#3 チケットの使われ方②

「先輩が部室にチケットを置いたのは、いつのことですか?」

 話を切り出したのは山口さんだった。

「部室に来たのは朝ね。授業が始まる前にとりあえず置いておいて、放課後に渡そうと思ってたの」

 僕はソファに腰かけて、チケットを一枚手に取る。

 ライブチケットには切り取り線がついている。ライブのタイトルとか日程などが記されている部分が三分の二ほどで、残りの三分の一はドリンクチケットになっている。入場した時にこれを切り離してドリンクを一杯もらうわけだ。チケットについてそれ以外特筆することはない。……まあ、チケットに短い足がついていて、勝手に逃げ出すことはあるまい。

「ということは朝から放課後の間に、誰かがここに来てチケットを盗み取っていった、というわけですな」

 山口さんは探偵っぽく顎を撫ぜて、こちらを見た。

「で、真相はいかほどで? 波多野探偵」

「僕が探偵なんだ」

「だってこういうのは波多野っち得意じゃない?」

「探偵の真似事が得意だと吹聴した覚えはないけど」

「でも勉強はできるじゃん」

 何を言ってるんだ。それとこれとは話が違う。作者の心情を読み取ることと、失われたチケットの行方を考えることには雲泥の差がある。僕は肩をすくめてみせた。

「さすがにこのままじゃ何もわからないよ。このままじゃね」

 世の中の探偵――正確には探偵の仕事ではないのだけど――が披露する推理というのは、無から閃きを得るものではない。謎があり、前提となる情報があり、情報から得られる結果にズレが生じると、それが謎としてこの世に生まれる。推理につきものの謎というのは、往々にしてズレから始まっているものだ。ズレた物を知りたければ、基本的には深掘りしてしまえばいい。

「……状況を整理しましょうか」

 咳払いして、続ける。

「仲山先輩がライブのチケットを部室に持ってきたのは、授業が始まる前だった。ちなみにそのとき、他の人は部室にいました?」

「ううん、私だけだったわ」

「それ以外で部室に立ち寄ったのは、今この放課後だけでいいですね?」

「そうね。昼休みは図書委員の当番があったから」

「つまりチケットは、朝休みから放課後の間のどこかでなくなったと」

「波多野っち! それなら私でもわかるよ」

 そう。ここまでなら鈍感な山口さんでも推測できる。

「じゃあ山口さんに聞いてみよう。今回の事件においては、いつ誰がチケットを持って行ってしまったと思う?」

「んん~?……」

 自分に話が振られると思ってなかったのか、山口さんは眉を寄せて口をつぐんでしまう。答えを待たずに、僕は続きを話していく。

「いろいろ仮定してみればいいんだよ。一限と二限の間、移動教室に立ち寄る途中、昼休み。掃除をサボって隠れるついで、放課後ダッシュ」

「うーん、授業の間はちょっと無理なんじゃない?」

「それはなぜ?」

「なぜかって……そりゃ、授業の合間って一〇分くらいしかないし、教室から文化棟って結構離れてるから、かな」

「そう。授業の合間を縫って、わざわざ軽音部室まで来たというのは考えづらい。だから選択肢からは一旦消える」

 正しくは可能性が低くなる、だけど。

「推理ってのは基本的にこれを繰り返して、可能性が高い選択肢の確度を上げていくだけなんだ。やり方さえわかれば難しいものじゃないよ」

「ふうん、そういうものなのかな?」

「多分ね。こんな感じでいろんな選択肢を検討していくと、なんとなくこれじゃないかなってものが選べてくる」

 選択肢『授業の合間』が消えたのは、時間的余裕がないから。

 では、時間的余裕があるのは?

「昼休みだったら四十五分もあるから、時間は足りるだろうね」

「うん。だから僕は誰かが昼休みに軽音部室へ来て、チケットを持って行ったんじゃないかと思ってる」

「確かに、普通に考えたらそうなりそうだけど……」

 仲山先輩が首を傾げる。

「でも、誰が来たかなんてわかるものなのかしら? 言ってしまえば、今日学校に来ている人だったら誰でもできちゃうわけでしょう」

 もっともな話だ。軽音部室も夜中は施錠されているけど、朝早く用務員さんが開けてからは下校時刻になるまでは開け放たれている。一般的な公立高校に監視カメラが設置されていることもなく、誰がこの軽音部室に来たかなんてわかったものではない。何なら部外者がこっそり忍び込むことだって不可能ではないわけだ。

 こういうときはどうすればいいか。

「例外から考えるのは非効率です。基本的なことから考えましょう。この櫛田高校において、昼休みに軽音部室に来る可能性が高いのは誰がいると思う? 山口さん」

「そりゃもう、軽音部員ぐらいじゃないかな。あとは……顧問の先生とか?」

「軽音部顧問の三城みしろ先生は正直、形式だけの顧問をしてもらってるから、部室に来ることはあまりないかもしれないわね」

「なら、軽音部員の誰かってこと?」

 僕は頷いた。軽音部室に来る可能性が高いのは、当然軽音部員だ。軽音部員なら、ライブのチケットに興味を持つこともあるだろう。だからといって黙ってくすねていくような人がいるとも思えないけど……。

 改めて、チケットを手に取ってみる。ライブ『未成年の逆襲』のチケットは、桜をモチーフにしたデザインが施されている。綺麗ではあるけど、だからこっそりもらっていくということは考えづらい。

 たとえばこれが、意図的に持ち去ったものではないとしたら……。

 ……ふむ。

 ひとつ、仮定ができた気がする。

「波多野っち。なにかわかったかもって顔してるね」

「え、そう?」

「いや、そんな気がした」

 山口さんは普段、割とぼーっとしているようなイメージがあるけど、たまに鋭いところを突いてくることがある。女の勘、とでも言うのだろうか。指摘が間違いというわけではなかったので、僕は否定しなかった。

「まあね。とはいえ、こういうことが起こったりするんじゃないだろうか、っていう想像レベルの話だけど」

「でも、たったこれだけのことで、想像ができるものなの?」

 先輩は怪訝に眉根を寄せる。無理もない。チケットがなくなって、ちょっと状況整理しただけで、犯人の想像をするだなんて、先輩には難しいかもしれない。

 僕には、他にも情報がある。

「簡単なことですよ。僕の仮定が正しければ――」

 開けっ放しになっている出入口のほうを見る。

「もうすぐ犯人は、ここにやってくるはずです」

 タイミングが良いのか悪いのか、僕ら三人の視線が集まったところで、やつは部室へとやってきた。上背が高く、いつも眠そうにしている級友――福井陽稀は気怠そうに数歩進んだところで、さすがに異変を感じ取ったか、立ち止まった。

「……えっ。なんすか、この状況」

 はたして、僕はどんなふうに言葉をかけるべきだったのだろう。

 犯人はお前だと糾弾するのは気が引けるし、級友を前にペラペラと弁舌を並べ立てるのも気分が悪い。

 だから僕は、至極当たり前のように問いかけた。

「やあ福井。は、もう終わったかい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る