第3話 AI(あい)

「ケースケ。実際のところお前どうなんだよ」

 屋上で悪友二人が昼食を摂っている最中。俺もその場に同席していた。ふと、太は俺にそんな言葉を投げかける。

「ん? 何がだよ」

「麻耶と錬。どっち選ぶの?」

「いやいやいや?! 何の話だよ?!」

 俺は突然問いかけられた選択肢に困惑する。

「どっちが好みなんだ。あ、まさか新見? それはねぇか」

 絵美がちょっと不憫になる。絵美もいい子なんだけど。

「二人とも友達だってば……」

 俺はそう言って場を収めようとする。しかし、まさかの慎次がそこに乗ってきた。

「いや、実に興味深い。恵助の選択は僕たちの今後を左右するかもしれないからな」

「慎次?!」

 普段は太と衝突することも多い慎次がこんな低俗な話題に乗ってくるとは。

「お、シンジ分かってんじゃねぇか。今日こそ明らかにするぞ、ケースケの好みを」

「うむ。実に興味深いテーマだ」

 二人とも妙に乗り気だ……。冷やかし半分の悪友たちの取り調べが始まった。

「まず、正直どっちが好みだ?」

「いやいやいや! ないない」

「あん? どっちも好みじゃないのか?」

「なら、その理屈で言うと恵助は太が三葉さんと付き合おうが御堂さんと付き合おうがかまわないと言うことだね」

「……それはなんか嫌だなぁ」

「てめぇ! なんか棘があるぞこのやりとり!」

 慎次の言葉に太が眉をしかめる。

「恵助の本音を引き出すためには仕方なかったんだ」

「じゃあ、仕方ねぇなぁ……」

「仕方ないのかよ」

 納得する太に俺はツッコミを入れる。

「最重要確認事項だからな、恵助がどちらを選ぶのか」

「うむ、最重要確認事項だ。恵助が三葉さん派なのか御堂さん派なのか」

 こういうときだけ二人は意見が一致する。コイバナは女子高生の特権ではなかったのかよ。

「順を追っていこう。ルックスはまずどっちが好みだ? 茶髪ポニーテールか、黒髪のロングか」

 ずずい、と慎次と太が俺に詰め寄る。そこへ……。

「恵助、太、慎次。これは何の談合だ」

 まずい、錬だ。本人が来るとは話がややこしくなる。

「これはな。男同士の大事な話だ。愛についての」

 おい、やめろ。太が少し冗談めかして言う。

「愛か」

「うむ。性的欲求と生殖行動に起因した感情にまつわる話を」

 誤解を招く言い方をするな!!

「おい、調子に乗るなよ根暗そばかす眼鏡」

「恵助、多分本音と建て前逆だぞ」

 いけない、つい本音の方が。

「性的欲求と生殖行動?」

「いや、錬。気にするな。他愛もない話だ」

 俺の言葉に訝しげな表情をしながらも錬が問う。

「む……だが気になる。確かに愛、と聞こえた」

 続いて錬は言った。

「愛とは何だ」


「……なんでアタシたちまで集められてるわけ?」

「ちょっと恥ずかしいテーマだね……」

 絵美と麻耶が各のリアクションを示す。とはいえ、テーマが壮大すぎて男三人で錬に伝えるわけにはいかない。

「今日は錬に皆で愛を教えていくぞ」

「太が言うとなんかエロいんですけど」

「おいコラ新見」

「ほらほら、錬ちゃんに教えるんでしょ。私たちの考えるあ、愛について……」

 麻耶がトマトみたいに赤面する。その横顔にしばし俺は胸にそわそわしたものを覚えた。


「愛とは慈しむ感情のことだね」

 慎次が解説を始める。

「慈しむって何なん?」

「そこからか……」

 慎次が頭を抱える。

「ちょ、そのリアクション傷つくんですケド」

 絵美が頬を膨らます。少し濃い桃色のチークがことさらに目立つ。

「可愛い、愛らしいなどと思う感情のことだ」

「え。太に教えられるとかマジ屈辱」

「そこまで言うか?! 俺も傷つくぞ?!」

「たとえば、赤ちゃんや子供、ペットに向けられる愛情とかはこれだよね」

 話題を変えようと麻耶が解説を入れる。

「ああ。愛という単語の概念は広い。愛を含む単語、熟語もいっぱいあるよね。親愛、人類愛、世界愛、情愛、愛欲……」

 愛欲という言葉に俺たちは一様に赤面する。

「ちょっと男子、ヤらしいんですけど」

「そういう新見だってどうなんだ。もう既に濡れぬ……」

「絵美ちゃん! 太くん! 錬ちゃんが聞いてるから……!」

 麻耶が真っ赤な顔のまま二人をたしなめる。

「あと愛はしばしば男女の愛、同性での愛などいわゆる恋愛感情としての愛が代表的だね。な、恵助?」

「俺に振るな!」

 一斉にみんなの視線が俺へと向く。

「えっ、もしかしてケースケ好きな人いるの?!」

 麻耶の驚いた顔に俺は軽くショックを受ける。

「マジ~? 誰だれだれ~?」

 茶化すように言う絵美。お前はどうせ分かってんだろ!

「まぁまぁ。楽しみは後に取っておこうぜ」

 太は一旦その場を収めると錬に向かって言う。

「通常人間は二次性徴……僕たちみたいな十代だな。その頃になると異性……あるいは同性の場合もある。他者を恋愛対象として意識するようになる」

 そうやって言語化するとなおさら小っ恥ずかしい。俺たちは互いに視線を逸らしていた。

「ふむ……。人間社会には夫婦、あるいは配偶者などと呼ばれるパートナーの制度があるようだな」

「そうだ。主に生殖、出産、子育てをコントロール、あるいはサポートする目的で存在する。国家間で差異はあるものの、我が国以外にも広く浸透している」

 慎次が真面目に話せば話すほどその意味するところを意識してしまい、俺たちは恥ずかしくなる。普段はエロだのスケベだの軽口を叩いていても保健体育で習ったようにもう自分たちの体が生殖可能だと意識してしまうとなんつーか……。

「ちょ、ちょっとお話がオトナな感じになってるから雰囲気変えよ? ね? ね?!」

 麻耶の言葉に俺も太も絵美もうんうんとうなずく。

「そ、そう! 麻耶っちの言う通り! なんか気まずいっしょ」

「む……? そうなのか」

 錬は外見こそ俺たちと同じ十代の少女の容姿だが精神年齢というか、精神構造というか、そこは違うのかこういう話題に特に気になる点はないらしい。

「愛って言ったらやっぱり愛のラブの部分も議論すべきっしょ!」

「直訳しただけじゃねぇか」

「英語五段階評価一の太はシャラップでしょ」

「理不尽じゃね?!」

 絵美の言葉に太がショックを受けているがひとまず話は進む。

「最初に慎次君が言ったみたいに、愛とは原則自分以外の他の人を慈しむ気持ちだよねっ」

「自己愛って言葉も別にあるから愛が基本自分以外の他の人に向けられる感情ってのは間違いなさそうだな」

 麻耶の言葉に俺はうなずく。

「うん。俗説だと『恋と愛の違いは恋という字は“したごころ”が付くから愛の方が純粋な感情』! ってのもあるな」

 俺はよくある、漢字の形だけで言われる巷にある俗説を挙げた。

「む……? 恋と愛は密接な関係にあるのか?」

「なんせ恋愛って単語があるしな」

 太が相槌を打つ。

「恋と愛という言葉自体はほとんど不可分だな。他者を想い、求める気持ちに漢字のつくりだけでの二つの言葉に大きな差異はないだろう」

 太の言葉を慎次が補足する。

「基本はメジャーな男女の恋愛が基本だけど男の子同士、女の子同士のラブの形もアリっしょ!」

 絵美がラブアンドピースを意識してなのか、ピースサインを錬に向けるが当の錬は何のことかよく分かっていないのか首をかしげていた。

「愛。一緒にいたい、相手に意識してほしい、相手を見つめていたい。そんな感情だよね」

 麻耶が少しはにかんで言う。

「愛。つまるところその相手と生殖行動を行いたいという感情の発露だ」

 最悪な言い換え、あるいは本質部分を慎次が語る。錬と当の慎次以外全員が固まる。

「慎次くーん?! 雰囲気ー!」

 麻耶が顔を真っ赤にして叫ぶ。

「他の霊長類でも、系統発生的にそれ以下の生物であっても同性での生殖行動もちゃんと見られている。オールオッケーだ」

「違う、そっちじゃない!」

「オールオッケー、じゃねぇよ! 錬に変なこと教えんなシンジ!」

 俺と太の言葉に慎次は眼鏡の位置を直しながら言う。

「お言葉だが。性とは不要な知識か? 低俗なものか? 性の自己決定に必要なものではないのか?」

 まるで保健体育のような意義で慎次は太に切り込んでいく。

「う……。で、でもよ! ロボットだから必要な知識かどうかは……」

「それはロボットに対する差別ではないのかな?」

「うぐっ!」

「ロボットには性の自己決定権は必要ないか?」

「そ、それは……。ロボットには子供を産む機能がないから……」

「あるぞ」

 と錬。

「あるの?!」

 俺も含めて五人の声が重なる。

「擬似的にだがな。人工子宮はあるぞ」

「あるの?!」

 俺も含めて五人の声が重なる。

「だが、私は人工皮膚など一部を除いて完全に機械だ。人間を機械化した存在ではなく半生体型のロボットだ。自らの細胞も持たないし、そもそも卵子がない」

 淡々とすごいことを言ってのける錬に絵美が尋ねる。

「ああ~……じゃあ、赤ちゃんそのものを卵子と精子から作れるわけじゃないん?」

「その通りだ。さっきも述べたように『子供を産む機能』はある。だが人間のように男女で二人の子供を産む、と言ったようなことができるわけではない」

 衝撃の告白の後、皆は少し納得する。あくまでも錬はロボットなのだ。

「もし、私が自分の複製を作成する……人間のような有性生殖ではなくクローンみたいな形で行うならばもう一体、機械の自分を制作することになる。そちらであれば人工子宮は必要がない」

 相変わらず錬は淡々と言ってのける。

「じゃあその機能は……」

「人間で言うところの代理母的な機能を搭載していることになるな。人間に代わって出産を肩代わりできる、という」

「それはなんていうか……」

 絵美が口を開く。

「自分の子供を産むんじゃなきゃ、損じゃない? おなか、痛いっしょ」

「損。ふむ、そんなことを考えたことはなかったな」

 人間では出産に伴う身体のリスク、法律上のリスクがあるが錬にはそういう感情はあまりないらしい。……そうだよな、ロボットだから少なくとも法律上のリスクはないか? 本当にないのか?

「でも、錬ちゃんはその……えっと……」

 麻耶はしどろもどろになりながら聞く。

「誰か他の人を好きになったり……あるいは男の人を好きになったら、その人との子供を産みたいとか思ったり……しないのかな」

 ここ一番ピュアな愛の質問が飛ぶ。

「あ、答えづらかったら別に、ね……」

 麻耶が前言を撤回しようとすると、こともなげに錬が言った。

「私は好きだぞ、麻耶のこと」

「ええっ?!」

「百合キター!」

 麻耶と慎次が同時に叫ぶ。

「……慎次、今何か言った?」

「いや、僕は何も」

 俺が尋ねると慎次は首を振る。

「百合キター! ……ってお前言わなかったか?」

「言った覚えがないな」

 太の言葉に慎次はくい、と眼鏡のポジションを直す。

「ああ、好きだぞ。麻耶のこと。おそらく、恵助のことも」

「んんっ?!」

 今度は俺が声を上げる番だった。しかし。

「慎次も、太も、絵美も好きだ。一緒にいたい、と言う感情が愛なのだろう? クラスメイトで友人のお前たちは皆好きだ」


「ありがちな答えだったね」

 いつもの通勤通学電車での帰り道。俺の隣で麻耶が苦笑する。俗に言う、ラブとライクの違い、みたいな錬の回答に先程は一同大きくずっこけた。

 錬が来てからは三人での登下校だったが、今日は錬が『一人で散歩をしながら自宅まで帰りたい』というので久しぶりに麻耶との二人での下校だ。

「ね、ケースケはどうなの」

「ん、何が?」

「……好きな人。いるの?」

「……秘密だ」

 麻耶は俺を見つめ続ける。俺は黙って車両の向かい側、流れる景色へと目を向ける。夕陽が頬に当たって暑い。その感覚はとてつもなく現実感を伴って、俺の心拍数を速めるのだった。

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