第21話 命の価値
しかし、意味と言えども一般的な「種」の意味である、草木の発芽の元になるものだとか、果実の核だとか、そういった意味では、少なくともこの文脈の上ではない。
それは。黒い粉であった。小さな透明のジッパーの袋を上着の内ポケットから取り出したキコは、それを開けた後、萎縮しているローズの口内に、その中身である黒い粉を飲ませた。
ローズはそれを飲み込んだ。
それは、ラーズ達の心にローズへの哀れみと、キコへの強い憤りをもたらした。
「お前、今自分が、何をやったのか、理解しているのか?」
「当たり前だァ飢餓、アイツを一生かけても魔法しか使えない凡婦から、悪魔使いへと進化させてやった。実に道徳的だ。俺がしたのはそれだけだ」
「とても道徳的とは言い難いがね……」
「おたくよかは道徳的だと思うぜ?教皇を殺しておいてノコノコ生きているおたくらよりは……」
「テメッ……」
動きを止められるであろうことは予測してはいたが、ひとまずラーズは、あのむかつく野郎に蹴りの一発でも食らわせてやろう、それから奴と話をしてやろうと思ったが、同時に予想していた通りに、キコは自分の動きを止めてきた。
「少し話をしようか、飢餓」
キコがため息混じりに続ける。
「飢餓ァ、お前、命にはどれほどの価値があると思い、感じ、考えている?」
「いやぁ、俺は、命にはこれといった価値は感じないな。ママなら命にプライスレスと値札を貼るんだろうが、俺にはあいにく、そんな高潔で、ある意味不道徳とも取れるような、そんな心持ちは持ってはいないさ」
ニヤリと歯をのぞかせながらほくそ笑み、
「それに、命に価値があると真っ直ぐ、曇りの無い瞳で言えるような、そんな道徳的な心があったならば、ここまで世界に対して不道徳な事など行っていない」
「なるほど、なるほどなァ……」
車内に数秒の沈黙が訪れ、ガタゴトと列車の走る音が反響する。
「まァ、お前と俺とは、似た者どうしってことだな。殺すには惜しい。先に殺すべきは『死』を司るジェイムズ、お前だったな」
さきほど種を飲み込ませられたことで悶えるローズを、突如自分の命が、ひとまずは助かったらしいことに困惑するラーズを背に、キコはカークとジェイムズのいる部屋へと、歩みを進めていった。
そして、その部屋にいる2人と目があった。しかし、それよりも早く、ほんの少し早く、キコの眼前に煌めくものがあった。
それは粗末な、先の尖った金属の棒であった。
だがいくら眼前にあったとて、避けてしまえば問題はない。その棒はカランと音を立て、部屋に続く廊下に落ちた。
その棒を避け終えたキコの眼前には、カークと、最も厄介な相手たるジェイムズがいる。
カークはともかく、ジェイムズだけは能力が能力なので、今のうちに殺しておかなければまずい。
「死」の能力。それは、触れた相手を「殺す」能力だと思われがちだが、実は違う。ジェイムズが持つ本当の「死」の能力、つまり「ペイルライダー」の能力は、触れた相手を強制的に、「死」という状態にする能力であった。
「殺す」のではなく、「死なせる」。
その能力の主を、今ハッキリと見ている。キコの中の死の予感が、段々と強まってくる。
しかしこれは任務なのだ。奴らフォーホースマンを殺し、その能力を教会へと持ち帰る。自分らの命に価値は無く、結果だけに価値がある。
だからここでやらねばならない。殺さねばならない。そう思いながらジェイムズに、あの網目状の斬撃を浴びせようかとしていた所。
突如、キコの右脇腹に鋭い痛みが走った。肝臓の辺りだ。
慌ててその痛みの元を見た。銀の刃が、自分の赤黒い血液のドレスを、優雅に着こなしていた。
後ろを振り返る。そこには自分が、先程蚊帳の外にしたラーズがいる。服は返り血で濡れていた。
ナイフはラーズが魔法で作ったのだろうが、ともかくそんなことは、今のキコにとってはどうでもよかった。
今のキコにとっての重要事項は、先程自分が見逃した獲物に、致命傷になりかねない怪我を追わせられたことだった。
もう一度後ろを振り返った。そこにはあの青白い死の悪魔が飛び出してくるような、そんな不吉な気配はなかった。ただしんとしていた。
キコはそれに安堵した。
これで、このラーズという獲物を、心置き無く殺せるのだと思った。
しかし彼は忘れていた。
その背後にいるもうひとつの脅威を。
赤い脅威を。
それはキコの頭蓋骨を、脳味噌を、豆腐でも砕くかのように貫いた。
「繝√け繧キ繝ァ繧ヲ?∝ソ倥l縺ヲ縺?◆?√♀蜑阪r?∵姶莠峨r?√Ξ繝?ラ繝ゥ繧、繝?繝シ繧抵シ」
脳味噌が砕けたことによりまともな思考が出来なくなったのか、あるいは肉体の操作が出来なくなったのかは分からないが、訳の分からぬうわ言を吐き散らしながらキコはくたばった。
生命を失った身体からは血がドクドクと流れていたが、やがてそれも止まり、今度はみっともならしく糞尿を漏らした。
それは、その身体が完全に生命を終えた証であった。
西日の欠片が部屋に降り注ぐ。
一行の勝利を祝福するかのように。
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