第5話 虫の知らせ
目が覚めてからというもの、ゆっくりと身体を起こし、今日もいつものように朝食を作る。
飽きもせずのベーコンエッグにトースト、それにインスタントのコーンスープであった。
トーストに塗るものも、最近はバターを使わずにジャムをよく使う。この間までは、ブルーベリーばかりだったが、一瓶も使えば、ちょうど飽きが来るというのので、最近ではいちごジャムを使っている。
「やはり、オーソドックスでうまいな」
と感じさせた。
その旨味は甘さにあるようで、ブルーベリーのように元々甘さがないのか、それとも故意に甘さを控えているのか、中途半端な甘さに感じられ、昔からのイチゴジャムの懐かしさに最近は嵌っていた。
その日も朝日が差し込んでくる。今日はいつもの早朝バイトもないので、こんな時間に食事なのだが、普通の家庭ではどこでも同じ朝食タイムなのだと思うと、どこか複雑な気持ちになってきた。
「せっかく目を覚ましたのに、また眠くなってくるような気がする」
と感じたのは。二度寝をしたからであろうか?
二度寝をしたということを思い出すと、見た夢をまた思い出すような気がする。その夢のどこを思い出そうとしているのか、自分でもハッキリと分かっていないような気がしているのだが、どうして分からないのかということすら、無意識に何かを感じさせるようで、
「まだ、これすら夢の続き何だろうか?」
とさえ思えてくる。
そういえば、子供の頃に見たマンガで、
「不眠症に悩んでいる主人公が、眠れない眠れないと悩んでいたのだが、実際には眠れないという夢を見ていた」
というオチであったのを思い出した。
スパイラルや、負の連鎖を思わせる内容であり、今であれば、普通に考えられるような話であるが、当時としては、センセーショナルな内容だったような気がする。
そんなことを思いながら、部屋の中にいつものように充満するトーストにジャムの香ばしい香りと、ハムエッグの油を含んだ甘い香りとが、さらに睡魔を差そうような気がするのだ。
――ひょっとすると、この瞬間、眠りについていないのに、夢を見ていたのかも知れない――
という感覚を持った気がした。
だが、時計を見ると、とても夢を見たというほどの時間が経過しているわけではない。意識の中の時間と符合しているからだった。
しかし、以前どこかの心理学の先生から聞いたことがあったのだが、
「夢というのは、どんなに長い夢であったとしても、それは目を覚ます一瞬、数秒くらいの間に見るものだ」
というものだった。
確かに目が覚めていくにしたがって。夢が薄れていく時に、
「あれだけ長かったと思っている夢のはずなのに」
という思いから、気が付けば、どうしても夢に対しての意識が消えていくのだった。
夢から覚めるわけではなく、
「夢の世界の自分は、これから自分が夢を見るような感覚なのかも知れない」
と感じた。
ということは、現実世界で今感じていることも、夢の中の自分も感じていて、現実世界の自分すら気付いていない自分というものを分かっているのではないかという意識を持っているのかも知れない。
夢を見た時、夢を見ている自分と、夢の中の主人公である自分の二人の自分を感じているのと同じだ。
「同じ次元に、もう一人の自分が存在することはありえない」
と思うから、その思いが夢の中で感じたことを、目が覚めるにしたがって、忘れなければいけないことの中に含まれるのであろう。
もし、その感覚を持ったまま夢から覚めてしまうと、果たしてどのようなことになるというのか、紀一は時々考える。
たまに一人でまわりを意識することなく考え込んでいることがあるようだが、こういうことをいつも考えているのではないだろうか。
紀一は、いつも何かを考えているということを感じている。それは今に始まったことではないのであった。
朝食が終わって、いつものように散歩に出ることは最初からの計画であるが、その散歩の目的は、今回はこの間、あいりが倒れたのを見たあの城内公園のベンチであることは自覚している。
だからと言っていきなりその場所に赴こうという気はしなかった。
行ったからと言って、何かがあるというわけでもない。それに昨日と時間が違うのだから、、由衣に遭えるという可能性は低いと思った。
確かに連絡先は聞いていたが、どうせ出会うのであれば、偶然出会いたいという思いがあった
どうしても、会って確認したいことがあるなどのれっきとした理由がなければ、自分からの連絡をしないようにしようと、思ったからだ。
この日は、家を出たのは、十時頃であった。いつもよりも、二、三時間早いであろうか。朝の通勤通学時間も過ぎていいるので、歩く人もまばらであった。いつものように頭から差してくる日差しと違い、進んで行く方に日差しがあることで、一層の眩しさを感じながら歩いていると、普段とは違った汗が身体に滲んでいるのを感じていた。
前を見ながら歩いていると、いつもよりも疲れが早く襲ってくるのを感じた。
普段であれば、早朝バイトがあるので、一度ひと汗を掻いている。だから身体の切れがスムーズなのだろうが、今日はまだ汗を掻くのが最初ということもあり、まだまだ身体には切れが感じられなかった。
そう思うと、歩いていても日差しに負けてしまいそうに思えるくらいで、ゆっくり歩きながら、どこを目指しているのかが、自分でもよく分かっていないような気がしてきた。
幸いなことに、ここ数日天気がいい。総長は放射冷却の影響で、霜が降りて居たり、下手をすれば、道が凍結しているところも日陰ではあるくらいであったが、十時を過ぎるとすっかりそんな感覚はなくなっていた。
通勤時間の間に、すっかり朝の時間というのは過ぎていて、今は昼間の準備をしているかのように、世界が感じられていた。
お濠の近くを歩いていると、水面が小刻みに揺れている。波紋が実に短く幾重にも重なった年輪であるかのようである。天気図でよく見る等圧線にも感じられた。
「等圧線なら、あんなに密集していると、嵐の予感がしてくるのに、波紋だったら、静けさの象徴なんだよな」
と、紀一は考えた。
波紋が蜜であるということは、それだけ無風であるということを示している。風邪もないのに、波紋があるというのもおかしなものだが、逆に波紋がない水面を見ることの方が稀なくらいだ。
そう思うと、波紋が無限の等圧線を作り出している感覚は、
「限りなくゼロには近いが、絶対にゼロになることのない状態」
と言えるのではないだろうか。
数学的にも、最初がゼロか。ゼロで割ったりしない限り、どんなに小さくなったとしても、ゼロにはならないのだというものではないか。
ゼロというのがいかに数学界では、魅力のある、そして不気味な数字なのかというのは、無限大と同じ感覚で考えてもいいのではないかと思う。
波紋一つを見ているだけで、ここまで集中して考えることのできる自分を、ある意味尊敬している紀一であった。
「いつも何かを考えている」
あるいは、
「気が付けば何かを考えている」
という感覚は。いかに発想を広げて豊かにできるかということを示しているのではないだろうか。
そう思うと、歩いていう時も、夢を見ている時も、何かを考えているのに変わりはない。ただ、その土台となる世界が違うだけであって、夢の中で考えている何かは、果たして夢の中だけのことだと言えるのだろうか。それを考えるキーとしては、
「目が覚めるにしたがって、本当に夢というのは忘れられていくものなのだろうか?」
という謎かけにかかっているのではないかと、紀一は考えた。
波紋は、溝は作っているが海の高波のように、立体的なものではない。まるで、水面に線を引いただけのように感じるのは、それだけ幾何学的な正確な間隔を取って存在しているものだと言えるからではないかと思うのだ。
小石を水面に投げると、堕ちた場所から次第に波紋は広がっていく。規則的な幾何学模様を見せつけるかのように広がっていくのだ。
それは、まるで自分たちに、
「これでもか」
という思いとともに、見せつけているかのように思える。
歩いていると、無風に思われていたのに、それでも、何かの美風を感じる。汗が心地いいくらいに出てくると、風がなくても汗が風邪を受けているような錯覚を感じることがある。それがまさしく、この時だったのだ。
昨日の城内公園のベンチに行ってみると、そこには誰もいなかった。午後に比べても人は少なく、観光客もいない時間帯だった。
「まあ、いないわな」
と思って、とりあえずベンチに座り、いつも見ている光景を見ていると、おとといのことがなんだったのかと思わざる負えない。
ゆっくりしようかと思ったが、ここまで人がいないと、一人でいることが寒くて仕方がない気分になってきた。
人がいれば、寒かろうが、風が冷たかろうがさほど気にならないが、人がいない寂しさがこんなにも肌をさすものだったとは思ってもいなかった。
そもそも、一人で孤独なことが嫌いなたちではない。逆に人と一緒にいることの方が煩わしいと思うほどだった。
警察官の時は、仕事なので仕方なく人とのかかわりを持っていたが、本当は一人でいるのが好きなタイプ。気分的には事件が解決すれば、数日間はゆっきりと家に引きこもっているか、それとも、どこか鄙びた温泉宿にでも赴いていたいくらいであった。
朝は日が高くなる前まで眠っていて、気が付けば、用意してある長足を摂り、朝風呂を嗜む。他の人であれば、長足の前に朝風呂としゃれこむのだろうが、紀一の場合は、食事をしてから風呂に入るということが日課になっていた。
それは子供の頃からのことで、むしろ子供の頃から身についた習慣が、身に染みていると言っていいだろう。
定年退職してから、最近では何か趣味はないかと思って探しに、市役所のコミュニティセンターを訪れてみると、市民サークルのようなものが結構あった。絵画や詩吟のような芸術から、ボランティア活動、ゲートボールなどのスポーツ振興などもあった。アルバイトで駅や公園の清掃はしているので、ボランティア活動は最初から眼中にはなく、いまさら身体を動かす趣味よりも、何か芸術的なものがいいと思い始めたのが、俳句だった。
俳句の先生は、近くの大学の名誉教授で、俳句の世界では、時々教育テレビにも出てくるほどの先生であった。
「地元に根差した活動をしていきたい」
と常々先生は言っていて。テレビに出るような有名な名誉教授ではあるが、普通に知らない人が見れば、ただのおじさんというだけのものだった。
「友達感覚で教えられればいいですよね」
と言っていて、先生の友達間か悪は普段から一緒であり、サークルが終わってから、先生はめなーを連れて、よく呑みに行ったりしていた。
紀一も誘われたことがあったが、
「あまり酒を呑める方ではないので」
というと、
「じゃあ、無理には誘いませんが、三課されたい時には遠慮なく言ってくださいね」
と言ってくれた。
二、三度は一緒に皆で呑んだこともあったが、一度、先生から二人きりでと言って誘われたことがあった。
どうやら、先生としては、一度は参加者の人と差し向かいで呑んでみたいと思っていたようだ。
だが、意外とお互いに意気投合したのか、先生の方から、時間があったら誘い掛けてくれる。人数での飲み会は苦手だが、差し向かいであれば、別に遠慮することもない。いくら相手が先生と言っても、差し向かいであれば、対等な立場を自分から作ろうとするのが紀一の性格だった。
そんなこともあってか、先生は紀一を気に入ってくれたのか、よく誘ってくれるようになった。
そんな時、紀一もよほどの事情や、体調の悪さなどがない限り断らない。だから余計に一度断ると、
「どうしたんですか? どこか具合でも?」
と余計な心配をされてしまう。
それも悪いことはないのだが、紀一には苦手なことだった。
それを思うと、二人きりというのも、決して気が楽なことではないと思うようになったのだった。
ちょうどその日は、家から俳句サークルで使っているメモ帳をもってきていた。何か思いついた句があれば、詠んでみようと思っていたのだ。閃きというのは、いつなんで気あるか分からない。だから、俳句に限らず、メモ用紙はいつも持ち歩いていた。
俳句を作ろうと、公園のまわりをいろいろ散策してみた。一つのテーマとしては、
「せっかく目の前に天守閣があるので、天守閣を主題にするか、バックにイメージしているかのような作品を描ければいいな」
と思っていた。
俳句というのは、
「五・七・五」
という決められた文字数に感情を込めるというもので、文章とは逆のイメージを持つものである。
小説などのように、目の前の情景をいかに相手に伝えるか、あるいは、その人の信条や、あるいは、物語であれば、段階を追って、その場の情景を伝えられるかということが大いに問題になるのだった。
しかも俳句というのは、ある意味制限がいろいろある、まず季語というものを必ず一つはいれないといけないということ、さらに多重季語は絶対にダメだというわけではないが、避けなければいけない。さらに文字数という制限。そういう意味では小説を書くよりも難しいかも知れない。
だが、
「俳句は何とか作ることができるが、小説は絶対に書けない」
という人が結構いるのではないだろうか。
俳句というものは、いろいろな制限があるが、ある意味制限があるだけに、制限さえ守っていけば、それほど難しいことではない。しかも、短い文章なだけに、慣れてくるのも早いのではないだろうか。
しかし、小説というのはそうはいかない。
やってみると分かるのだが、何も用意せずに書き始めれば、たぶん数行も書いたところで、先が見えている。いかに小説を書こうとしても、一度挫折すると、
「やっぱり長い文章というのは難しいんだ」
と思い込んでしまう。
文章を書くには、基本的にはプロットというものを作成する必要がある。
いわゆる設計図のようなものだが、どのような内容にしようか、ジャンルであったり、情景や登場人物の配置。さらには、描く時の視点が一人称なのか三人称なのか、さらには、起承転結などの流れも必要だ。
それを書いておかないと、書いていて支離滅裂な内容になってしまい。袋小路に迷い込んでしまう。それが小説を書けない一番の原因なのではないだろうか。
ただ、本当に書けないという一番の理由は。、
「自分には書けないんだ」
という思い込みがあるからだ。
そういう意味で、小説講座であったり、小説の書き方なりのハウツー本を読んだりすると、一番よく書かれているのが、
「何があっても、一度は最後まで書き終えることが大切だ」
と書かれていた。
途中で挫折してしまうと、
「ああ、やっぱり駄目なんじゃないか。小説を書ける人というのは、一部の限られた天才だけなんだ」
と思い込むであろう。
だからこそ、逆に、
「書けるようになりたい」
と思うのだ。
書けないからこそ、書きたいと思う。それこそ、芸術を志す人の共通の考えではないだろうか。
作ることのできる人を芸術家として尊敬する。その思いがあるから、自分もそうなりたいと思うくせに、うまくできないと、
「やっぱり、俺なんかにはできないんだ」
という言い訳になってしまうのだ。
だが、俳句の場合は、思った言葉を決められた文字に置き換えればいいだけだ。
「そんな簡単なものではない」
と言われるかも知れないが、別にプロを目指しているわけでもない、ただの素人が趣味としてやっていることだ。
そう思うと、誰にでもできると思うのだが、できることで、さらに高みを目指そうとする気持ちが生まれてきて。小説を書けるようになりたいと思う気持ちも、
「書けるようになって終わりではない。まだスタートラインに立ったというだけではないだろうか?」
と思うようになった。
俳句を書こうと思って公園の林の中にまで入り込んで書いていると、そこに何か黒いものが落ちているのを発見した。
「何だ、あれは?」
と思って近づいてみると、小さな、トランプのカードくらいの大きさで、少し厚みがあるのを感じた。
年を取って視力も落ちてきたので、それが何であるか、分かった気がした。
「スマホではないか?」
と思い、拾って交番に届けようかと思ったが、
「待てよ?」
とふと考えてみると、
「そういえば、一昨日、あいりさんを病院に運んだ時、ケイタイが見つからないとか言っていなかっただろうか?」
ということを思い出していた。
ケイタイが見つからないことで、誰かが持って行ったのではないかと思っていたのに、どうしてこんなところにあるというのだろう。それを思うとまったく別人のスマホの可能性もある。何しろここは、一度警察が捜索した場所ではなかったか。
ただ、少し分かりずらいところにあるのも事実で、あまりこんなことは考えたくはないが、殺人事件でもない捜索で、見つかりにくいところまで踏み込んで探したかどうか、少し疑問だった。自分が二年前までいた警察なだけに、その思いが却って深いというのは、実に皮肉なことである。
とりあえず、汗を拭くタオルハンカチに包んで、そのまま交番に届けようと思った。見る限り、公園内に人はおらず。スマホを探している様子もない。とりあえずは交番に届けるのが無難ということではないだろうか。
そう思った紀一は、近くにある、正確にいえば、大手門から少し出たところに交番があるおを知っているので、そこに届けることにした。
交番には、一人若い警官がいた。
「すみません。落とし物を持ってきたんですが」
と言って、中に入ると、
「スマホの落とし物ですね? わざわざありがとうございます」
と言って、一枚の紙を取り出し。
「ここにお名前と拾った場所などをご記入ください」
と言って、いかにもお役所仕事という感じの対応に、少し苛立った紀一だったが、
「いや、その前にちょっと気になることがあるんだけどね。君は一昨日、城内公園で昼間に一人の女性が苦しみ出して、救急車で運ばれたという事件を知っているかね?」
と、聞くと、
「ああ、その話は聞いていますが、それが何か?」
というので、どうにもこの男では、話に埒があかないと思っていると、ちょうど奥から先輩と思しき警官が出てきて、
「どうしたんだ、一体?」
と、今まで休憩していたかのようなリラックスした雰囲気で出てきた。
「いえ、この方がスマホを拾われたようなんですが、何でもおとといの上ねい公園での苦しみ出した人について聞かれたんですよ」
と報告した。
その時も、どうにもハッキリしない様子は、本当に義務として警官をやっているとしか思えないやつのようだった。
だが、奥から出てきた警官は、しっかりとした警官で、紀一を見たその人はすぐに、
「失礼ですが、佐々木警部でありますでしょうか?」
と言って、直立不動で敬礼した。
「いかにも」
というと、
「これは失礼しました。確かこの間の救急車で搬送された時に、一緒に乗って行かれたのが佐々木警部であるということが書かれていたので、もしやと思ったのですが、やはりそうでしたか。ご苦労様です」
と言われたので、
「いやいや、もう定年退職した身なので、私はただの一般市民ですよ」
というと、さらに二人は恐縮しているようだった。
若い方の警官がどこまで恐縮しているのか分からないところが、紀一にはあまり気分のいいものではなく。年を召した先輩警官であれば、少しは話しが通じるだろうと思い離し始めた。
「あの時、スマホが所持品の中になかったことは分かっているよね?」
と聞くと、
「ええ、分かっています」
と言われた。
「dえ、それから、あの公園をいろいろ探してみたんですよね?」
と聞くと、
「ええ、探しました。これはどこにあったんですか?」
と訊かれたので、その場所を説明すると、
「あの場所は探したんですよ。どうして見つけることができなかったんでしょうか?」
と言われたので。
「ケイタイやスマホのような精密機械は水などに弱いですよね? 確か昨日、少し雨が降りませんでしたか?」
と言われた警官は、
「そうですね。確か昨日は早朝に少し雨が降ったような気がします」
というのを訊いて。
「私は、今早朝だけ、駅や公園で少しの時間、清掃のアルバイトをしているんですが、確かに昨日は道路とかが少し濡れていたような気がしたんですよ。それに少しだけ暖かかった。放射冷却ではなかったのだろうと思っていると、地面が濡れていたので、少し夜中に振ったのかなって思ったんですよ」
「ええ、その通りです。若干ですが降りました」
「そのスマホは濡れた後もないですし、壊れている様子もないでしょう?」
と聞くと、
「ええ、壊れている様子は確かにないし、濡れた後もないですね。ということは、あの場から誰かがスマホだけを持ち去って、昨日の朝以降のあの場所に置いたということでしょうか?」
「そういうことでしょうね? 理由は分かりませんが、誰かにとって、そのスマホの中身を確認する必要があったということでしょうね?」
「まさか、あの服毒事件というのは、誰かがこのスマホの中身を確認するために、被害者が死なない程度に事件を起こしてその隙にということだったのでしょうか?」
「考えられなくもないが、いくら致死量ではなかったといっても、これは完全な殺人未遂ですからね。スマホを奪いたいだけで、わざわざそこまでするかどうかでしょうね。犯人にとって、それだけ重要なものが、そのスマホに隠されていたとも考えられなくもないからですね。難しいところだと思いますよ」
と、紀一は言った。
「分かりました。とりあえず、これはK警察にお送りして、中身の確認をしてもらいましょう。だけど、スマホってロックが掛かっていた李すると開かないんでしょう?」
「ええ、そうですね。でも、誰のものかなどということくらいは分かるんじゃないでしょうかね?」
と警官は言った。
「それではさっそく手配しましょう」
と言って、K警察刑事課に、連絡を取っているようだった。
電話に出たのは浅川刑事のようで、話をしているうちに、こちらにスマホが届けられ、それを届けたのが紀一であることを告げると、
「なんですって?」
と、少し驚いたような声を発した警官は、その視線をそのまますぐに、紀一に向けた。
電話を切ると、
「佐々木さん、今のは浅川刑事だったんですが、どうやら、また事件があったようです。今度は本当に殺されたようで、被害者はこの事件に関係のある人だということです。浅川さんがもしよかったら、佐々木さんをcこちらに連れてきてほしいというのです。もちろん、スマホも一緒に持ってですね」
というではないか。
「ええ、分かりました。私も何か胸騒ぎがします。ご一緒しましょう」
といい、パトカーに乗り込んだ。
今朝の夢といい、何か虫の知らせを思わせる何かを感じていたのを思い出した。
――あんな思いしなければ、おかったのにな――
と、紀一は考えた。
何がどうなったのか、ハッキリと分からないが、急いでも十五分はかかるK警察署にまた行くことになるとは。
定年退職してからはほとんど足を踏み入れたことはなかったのに、ここ数日で二度目の来訪というのもおかしなものだ。
刑事課に行くと、捜査本部の方はバタバタとしていた。先ほどの電話で伝わらなかった臨場感を今味わっているような気がする。
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