第4話 三原則
「恵助。御堂さんのことで……。少し妙だと思わないか」
「妙?」
慎次の言葉に、俺は少し訝しげな表情になっていたのだろう。慎次は眼鏡の位置を直すと口を開く。
「人工知能は君のお父さんが専門だったはずだから……素人の僕がこういう推察をするのはどうかとは思ったが」
そう言い、慎次は周囲を見渡す。特に、周囲に人の気配はない。
屋上、晴れた空はどこまでも青い。慎次が俺を呼び出した意図が今ひとつ分からず、言葉を紡げずにいると慎次の方から続けてきた。
「人間、生まれたときは赤ん坊だよな」
「? そりゃそうだ。それがどうしたんだ?」
「赤ん坊は親や他の周囲の人間と接して学習し、成長していく」
「そんな当たり前のことを……何故?」
俺がそう言うと、慎次は腕を組んで軽くうつむく。そして拳を顎に当てて語り始めた。
「初対面……クラスの前での自己紹介の時、御堂さんは予行演習を無視して自分がロボットであることを僕たちに告白したよな」
「ああ。俺たちに気苦労をさせるからってことだったよな。ずいぶんとできた人だなと思ったよ。……ロボットだけど」
「そんなことを考えられる高度な人工知能が生命の定義だとか愛とは何かとか考えるだろうか」
「んー? それは無理があるような……。逆にそこまで高度な人工知能だから人間の考えるような命題への問いを考えるとか……」
慎次の疑念がいまいちぴんと来ず、俺は軽く反論する。
「分かった、言い方を変えてみよう」
慎次は言葉を選ぶように、少々考え込みながら口を開く。
「ロボット工学三原則というものがある」
慎次は一旦空を見上げた。眼鏡のレンズが光り、慎次の視線は見えづらくなる。
「その一、人間に危害を加えない。その二、命令に従う。その三、自己を守る、自己破壊しない」
俺はその三つを聞いたことはあった。だが、あくまで聞いたことがある、と言うだけだ。原則の深いことは分からない。
「御堂さんがこのロボット工学三原則に当てはまるかどうか、だ」
慎次はそんなことを言い出す。
「心当たりはないか? 彼女がロボット工学三原則を破った場面」
「えっと……」
俺はしばし考え込む。
「その一かな? 『人間に危害を加えない』、錬が階段を踏み外してうっかり俺を押し倒してのしかかってきたことがあった、かな。少し重かった」
俺の言葉に少し想像したのか慎次が身を固くする。
「えっ。いや……そんなことが?」
「……これじゃないか。じゃあ……。後ろから臼井先生が来ているのに気付かず教室のドアを閉めて先生がドアに激突、ズラが吹っ飛んだ件かな……」
「それも……多分違う、かな……」
慎次は眼鏡を押さえる。呆れたように。
「いや、待て。さてはすっ転んだ瞬間に麻耶のスカートをズリ下げたあのときの……」
「……御堂さん、ひどいドジっ子属性持ちだな。というかあんなに容姿端麗でそんなにどんくさかったとは……おまけにロボットなのに……」
慎次は呆れて頭を抱えるように首を傾いだ。
「うっかりで危害を加えたのがロボット工学三原則侵害……」
俺の言葉に慎次は首を振る。
「違う! その二だ。学校初日。自律行動した結果、錬は『自己紹介での君の言いつけを破った』。どうだ?」
「あ……」
俺はその言葉の意味に思い当たる。俺は確かに転入前日、口を酸っぱくして錬に言ったのだ。絶対にロボットであることを学校で、クラスで他言するな、と。
「一般にはロボットは人間の命令に忠実に従う。しかし、御堂さんは学習し、自律行動するロボットだ。御堂さんはロボット工学三原則に当てはまらない、従わないロボットの可能性がある」
そこまで言うと、慎次はもう一度周囲を見渡した。誰もいないことを確認するように。
「それがどうこう、と言う話じゃないんだがそれを踏まえて今からの話を聞いてほしい。最初の話だが……学習結果に応じて自律行動するロボットとして御堂さんは極めてアンバランスだ」
「たとえば?」
「もし、子供が大人へと成長するように自然な学習、自律行動する人工知能を設計して人間社会で実際に学習させるとした場合、御堂さんの最初から持っていた知識、行動、逆に初対面から今に至るまで学習が不十分な部分、欠落した知識などはいささか違和感がある」
「……というと……」
自分はあまり錬に違和感など感じなかった。人は一人一人違う。ロボットであってもそうではないのか。
「『気を遣わせたくない』という極めて空気を読み、対人関係の高度なスキルを要するほどの自律行動が可能なのに『怒り』や『悲しみ』といった代表的で基本的な負の感情への理解が乏しい。人類の永遠の探求の題材でもある生命や愛についてその本質を考え、論じるほどなのに根本的な人類の生殖についてのあれこれを分かっていない。各国の婚姻制度について理解していてその知識もあるのに購買での買い物というごく普通の日常の行動で相当手間取っていた」
この錬が機陵高校で過ごした日々を振り返りながら慎次が分析内容を述べる。
「制作者の趣味じゃないの?」
俺の言葉に慎次は首を振る。
「思うに彼女は制作者……彼女のお父さんからなんらかの目的を持ってこの町へ派遣されてきた」
俺の胸がざわつく。初対面の時、明らかに錬は制作者である黒沼博士の所在について言葉を濁していたのを思い出したからだ。
「御堂さんに制作者は何かを学習させたい、あるいは御堂さんを恵助、あるいはご両親に接触させる。そのために最低限の学習だけ済ませて早々に送り込まれた、そのような意図がおそらく……」
突然、屋上への扉が開いた。俺たちは振り返る。扉の間から見慣れた女子二人の姿が現れた。
「恵助、慎次。ここにいたのか」
「ねぇねぇ。何のお話ー?」
錬が麻耶を伴って屋上にやってきていた。
「ううん、たいした話題じゃないよ」
慎次の変わり身は早かった。先程までの深刻そうな表情はおくびにも出さず、笑顔を浮かべる。
「学園祭についての相談、かな」
そう言って慎次は俺に目配せする。
「ああ。今年も近いからな」
俺も話を合わせる。錬本人にはもちろん、麻耶を心配させないためにもこの話は一旦ここまでだ。
「じゃあ、僕は職員室に用事があるから。また教室で、ね」
そう言うと慎次は俺たち三人に手を軽く振りながら去って行った。
「……どうした。難しい顔をして」
錬に尋ねられる。困った。俺は隠し事が苦手だ。顔に出てしまっていたらしい。
「錬は何か俺たちに隠し事、あったりする?」
単刀直入に俺は聞いてみた。
「な、ないぞ、何もないぞ」
錬はだらだら冷や汗でも流しているかのような表情で答える。わかりやす!
「ま、隠し事なんて誰でもひとつやふたつある、か……」
俺は空を見上げる。いつか、錬と小鳥を見たときと同じような青い空。
「ただ……」
錬が口を開く。俺は振り返る。
「信じてもらって、大丈夫だ」
錬はそう言って微笑んだ。麻耶は何のことだか、ときょとんとしている。俺は錬に微笑み返したのだった。
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