#4 チケットの使われ方③

「ライブのチケットといえば、もちろんライブを観に行くためのもの。ここにいる全員がそのことを理解していると思います」

 チケットを一枚掲げ、蛍光灯に透かすように持つ。ドリンクチケットのために切り取り線が描かれているが、これは表示上だけで、折れば切り離せるわけではないようだ。実際はハサミなどを使うのだろう。紙自体はしっかりとした素材(おそらくはマット紙)で作られている。裏側には何も印刷されていない。

「普通ならチケットがなくなってしまったとき、誰かがライブを観に行くために、もしくはライブを妨害するためにチケットを掠め取った、みたいに考えるでしょう。これは一種の先入観だと思います」

 ご飯の前に箸が置かれていれば食べるためのものだと思い、眼鏡の近くに柔らかい布が折りたたまれていれば拭いて綺麗にするためのものだと思う。ではライブのタイトルや場所、日時が書かれている紙は何のためだと思うか。

「ところが、今回の犯人の意図はどの目的にも該当しなかった。福井陽稀は、これをライブに行くためのチケットだとは思わなかったんです」

 隣に座る福井を見やる。不機嫌とも取れるように口元を引き結んでいるけど、福井の場合はたぶん何も言うことがないという意思表示だろう。

「まず前提として、彼は本日提出の課題が終わってなかった。だからそのために時間をフル活用して課題を片付けようとしたんです。その課題というのが読書感想文だった」

 ガラステーブルには一冊の文庫本が置かれている。今回提出が求められている読書感想文の課題図書に選ばれている本だ。まさか福井がこれを読むとは思わなかったけど、このタイトル以外は硬派というか、海外小説なども多かったので、一番手軽ではあったのだろう。

「読書感想文を書くには本を読まないといけません。ネットで他の人が書いた感想をアレンジする……なんて狡猾なやり方もありますけど。ともかく読書をしなければ読書感想文は完成しないということで、福井は渋々小説を読んでいた。今日まで読書感想文が片付いてなくて、放課後に居残りしていたくらいだから、まだ読み終えてもいなかったんじゃないんでしょうか」

 また、福井を見る。

「じゃないんでしょうか」

「なんだよ。忙しかったんだよ、その、いろいろなアレが」

「まあいろいろなアレがあったということで、福井は今日も小説を読み込む必要があったと。なので昼休みも読書にふけっていたわけです。邪魔が入らず静かに本を読めそうな場所といえば、もちろん図書館もありますけど、僕たちには部室がある」

 再三言うけど、軽音部室は文化棟に端っこ、辺境も辺境に存在する。昼休みや放課後をこの部室で過ごすことは少なくないけど、扉の向こうを歩いていく人影などほとんどの場合が戸締まりに来た用務員さんだ。騒音に悩まされることもない、事実僕も今日は本を読もうとしていたところだ。

「福井陽稀は、昼休みに部室で課題図書を読んでいた。といっても昼休みはそう長いわけではないから、すべて読み進めるのは難しいでしょう。読み終わった部分を覚えておくにはスピンなりでマークしておく必要があります」

 聞き慣れなかったか、福井が眉根を寄せる。

「スピン……って何なんだ」

「栞紐のこと。文庫本についてる紐みたいなやつ。これを挟んでおくことで栞の代わりにすることができる。ただこの本にはスピンが付いていなかった」

 そこまで話したところで仲山先輩がぽんと手を打った。

「そっか。だからのね」

「ええ。福井は昼休み終わりに栞の代わりとして、近くにあったライブのチケットを本に挟んで持っていったんです。だから放課後に部室に来るとチケットが一枚だけなくなっていた……というのが事の顛末ですね」

 横に立つ軽音部部長――植田克実先輩は二、三回拍手をした。

「いやあお見事。まさかそんなことが起きていたなんて知らなかった」

 福井から話を聞いてすべてが解決したところで、植田先輩は部室に入ってきた。なので今は先輩向けに事のあらましを説明していたのだ。先輩は向かいのソファに座ってこちらを見る。

「波多野は、昔からこういうことが得意なのか?」

「そういうわけではないです。母が刑事サスペンスを見ていたのを昔から横で眺めたりはしてましたが……推理のたぐいは全くですね」

「そうか、なるほど」

 実のところ、小さいところからパズルが大好きで、こういう謎解きもパズルみたいなものだと思っていたけど、こういうことを吹聴するのは気が進まない。自分の持っているものは、気軽に見せびらかさないほうがいい。それは相手に関しても同じで、必要以上に他人のことを深掘するものではないのだ。とかなんとか考えていたせいで、僕は先輩が小声で話したのに気づくのが少し遅かった。

「実はな、波多野」

「えっ、なにか言いました? 先輩」

「ああいや、いいんだ」

 なんだろう。何かを話そうとしてキャンセルされると余計に気になってしまう。僕がさらに訊き返す前に、植田先輩はパンと手を打って場を締めた。

「ともかく、チケットはこうして俺たちの手元にすべて戻ってきたわけだ。一件落着! ライブは今度の土曜日にあるから、用事がなければ観に来てくれよな」

 そう言って一年生に一枚ずつチケットを配って、残りの二枚は植田先輩のリュックサックに仕舞われた。ライブのチケットって全部売れないと自腹になるんじゃないだろうか。『COPPER HOUSE』のシステムはよくわかっていない。

 しかし、ライブか。最後に行ったライブが高校受験前なので、もう半年以上前のことになる。学生中心のライブとはいえ楽しみなのは楽しみだ。

「そう、きっと楽しいライブになるから、遊びに来てね」

 仲山先輩もそう言って、そこからはいつもの軽音部室に戻った。好きなアーティストの話をしたり、静かに本を読み始めたり、話題もなく話しかけたり、いびきをかいて寝たり。下校時刻になれば、それぞれ帰路につく。ちょっとおかしな事件こそ起こったけど、軽音部の活動は極めていつも通りだった。今日の事件には何の違和感も覚えず、明日も明後日も、一ヶ月先も同じような日常が続くのだとおぼろげに思っていた。


 次の土曜日。

 先輩たちのライブを観に行く日。

 安寧と至福の高校生活は、突如錆びつきはじめる。

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