第3話 洗脳

 今から二年前、つまり、令和元年の春くらいのことだった。マンションの隣の部屋に住む女がやっと引っ越していった。それまで、その女は近所の奥さんや独身女性を捕まえては、よく話しかけていたが、ほとんどの人は迷惑をしていた。声を掛けられても、返事を返すこともなく、無視していたのだ。

 だが、隣に住んでいる主婦だけは、隣人ということもあり、そうもいかなかった。

 最初はなるべく露骨に嫌な顔をして、話しかけるのを思いとどまらせようとしたが、通用しなかった。

「嫌われてもいい」

 と思っていたのだ。

 下手にこんな女に関わってしまうと、せっかくできている他の奥さんたちとの輪を乱されると思ったからだったが、この女を無視すると、何をされるか分からないという恐怖があったのだ。

 一度は部屋の前にゴミ袋が置かれていた。一度だけだったので、

「置き忘れたのかしら?」

 と思ったが、そのわりには、露骨すぎる。

 その時は、隣の奥さんが話しかけてきたのを、自分が仕事に行かなければいけない時間で、煩わしそうに断った時のことだったのだ。

「これくらいのこと、誰にだってあることじゃない」

 と思ったが、相手はそうは思ってくれなかったということか。

 まだ、それでも、その奥さんの仕業だと断定できる根拠はなかったので、

「限るなくクロに近いグレーだ」

 と思っていたが、その次があった時は確定だと思った。

 その時も、子供のお迎えにどうしても行かなければいけない時で、急いで部屋を出た時、

「奥さん」

 とその女が声をかけてきた。

 頭の中は子供のことだけしかなあったので、その時も同じように、煩わしそうに断ってしまったようだった。自分では丁重に断ったつもりだったが、そんなに丁重になれるわけもない。「すみません、また今度にしていただけますか」

 と言いながら、走り去るようにその女の前を駆け抜けていったのだった。

 何とか子供のお迎えは事なきを得たのだが、今度は翌日に、玄関先にタバコの吸い殻が、何十本も無造作に捨てられていた。

 急いで、部屋から箒と塵取りを持って着て片づけたのだが、ここまで来ると、もう犯人は隣りの奥さんであることは間違いない。

 完全な嫌がらせであり、ターゲットは自分に向けられたものだ。吸い殻を片付けながら、主婦は屈辱感に身を震わせながら、怒りと惨めさに身体が熱くなるのを感じた。

「こんな屈辱は初めてだ」

 と思い、次に会った時には、怒りの気持ちで恫喝してやろうと思ったのだった。

 翌日早くもその機会は訪れた。

「あなた、一体どういうことなの? 私に何か文句でもあるっていうの?」

 と、精いっぱいの恫喝で相手を睨んだ。

 それは顎を前に突き出した、上から目線と強調したもので、よくよく考えると、臆病者は震えをごまかしながら、精いっぱいの背伸びをして見せているかのような態度だったことを、その時はまったく分からなかった。

 そんな人間がいくら何を言ったとしても、恫喝に値するわけもなく、そんな言葉を浴びた相手が最初はずっと下を向いていたかと思うと、それに焦れて、こちらが、

「何黙っているのよ」

 と言ったタイミングで顔を挙げると、待ってましたかというように、ゆっくりと顔を挙げてくる。

 その顔は自分と違って下から目だけで見上げるような感じで、

「恨みを込めて相手を睨むというのは、まさにこういう顔のことをいうのだ」

 という手本のような表情だった。

 まるで地獄の底から帰ってきた人間のようなその断末魔にも似た表情に、奥さんはまったく何も言えなくなった。まるで、

「ヘビに睨まれたカエル」

 のように、額からカマの油のような汗が滲み出ているのを感じたのだ。

 微動だにもすることができない。自分がここまで人のことを怖いなどと思ったことはなかtった。そんな思いを感じながら立ち尽くしていると、無表情だと思った相手の顔が少しずつ変わっていくのを感じた。

 怒りを感じる表情ではない、次第にニンマリとした顔になってきた。その表情は今から思えば、相手を征服したかのような顔だったのだが、その時はなぜか、

「救われた」

 と思ったのだ。

 正直、

「救われたい」

 という気持ちが強すぎたのか、その人の顔がどんどん目の前に迫ってくるかに思えた。必死に顔を背けるのに、身体が高著sくして動けない。明らかに金縛りに遭っていたのだった。

 本当は自分がひどい目にあわされて、相手に対して怒りをぶつけていたはずなのに、いつの間にか立場が逆転していて、逆転しているということすら自分で分かっていない状況に、すっかり自分が呑まれていることに気づくはずもなかった。

 相手の目に吸い込まれそうになっていて、実際に吸い込まれたかのように感じた。吸い込まれると、もう恐ろしさはなかった。その代わりに普段から抱いている自分の不安であったり、心細さが露呈してきたのだ。

――なぜ今頃?

 と思ったが、それ以上に募ってくる不安は、反射的に誰かに助けを求めていたのだが、その救世主が目の前にいるこの女だと思うと、もう、自分が何をされても仕方がないと思うようになっていった。

「大丈夫よ。私がついているからね」

 と言われて、黙って頷くその奥さん。

 ちなみにその奥さんの名前は、名古屋紗耶香という。年齢は三十二歳で、同い年の旦那がいた。旦那の名前は晴彦と言って、同い年だった。

 元々社内恋愛だったのだが、晴彦は大学卒業で入ってきたのに対し、紗耶香の方は高校を卒業後に入っているので、会社では大先輩だった。

 同い年でありながら、お互いに同い年という感覚はなかった。まるで女性の方が二つくらい年上のような感覚だったのだが、入社当時から旦那の晴彦は、引っ込み思案で、人に話しかけるのも苦手なタイプだった。

 だから、営業の仕事でも最初は苦労していた。だが、紗耶香と話をするようになってから、元来の物知りで研究熱心な性格が功を奏してなのか、営業成績も上がってきた。晴彦は紗耶香を恩人のように感じ、紗耶香の方では、自分のおかげで彼が才能を発揮できたことで、自分には、

「内助の功」

 があるのではないかと思うようになっていた。

 そんな意識の中で、二人は付き合い始めた。

「僕と付き合ってください」

 と、それまでの引っ込み思案な彼が自分から口にしたのだから、彼に好意を持っていた紗耶香が断る理由などどこにもなかった。

 二人の交際は会社でも公然の秘密のようになり、社内恋愛に関してはそこまで厳しくない会社だということも幸いしてか。二人の交際は順調だった。

 だが、なかなか結婚にまで至ることがなかったのがなぜだったのか、それは誰にも分からない状態である。

 実際に結婚したのは、交際から五年後で、紗耶香も彼も二十七歳になっていた。

 それでも、結婚できるという思いはあったので、焦りはしなかった。結婚できた時は嬉しくて。プロポーズされたその日は眠れないくらいだった。

 結婚までの夢のような毎日は過ぎていき、結婚を機会に専業主婦になるということも宣言していたので、結婚前の適当な時期に退職した。

 結婚式はそれほど豪華なものではなく、ある意味質素だったかも知れないが、二人にはそんなことは関係なかった。新居としてのマンションも借りて、新婚生活をスタートさせたのがこのマンションだったのだ。

 ただ、このマンションは、結構転勤族の人が多いようで、人の入れ替わりも激しく、自分たちもいつ引っ越すか分からないということは分かっていた。

 結婚から三年目に子供ができた。その子はまだ幼児で、今が一番目を離せない時期に来ていることも自覚していた。正直にいえば、ちょうどその頃が育児疲れが一番抱えている悩みの中で大きなもので、どちらかというと呑気な性格であった紗耶香にとっても、大きくのしかかってきた状態だった。

「身体を壊さないだけまだマシかも?」

 と感じていたのだった。

 紗耶香は性悪的に、順風満帆である時ほど、不安を感じることはなかった。もちろん、順風満帆でない時も十分不安を感じているのだが、その不安はどこから来る不安なのかが分かっている。しかし、順風満帆な時の不安というのは、理由が分からないだけに厄介なのだ。つまりは紗耶香という女性は、どんな時でも不安というものの呪縛から、逃れることはできないということである。

 さらに順風満帆な時というのは、まわりからは呑気に見られるらしく、

「悩みがなさそうで、羨ましいわ」

 という、まわりからの言葉に、

「悩みがないところが悩みなのよ」

 と、本人は苦笑いしながら本心を言っているのに、それを皮肉と捉えるまわりは、彼女を遠ざけていく。

 まわりとすれば、

「何を言っているのよ、まるで上から目線だわ」

 と思うだろうし、紗耶香からすれば、

「人の気も知らないで」

 といいたいだろう。

 しかも、そのどちらの言い分も無理もないことだけに、どちらかがが悪いというわけではないので、どうしようもない。こうなってしまうと平行線をたどってしまい、紗耶香のまわりには次第に誰もいなくなってしまう。マンションなどの集団生活では、それが村八分に繋がってしまい、下手をすると、あることないことをウワサされ、誹謗中傷を浴びてしまうことになるだろう。

 そんな時に味方は誰もおれず、四面楚歌の状態に陥ってしまう。そんな状態の時に人の心に入り込んでくるのが、この赤石という女だった。

 このあたり、赤石は十分に心得ていた。すでに近所づきあいもうまくいっていない紗耶香に対して、声を掛けたとしても、その声が通じるどころか、鬱陶しがられるだろう。しかも、赤石は他の奥さん連中とは違った言い方をするので、余計に神経を逆なでするのだ。

 しかし、他の奥さんなら、そんな態度を取られると、普通なら二度と声をかけてこないだろうが、赤石は二度、三度と声をかけてくる。

 さすがに一度目、邪険にしたことを後悔していた紗耶香は、二度目に声を掛けられた時に、

「あれ?」

 と思うだろう。

 そして、三度目に声を掛けられた時は、

「私と本当に話をしたいと思ってくれているんだ」

 と思い、完全に心を開くことになる。

 紗耶香とすれば、

「救いの神というのは、本当にいるんだ」

 と感じることであろう。

 そうなってしまうと、後は赤石の思いのままである。まわりは敵だらけだと思っていたが、赤石一人が現れただけで、十人力くらいの力を得た気分であり、水を得た魚のように、それまで動いていなかった思考回路が動き出すことになる。

 ただし、今度の思考回路は、それまでとは違っている。あくまでも赤石の思うがままに動く思考回路だった。

 最初の頃は、赤石も紗耶香に対して気を遣ってくれたり、対等であることを紗耶香自身が自覚できるように付き合っていたが、そのうちに、お願いベースのことが多くなってくる。

「ごめんなさに。今度必要なお金があるの。すぐに返せると思うので、工面していただけないかしら?」

 と言って、一度お金を借りる。

 そのお金は翌月にキチンと返済されるので、紗耶香とすれば、

「この人にお金を貸しても、キチンと返ってくる。金銭的には信用できる人なんだ」

 ということで、安心もできていた。

 さらに、赤石は、紗耶香をよく高級レストランのディナーに誘ってくれた。そして、

「あなたはキレイなんだから。もっと自分を綺麗にしないと」

 と言って、化粧品や洋服を見立てたりしていた。

 ちやほやされて、セレブのような生活を味わうことで、紗耶香には金銭的な感覚がマヒしていっているようだった。

 それなりに貯金も結構あったので、少々の贅沢は痛くもかゆくもなかった。それで、赤石と親友関係が保たれていると思っていたからだ。

 普通の精神状態であれば、異常な見解であることはすぐに分かるのだろうが、心の隙間に入り込まれた時点で、すでに紗耶香はこの赤石という女に洗脳されていたのだ。

 そして、挙句の果てに、借金の連帯保証にされてしまい、ハンコを押すことになったのだ。

 ここまでくれば、後は詐欺と同じ手口。赤石は自分の部屋から徐々に実ようなものは運び出していた。

 そして、返済期日が過ぎると、お決まりの赤石は夜逃げ状態になっていて、部屋に帰ってくることはなかった。

 当然、借金取りは連帯保証人の紗耶香のところにやってきて、紗耶香に脅しをかける。本来の借金をした赤石は夜逃げをしてどこに行ったか分からない。その時になっても、紗耶香は赤石に騙されていたということに気づかない。

 旦那は、さすがに何も知らなかっただけに、誰よりも子供を守らなければいけないという理由で彼女と離婚し、親権を自分に持ってきた。もちろん、それが最善の方法であり、それ以外の選択肢は他になかったと言ってもいいだろう。

「どうしてこんなことになったんだろう?」

 と紗耶香は思っても後の祭りである。

 まわりの人は紗耶香を見て、

「あの人は赤石という女の奴隷のような扱いだった」

 という人や、

「赤石に洗脳されていた」

 という人などがいた。

 そのどちらも同じことを言っているわけであり、夜逃げしてしまった赤石が一番悪いのは間違いないが、紗耶香がこうなったのも、元はと言えば自分たちに原因があるということを誰一人として感じることはないだろう。

 むしろ、他人事として静観していて、ワイドショーの話題でもあるかのように、一種の話題の種にして楽しんでいると言ってもいいだろう。

 そんな連中は、

「明日は我が身だ」

 と感じる人は誰もおらず、本来なら赤石がすべての元凶だとは思わず、紗耶香にもそれなりの悪いところがあると思ってしまっていると、

「自分はそんな女に引っかかることはない」

 と思ってしまい、いつの間にか赤石のような女のターゲットになってしまっていることに気づかないのだ。

 なぜなら、詐欺を行う人間は、基本的に単独ということはほとんどない。そのバックには誰かがついている、詐欺グループというものも存在しているかも知れない。だから、そんな連中には百戦錬磨の経験から、いかなるやり方の詐欺も熟知しているものだ。一つの方法であれば、教訓として何とかできるかも知れないが、未知の詐欺に関してはまったくの無防備。自分に限っては騙されることはないなどと思っている人が多ければ多いほど、詐欺というのはやりやすいものがないということだ。

 特に詐欺集団というのは、悪い意味ではあるが、研究年芯であろう。いかに人を騙すかということを日夜研究しているのだから、呑気に自分は安全だなどと思っている連中とは危機感が違うのだ。そういう意味で、

「騙される人がいるから、騙す人がいる」

 という構図が出来上がり、詐欺という犯罪がこの世からなくなることはないのだ。

 いくら警察が検挙しようとも、いたちごっこは半永久的に続いていく。その背景には、詐欺を受ける人間がなくならないという構図があることを、一番知らなければいけないはずの、未来の騙される人間がまったく余地も何もしていないということだ。

 一つの詐欺集団からの詐欺行為が未然に防げたとしても、他の詐欺集団が狙っていることで、その根本が変わってしまう。

「一度やられかけた人は、二度とやられないように気を付けるものだ」

 というのは、空想なのかも知れない。

「一度やられかけたのだから、二度目はないだろう」

 と、いい方に勝手に解釈してしまうのが、人間というものであろう。

 たとえば、殺人犯人が凶器を隠す場所として、一度警察が捜査した場所に隠すという人がいる。

「一度警察が捜査して、そこにないのを確認した時点で、一番安全な隠し場所になっているのだ」

 というミステリードラマがあったが、まさにその通りであろう。

 紗耶香は次第に自分が騙されたことに気づくと、いろいろ怪しかった部分も分かるようになってきた。

「そういえば、あの人、絶対に私を自分の部屋に入れようとはしなかったわ」

 と言っていた。

 それこそ、夜逃げの準備をしていたことを物語っているのではないか。

 そんな夜逃げの状態になった赤石は、また同じkとを他の土地で繰り返していた。

 前の土地では、まわりの人のウワサでは、

「たぶん詐欺にあったのだろう。名古屋夫婦は本当に気の毒だ」

 という話にはなっているだろうが、マスコミが追うほどの事件ではない。

 事件としては、なるほどひどいものであるが、それを記事にしたところで、どうなるものでもない。似たような事件は頻繁に起こっていることだし、マスコミが動いて事件が解決するわけでもない。そもそも、警察は民事不介入だし、警察が動いて解決したとしても、出版社側の雑誌が売れるわけでもない。

 スクープと言ってお、そこまでの真新しいものではないし、

「またか」

 と思われればそれまでだ。

 よほど他に書く記事がないほど世の中が平和であればそれに越したことはないのだろうが、こんな事件が起こる時点で平和ということはありえない。しょせんマスコミというのも、

「売れてなんぼ」

 の営利商売なのだ。

 売れ冴えすれば、でっちあげであろうは関係ない。モラルなどどこに損座右するというのだろうか。

 しかも、一万ぽ譲って記事になったとしても、記事が出てから反響が置こる前に、人の興味は他に移っているかも知れない。それだけピンポイントのタイミングを掴まないと、この手のどこにでもあるような記事が売れることはないだろう。

 そう思うと、どんな事件であっても、マスコミが動かないと、あっという間に風化して忘れられて終わりなのである。

 だから、犯人たちは安心して他の土地で同じことを繰り返す。

 同じ手口かも知れないし、若干手口を変えてくるかも知れない。あくまでもターゲットになる人間次第だということである。

 話題になったことで。自分が危険に晒される危険性はそれほどないだろう。マスコミはそのあたりには厳しいので、よほどの犯罪者確定状態か、芸能人のように知名度の高い人間でないと、名前を公開したり、容疑者が特定されるような報道はしない。もし、身元が分かってしまって、その人が智謀中傷を受けるだけでなく、家族や知り合いが被害に遭うようなことがあったりすると、逆にマスコミを訴えられることにもなりかねない。しかも、容疑者が本当はクロなのかも知れないが、裁判などで無罪判決でも受けると、推定有罪を行って世論を操作したなどとなると、出版社としては致命的である。

 だから、民事でしかも詐欺程度のことであれば、マスコミは容疑者特定の報道はしない。そこがやつらの付け目でもあった。

 詐欺を行って、行方を晦ませる。そしてほとぼりが冷めた時に別の場所において犯行を行う。すると、警察はこれが新たな詐欺だとしてしか認識しないだろう、まったく同じ手口であっても、同じ管内での事件であれば、捜査員の中に覚えている人もいるかも知れないが、警察というのは、完全に縄張り争いとするところである。そのあたりはヤクザと変わらないというのが面白いところなのだが、当然情報が入っているわけでもない。だから、

「連続詐欺事件」

 としての捜査は難しいだろう。

 よほど詐欺などの犯罪に広域で捜査をする専門部署があり、そこがかなり優秀であれば、連続詐欺の可能性を疑うだろうが、疑ってみたところで彼らの犯罪を止めるどころか、抑制することもできないに違いない。

 それを思うと、今の世の中において、いかに国家権力といえども、警察があてにならないものかは、テレビドラマなどを見るまでもなく明らかではないだろうか。

 それよりも、下手に警察になど協力して、犯人グループに逆恨みなどされれば、目も当てられない。

 世間では、

「苛めの現場では、見て見ぬふりをしている連中も同罪だ。いや、もっと罪深いかも知れない」

 ということで傍観者も同罪という意識を持たれているが、相手が警察であれば、そんなことはない。

「守ってくれるはずの警察に力がないのだから、下手に警察なんかに協力して殺されでもしたら、これほどひどいことはないんでhないか。まさに、『髪も仏もない』とはこのことだろうと思えてならない」

 ということになる。

 詐欺グループはそのことをよく分かっていて、ウスウス気付いている一般市民に対して、そういう警察の力のなさを植え付けることで、

「警察はあてにならない」

 ということを植え付けたたうえで、

「世間の人もあてにならない。あてになるのは私だけだ」

 と言って、相手を信じ込ませる。

 それがまず最初の詐欺のやり方だ。

 しかし、これが成功してしまうと、詐欺というのは、ほとんどうまくいったと言ってもいいのではないだろうか。相手の洗脳に成功すれば相手は、まわりが信じられない恐ろしい状態になっていることから、目の前しか見えていないことになる。その目の前にいる人物が自分のために必死になって助言してくれたり、いろいろ考えてくれてやり方を伝授してくれるのだから、その人にすがるしかないだろう。

 もうそこまでくれば、相手に逆らうことはできない。逆らうということがどういうことなのかという感覚に陥るほど、頭の中がマヒしていることだろう。

 そういう意味で、詐欺と洗脳は切っても切り離せない関係にあるのではないだろうか。言葉巧みに相手を操縦することができるようになれば、もうそれだけで十分なのだ。

 詐欺グループの方としても、実行犯は、

「これは自分に備わった、他の人にはない能力であり、その能力を使ってお金を稼いでいるじゃないか。専門職の人と、何が違うというのだ」

 と思っているのかも知れない。

 もし、そのバックに大きな組織があるとすれば、その組織はそんな彼らの歪んだ考え方の心の隙間に入り込み、彼らを洗脳したことだろう。

 つまりは、人を洗脳する部隊である実行犯も、自分たちが洗脳されていることを分かっていないのだ。

「自分が人を欺いているとすれば、その人ほど自分が欺かれたということに食づかないものだ」

 と何かの本に載っていたような気がしたが、まさにその通りであろう。

 また、もっと恐ろしい考えを持つとすれば、実行犯を洗脳している連中でさえ、たとえば、政治家であったり、国家権力の裏の組織から洗脳されているのかも知れない。それがピラミッド形式に構成されているものだとすれば、末端をいくら潰したとしても、まったくの無駄だということがいえるだろう。

 そんな世の中、自分は騙されているかも知れないが、その分、人を騙すことで生き残ればいいと思っている人もいるだろう。

 すべてを分かっていて、その中で生きていくという覚悟を持つことで、本当の末端で、騙されての泣き寝入りをさせられる人間だけにはなりたくないという思いであろう。

 もし、そんな気持ちを巧みに扱える人間がいるとすれば、本当に恐ろしいことだ。

 世の中にはこれだけの人間がいるんだから。それくらいのことを考えている人も少なくないはずだ。理論立てて考えれば、(作者にだって)考えられることなのだからである。

 確かに小説のネタとして考えてはいるが、それは書き進めていくうちに、浮かんでくることであった。そういう意味では、

「書き出すことで分かること」

 なのではないだろうか。

 つまりは、

「書き出すことで分かることって、もっと他にもたくさんあるのかも知れない」

 と思う。

 似たような話を書いていても、まったく同じものにならないのは、その時の発想が同じ人間であっても、違っているからである。プロットを作った段階で、すべてのストーリーが頭の中に入っているなどありえないことだ。人にもよるが、プロットはあくまでも材料の一つでしかない。書きながらアイデアが生まれてくるというのも、十分にあることだ。

 そう思って考えると、小説を書くということの喜び、楽しさがどこにあるのか、おのずと分かってくるというものであった。

 また話が横道に逸れてしまって申し訳ない。

 詐欺を行う人間を擁護するつもりも、騙される人を、ただ単に、かわいそうだというように描くつもりはさらさらないが、詐欺をすべて悪いことだとして否定してしまうと、詐欺というのは決してなくならないというのも事実だと思う。なぜなら、戦う相手とまったく顔を阿波座図に、武器も攻撃するすべも何もない人間が、相手を撲滅することなどできるはずはないということである。

 少なくとも理解くらいはしていないと相手を擁護も戦うこともできないだろう。

 ただ、警察に力がないのは確かで、個人で相手ができるほど甘い相手ではないというのは確かである。だが、

「では、どうすればいいのか?」

 ということになると、余計なことは口にできない。

 なぜなら、答えなど存在しないのだから……。

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