第一章

#2 チケットの使われ方①

 県立櫛田高校は茶山ちゃやま市の中ほどに位置する進学校だ。卒業生の約八割が大学へと進学するため、一学年に六つあるクラスのうち、高卒での就職に力を入れるのは一クラスだけになる。つまり残りの五クラスの生徒は大学受験を乗り越える必要があるわけだ。受験に対する姿勢を一年生の頃から身につける必要があるのか、本校では一ヶ月に一度、定期テストが実施される。いわゆる中間テスト、期末テストではなく、毎月の学習到達度調査を目的としたテストが行われるのだ。そのため、常日頃から予習復習の習慣がついていないと、みるみるうちに置いていかれてしまう。

 ごく一般的な高校生・波多野透はとりあえず順調に高校生活を満喫していた。五月、六月のテストの成績は、まあ、客観的に見て上の下くらいで、特筆して劣っていた教科もない。授業の内容がわからないということもなく、学業面ではさしあたって問題はないだろう。

 部活は、まだなんとも言えない。小さい頃からギターに触れていたというだけで安易に軽音部に入部することにしたけど、入部してニヶ月経った今も、目立った活動はしていない。一応、父からもらったアコースティックギターを部室には置いているけど、知っての通り軽音部室では楽器の演奏ができない。音楽を軽んじる軽音部というトートロジーなのかと思いたくなるくらい、学内でできることは限られているのだ。今日も文化棟の隅っこにある軽音部室へ向かっているけど、何をやるかは決めていない。今日期限の読書感想文は提出しているし、読みかけの文庫本もクライマックス直前で、三〇分もあれば読み終わる文量。踵を返して帰ろうにも、窓の外は強めの雨が降っていた。まあ、なにか時間を潰すものはあるだろう。たとえば、

「よっす、波多野っち」

 名前を思い浮かべたところで、背中をバチコンと叩かれた。肩ほどまである茶髪をポニーテールにしている女子生徒は小さく笑いながら、僕の隣に並ぶ。先日は顔を見せなかった軽音部の同輩、山口史織だった。

「ああ、山口さん。どうも」

「リアクション薄っ」

 薄かったかな。これはこれは櫛田高校きってのトリックスター山口史織女史ではありませんか、くらいの反応を求められていたのだろうか。

「福井っちは?」

「彼の者は学び舎の用命につき不在である」

「まなびや?」

「居残りだって聞いた」

 級友・福井陽稀は、いや、当人不在の場で言うべきことではないのかもしれないけど、頭を使うことがとんと苦手だ。

 弁解のためにまず大前提として、福井は楽器全般に堪能だ。メインで弾いているベースはもちろん、ギター、ドラム、ピアノにはじまり、マンドリンやバンジョーのような楽器も嗜むという。まだ一度だけしか聞いたことはないけど、幼少時からピアノを習っていたのは本当のようで、とても同年代の男子の演奏とは思えなかった。楽器ではなく、福井は基本的に指先が器用なやつだ。体育のバスケットボールでは未経験にも関わらずすぐにドリブルをマスターして、数学の先生が持ってきたルービックキューブの取り扱いも滑らかだった。ただ、それを一面そろえるだけでも果てしなく時間を使うのが福井陽稀という男である。

「山口さんは、今日は何を?」

「んー。特に何も」

 軽音部って何する部活だったっけ。

 程なく部室の扉を開けると、今日は先客がいた。長い黒髪をした女子生徒のシルエットが、窓から入る陽光で切り取られている。軽音部所属の女子生徒は二人だけなので、呼ぶ名前には困らない。

「こんにちは、仲山先輩」

 軽音部副部長、仲山美香先輩は、髪をふわりとなびかせながら振り返る。

「あら、こんにちは。ちょうどいいところに来てくれたわ」

 仲山先輩をひとことで言うなら、日本人形のような居住まいだ。艷やかな尼削ぎ――今は姫カットっていうんだっけ――の髪は良い意味で作り物のようで、身長は標準的な僕より少し低い山口さん、よりも更に低い。いつかの帰り道で山口さんも『お人形さんみたいだねー』と話していた気がする。先日は英語の授業で分からなかったことの解説もしてくれて、頼りになる先輩だ。お茶の話を始めるとあっという間に日が暮れることを除けば。

「して、ちょうどいいところ、というのは?」

「ええ、ちょっとね。よくわからないことが起きちゃって」

「よくわからないこと?」

「うん。テーブルの上に置いてたものが、なくなっちゃったのよ」

 話を聞いて、部室の奥に置かれているローテーブルに目をやる。軽音部室は通常の教室の半分ほどの広さで、入り口から見て奥に長い構造をしている。手前の両側には書類が入った棚ともう片方に各自の機材が立てかけられており、奥にはガラス張りのテーブルと、それを囲むように奥と左右に革張りのソファが置かれている。まるで応接間のようだ。バンドスコアや授業のプリントなんかが好き放題に置かれているテーブルには、四枚の細長い紙が並べられている。少し早い七夕かと思ったけど、印字を見てそうではないとわかった。

「これ、『COPPER HOUSE』のライブチケットですか」

「そうそう。今度、私と植田くんが組んでいるバンドでライブに参加するから、そのチケットを今朝持ってきたの。皆にもあげようと思ってね」

 ライブのタイトルは『未成年の逆襲』。高校生バンドオンリーのライブイベントのようだ。『COPPER HOUSE』は、学校からそう遠くない商店街の奥まった場所にあるライブハウスだ。仲山先輩は、軽音部部長の植田克実先輩と一緒に学外でバンド活動をしている。スリーピースバンドだそうで、植田先輩がドラム、仲山先輩がベースだから、残り一名はギターだろうか。誰がボーカルをしているかまでは聞いていないけど、高校生にしてライブハウスで演奏しているのは尊敬に値する。僕なんて公園でこっそりと練習するだけで精一杯なのだ。

 テーブルに置いてあるチケットは四枚。先輩が僕たち一年生にライブのチケットを配布してくれるのであれば、チケットは三枚あればいい。一見問題なさそうに見えるが、そうではないのだろう。

「でも、さっき来たらチケットが一枚なくなってたの。朝、五枚持ってきて、ここに置いたはずなのに、なんだかおかしくて……」

 ふむ。

「僕たちがいただくだけなら四枚でも足りそうですが、他の生徒にも渡す予定があったんでしょうか」

「残ってたチケットが五枚だったから、まとめて持ってきた感じね」

 至極当然だ。

 確かに奇妙な話だ。部室に放置していたチケットが自ずから動き出すことはない。軽音部室は特に施錠されていないとはいえ、文化棟の端っこにあるような部屋で、一般生徒が気軽に立ち寄れる場所ではない。誰かが間違えて持っていたというのは無理があるだろう。

「申し訳ないけど、一緒に探してもらえないかな?」

 仲山先輩が本当に申し訳なさそうに言う。どうしようか、と声をかけようとした山口さんは、既に興味深そうにチケットを眺めていた。断る理由も特にないので僕は首肯した。

 ……しかし、チケットが勝手になくなるなんてことがあるのだろうか。

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