第6話 監視者
自分が産声を上げて助産師に取り上げられた、分娩室の風景を覚えている人間は誰もいないだろう。皆、それぞれに原初の体験、原風景があるが生まれた瞬間などは誰も覚えていないだろう。
俺の第二の生を彩るあの日を思い出す。
煤けた家の壁、破壊された内装から除く配管とコード。所々断線して散る火花。。
いつもと変わらない帰宅のはずだった。帰宅して、我が家の中だけが激変していた。リラックスできる調度品は荒れ果て、床も一部フローリングが損壊していた。
父の声を聞きつけ、駆け寄った俺は変わり果てた両親の姿を見た。
父も母も床に転がっていた。肩や膝から四肢が吹き飛んでいる。出血はなく、吹き飛んだ関節部分、剥き出しの断面からは金属部分とコード類が見える。時折ジジ、と断線したコード部分の音が不快に響く。
──そう。俺の両親はロボットだった。いつからそうだったのかは分からない。起動した瞬間からロボットだったのか、後天的に自分たちをそう改造したのか。だが、少なくとも両親は人間社会でなんら問題を起こすことなく、ロボットと人間が傷つけ合うことなく生きてきた。
あの日両親の旧知の科学者、黒沼博士が両親を破壊した。いつか、両親を再起動できるその日までと心に決めて、俺は両親の電源を落とし、二人のメモリーチップを回収した。
黒沼博士。ロボットこそが完全な存在であると、自らの体もロボットに改造して俺の前に現れた。だが、その実彼はとてつもなく人間の心を残した存在だった。
人間、ロボット。そう、区別をつけることにどこまでの意味があるのだろうか。
あの日、俺は誓った。
『俺はロボットだ……だけどみんなと、人間と共に生きる。ロボットと人間が対立するならば、俺は人間を守る』
そう、決めたのだ。
そのときから俺は改めて、人間であるとかロボットであるとか、それ以前の、岩清水恵助という自分自身の人生を歩むことができはじめたと思う。
黒沼博士による岩清水家襲撃事件から一ヶ月ほどが過ぎた。ようやく錬、御堂錬が取り調べから解放されて我が家に戻ってきた。
「お帰り、錬」
俺は玄関のドアを開け、錬を出迎えた。長い黒髪。涼しげな切れ長の瞳。俺たち機陵高校の制服とは違う白と紺のセーラー服。開けたドアの隙間からは外の冷気が部屋へと流れ込む。
「……ただいまだ、恵助」
「待ってたよ。ひとまずは無事でよかった」
俺は少し表情の硬い錬にそう言って微笑みかけた。錬はぎこちなく笑った。少なくとも俺と同じロボットである錬には疲労の概念はないだろう。だが、同じ自律学習型人工知能を搭載したもの同士、取り調べという名の拘留が彼女に精神面で負担をかけた可能性は十二分にある。ましてや、身内が現在姿をくらましているのだ。
「無事なものか。あちこち身体検査もされたぞ。……だが、最低限であっても、人間として扱ってはもらえた。ロボットだからといって」
「……そうだな」
今回の事件で錬が調査のため分解されたり国によるロボット技術発展のためのサンプルとして引き続き拘留されたりする恐れはあった。だが、国は表面的には一ヶ月前の出来事を黒沼個人による岩清水家襲撃事件として処理し、小規模火災並びに岩清水浩三、美智代の長期海外出張……そう取り繕うことにしたようだ。そして彼女は解放されて帰ってきた。
「……そしてそちらが担当の方……ってわけか」
そう、錬は一人で帰ってきたわけではない。
彼女の隣。女子としては背の高い錬より頭半分くらい高い、肩幅の広く厳しい顔つきの女性がそこにはいた。作業着のようなカーキ色のジャケットとカーゴパンツ。前髪はふわっと立てて額を出したワンレングス。後ろ髪は肩に掛かるかかからないかくらいで前に垂れた髪から綺麗なラインを描いて無骨なファッションに対してとても女性的だ。眼鏡の奥ではやや釣り上がった目が俺を見ている。
「私は空知。空知瀨奈だ。所属は陸自、階級は一等陸佐だ。岩清水恵助氏、御堂錬氏。君たちの警護を担当させてもらう」
「……監視ではなくて?」
俺は少し皮肉っぽく尋ねる。きっと感じが悪い、とは思いつつも俺はそう口に出していた。すると瀨奈さんは少し困ったような表情になる。先程の厳しい顔つきと違い、年下であろう俺が言うのも何だが少し可愛らしさのある困り顔だ。
「そう言われると困るな。いや、察しのいい子供たちだ。もちろん、それも任務には含まれている」
「正直に言ってくれるんですね」
俺がそう言うと瀨奈さんはうなずいた。
「自分だってかつては子供だったんだ。子供にとって、大人が不誠実な対応をとることが一番信用できないはずだ。……あ、いや。君たちを子供扱いしているわけではないが──」
瀨奈さんの言葉に俺は首を振る。
「……いえ、いいんです。実際、まだ子供なんですから。錬はどうか知らないけど、俺は……」
子供。ロボットである俺にそもそも大人とか子供とかそういった概念が適用できるかどうかはわからない。だが、それ抜きに、俺が成熟した一個の人格たり得るだろうか。
「恵助が子供なら私も子供だ。私だって達観したものの見方ができるわけではない」
錬もわずかに目を伏せた。俺たちの言葉に瀨奈さんは俺たち両方の顔を見比べる。その後、少しやりづらそうに彼女は自身の髪をくしゃくしゃと掻いた。
「そう言われると私も精神が特段君たちよりはるかに精神的に優れているわけでもないんだがな……ひとまず、家の中に入れてもらえるか?」
俺はうなずく。
「錬、お帰り。瀨奈さん、いらっしゃい」
「さて、恵助氏、錬氏、ご両人」
そう言って瀨奈さんは俺たちの方を順に見る。
俺たちは三人でダイニングテーブルを囲んでいた。かつての俺と父さん、母さんのように。父さんと母さんがいなくなった後の我が家。時々麻耶や麻耶の両親が来ることはあったがしばらくは俺一人だった家が賑やかになったように思えた。
「現在の家主は恵助氏と、法的なことは別にして考えられるが……」
瀨奈さんは俺の顔を見つめる。
「君たち二人に加えて私もここ、岩清水家に滞在させてもらいたい。事情は追って話すがそれが私に『上』から要求されている事柄であり、錬氏を解放する条件だった」
俺は黙ってうなずく。
「黒沼博士による岩清水家襲撃事件は刑法的には器物損壊、放火事件と捉えられるがそもそも黒沼博士個人で自らをロボットに改造する『自己改造』ができたのかどうか、ということも争点になった。錬氏をその……制作するに当たってもだ。個人で可能かどうか、と言う点も」
瀨奈さんの言葉に俺は静かに思いついたことを言う。
「……協力者、あるいは共犯者がいると?」
俺の言葉からやや間を置いて、瀨奈さんは答える。ちらりと錬を一瞥して。
「国としてはそう考えている。背後に資金や資材提供をしている……そして現在逃走中の黒沼博士が見つからないと言うことは潜伏場所を援助者が確保しているのではないか、と言うのが概ね考えられることだ」
「……お父さんは家に戻っていないらしい。家の方も家宅捜索されたようだがたいしたものは出てこなかった、と言う話から必要なものは持ち出したみたいだ」
錬はそう話す。おそらく、事情聴取前後で判明したことだろう。
「黒沼博士が今後どんな行動を取るか、目下内調も公安も目を光らせている」
瀨奈さんはそう説明する。
「内調?」
「内閣情報調査室だ」
俺は聞いたことのない組織名だが少なくとも何かことが大事になっているのは改めて理解した。
「……そうだよな。瀨奈さんのように自衛隊からの人間が出張るくらいの事態とみられてるわけだもんな……」
瀨奈さんは頷く。
「人間とロボットの全面対決、あるいは大規模なテロを起こすのか、それとも恵助や錬を連れ戻すないし強奪するために追っ手や刺客を差し向けてくるのか。それを近辺で観測し、保護する。それも私の役目だ」
瀨奈さんは眼鏡の奥の瞳をわずかに細めた。
「なんせ、岩清水夫妻が二人で設計した完全自立行動型人工知能搭載人型ロボットを一人で設計するほどの執念だ。協力者がいて資金や資源含めた量産体制があればロボット軍団を作る可能性もある。黒沼という男はそういう男だと我々は見ている」
「……」
錬の表情は相変わらず硬い。俺は錬に声をかけた。
「……大丈夫か、錬」
錬は小さく微笑む。初めて出会ったときの印象からすると大分弱々しい。
「ああ。ありがとう、恵助」
……錬はどこまで知っていたのだろう。錬が帰ってくるまでのこの一ヶ月、彼女を内通者だと思う猜疑心が胸の中に芽生えてはその度に俺はそれをかき消していた。錬は俺たちの仲間だ、そう言い聞かせて。
……父さんと母さんはどんな気持ちで錬を受け入れたのだろう。父さんと母さんの度胸と度量、器の大きさを改めて思い知る。
「ロボット自体に善悪はないの。作った人間と、周囲の人間の接し方と、導き方次第」
母さんはそう言った。父さんも母さんも考えなしではなく、こうなることまで見越して錬を受け入れていたのかもしれない。父さんと母さんは本当に大人だな、と改めて思う。
大人と子供。俺は自分の精神の未熟さを考えていた。単純な起動してからの経過時間の話ではない。世界の各国では成人になったと見なされる年齢も飲酒が解禁される年齢も違う。成人に、大人になると言うことはどういうことなのか。
「瀨奈さんは──」
思わず、俺は尋ねていた。
「大人って何だと思いますか」
瀨奈さんは今までの比較的端正な表情から目を丸くして応える。
「どうした、藪から棒に」
「……きっと、父さんと母さんは今回の事態もどこかで予想していたのかもしれない、と思って。大人ってそういう覚悟とか……できるものなのかなって」
俺の言葉に、瀨奈さんは自身のワンレングスの前髪をくしゃくしゃと掻いた。少し考え込むように口元を引き結びながら。
「……恵助氏はそう思うのか」
「確証はありません……ただ、母さんが『ロボット自体に善悪はないの。作った人間と、周囲の人間の接し方と、導き方次第』って錬がうちに来たときに言っていたのを今でも覚えています」
俺の言葉に瀨奈さんはううむ、と唸る。錬も覚えのあるその言葉にただでさえ硬い表情にわずかに悲壮感が滲む。錬を責める意図はなかったが、俺が今錬を信じ切れていないのもまた事実だった。
「そうか──」
瀨奈さんはとんとん、と右手の人差し指でテーブルを叩いた。考え事をするときの癖かな、と俺が思っていると彼女はそのまま口を開く。
「さっき、大人とは何だ、と訊いたな」
瀨奈さんの言葉に俺は頷く。
「今、恵助氏の問い……大人とは何か、ご両親の覚悟についてであるとか……本来大人とは君たち若者のそういう質問に即答できる存在だろう」
だが、と瀨奈さんはそこで一旦言葉を切る。
「私は即答できるような答えを持ち合わせていない。……情けない話だ。両親を失った恵助氏と、父親と離ればなれになった錬氏に何か言葉をかけないといけないと思っているのに立場と任務以上の言葉は思いつかない。全く、大人なんて名ばかりだ」
悔しそうに瀨奈さんは言う。
「いえ、瀨奈さんが責任を感じる必要は……」
俺は思わずフォローする。そもそも、黒沼博士の一連の企みがこういう事態を招いているのだ。本来の任務からこうして俺たちの保護に向けられた瀨奈さんなんてとばっちりもいいところだろう。
「恵助氏、錬氏。今の君たちにはにわかには信じがたいかもしれないが大人というのは君たちが思っているほど、大人ではない……と言って伝わるだろうか」
「そうなんですか?」
錬が不思議そうに口を開く。瀨奈さんの言葉に少し興味がわいたらしい。
「ああ。成人したって大人になったという実感はなかったが社会人になってからもずっとそうだ。大人と子供は点と点じゃない。グラデーションのようなものだ」
その言葉は俺にも不思議な印象を抱かせた。ロボットとしての自我が芽生える以前、成人式を迎えたら、仕事を始めたら、自然と人間は大人になるものだと俺も思っていたからだ。その印象は今でもそんなに変わっていない。
「ある地点を過ぎたら子供が大人に完全に変化するという特異点は存在しないように思う。もちろん、妊娠出産を経て子育てを始めたら『親』と『子』の関係性は開始されるだろうが子育てをしている人間すべての精神性が大人というものでもなければ、生涯独身であれば子供というわけではない」
瀨奈さんはそう言って俺たちを見つめる。
「……恵助氏、錬氏、君たちは完全自立行動型人工知能搭載のロボットだ。君たちは経験や知識を得て学習し、成長することができる」
瀨奈さんの言葉に俺も錬も思わず息を呑む。
「ロボットに善悪はない、というのは美智代博士の言葉だそうだが、それは人間の子供にしてもそうだ。生まれた時点での子供は白紙のようなものだ。それが純白のままなのか、さまざまな文字が書き込まれるのか、それとも漆黒になるのか、それは周囲の環境……導く大人たちの姿勢によるものだ」
俺はその言葉に父さんと母さんの姿を思い出す。
「だから私たち大人は自分たちの生き様をもって君たちに示すことしかできない。子供は身近な大人の背中を見て育つ。荒んだ感情も邪な心も環境が生み出すものだ。両親との別離、父の不在。身近な大人が近辺にいない君たちは社会の大人が導いていかなければならない。……私たちはそのためにいる」
瀨奈さんはそこまで話して俺と錬の顔とを見比べた。
「当面は私が君たちの保護者だ。血の繋がりもない、ぽっと出の大人に過ぎない。だが大人として社会への責任は果たすつもりだ。先程言ったように、完全な大人などというものは存在しない。それこそ、完全な生命体などいないように。だから私も大人として不完全であったり、人間としても欠点があったりすると思う。それでも、私たち大人は社会を担う以上君たちを導いていかなければならないのだ。これから二人とも、よろしく」
俺と錬は顔を見合わせる。錬が小さく微笑んだので俺も安心して笑みを返した。
「よろしく、瀨奈さん」
「……よろしくお願いします。瀨奈さん」
俺と錬がそれぞれ手を差し出したので瀨奈さんは両方の手をテーブルの上に伸ばした。俺たちは瀨奈さんの右手と左手で両方に握手をした。
「……さて、話がまとまったところでメシ……と行きたいところだが二人ともご飯は不要だったかな」
「あ、そうです。すみません……」
俺が思わず頭を下げると瀨奈さんはいたずらっぽく微笑んだ。
「何、君たちに気を遣わんでいいならこっちとしても自由にやれる。安心しろ」
そういうと瀨奈さんは持ってきていた鞄の中から日本酒の一升瓶を取りだした。思わず横にいた錬が目を丸くする。
「悪い悪い、高校生だったら目の前で飲むもんじゃないと思うが君らロボットだもんな。未成年飲酒の心配がないのなら存分にやらせてもらうぞ」
そう言って瀨奈さんはまたも荷物からぐい飲みを取り出して日本酒を注ぎ始めた。
大人って何だろう……。俺と錬の前で赤い顔をしながらがははは、と笑う瀨奈さんの姿に少しだけ明日からの日々が不安になる俺だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます