。

――こんなことを言っているが、どこまで本当か分かったものではない。ただ、これは彼女が皮肉を言いたいがだけのことなのか、それとも、何か重大な秘密を握っているからなのか分からない――

 と、桜井は感じていた。

 どうもこの女のいうことは信じられないと思っている。

「この隣の女性、何という名前ですか?」

 と聞かれた赤石は、

「鶴橋あやめさんという主婦の方です。旦那さんと二人暮らしでした」

 桜井は、あのマンションの前の住人の名前は知っていたが、知らないふりをして聞いてみた。警察が知らないはずはないという思いが赤石にはないのか、そのことに敢えて触れようとはしなかったのは、何か思惑があるからであろうか。

「鶴橋夫妻はどちらに引っ越したんですか?」

 という質問に、

「そう遠くではないですよ。県内は間違いないですからね。このマンションは転勤族の人が多いので、引っ越しはある程度覚悟の上ですよ」」

 ということだった。

 この話をしている時、桜井は赤石に対して違和感を持った。いくら不倫かも知れないとはいえ、ご近所の主婦の写真を撮ってどうしようというのか、まるで最初から脅迫目的でもあるのではないかという疑いがもたれても仕方がないだろう。

 それなのに、撮った写真を今までに誰かの見せたかどうか分からないが、少なくとも警察に見せるということがどういうことだろう。警察に対して、全面的に協力しているというのを示したいのか、それとも、本当は脅迫していたのを、自分から警察に話すことで、カモフラージュの意味があるとでも思ったのか、それとも、本当に何も考えていないかのどれかであろう。

 赤石から、何かの情報を得たということを、他の住民が得たからだろうか。赤石からの情報がもたらされてから音は、皆似たり寄ったりではあったが、それまで黙して語らずであった、ご近所さんから、堰を切ったかのように新事実と見られる情報が漏ららされた。

「赤石さんから、鶴橋さん夫婦の情報がもたらされたんですか?」

 ともう一度聞き込みに行った奥さんから聞かれた。

「ええ、赤石さんは、最初から我々に伝えたいことがあったようですね。ひょっとすると、自分が先に言わないと、皆さんが話しにくいのではないかとでも思われたんでしょうかね?」

 というと、聞き込みを行った奥さんは、実に苦々しい笑い方をした。

 本当は認めたくないのだが、認めざる負えないとでもいいたいのだろうか。ジレンマを感じているような表情を感じたので、この奥さん以外のそれ以降の聞き込みは、今度は最初から赤石の情報であることを匂わせると、やはり苦笑いをして、同じように席を切ったように話をしてくれるのだった。

「赤石さんがどんなことを言ったのかというのは分かりませんが、私たちの感じたことというのは、鶴橋夫妻のことなんです。どうやら、離婚寸前だったという話を訊きました」

「どういうことですか? どちらから言い出したんでしょう? そして、その理由ですね」

 と桜井が訊くと、

「どうやら、離婚を切り出したのは、旦那さんの方からのようです。理由とすれば、奥さんの浮気が最初の理由だったようです」

 という話を訊いた桜井は、何か違和感のようなものを感じ。

「ん? 最初の理由って、どういうことですか?」

 と訊いてみると。

」いえね。最初は確かに、奥さんの浮気のことで旦那さんが奥さんを責めていたようなんですが、今度は奥さんにも何か旦那さんに対して言いたいことがあったようで、それが、次第にエスカレートしてきて、どうやら、泥沼に入ってきたようなんです。詳しいことは分かりませんが、だから、離婚が秒読みと言われながらもなかなか離婚に行き着かなかったんですよ」

 というと、

「ということは、離婚に行き着かなかったというのおは、お互いに言い分があり、そして次々のお互いの言い分が出てくることで、泥沼化して行って、離婚しようにもその落とし泥子がなかなか見つからないということで、ズルズル来たということなんでしょうか?」

 と聞かれた奥さんは、

「ええ、そういうことだと思います。ただ、一つ言えることは、そんな離婚騒動に一役買っていた人がいると思うんですよ」

「ほう、そんな第三の人物がここで現れるわけですね?」

 と、桜井刑事も、相手が次第に興奮して話をし始めたを見ると、自分もそんな相手の話に入り込んでいって、主婦の井戸端会議の中にいるような錯覚を覚えたのだ。

「そうですね。でも、その人は別に第三の人物として、今までにまったく知られていない人物というわけではないんです。その人はずっと表面に出ていた人で、その人というのは、他ならぬ赤石さんなんですよ」

 と奥さんは、重大発表でもするかのように言ったが、

「ほう、それはまた」

 と言って、驚いているふりをしてみたが、まあ、桜井刑事の中では想定の範囲内のことであった。

「赤石さんという人は、まったくその本心が掴めない人で、この間刑事さんが私に聞き込みをしていた時、まるで空気が読めない困った人というイメージを印象付けるかのように、話に割り込んできたでしょう? あれは計算ずくだったと思うんです。あの人の行動にはどこか、すべてに関して理由があるような気がするんです。話をしていても、白々しいと思うことが結構あったりしますからね」

 と奥さんは言った。

 その話を訊いて、桜井は、

――まさしくそうだな――

 と感じた、

 しかも警察に鶴橋の奥さんの話をする時も、どこか白々しさがあった。考えてみれば、ほとんど初めて話すと言ってもいい相手、しかも警察官に対して、あそこまでため口ができるのは、あたかも、自分が、

「ウワサ好きの奥さん(主婦ではないが)」

 と思わせるかのようだった。

 しかも、実際にはまわりと確執があることくらいはすぐに分かることなのに、それでもウワサ話に自分も混ぜてもらっているかのような言い回しは、どういう意図があってのことなのだろうと思っていた。

 そんな中で、奥さんたちの共通な意見として、

「あの赤石さんという人と、鶴橋さんの奥さんとは、いつもコソコソとしていたのよ。鶴橋さんも最初は私たちのグループに属していて、一緒にいろいろお話をしている仲間だったんだけど、でも、私たちの中では目立つ存在ではなかったわね。どうしても私たちの主婦の集まりというと、個性が入り混じっているだけに、自分からガツガツいかないと、置いて行かれることもあるんですよ。そういう意味ではあまり口数の多くない鶴橋さんなどは、ある意味浮いていた存在だと言ってもいいわね」

 と言っていた。

 写真でしか見たことがなく、しかもその写真は、赤石に魅せられた不倫を映したかのように見える写真だけである。

 その写真も、複数撮ったのだろうが、その中で、一番カメラ写りのいいショットだけを残しているのではないかと思うほどだった。

「はい、それは分かる気がします」

 と桜井刑事が相槌を打つと、

「あれはいつ頃のことだったかしら? 誰かの私物が盗まれたということで、ちょうどその時の状況から、鶴橋さんが疑われたの、後から思うと、確たる証拠があったわけでもなく、どちらかというと表に出ている彼女の素行などから、皆で妄想の中で作り上げられた犯人像がそのまま鶴橋さんに当て嵌まってしまったのね、日本というところは、疑わしきは罰せずという社会じゃないですか。それなのに、私たちは印象だけで、彼女を推定有罪にしてしまったのよね」

「そうだったんですか」

「ええ、だから彼女は孤立していって、次第に赤石さんと結びつくようになった。でも、それは何か最初から計画されていたことではないかと思い、今では恐ろしく思うんです。そもそも私物がなくなったことで、鶴橋さんが怪しいという印象操作を最初にしたのが、赤石さんだったような気がするからですね」

 と奥さんがいうと、

「何のためにそんなことをしたんですかね?」

 と、桜井が訊いた。

「決まっているじゃないですか。鶴橋さんを孤立させて、見方は自分だけだよということで、自分の中に引きこむことができる。それが狙いだったんじゃないですか?」

 と奥さんがいうと、

「そこまで詳しいことは分かりませんが、それからの鶴橋さんはいつも赤石さんと一緒でした。絶対に赤石さんの前に出ることはなかったくせに、赤石さんが不利になったりすると、真っ先に矢面に立って、防波堤の役目をするんです。皆鶴橋さんがターゲットではないじゃないですか。そんな状況になってしまうと、誰もが赤石さんを攻撃する気力を失ってしまうんですよ。そのまま攻撃をしても、結局茶番に終わってしまうような気がしたからですね」

「どうしてそう思うんですか?」

「それは、まるで豆腐を攻撃しているようなものだからです、いくら攻撃しても、相手が痛みを感じない相手であれば、攻撃する方はまるで自分が悪いことをしているような罪悪感に駆られ、次第に何もする気が失せてしまうからじゃないでしょうか? それが赤石の最初からの狙いだったんじゃないかと思うんです」

「その時の鶴橋さんはどんな感じだったんでしょうかね?」

「きっと洗脳されているようだったんじゃないでしょうか? 奴隷扱いだったのかも知れないと思うほどですよ。赤石さんと一緒にいるのを見ていると、鶴橋さんは、いつも無表情で、何も考えていないかのように見えるんです。心ここにあらずと言ってもいいと思うし、本当に鶴橋さんがどうしてしまったのか、そして赤石というあの女は何者なのかって、今では恐ろしく感じられてしょうがないんですよ」

 と、話の最後は完全に怯えているかのように見えた。

 ちょうど聞きたいことも聞けたわけだし、これ以上のことを聞いても詳しい話が訊けるわけもない。そして、

――相手も話ができる限界なのではないか?

 と思うことで、話を辞めることにした。

 こんな会話はこの奥さんだけではなく、他の人でもほとんど同じだった。それだけこのマンションは何か一つの大きな力が少なくとも潜んでいるのではないかと思わせ、その中心が赤石という女なのではないだろうか。

 もちろん、二年前の赤石が引き起こした詐欺事件。これはまったく知られていない。毎日少なからずの事件が起こっている中で、二年も経っているのだ。しかも、警察は確かに長所であったり、すれをデータベース化もしている(どこなでできているか甚だ疑問ではあるが)が、それをいちいち覚えているような生き字引がいるとは思えない。

 いたとしても、日頃最前線で忙しく飛び回っている捜査員の中にいるなどありえないレベルであろう。さらに管轄が違っていれば、その可能性は限りなくであろうが限りがあろうが、ゼロと言ってもいいだろう。

 だから、赤石が怪しいと思っても、まさか過去に似たような反懺を犯したことがあるのではないかと疑う人でもいなければ、まず発覚することはない。何といっても、管轄違いは警察にとっては自業自得とはいえ、致命的である。

 赤石が知能犯であるということは間違いないだろう。桜井は赤石が事件の何かを握っているという意識があったが、この怪しいと思える行動の目的がどこにあるのか分からなかった。

 少なくとも、最初から殺害目的だったとは思えない。やはり考えられるとすれば、奥さんを洗脳して、マンション内での自分の立場を復活させようとしたのか、それとも、自分がボスにでもなって君臨したいと思ったのか。だが、君臨はないと思った。

 明らかにまわりとは隔絶されたところにいるのは間違いない。ある意味、絶妙な距離を保っているのかも知れない。極端にまわりから嫌われているわけでもなく、距離感を感じさせることで、変なウワサも立たないようにしていた。

 しかし、今度の事件が起こってからの赤石は、自分から表に出ようとしている。そこには何かの含みがあるのだろうが、それが何なのか、今の段階の資料では判断ができないと言ってもいいだろう。

 赤石が、今回の事件においてどの位置に存在しているのかが大きな問題ではあったが、それを考える前に、事件を整理してみる必要はありそうだ。今のところ分かっていることを考えてみることにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る