自我(ギガ)
<牙と鎖>
第1話 起動
自分が産声を上げて助産師に取り上げられた、分娩室の風景を覚えている人間は誰もいないだろう。皆、それぞれに原初の体験、原風景があるが生まれた瞬間などは誰も覚えていない。そんなわけで、俺についても自分が覚えている一番古い思い出というのも、そんなに生まれてすぐのものではなかった。
自分はテレビでサッカーを見ているのが思い出しうる限りの一番古い記憶だ。といってもプロサッカー選手の試合ではない。少年サッカーに興じる兄の試合だった。地を蹴り、芝を飛ばして駆ける兄の姿。爽やかな五月の風を感じそうな、疾走する兄のドリブル風景。
兄は両親の期待する通りの少年だったそうだ。幼い頃から文武両道で思いやりもあり、自分も小さい時分には兄のことを両親に大層聞かされたものだ。ロボット工学の権威である両親にとって、二人の間の子供である兄はまた二人の開発したロボットとは違う愛する存在だった。
当然のように、兄がいなくなって両親は大いに悲しんだそうだ。そのことを聞いて自分も出会ったことのない兄に思いを馳せ、兄のようにならないと、という想いを幼心に無意識に思っていたのだろう。兄の影を追うように自分もサッカーを始めた。
両親もそれに気付いたのだろう。兄になろうとする自分を両親は優しく諫めてくれた。自分の中に少なからず兄の面影を見ていたであろうに、両親は兄の死を乗り越えて俺を俺と認めてくれた。
そのときから俺は改めて、自分が生まれる前に他界した兄の存在という呪縛にとらわれず岩清水恵助という自分自身の人生を歩むことができはじめたと思う。
心地よい揺れが眠りを誘う。微睡みの淵に落ちていたと気付いたのは声をかけられたからだ。がたん、ごとんという電車の揺れ。通勤用車両のロングシート。夕陽の熱が制服の形にしみこんでいる気がした。
「ほら、ケースケ。寄りかかってる」
「……すまん」
眠ってしまって幼馴染みの肩に寄りかかっていた自分に気付き、身を起こす。幼馴染みは栗色のポニーテールを揺らしながら優しい声でくすくす笑う。
「よだれ、すごいよ。どう? よく眠れた?」
口元を拭い、ブレザーを確認する。少し紺の胸元に周囲より一層濃い色、シミができている。ちくしょう。起こしてくれよ。
「乾いたら大丈夫だと思うけどおばさんに見てもらったら?」
麻耶はそう言いながら学校指定カバンのロックを外すとポケットティッシュを取り出した。一枚摘まみ、俺に手渡してくれる。思わず彼女のきれいな指と爪に目が行く。
「はいっ。もう染みこんじゃってるかもしれないけど、ポンポンこれで叩いて水気取っちゃえば?」
大きな瞳、大きな口。麻耶には笑顔がよく似合う。控えめに言っても麻耶は男子に人気のある方だろう。俺も幼馴染みじゃなかったら麻耶とお近づきになれていたか分からない。
「……ん? 何考えてるの?」
俺が何も答えずすぐにティッシュを受け取らなかったので少しだけ不審に思って麻耶が尋ねてきた。
「いや、何でもないよ。寝起きでぼーっとしてた」
俺はそうごまかすとティッシュを受け取る。シミの水気をポンポンと叩いて取った後、ゴミを鞄にしまう。
「うーん……!」
シートに座ったまま上半身だけで大きく伸びをする。硬いロングシートで居眠りした、強ばった筋肉がほぐれていく。
「麻耶。今どの辺り?」
「んとね、大坂家駅過ぎたくらい。家の最寄りまであと二駅」
「……あれ、俺そんなに寝てた?」
「寝てた寝てた。隣で爆睡してるんだもん。私恥ずかしかったよー」
そう言って麻耶は思い出し笑いなのか、くすくす笑う。俺の顔面がヒートアップする。ホットプレートのようにじわじわと熱を上げて。
「そ、それよりさ……大丈夫だった? その……混んでるうちに席を譲らないといけなさそうな人とかいなかった?」
「え? 特にいなかったけど……いたら私、席譲るし!」
麻耶の言葉に俺は安堵の胸を撫で下ろす。
「よかったぁ。少なくとも他の人に迷惑はかかっていない感じか」
俺のその言葉に麻耶は穏やかに微笑んで口を開く。
「ケースケ、優しいね」
急に褒められて俺の顔面は再び熱を帯びる。
「か、買いかぶりだよ。なんかその……そういうの居心地悪いっていうか、申し訳ないっていうかさ」
「……そういうのがきっと優しいってことなんだと思う。気にならない人は気にならないでしょ?」
「そうかも……しれないけど」
麻耶の言葉に俺は少し考え込むふりをして口と鼻を両手で覆った。実際は、赤くなったであろう頬を彼女に見られないように。
麻耶のご家族、三葉家と我が岩清水家はいわゆる家族ぐるみの付き合いだ。あれやこれやあるが俺と麻耶も幼馴染みと呼んで差し支えない……と思う。こうして高校までずっと一緒になるとは想像もつかなかったが。
俺は車両の揺れと共に少し俺の視界でわずかに跳ねる麻耶のポニーテールに視線を惹かれた。栗色の髪。夕陽に少し光って。
……変わらないでほしいと思っていても、変化は必ず訪れるものだ。麻耶と俺も、いつまで一緒にいられるか分からないし、彼女と俺の関係性もいつかは変わっていくのだろう。
それでも……。俺は麻耶と居続けることを願いたかった。今のままの、関係性で。
しかし、変化は、流転は突如として訪れる。
「……貴方が岩清水恵助か」
その日も、俺と麻耶は高校の帰り、通勤車両のロングシートに腰掛けていた。俺たちの頭上から投げかけられる声。それは当然のごとく目の前の人物から投げかけられていた。少し変わっていることといえば、車両が揺れてるのにその人はつり革も掴んでいない、だけどバランスを崩す様子などちっともなかった。
「君は?」
君は、という言葉を選んだのは夕陽が逆光になって少し見づらかったけれど相手が同世代に見えたからだ。隣に座っている麻耶と雑談していた俺は顔を上げて視界に長い黒髪の少女を認めた。はっきり通る少し低い声でその子は俺たちより大人びているようにも、不躾な言葉と裏腹にやや幼さの残る表情から同い年より一、二歳若いようにも、そんなふうに見えたのだった。
少女は俺たちと違う学校と思われる制服を着ていた。白と紺のセーラー服、胸元には赤のリボン。近隣のどこの学校かはすぐには分からない。が、少なくともそんな特異的なデザインの制服ではなかった。
「私は……」
少女が口を開く。
「ロボットだ」
「は?」
名前を聞かれたので、当然俺も問い返したら少女の方が名前を名乗り返すと思っていた。少女はおおよそ俺の想像とほど遠いところから質問の答えを投げ返してきた。
「い、いや! そ、その……名前」
俺は少女に彼女の捉え間違いをやんわりと伝える。やや間があって、少女は、あ……と少し間抜けな声を出す。
「……こほん。私は御堂錬=G。」
「みどうれん……ジー?」
「アルファベットのGだ。型番のようなものだ、気にするな」
一般的な名前の後にアルファベットが付いてきて妙な呼称に俺は思わず眉根を寄せる。きっと怪訝な表情になっていただろう。
『れんじ』というと男のような名前だな……と思ったのを一旦飲み込み俺は話を続けて聞く。
「その錬さん……」
「錬=Gだ」
少女はそこは譲らない、とばかりに口を横一文字に結んだまま小さくかぶりを振る。Gは必須らしい。
「いや、どっちでもいいんだけど……! ……錬……Gさんが俺に何の用かな?」
隣の麻耶も会話の行く末を固唾をのんで見守っているし、錬さんも声が比較的通っていたので周囲の乗客もやや耳をそばだてているのが分かる。ロボット自体は今やなにも珍しくない。しかし、外見があくまでも人間と区別がつかないような姿で、かつこうして自律して電車の中で俺を探して会いに来る。そんなロボットは技術的にも個体数的にもごくごく限られるだろう。
……ロボット。そう、ロボット。人間社会にロボットが浸透するのに百余年。最初は産業分野での工場や作業現場で稼働する、機能だけの無骨なロボットが主体だった。しかし、近年は家庭用のロボットも大量生産されて大型家電くらいのレベルには安価で安定供給されている。もちろん、それを家庭に導入できるかどうかは各自の生活水準次第だが。
俺の両親もロボット工学の第一人者だ。父、岩清水浩三は人工知能、母、岩清水美智代は電気信号を物理的運動へと……ロボット自身の動きへと変換するアクチュエータを専門としている。現在流通しているロボットの技術への寄与もしているはずだ。
そんなことを思っていると錬G……さんは突然俺の目の前に恭しく跪いた。確認するが、他の乗客もいる通勤通学電車の中である。俺の目も麻耶の目も丸くなっていたに違いない。
「恵助様。貴方を迎えに来ました。貴方はロボットの王になるに相応しい」
「ちょっと?!」
周りの乗客もざわざわしている。ただでさえ錬Gさんの容姿と行動が目立っていたのにそんな発言をすると周囲は一気に注目する。
「ケースケ……! みんな見てるよぉ」
隣で麻耶が小声で助けを求めてくる。俺だってこの状況をなんとかしたい。錬さんは相変わらず俺の前で跪いたまま俺のことをじっと見ている。
そのとき、駅に着いて車内アナウンスが鳴った。
「今前橋。今前橋でございます。どなた様もお忘れ物のないよう……」
「麻耶、降りよう!」
隣の麻耶に声をかけると麻耶は無言でコクコクと頷く。一駅早いがこの子……錬Gさんといると車内では目立ちすぎる。
「君! ええと……錬Gさん、一緒に降りるぞ!」
俺は麻耶と錬Gさんの手を取る。それぞれ、右手、左手に。俺たちは三人で手を繋いで、電車を最寄りの一駅前で電車を降りる。
「えっ?! 恵助様……?!」
少し錬Gさんが困惑していたがひとまず仕方ない。有無を言わさず俺は二人を引っ張って改札を抜ける。
「……恵助様。流れで一緒に降りてしまいましたがよかったのですか? 最寄り駅はもう一つ先とデータにあります」
「様、はやめてくれ」
俺はくしゃくしゃと自分の頭を掻いた。様呼びなんてお店でしかされたことがなくむず痒すぎる。俺たちは今前橋駅から自宅の方へ歩いていた。
「では……」
「恵助くんとか恵助さんとか、恵助、と呼び捨てでもいい」
俺はそう言って彼女の言葉を待つ。
「ケースケって呼ぼ? 私がそう呼んでるから!」
麻耶がそう錬Gさんへ伝える。
「しかし、呼び捨てというのは無作法なものなのでは……」
錬Gさんがそう言うと、麻耶がフォローを入れる。
「ううん、親愛の情を込めたときにも呼び捨てだよ♪」
麻耶はそういうことを恥ずかしくもなく言う。逆に俺の方が恥ずかしくなる。
「それより錬さん」
「G」
「錬Gさん……。ロボットの王ってどういうこと?」
俺は先ほどの言葉を錬Gさんに尋ねる。
「父、黒沼が岩清水恵助様に会えと……彼こそロボットの王にふさわしい人物だ、と。そう申しておりました」
錬Gさんの話は要領を得ない。
「……その黒沼という人……あ、錬Gさんのお父さんね。面識がないんだけど……。ロボットの王というのもピンとこない……」
確かに、うちの両親は二人ともロボット工学の権威だ。だが少なくとも俺は一介の高校生に過ぎない。……ついでに言うと成績もそんなによくない。
「ケースケに王様なんて無理だよぉ」
「お前が言うな」
麻耶の言葉はもっともだがこう言うのは人に言われると頭にくるのだ。
「それより錬Gさん。本当にロボットなのか?」
一応尋ねてみる。ここまで人型のロボットで自律行動可能なのは自分は他に聞いたことがない。
「ふむ、もっともですね。ん……これでどうでしょうか」
そう言うと錬Gさんは突然自信の左肘を屈曲させると右手で肘関節をいじり始める。ガチャン、と音がして肘関節が開放された。そこから金属製の関節部とコードが剥き出しになる。俺たちはそれを固唾を呑んで見守っていた。
「これでどうでしょうか……まだ駄目なら頭部の人工皮膚を外しても……」
「いやいや、いい。疑ったわけじゃないけどなんか悪かった。戻して大丈夫だから」
俺はそう言って頭を取り外ししようとしていた錬Gさんを制止する。
「すごい……! 錬ちゃん本当にロボットなんだね?!」
「G」
「錬Gちゃん、私自分で歩いてしゃべる女の子のロボットは初めて見たよ!」
麻耶は軽く興奮した様子で話す。
「そういえば挨拶が遅れました。私は御堂錬G。あなたは……」
「あっ、三葉麻耶だよ。よろしくね。ケースケのうちの隣に住んでるよ」
そう言って麻耶はにっこりと笑う。麻耶の栗色のポニテが少し揺れる。
「麻耶様。どうぞ初めまして。あなたが恵助様の奥方様ですか」
錬Gさんのその言葉に麻耶は真っ赤になる。いわんや、俺をや。
「ちちちち違うの?! ケースケはただの幼馴染みだから!」
……そういう言われ方をすると地味に傷つく。いや、事実なんだけどさ。
「ひとまず! 俺のことも麻耶のことも様付けはしなくていいから!」
俺は錬Gさんにそう伝える。
「ふむ……。では恵助、麻耶。改めてよろしくお願いする」
そう言って錬Gさんは深々と頭を下げた。
「……埒があかないし、帰ろうか。錬Gさん、うちに来てくれ。両親に会えばなんかわかるかも」
「……というわけで連れて帰ってきちゃった」
「なんで拾った犬猫みたいなノリなの?!」
自宅まで錬Gさんを連れて帰ってきた俺に隣で麻耶がツッコミを入れる。
「元いた場所に戻してらっしゃい!」
「電車の中に?! というかおばさんまで?!」
俺の言葉に乗っかった母さんにも麻耶はツッコミを入れる。
「私は電車へGOすればいいのか?」
「錬ちゃんまで?! そして微妙に商標権を侵害しそうな表現だよ?!」
ツッコミが追いつかないよ?! と麻耶は目を白黒させる。
「麻耶ちゃんが困ってるし、ひとまず改めてお話を聞きましょうか」
母さんはそう言って錬Gさんの方に目を向ける。そして優しく微笑む。
「あなたが岩清水美智代博士……」
錬Gさんはそう言って母さんの顔をまじまじ見る。その言葉に俺は首をかしげる。
「あれ、母さんのことを知ってるの?」
「父、黒沼が美智代さんによろしく、と。そう言っておりました」
錬Gさんはそう言った。
「えっ? そう……。洋平くんがあなたの製作者……お父様なのね」
そう話す母さんはひどく懐かしそうだった。どうやら、母さんと知り合いらしい。
「それで、洋平君は?」
母さんが尋ねると、錬Gさんは軽く口ごもる。どうやら、何か事情があるらしい。そして見た目通り、隠し事は苦手な様子だ。
「……父は今……は、ハワイに行ってて……」
錬Gさんがぽんこつなのか、それとも人工知能の学習が足りないのか、そんな見え透いた嘘が彼女の口をついて出る。
「きょうび子供でももう少しまともな嘘つくぞ」
俺がツッコむと母さんがうなずく。
「そう、ハワイ旅行に行ったのね……」
「信じるところですか、そこ?!」
麻耶が母さんの顔を見るが母さんはにっこりと微笑む。
「いいのよ、実際がどうであっても。洋平君はハワイに行った。そしてその娘さんが私たちを訪ねてきた。話はシンプルだわ」
「さいですか……」
俺は嘆息する。それは大人の寛容さなのか、それとも単に母さんが大雑把なだけなのか。
「それに、洋平君が不在ならうちで預からないと。年頃の女の子が一人でいるのは危ないでしょ?」
「は?」
母さんのその言葉に俺は間抜けにぽかんと口を開けていた。
「ハワイから洋平君が帰ってくるまでうちで預かりましょう」
「えっ、えええっ?!」
俺は困惑する。ロボットとはいえ、女の子だぞ?!
「ダメだよケースケ?! 女の子と一つ屋根の下だなんて……! この作品は全年齢なのに……!」
「なんだ、全年齢って?!」
真っ赤になってよくわからないツッコミを入れている麻耶をひとまず放置して、母さんの方を見る。
「大丈夫よ、麻耶ちゃん。両親が長期の海外出張しているとかじゃなく二人ともいるから。過ちは起きないわ」
母さんも母さんでよくわからないことを言っている。
「錬ちゃん」
「錬G、です」
「錬Gちゃん。あなた、学校は?」
母さんの言葉に錬Gさんはきょとんとする。
「学校? 学校とは人間の学生が通う教育機関の?」
「ええ、そうよ。錬Gちゃんは通っていないの?」
「私は……」
錬Gさんは一瞬口ごもる。そして言った。
「ロボットですから」
「あら、そんなこと」
錬Gさんの言葉を『そんなこと』と一蹴して母さんは笑う。
「恵助と麻耶ちゃんが通ってる機陵高校には私と主人が機械工学科の授業で行ってる関係で話が通るの。戸籍はないだろうけど、こちらに滞在している間高校に通学して授業を受けるのには問題はないわ」
どんどん進む話に俺はストップをかける。
「待って待って」
「どうしたの?」
「錬Gさんがうちに同居するのは既定路線なの?!」
「あら、照れてるの? 思春期ねぇ」
「思春期とかではなくて!」
母さんは笑うが自分は一応、と確認する。
「連れてきておいてなんだけど錬Gさんと俺たち今日初対面だよ?」
自分で連れてきておきながら変な感じもしたが、母さんが家に住まわせると言ったので自分は至極当然の疑問を母に向ける。
「そうね。警戒したり、防犯意識を持ったり、それは大事なことだわ」
母さんはうなずく。麻耶も錬Gさんも神妙な面持ちで話を聞いている。
「ただ、錬Gちゃんはロボットだから」
「それがどういうことなんだよ」
「ロボット自体に善悪はないの。作った人間と、周囲の人間の接し方と、導き方次第」
「……なるほど」
俺は黙って母さんの言葉を噛みしめた。なるほど。母さんはどういうわけか、旧知の研究者が制作したロボット、錬Gさんを正しく導かないといけないと考えているらしい。
「これだけ高度に自律して成長するタイプの人工知能を備えているのに学校にも行かせてないなんて」
「はぁ……」
母さんの考えはよくわからない。麻耶は黙ってそれを聞いているようだった。
「ひとまず錬Gちゃん。あなたのおうちはしばらくはここ、岩清水の家よ。高校も数日のうちに手配して恵助、麻耶ちゃんと同じ機陵高校に転入できるようにするわ」
こういうことを言いながら手配を進めようとする母さんの行動力は普段もよく見る。こうなったら父さんにも止められない梃子でも動かせない。
「麻耶ちゃん。よかったらあなたも仲良くしてあげてね」
「……。え、ええ。ロボットの錬Gちゃんに人間としてきちんと接することができるかわからないですけど……」
麻耶はそう言うが母さんは微笑んで大丈夫、と返す。
「あなたが普段恵助に接してくれているのと同じようにしていればいいのよ」
麻耶は口をつぐんで少し難しい顔になる。プレッシャーなのだろうか。
「それはそうと……」
母さんは続ける。
「錬Gちゃん。あなたがもらった名前に愛着があるのはわかるけど、人間社会で必要以上に目立たないように普段は別の名前で呼びましょうか」
錬Gさんはむっ、と少しだけ眉根を寄せる。
「ですが、美智代博士。御堂錬=Gというのが私のコードネームで……」
「錬ちゃんで!」
話に割って入る形でそう麻耶が切り出す。
「その方がかわいいよ!」
「かわいい……? 名前というのはあくまで個の識別方法であって……」
紋切り型に言う錬Gさんに麻耶は首を振る。
「ううん! 名前はそれだけじゃないんだよ。呼んだ側や呼ばれる側がハッピーになる、そんな親しみや祈りを込めたものでなくっちゃ! 錬ちゃんのお父さんもそう願って錬ちゃんに名前をつけてくれたんでしょ?」
麻耶の言葉に錬Gさんは目をぱちくりさせる。
「父……黒沼博士が……私に?」
「そうだよ、だってそんな必要がなかったら博士だってフルネームの名前を錬ちゃんにつけてあげよう、なんてきっと思わなかったと思うよ?」
御堂錬=G。会ったことはないが父と母と旧知の仲だという黒沼博士。その黒沼博士がわざわざ名前、しかもあえて自分と違う名字まで錬Gさんに与えたのは彼女に何か思いがあってのことだろう。名前というものは親から子への……開発者からロボットでもそうなのかはさておくとして、最初の贈り物なのだ。……Gはともかく。
「そしてあだ名や呼び方も私たちから親しみを込めてつける大事なものなんだよ? 単に本人と識別できるかどうかじゃなくて、ね?」
「そういうものなのか……」
錬Gさんが首をひねる。
「じゃあ俺も錬Gさん呼びやめるか……」
「まだ続いてたの、その呼び方?」
麻耶が呆れながら言う。
「よし、分かった」
錬が頷いた。
「私は御堂……錬ちゃんだ」
「自分で名乗るときには『ちゃん』は要らないぞ?!」
俺は錬G……いや、錬がそう言ったので彼女の勘違いを訂正する。
「……何はさておき、錬。改めてよろしくな」
俺はそう言って右手を出す。
「握手だ」
錬は一瞬きょとん、としたがすぐ彼女も微笑んで右手を差し出す。
「握手。友好の証だな。うむ、こちらこそよろしく」
俺たちは握手を交わす。そして麻耶がその握手した俺たちの繋いだ手の上を両手でぎゅっと握る。俺たちは静かに微笑み合った。
「そうか、黒沼の……。よく来てくれたね」
帰宅した父さんは錬を見ると微笑んだ。
「聞いているかもしれないが私は岩清水浩三。美智代の夫でこちらの恵助の父だ」
父さんはジャケットを脱いでハンガーに通し、母さんの方を向く。麻耶はあの後うちで母さんが出した紅茶を飲んだ後、俺たちに挨拶をして帰宅した。といっても家自体は隣なんだけど。
「錬さんは食事は?」
父さんが錬に問う。
「いえ、私も基本的には食物を経口で分解・吸収してエネルギー、電力に変える経路は持ち合わせてはいません」
「じゃあ夕食は不要かな。錬さんの歓迎会は何か別の形でしよう」
父さんはそう言って微笑む。
「黒沼と私は仲がよかった」
錬さんの顔を見て父さんが言う。その顔はひどく懐かしそうだった。
「久しく会わなくなってからも彼は努力を続けていた。その彼の努力の結晶が君……御堂錬さんなのだろう」
「……」
錬は黙っている。彼女の周囲の状況は知らないが、製作者……父を知る人間と会うのは珍しいのかもしれない。俺には少し神妙な面持ちに見えた。
「妻が学校への編入の話を進めたと聞いた。錬さん、君自身の意思はどうだい?」
おお、流石父さん。母さんと違ってちゃんと錬の意思も確認している。
「私は……」
錬が控えめに口を開く。
「私には父の意図もよくわかりません。恵助様……恵助のところに行けと言われたのみで。ですから、ここで預かってもらえる以上、あなた方の指示に従います」
それは模範解答のような答えだった。しかし、父さんは首を振る。
「君自身の意思を確認してるんだよ、錬さん」
錬は少し戸惑っているようだった。
「私の……? しかし、私はロボットで……」
父さんは違うよ、と首を振る。
「人間か、ロボットか。そこには大きな意味はないよ。君は確かに自我を持ってここに今存在している。ちゃんと君自身の意思を表明していいんだよ」
錬が目を大きく見開く。自身のアイデンティティ。自身がロボットである、というそのこと以外にはさしてこだわっていなさそうだった彼女にはなかった発想らしい。
「私の意思は……」
少々逡巡して改めて口を開く。
「……私も、学校で学ぼうと思います。私は誕生したときから組み込まれている知識や概念しか知り得ません。父が私に何を期待しているかは分かりませんが自ら学び、自律行動できる存在として制作された以上私も学習行動を続けたいと思います」
うんうん、と父さんも母さんもうなずく。
「学校に行けばいろんなことが学べるだけじゃなくて楽しいこともきっといっぱいあるわよ」
「楽しいこと……?」
「麻耶ちゃん以外にも人間の友達ができるんじゃないかしら」
「ちょっと、俺が友達じゃないみたいな言い方するなよ」
俺が抗議すると母さんがくすくす笑う。
「そうね、恵助も今日から友達ね。仲良くしてあげなさいね」
「言われなくても……!」
そうは言いつつ、実は気恥ずかしい。俺は麻耶とは普通に話せるがロボットとはいえ女性へ接するのが得意というわけではないのだ。
「恵助。明日からもよろしく頼む」
錬の言葉に俺はうなずく。
「ああ、学校の案内とか説明とかならこなせると思う」
俺はアピールも兼ねてわざとらしくガッツポーズをして、歯を見せて笑ってみせる。
「きっとうちのクラスに編入だろ? 勉強以外なら教えられるぞ!」
両親は呆れかえって渋い顔をしていたが、錬は微笑んだ。
「これが……ユーモア……?」
錬は初めて感情を理解したロボットのようにつぶやく。
「いや、むしろお前の方が笑いを取りに行ってるだろ、それ?!」
「フッ、バレたか。何にせよよろしく、恵助」
そんなパロディも解しているとはユーモアのセンスも搭載しているらしい。俺は少し制作者の黒沼博士が気になり始めた。なんにせよ、こうして錬と俺たちの日常が始まったのだ。
機陵高校の朝。俺と麻耶はすでに教室入りし、着席していた。
「大丈夫かな……」
麻耶が不安げに言うのを打ち消すように俺は言う。
「何度も昨日錬と予行練習した、大丈夫だ」
俺がそう言うと麻耶はそうだといいんだけど……、とまだ少し不安げだった。
ロボットである錬を教室で受け入れる。どんなトラブルが起きるか分からない。ゆえに、少しでも俺たちがフォローしないと。俺と麻耶はそんな気分だった。
やがてホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、ガラッとドアを開けて臼井先生が入ってくる。担当科目地理、若い俺たちへの共感力もあり、人望もある我らの担任だ。
そしてその後ろについて入ってきたのは錬だ。昨日と違い、うちの高校の制服を着ている。錬と彼女の長い黒髪の美しさに男子が数名早くもざわざわしている。
「今日は転校生……転入生か。転入生が一名。みんな、仲良くしてやってくれ。じゃあ御堂さん、みんなの前で挨拶して」
俺と麻耶は隣同士、顔を見合わせる。そして、また視線を教壇の方へ戻す。
「私は御堂錬」
少し女子としては低めの錬の声が教室によく通る。ここまでは失敗しようがない。俺たちは固唾を呑んで見守る。
「私は」
嫌な予感がした。俺は隣の麻耶の方を見ると麻耶もちょうどこちらを見ていて目が合う。
「ロボットだ」
電車の中でのやりとりがまんま再現される。教室が耳が痛いほどの静寂に包まれる。まさに懸念していた状況。そして当然ながら、このやりとりは事前の予行練習にはなかった。つまり、これは錬自身の意思での行動と言うことになる。
「私は父……制作者の黒沼洋平に作られたロボットだ。最初からさまざまなデータをインプットして起動されてはいるが私自身は学習して自律して行動するように作られている。つまり、自分で学んだことを踏まえて、自分で考えて行動するロボットと考えてほしい」
うん、まさに今そうしているよな! と俺は頭を抱えた。が、続いて発せられた錬の言葉は俺の想定外のものだった。
「私は昨日そこにいる恵助、麻耶の二人と出会った」
教室の視線が俺たちに向く。俺の背に冷や汗が流れる。何を話そうというのか。
「恵助は昨日自己紹介の予行練習に付き合ってくれた。その中ではこのようにロボットであることを告白する内容は当初含まれていなかった。ロボットであることが周囲に知られるとトラブルになるだろう、という配慮だ。実際、電車の中で私は先ほどと似たやりとりをして過剰に周囲の注目を浴びてしまった。その結果、恵助と麻耶は下車予定の一つ前の駅で下車せざるを得なかった」
……驚いたことに、昨日の俺たちと出会ってからの俺と麻耶の行動とその理由まですでに理解しているらしい。
「どうやらこれだけロボットと人間が共存している社会の中であっても私のように自律し、行動するロボットというのは極めてまれだと昨日二人と出会い、彼らと周囲の反応と行動を通して分かった。だからこそ」
錬はクラスを見渡す。
「私が当分このクラスで過ごす以上、隠し通すのは困難だと考えた。初めに皆に正直に言う。その結果どうなるかは今の私には分からないが少なくとも恵助と麻耶に気苦労をかけ続けたくない。二人は私に初めてできた友人だ」
……錬の言葉が皆にどう受け止められたかは分からない。だが。
最初、控えめに拍手が起きた。それは次第に大きくなり、やがて段々と教室中に広がった。一人、俺の席の二つ前の男子が立ち上がった。慎次だ。
「君が本当にロボットかどうかを僕たちは知らない」
慎次はそう言った。
「ただ、いたずらでそういうことを言う人に君は見えない。初対面でそういうことを言うメリットもないだろう。だから、君が言ったことが全面的に事実であるならば君は友人を慮ることのできる転校生なのだろう」
皮肉屋の一面もある慎次だが、今回の言葉はきっと裏はないのだろう。みんながまだ抱えていた言いようのない不安が少し緩和されたような空気を感じる。
四谷慎次はみんなにも一目置かれている。それは彼が学級委員だから、ではない。悩み多く、情緒も時に不安定な高校二年生の俺たちの間において、慎次は思索を重んじ、時に舌論で大人とも渡り合える彼の言葉の力に絶大な信頼を置いているからだ。
ゆえに、皆の関心は『錬がロボットかどうか』よりも『彼女は悪い人ではなさそうだ、教室で共存できそうだ』というその点に移っていた。
「おい、シンジ。お前ばっかいいカッコしてんじゃねぇぞ」
またガタッと椅子の音がして誰かが立ち上がる。俺の後ろだ。
「性善説に則れば転入生の受け入れなんて何ら問題ないぜ!」
太だ。また話が面倒になる。俺は頭を抱えた。
「ふぅ。君は授業で習った新しい単語を使ってみたいだけだろう」
そう言って慎次は眼鏡を押さえた。そばかすの浮かぶ頬が少し引きつり、レンズの奥の瞳が呆れている。
「そもそも普段から君は習った単語の君は誤用も多い」
「な、何をーっ! 孔子先生も『過ちて改めざる、是を過ちと謂う』って言ってるぞ!」
「どっちかというとそれは君が座右の銘にすべき言葉だろう」
「大人しく過去の過ちを認めたらそこで手打ちだろ!」
「繰り返し過ちを犯す姿勢には成長がないと言っているんだ」
クラスの皆もうんざりしている。日常的に見慣れた低レベルなやりとりだからか。市來太は名前とは裏腹に太ってはおらず、クラスで一番背が高くひょろっとしている。慎次と同じく俺の友人だ。そして俺たちの間でのムードメーカーにして、トラブルメーカーでもある……。錬はすっかり置いてけぼりになっているがそこまで気にした様子はない。まじまじと二人のやりとりを観察している。
「はい、そこまで! 錬っち困ってるでしょ!」
またガタンと椅子の音がして誰か立ち上がった。頭が痛い。この声は絵美だ。
「慎次はその意地悪な姿勢を直す! 太はもっと勉強する!」
絵美のツーサイドアップの髪の房が揺れる。校則無視の脱色上等の薄い髪色。びしっと二人を指さす人差し指のネイルも煌びやかだ。新見絵美は教員側からは問題児扱いだが気のいい女の子だ。問題は、しばしばこうやって慎次と太の諍いに火に油を注ぐ勢いで加わることだ。
「新見か。俺は今シンジと話してるんだ。待ってな」
「新見さん。僕としては議論に割り込むのは感心しないな」
こういうときだけ太と慎次は息が合う。
「今日の主役は錬っちでしょ! 男二人、もう少し空気読め!」
「今日の。少なくともホームルームの間だけではないだろうか」
また慎次が眼鏡のポジションを直す。
「少なくともシンジは今日の主役じゃねぇだろ!」
「おや? いつ僕が今日の主役じゃないと言った?」
「えっ? お前、今日誕生日?」
「違うが?」
慎次はすっとぼける。
「てめぇ!」
「ほらっ! 二人ともさっさと座る! 」
どんどん収拾がつかなくなる。すっかり諦念の情が俺を支配し始めていた。
ぱんっ! と手のひらを合わせて叩く音が響き、三人とも黙る。
「ほーい、そこまで! 四谷、市來、新見! 全員着席な」
臼井先生がその場を収拾させた。もっと早く、と思っていたが先生なりに何か意図があったのかもしれない。
「お前ら元気が有り余ってるし錬の学校案内やら相談係やら頼んでも良さそうだな! じゃ、ひふみよカルテットと……おまけに岩清水! しっかり頼むな!」
先生の言う四人組、一二三四は今の三人と麻耶だ。
一、市來太。
二、新見絵美。
三、三葉麻耶。
四、四谷慎次。
……完全に俺はおまけだよな……別に名字に数字も入ってないし……。俺は嘆息しつつも、このいつものメンバーに錬が加わることに少しわくわくした期待感を覚え始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます