第24話 朧気

「ヌッ…」飢餓感の訪れにより情けない声を上げたロメンゾは、自分の足を掴む飢餓感の要因となった忌まわしき黒い悪魔の左手を握りつぶし、その肉片を放り投げた。床に散らばった肉片が太く力強い血の線を描いた。


「ちくしょう…あの野郎、どこに行きやがった?」飢餓感から解放されたロメンゾだったが、その意識は逆に張り詰めるばかりであった。あたりを見渡しても上下の半身を裁断され、見るに堪えないグロテスクな姿になったブラックライダーの影はなかった。こうなったら奴のエーテルをどうにかして感知できないかとも思ったが、それは杞憂に終わったので、ロメンゾはブラックライダーを見つけるためにこのデパートじゅうを探し回るはめになった。しかしロメンゾは既にこれまでの戦闘と空間魔術の使用によってエーテルを激しく消耗し、身体はかなり疲弊していたので、仮想空間とはいえ言うまでもなく、その身体は限界を迎えるに近かった。


 しかもこの疲弊した状況下で殺すべき目標を見失い、それを探し回らなければならなくなってしまった。やつは絶対に見つけ出し、殺さなければならない。なぜなら、それが教会が自分たちに出した命令なのだから。その重圧が、ロメンゾに重くのしかかっていた。


 のろのろと情けなくたどたどしい足取りで歩を進めていると、デパートの食料品売り場にちらほらと漂う人の群れを見た。そうだ、俺は空間だけではなく人も作っておいたのだった。ならは彼らに頼めば良いと思い、言った。


「そこのあなたたち、少し頼みごとをしてもいいですかね?頼みと言うのは私が殺し損ねたブラックライダー――ラーズを捜してくることなのですが。とりあえず、見つけたらここまで連れてください。そのあと彼は私が殺しておきますので。いいですね?」


 それを聞いた人の群れはわらわらと自らの使命を全うすべくその場から退いていった。ロメンゾはこれでいいと思い、地べたに座り込んで少し休むことにした。呼吸を整えながらロメンゾは、まずはこの疲労の原因となっているエーテルの消耗をどうにかしなければならないと思い、考えを巡らせた。そしてロメンゾは、あることを思いついた。このデパート内以外の空間を消し、その分のエーテルを自分の身体に与えればいいと。


 すぐにロメンゾはそれを実行し、おかげでエーテルの消耗とそれに伴う身体の疲労はすっかりなくなった。ふとデパートの壁にある窓を見る。窓の外にはさきほどまでは存在したものの、今となっては存在しない、そんな朧気な摩天楼が光を灯し、夜の色彩をより映えるものにしていた。

―――――――――――――――――――――

 大量の血液を体から吹き出しながら、ラーズは壁にもたれながらデパートの通路を歩いていた。ズボンと靴は何分も前に赤く染まり切り、おびただしい量の血液がラーズの通ってきた道筋に尾を引いていた。いくら仮想空間といえど、という点は現実世界と変わらない。この逃避行で何度視線をさまよったかは最早わからなくなっていたが、暗転していく視界にラーズは何度目かの死の意識をし、今度こそ自分は死ぬのだと、不吉な予感に心を震わせていた。


 だんだんと、手の先から、足の先から、感覚が遠のいていく。痛みもしだいに薄れてゆき、心臓の鼓動も心なしか弱くなっていっている。これは悪あがきでしかなかったのだ。自分はあの時、身体を上下に裁断され死にゆく運命だったのを、少しばかりねじ曲げ、いま死にゆく運命にしたのだ。その思考がラーズの頭に強く張り付き、その張り付きは、ラーズが死を意識するごとに強まっていった。やがてそれは死の予感から、過去の回想へと変わっていった。


 ロバートが死んだ日。彼がフォー・ホースマンに入った日。デイブがフォー・ホースマンを抜けた日。自分がフォー・ホースマンの一員になり、ジェイムズやカーク、それにかつての心優しかったデイブと出会った日。自分が教会の治安維持部隊に入った日。自分が教会の運営する孤児院や学校で過ごした日々。もう朧気にしか思い出せない、自分を捨ててどこかへ行ってしまった両親の顔。


 それらの思い出がラーズの頭を巡り、それは何度も何度も、ロバートの死んだ日から両親に捨てられた日を繰り返していた。これはいわゆる走馬灯というやつなのだろうとラーズは思った。そうしてラーズは自身を迎えに来る死の運命を受け入れるかのように、地面に力無く崩れ落ちた。ラーズの体から吹き出され続ける血液は、その辺で大きな点を何個かデパートの床に描いた。それはラーズの長い旅路の終わりを表しているかのような不吉な印であった。


 そこに迫る何人かの人影があった。ロメンゾがラーズを確実に殺すべくけしかけた人間たちであった。しかし、彼らはラーズをすでに死人だと思ったのかその場を後にした。その代わりに彼らは誰からともなく、ロメンゾにラーズがもう死んでいるとの旨の情報を伝えようという判断に至った。

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