第3話 ライバル関係
その日は、とりあえず医者の話が訊けたことで、彼女が服用したものが、どういう種類のものなのかということが判明しただけだったが。判明したと言っても、青酸化合物のような純粋な毒ではなく、何かの薬品を混ぜたものであって、それは彼女が服用していたクスリに含まれているということが分かった。ただ、その徳がどのような目的を持って開発されたものであり、なぜ彼女がそれを服用することになったのかということは分からなかった。
今のところ、調査をするにあたっての問題は、そのクスリの出所とその正体。つまり、何を目的に作られたものなのかということである。そして、彼女の身元くらいは分からなければ事件は進展しないだろう。
とりあえず、事件としては、毒物による殺害未遂事件として捜査本部を立ち上げることになっているが、せめて被害者の特定を急ぐのが先決であろう。
彼女はどうやら、ジョギングか公園内で何かの運動をしていたためにジャージを着ていた。そしてその彼女の所持品からは彼女の身元を表すものは何も出てこなかった。財布と水の入った五〇〇ミリのペットボトル。そしてクスリの入ったポシェットのようなもの。後はタオルなどが入ったカバンがあっただけである。
「どうしてもあると思われるものを被害者は所持していませんね」
と、桜井刑事は言った。
浅川刑事にも桜井刑事が何を差して言っているのか分かった。そう、その必需品とは、スマホのような携帯電話であった。
財布はあるが、カードのようなものはない。彼女の腕には時計もなかった。となると、少なくとも時計代わりとして、スマホは持っていないと可笑しいだろう。いくら運動をするだけとはいえ、表に出るのにケイタイを持たずに行くというのは考えにくい。
考えられるのは、どこかに落として気付かぬまま、あのような状態になったということか、それとも犯人がケイタイを持って行ったかということであるが、実は後者は考えにくい。
もし、これが刺殺、絞殺で相手を殺そうとしたのであれば、その理屈も分かる。しかし、彼女は服毒だったのだ。つまりいつどこで服用するか分からないというもので、彼女がいつ服毒するのかということを、絶えず見張っていたということになる。
普通、毒殺を企む場合の考え方として、
「アリバイ作り」
というのが頭に浮かぶ。
しかし、実際にはアリバイ作りというよりも、
「犯人がその場にいなくても行える犯行」
という意味で、アリバイ作りという考え方とは相反するものがあると言ってもいいのではないだろうか。
とにかく、そのケイタイがなかったという事実がこの事件において、どのような秘密があるというのか、そこが大きな問題になるのかどうか、今のところ、状況がほとんど分かっていないだけに、疑問になることは、結構目立つものであって、小さく見えていることでも、その一つ一つが実は大きなことなのかも知れない。
被害者女性の情報は、なかなか出てこないのではないかと思われた。これが本当に殺害されたのであれば、公開して一般の人に情報の提供を願うこともできるが、命に別状ないということは、公開捜査を行うのであれば、本人の了承を必要とするであろう。何しろ個人情報の公開のようなものに近いからである。
だが、そんな状態は長くは続かなかった。思っていたよりも、簡単に情報が手に入ったということで、却って捜査本部の方としても、拍子抜けしたほどだった。
ただ、ここで名乗り出てきたのが彼女の友達を自称する一人の女性であったが、何かしっくりこないものを、浅川は感じていた。
それは、
「なぜ、今日なのだろう?」
ということであった、
被害者は死んだわけではないので、プライバシー保護の観点から、被害に遭ったということを公開して、情報を得るわけにはいかない。だから、知り合いが何かの事件に巻き込まれたということを知る由もないだろう。失踪であったとすれば、まだ一日しか経っていないのに、失踪と決めつけるには早い気がする。三日経っているなら分かるが、一日ではどうしようもないことだろう。
そういう意味で、なぜ名乗り出てきたのかが分からない。
とにかく、その女性に逢ってみることにした。面会は実際に彼女を見た浅川刑事と桜井刑事が行った。ただ二人も、人工呼吸器をつけられた痛々しい姿の彼女しか見ていないのだ。ハッキリと顔が分かるわけではなかった。
さらに捜査陣を当惑させたのは、彼女に付き添いの人物画あいたからだった。特にこのことについて一番当惑したのは桜井刑事であった。
「どうしてあの人が一緒なんだ」
と言って、頭を傾げた。
その人物というのは、他でもないこの事件に最初から首を突っ込んでいる、元警察官の紀一だった。最初から首を突っ込んでいるというよりも、事件の発端を作ったかのように思わせる人物として目されているくらいである。そんな人物が、自分がちょうど居合わせた事件の被害者の、友達という人を伴ってやってきたのだから、一様に捜査陣は色めき立つというのも無理のないことではないだろうか。
とにかく、刑事課の創設室で話を訊くことにした。話を訊く方は、当然桜井刑事と浅川刑事の二人である。
「わざわざ、本日はご足労願って、申し訳ありません」
というと、彼女は、
「いえ、ちょうど、佐々木さんが一緒に来てくださるということでしたので、来てみることにしました」
と、オドオドした様子で答えた。
――なるほど、この様子なら、誰か一緒に来てくれる人がいなければ、とても何かを知っているとしても、警察に出頭しようなどという勇気は持てなかっただろうな――
と浅川刑事は感じた。
そういう意味では、紀一には感謝しなければいけないなという思いを持つのだった。
「じゃあ、まずはあなたのことをお聞かせください」
と浅川刑事が訊ねると、
「私は坂口由衣といいます。職業としては、今はアルバイトなどをして、アイドルを目指しているところです。昼はアルバイト、夜は歌やお芝居、ダンスなどのレッスンに通っているというところです」
というと、
「ほう、アイドルですか。なかなか難しいものなのでしょうね?」
と、あまりよく知らない世界なので、漠然と答えたつもりの浅川だったが、由衣の方ではそれをねぎらいの言葉と感じたようで、今までのオドオドした雰囲気が少し和らいだように見えた。
本意ではなかったが、相手に安心感を与える結果になったことは、浅川刑事にもありがたいことだった。浅川刑事は由衣を見て、
「綺麗さの中に可愛さを秘めているような女の子だ」
と感じていた。
この感覚は程度の差こそあるが、浅川だけではなく、紀一にも桜井刑事にも感じられたことであった。
そして一様に三人ともが、その感覚に間違いはないと思ったのが、彼女のオドオドした雰囲気を、いかにも綺麗さの中の可愛さが原因だという風に感じていることだった。
「ところで、本日はどうして佐々木さんと一緒にこちらに来られたんですか? 佐々木さんとは以前からのお知り合いだったんですか?」
と聞くと、由衣は紀一の方を振り返って、戸惑いの表情を紀一に向けたが、紀一はそれを見て、目地空を込める形で由衣を見つめ、真剣な顔で一つ頷いて見せた。
それを見て、由衣は意を決したのか、話し始めた。
「実は今回の被害者だと思っているその人は、私の友人なんです。アイドルを目指しているライバルと言ってもいいかと思います。ライバルとは言いながら、アイドルを目指して一人で努力するというのは、かなりきついものです。一人でまわり皆を敵に回して戦うわけだし、制約も結構厳しいんです。彼氏を作ってはいけないだとか、体系意地のために食事制限であったり、スタミナをつけなければいけないので、食事制限をしながら、スタミナきれをしないようにしないといけないなどの矛盾したことも克服しなければいけない。だから、制約としては存在しているけど、適当に破っている人もいると思います。そのすべてを充実に守るなんてできっこないですからね、なので、私が思うに、アイドル養成事務所の考え方として、少しきつめの制約を貸しているのかも知れないとも思うんですよ。少々破ったとしても、それはしょうがないという考えでしょうか?」
というではないか。
「それって、却ってきついのでは? 相手が許容していることを、皆知らないわけですよね。いくら破られても仕方のない部分があるとはいえ、破ってしまうと、自己嫌悪に陥ってしまう人もいるでしょう。そうなると、耐えられない人も出てくるのでは?」
と浅川刑事がいうと、
「それはあると思います。でも、それくらいのことを乗り越えていかないと、アイドルとしてはやってiけない厳しい世界でもあると私は思っているんです。アイドルを目指している私たちも必死の覚悟を持た名kれ場いけないんです。だから、事務所にはその覚悟を受け入れてもらえるだけの技量を私たちも求めているというわけですね」
と、由衣は言った。
「本当に大変な世界なんですね」
と浅川刑事はねぎらいの言葉を掛けたが、実際には今までのアイドルというものへ、どこか偏見の目を持っていたことに少し謝罪の気持ちもあった。
しかし、アイドルの世界にもピンからキリまでいるわけで、今まで感じてきたアイドルへのイメージを打ち消すわけではなく、幅を広げる感覚でいるということのだと自分なりに理解していた。
「それでですね。私と彼女は同じ事務所に所属しています。つまり、私が被害者じゃないかと思っている女性は私と同じアイドル志望の女の子だと思ってください」
と由衣は言った。
なるほど、それであれば、昨日紀一が見た光景はなっとくがいく。昼間ジャージを着て公園にいたというっことは、その日はアルバイトが休みの日で、昼間に基礎体力をつけるために、ジョギングや体操をしていたのではないかと思うと納得がいく。所持品もタオルとペットボトル、運動には欠かせないものだったのだ。
「どうして、佐々木さんとお知り合いになったのですか?」
と、まずは、そこから聞きたかったのだ。
「私は一緒に住んでいることもあって、彼女の性格も行動パターンも知っているつもりです。まず気になったのは、昨日彼女が帰ってこなかったこと。今までに一度もなかったからです。そして、昨日彼女はアルバイトが休みだったのを知っていたので、そういう時は、いつも城内公園でトレーニングをしていることも知っていました。だから、まずは昨日の行動パターンから彼女の行方を探そうと思って、公園に行ってみたんです。そうすると、そこにいたのが、佐々木さんだったんです」
と由衣は言った。
「佐々木さんは、どうしてその場所に?」
「私も、カノジョのことが気になって、家族の人が心配しているといけないので、どうすればいいかと思った時、昨日のあの場所にいることしか思い浮かばなかったんです。それで機能と同じ時間に、あの場所に行ってみると、由衣さんが話しかけてきてくれたというわけです」
それを聞いた由衣が、話を補足した。
「佐々木さんはベンチに座って隣のベンチばかり気にしていました。そこには誰も座っていなかったんですが、その視線の先に何があるのかが気になったとでも言いましょうか。普段あら怖くて話しかけられないところなんですが、私が見ているのを佐々木さんも気付いたんでしょうね。私を見返したんです。一瞬気まずいと思いましたが、私としてもせっかくここまで来て彼女のことを知っていると思えるような人をみつけたんです。これを逃せば、もう他に誰も彼女を知っている人に出会えることはないと思ったんですよ。そう思うと、佐々木さんに声を掛けなければと思ったんです。佐々木さんのような男性からはなかなか若い女の子には声をかけにくいんじゃないかと思ってですね」
「それで、思い切って声を掛けたというわけですね」
と浅川刑事がそういうと、
「ええ、そういうことなんです。私にとって一世一代の度胸の見せどころと言えばう大げさになるかも知れませんね」
と由衣はいうのだった。
彼女はその時初めて笑顔を見せた。はにかみからの笑顔だが、まさに、
「綺麗さの中に可愛さが滲み出ている」
という感じであった。
「由衣さんは、本当にその人のことが心配だったんですね?」
と浅川刑事に言われると、今度は少し頭を傾げて、
「心配していたのは間違いのないことなんですが、今から思うと、どうしてあの時、そこまで彼女のことを心配していたのか、自分でもよく分かっていないんです。正直、彼女がいなくなってくれれば、ライバルが一人いなくなるという思いがあったのは否めません。ただ、これは人をライバル視して、一緒に何かを目指している人には皆ありえることではないかと思うんです。大なり小なり、相手を蹴落としてでも上を目指したいという気持ちもないような人は、すぐに潰れていくような気がするんです。人と競争するということはそういうことなんじゃないでしょうか? 何をどう言っても、結果はむごいものですよね。どんなに寝る間を惜しんで努力しても落ちる人もいれば、ほとんど努力するわけでもないのに、合格する人もいる、それを要領の良さという言葉だけで片づけられるものなのでしょうか? 決めるのは自分たちではない。審査員の人が客観的に見て決めるんですよね? そう思うと、一番公平ではあると思うのですが、それだけに結論をつけてしまうことは、むごいことだと言えるのではないでしょうか?」
と由衣は言った。
由衣の言い分を聞いていると、アイドルがどれほど厳しいものであるかということを訴えたうえで、彼女のことをライバル視はしているが、お互いに相手のことを分かっているという人もそれほど多くない。人のことを見る余裕などないという意味であろうが、それだけに人のことを見ることができるのは実に貴重なことで大切にするべき人なのだろう。そういう意味で由衣はライバルだと思っていながらも、彼女の存在はそれ以上自分にとって大切なものだという考えでいるのではないかということであった。
たった一日いなくなっただけで、そこまで心配するということは、彼女がどれほど孤独だったのかということであるのかも知れない。そしてそれを理解しているのも、やはり自分を同じように孤独だと思っている自分だからだと思っているのが、由衣だというこちになるのだろうと、浅川は感じた。
きっと紀一も同じことを感じたから、由衣の視線に気づいたのではないだろうか。そういう意味でその時に紀一が由衣の視線に気づかなければ、ずっと病院で集中治療室に入っている彼女の身元が分からずじまいなのではないかと思えた。
「それで、佐々木さんに声をかけて、佐々木さんにお友達のことを聞いたんですか?」
と浅川が訊くと、
「いいえ、声を掛けたのは私だったのですが、私がオドオドしていたので、話しにくいとでも思ってくれたのか、声を私が掛けた以外は、ほとんど佐々木さんが話をしてくださいました。だから私はそれに答えるだけだったんです」
と、由衣はいうのだった。
「私は、昨日ここで見た光景を彼女に話したんです。何やら運動をしていたんだけど、急に苦しみ出したので救急車を呼んで私も付き添ったという話をですね。それで由衣さんは、たぶん、自分の探している友達だというものですから、まずは病院に連れて行ったんです。相変わらず意識不明でしたが、彼女を見て、由衣さんは間違いなく友達だというので、初めてそこで、何かの薬を飲んだせいで、ショック状態になり、救急車で運ぶことになったと言ったんです。そして、警察が身元を掴んでいないという話をすると、ああ、自分が警察で証言してもいいと言ってくれたので、私が一緒に伴ってきたというわけです」
と紀一がいうと、
「ええ、でも私一人では心細かったので、佐々木さんについてきてもらったというわけです」
という話だった、
「佐々木さんは、元警察官で、私たちの先輩にあたる方なので、安心していいですよ。そういう意味でも、あなたが佐々木さんとご一緒にいてくえたことはありがたいと思っています」
と、浅川刑事がいうと、桜井刑事はまた面白くない表情になったが、その表情を浅川刑事は気付いていないようだったが、当の紀一には、その視線をよく分かっていたのだ。
「佐々木さんとご一緒だったという経緯に関しては分かりました。では、肝心の彼女というのは誰なんですか? どういう人物なんでしょうか?」
と、浅川刑事は、いよいよ核心部分に入ってきた。
「彼女の名前は、川本あいりと言います。私と同じ二十二歳で、Kタレントスクールに所属しているタレント養成の生徒です。どちらかというと努力家なタイプで、いつもレッスンのない日でも、毎日欠かさずに自分で決めたスケジュールにストイックなくらい生真面目に練習しyていました。ただ、なかなか芽が出ないところがあって、要領が悪いというイメージを私は持っていましたが、どうもそうではないというウワサもありました」
と、由衣は言った、
「じゃあ、その川本さんという人は、あなた以外にお友達がいたような感じはありましたか?」
と訊かれた由衣は、
「一度、練習生以外のところで友達ができたと言っていたんですが、どうも付き合いがなくなってしまったようです。あいりはそのことを私たちには言わなかったんですが、その理由は、どうやら何かで裏切られたのが原因ではないかと言われています。で、その原因というのが……」
と言いかけて、トーンダウンしたのを見て、
「どういうことなのかな?」
と、浅川が背中を押した。
「どうやら、同じ人を好きになったようで、その人を争って、その時に相手のあざとさに負けたかのようで、普通にありえることなんでしょうが、あいりはその人を信じていたので、余計に裏切られたという意識が高まってきたのではないかと聞いています」
という話だった。
「だとすると、あいりさんは、それで余計に孤独感を感じ、その孤独感の裏返しが、裏切られたという思いに繋がったのかも知れませんね」
と、浅川刑事は言った。
「そうですね。でも、これはあいりだけの問題ではなく、私を始めとして、アイドルを目指している人皆が持っているものなので、分かる部分もあるんですが、それだけに、余計に人の気持ちにはむやみに入れないとも言えるのではないかと思うんです。私だって、人からいくら心配してくれていると言っても、むやみにしかも土足で踏み込んでこられることには違和感を感じるんですよ。それは刑事さんにも分かっていただけることではないかと思います」
と言われて、
「確かにそうですね。今までにいろいろな人の事件に介入してきましたけど、同じような話をされている人は結構いました。でも、いろいろ調べていると、皆それぞれに微妙に違っていたりするもので、下手に気持ちには踏み込んではいけないと再認識させられることが多いです。それにもう一つ感じたのは、どんなに同じような感覚を持っている人でも、踏み込んではいけない結界のようなものがあると思ったんです。その結界を超えてしまうと、却って相手が依怙地になってしまう。入り込んではいけないところがあるというのを、忘れていたわけではないはずなんですが、結界を超えると、ハッとした気分になって改めて考えさせられた李するものなんですよ」
と浅川刑事が言った。
それを聞いて由衣は何度も頷き、浅川刑事の気持ちが何となく分かったかのように感じていた。
「私はあいりの気持ちをたまに考えるんですが、ただ、その時に、あいりも私のことを同時に感じてくれているんじゃないかって、自覚のようなものがあるんです。それは妄想というよりも、何か電流のようなものが身体を走る気がするんです。そこは、同じものを目指して一緒に努力している者同士でなければ分かり合えない何かなんだろうなと思うんです」
と由衣は言った。
「ところで由衣さんは、あいりさんが何かいつも薬のようなものを飲んでいるのをご存じでしたか?」
と言われて。
「いいえ」
と答えた。
ちなみに、昨日紀一と一緒に救急車で運ばれたあいりのカバンの中にあったクスリは、最初どこかの調剤薬局の袋に見えたのだが、病院で医者が、中身を確認してみると、その袋はただの真っ白い無地の袋であった。
「おかしいな、確かに何かの文字が書かれているかのように見えたんですが」
という話だったが、気のせいだとすると、そこから薬局や病院、さらには主治医に連絡を取ることはできないようだった。
さらに警察は、あいりの意識が戻ったという話をつい今受けていた。その速報が病院から入ったのが、紀一が由衣を伴って警察署にやってきてから少ししでのことだった。そのことを隠しておく必要はなかったが、とりあえず、彼女がまだ意識府営だったということでの二人からの話を訊いた方がいいと思ったのか、目が覚めたということになると、話が変わってしまいそうな危惧が浅川にあったのか、とりあえず二人には話が済むまで黙っておくことにしたのだった。
「私もあいりも、スポーツ選手ほどではないですが、レッスンだけでも結構な運動量をこなします。さらに体系意地のために、食事制限があるので、そのあたりの矛盾を解消するために、サプリメントのようなものだったりすることは結構あります。そういう意味で薬もサプリメントのようなものだと思うと、不思議はないような気がするんですが」
とあいりがいうと、
「でもですね。そのクスリって錠剤じゃないですか? 粉薬というのは考えにくいとは思いませんか?」
と、紀一は言った。
この中で紀一一人があいりが薬を飲んでいる場面に立ち会っている。あいりがサプリメントを意識したのは、今まであいりが薬を飲んでいるところを見たことがないという言葉の裏付けのようなものではないかと思えるのだった。
「なるほど、確かに粉薬にサプリメントという発想はないかも知れませんね」
と由衣は言った。
「でも、あいりが薬を飲まなければいけないほどの病になっているなどということはまったく感じませんでした。風邪を引いて、病院で薬を貰ってきたというのであれば。分からなくもないですが」
と由衣は続けた。
浅川刑事と桜井刑事は目を合わせて、納得したかのような表情になっていた。それは、一通りの話が訊けたということであろうか。
「あいりさんとの話を訊いていると、由衣さんとは性格的に合っていないような気がするんですが」
と浅川は言った。
「どういうことですか?」
と由衣が訊いた。
「何か、お互いに遠慮しているかのように見えたものですからね」
と浅川は言ったが、それが本心からではないということは、その場にいた人には分かったかのようであった。
なるべく相手を傷つけないようにしようという思いと、あまりきつい言い方をすれば、せっかぅ自分がら話をしようと思っていることでも、いう機会を損なってしまいそうに思えたからだった。
「あいりという女性は、どちらかというと内にこもるタイプだったので、まわりからも余計な気を遣うことが多くて。その分、何を考えているか分からないというイメージを抱かせるので、一番いいのは、近づかないことだとまわりからは思われているのかも知れないですね」
と由衣は言った。
「でもですね、アイドルを目指している人が、そういう感じでいいんでしょうか? 人を楽しい気持ちにさせるのがアイドルなんじゃないかって勝手に思っているんですけど」
と、桜井刑事が口を挟んだ。
「そうですね。それはいえていますが、あくまでも、それは外面的なことであって、内面的には他の女の子と変わりはないんです。逆にいうと、自分の中をしっかり理解していないと、まわりを楽しい気持ちにさせるなど本当はできっこないなどということは、分かり切っているんですよ。でも、そのために自分を追い詰めるのって、ある意味本末転倒な気がするんです。一種の矛盾ですよね。それを克服することができればいいんでしょうが、なかなかそうもいかない。それを思うと、本当はアイドルなんてやってられないと思うんでしょうが、またすぐに夢を追いかけるんですよ」
と由衣がいうと、
「アイドルというのも、因果な商売なんでしょうね」
と、桜井刑事が言った。
「私などが一番、本末転倒だと思うのが、恋愛禁止ということですね。だって、疑似恋愛のような気持ちを男性の人に感じさせることで、自分のファンになってもらおうという気持ちがあるのに、肝心のアイドル本人が、恋愛経験がないとか、今恋愛をしていないなどというのは、どこか辻褄が合っていないような気がするんですよ。私だけの感覚なのかも知れないけど、恋愛を知らない人間に、疑似とはいえ、恋愛を相手に感じさせるなどできるわけはないじゃないですかね?」
と言っていた。
「それはアイドルだけの世界の問題ではないかも知れないですよね。我々刑事だってそうですよ。犯人は逮捕しなければいけない。罪を償わせなければいけないという理念がありながら、犯人が犯人になるには、それなりに事情があるはずなんですよね。殺人事件であったとしても、人によっては、その人が殺されることで、他の人がしななくても済むということが実際にあったりするんですよ。これだって一種の矛盾ですよね。それを思うと、刑事という職業も因果な商売だと思うんです。だから、皆何かを仕事をしていれば、大なり小なりの矛盾を抱えているということになるのではないかと感じることもあるんですよ」
と、浅川刑事が言った。
それを聞いて、その場にいた桜井刑事も紀一も、由衣も、皆同じように、
「うんうん」
と頷いたのだ。
「そういう小さな矛盾が次第に積み重なっていくことで、人間関係がギクシャクして、相手を信用できない。あるいは、自分が信用できないなどという妄想に取り憑かれてしまうことで、こういった犯罪が引き起こされることになると言えるのではないでしょうか? 新聞に悲惨な記事が載らないような日を望んで仕事をしているんだけど、結局は、その一つ一つをさばいていくだけで追われてしまって、何もできていないことに、苛立ちを覚えているのは、自分だけではないと思うんです」
と、浅川刑事は言った。
「少なくとも今回の事件は、被害者が死ぬことはなくてよかったというのは、いいことなんでしょうね。でも、まだまだ謎が多く、それを少しでも解明できないと、彼女の被害も浮かばれないと思うんですよ」
と、桜井刑事は言った。
「今日はわざわざご足労頂いてありがどうございました」
と言って、由衣をねぎらって浅川刑事が彼女を変えそうとした時、
「浅川刑事、あのことをお話になった方がいいのではないですか?」
と桜井刑事が言った、
それを聞いて浅川刑事は一瞬悩んだが、
「そうですね、ご報告しておきましょう。実は、病院のあいりさんが意識を取り戻したんですが、医者の話では、記憶を失っているということだったんです」
と浅川刑事がいうと、それを聞いた由衣と紀一は唖然としてしまったが、ショックであることに違いはないようであった。
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