第2話 ことりと命とロボットと

「恵助。生命とはなんだ?」

 昼休み。錬からの何気ない疑問。俺たち、いつものメンバーは互いの顔を見合わせた。

「生命は……生きてるって証拠だよな」

 紙パックのコーヒー牛乳をストローですすりながら太が一般的な答えを言う。

「私は生き物が一匹とか一羽とか、他の生命から独立していることそのものを指しているんじゃないかって思うな」

 個としての存在の確立。麻耶は難しい概念を持ち出す。だとしたら多細胞生物と、定数群体のような単細胞生物の集合体であることは生命においてどのように違ってくるのだろう。そしてその線引きはどこからなのだろう。

「そうだね……非生物と生物の違いという観点で言えば、有性無性の有無にかかわらず自分たちで勝手に増えられるかどうかってとこだね。アメーバみたいな生き物でも、魚類、は虫類なんかの卵によるものでも哺乳類みたいな胎生でも」

 慎次の意見も的を射ている。自己の再生産できるかどうか、それも生命の定義に入れられることもある。

「え~っ、みんな可愛くなくない?! アタシだったら感情を持ってるかどうかだと思うな~。『心』があることは『生命』があることとイコールじゃね?」

 少し違ったベクトルの絵美の意見。何も考えずに聞くとお花畑な言葉に聞こえなくもない。だがその直後の絵美と太の言い合いでそれはもう少し深いものだと分かる。

「……じゃあミジンコは生命じゃなくね?」

「ちょ、偏見はよくないし! ミジンコにも心はありまぁす! 植物でもキノコは仲間とコミュニケーションを取り合うってネットニュースにあったし!」

「どっちも脳がないだろ、脳が!」

「は?! 無脊椎動物の頭部神経節も広義の脳ですし!」

「じゃ、じゃあ……キノコは脳も神経節も、ないだろ!」

「菌糸を使った電位的言語によるコミュニケーション、それも立派な『心』のあり方でしょ!」

「たかが電気信号や電位差だけで心の実在は証明できんだろ!」

「心が電気信号であることを否定しちゃったら心臓だってそうじゃん! 心臓の動きも元は電気的なものだよ!」

 俺たちを置き去りにヒートアップする絵美と太の議論。そこへ発端の錬が再び問う。

「電気信号が心や生命も定義できるのなら」

 それは純粋な疑問のようだった。だが、それ故に鋭く。

「私は、一個の生命なのか?」

 錬の言葉は、いや、彼女の存在自体がそうだが俺たちの既成概念にひびを作るには十分だった。皆、一様に押し黙る。


「いや、ロボットはロボットだろ」

 ややおいて、そこに慎次が冷や水を浴びせる。

「御堂さんは大切なクラスメイト、仲間だ。だがロボットは定義上生物ではない」

 慎次の指摘自体も正しい。生命の構成要件をどう定義するかにもよるが。

「でも、錬ちゃんは自律して行動できて一般的な単純労働をするロボットと違うんじゃない?」

 麻耶の言葉にもまた俺たちは頷く。となると……。

「両方を勘案するとロボットの中にも生命があるものと、ないものがある、ということになる……か」

 俺は慎次の言葉と摩耶の言葉を受けて口を開く。

「プログラミングのような0と1ではなく、生命はグラデーションのようなものなのかよ?」

 太の言葉に俺たちは考え込む。

「どこからが生命で、どこまでが非生命体なのか……?」

 俺の言葉に一同うーん、と唸ったところでチャイムが鳴る。昼休み五分前を告げる予鈴。

「……またこの話はしたいな。ロボットと人が生きる時代、僕たちはその命題と向き合うべき世代なのかもしれない」

 ロボットは生命体ではない、と言った慎次だがそう皆に告げる。

「いつか生命の定義が変わる、あるいはロボットが生命体ではない、という常識が覆されるのかもしれないね」

 慎次が少しずり落ちていた眼鏡をかけ直す。そのレンズの向こう、少し不敵な瞳が口元と併せて微笑みをたたえていた。


 放課後。俺は教室の窓辺、小鳥を見ている錬の姿を認めた。そよぐ風に錬の黒髪がわずかに揺れる。その姿は普通の少女が小鳥と戯れている姿と何ら変わらないように思えた。ただ、違うのは錬が人間でないと言うことくらいだが。

「錬」

 俺は声をかけた。

「寂しいのか?」

 俺は錬に尋ねる。錬は睫の長い目をぱちくりさせた。

「寂しい? 考えたこともなかった……。そうか、私は寂しいのか……」

 言いながらわずかに錬は遠くを見つめる。小鳥たちは木の枝の上、電線の上をスキップするように小刻みに飛ぶ。ピチュン、ピチュとさえずりはこちらにまで風に乗って聞こえてくる。

「私が生命でないということは……」

 錬が口を開く。

「私は生きていないのか?」

「え……」

 俺はすぐに気の利いた言葉を返せず、やや間抜けな疑問符だけが口をついて漏れる。

「……生きている、ということを証明するというのは難しいものだな」

 錬の言葉は人間として、生きていることが当たり前の俺には考えたことのない疑問だった。が、すぐに自分は先日習った言葉を思い出し、つぶやく。

「……コギト・エルゴ・スム」

 それは錬のデータの中にはなかった単語らしい。彼女は首をかしげる。

「我考える、故に我は存在する。倫理の授業でやったんだ。錬がこの学校に来る前だ」

「我考える故に我は存在する?」

「ああ。我考える故に、我あり、とも言うみたいだ。たとえば、自分の目で見える世界すべてに偽りがあったとしても……」

 俺は少しだけ大げさに両手を広げてみせる。

「たとえば、この教室や、あの小鳥たち……俺さえも3Dホログラムや立体映像のように実在しないものだとしても」

「……」

 錬は黙っている。俺は続けた。

「その世界を知覚している、錬自体は紛れもなく存在しているんだ」

「私は、存在している……」

 錬は噛みしめるようにその言葉を紡ぎ出した。

「……他者に証明する必要があるのか?」

 俺は錬に尋ねた。

「錬が自分が生きている、そう思えたなら生きている。それでいいじゃないか」

「ケースケ、錬ちゃーん!」

 後ろからひょっこり麻耶が顔を出す。

「なーに話してるの?」

 麻耶はにこにこしている。俺は錬とのことを冷やかされるのかと先手を打つ。

「そんなんじゃないぞ」

「えっ? ケースケと錬ちゃんすっかり仲良くなったんじゃないの?」

 麻耶はきょとんとしている。俺は勘ぐりすぎたらしい。

「あ、それならそうだと思うが……。錬、錬が見ている世界はどうだ?」

 錬は俺たち二人の顔を見比べる。そして、また外へと一瞬視線を向ける。小鳥たちは電線の上から数羽一緒に大空へと飛び立っていく。どこまでも青い空。

「……私は今、青い空を知覚している」

「うんっ、私たちにもそう見えるよ! 綺麗な晴れた空だねぇ」

「……どこまでも広い空だ。ロボットの私も人間の皆と同じ空を見ているのだな」

 俺も空を見上げた。吸い込まれそうな青空。雲ひとつない。

 誰もが同じようにこう見えているかは分からない。だが、麻耶も錬も今同じ空を見ている。 我、思う故に我あり。確かに、俺も麻耶も錬も。皆こうして存在し、生きているのだろう。

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