第4話 神倉結花2

 次の雨の日、台風で暴風警報が発令された帰り、閑崎さんは一目散に教室を飛び出したのだ。事前に予測していなければ、彼女の行動について行けなかった。準備しておいて良かった。

 鞄は教室においたまま、丸めたレインコート片手に彼女を追って私も掛けだした。

 どれだけ走ったか分からない。人生で最も早く、長距離を走った。

 雑木林に彼女がいるのが見えた。

「はぁ、はぁ……本当に足が早いんだから、閑崎さんは。こんな嵐の中をあんなスピードで走るなんて尋常じゃ無いわ」

 息が切れて苦しい。

 こんなにも全力で走ったのはいつ以来だろう。体力測定の時も疲れない程度に走っていた。久しぶりに無我夢中で走ったので、足が悲鳴を上げている。ズキズキとアキレス腱が軋んでいる。

 この日のためにレインコートを買って良かった。傘なんて差していたら到底彼女には追いつけないし、用意無しでは、ずぶ濡れになっていただろう。

 雨音と風がうるさく、私が近づいていることに気がついていないのだろうか。

「閑崎さん? こんなところで何をしているの?」

「えっ?」

 驚くのも仕方が無い。

 彼女の足に追いつけるような生徒は学校にはいない。私を除いては。体力測定の時に手を抜いていたが、本気で走れば彼女と並ぶくらいの足を持っていると自負している。しかし、しかしだ。如何せん私には体力がない。そのため、ここ最近は体力作りに勤しんだ。今日、閑崎さんに追いつけたのは今までの努力の成果だ。毎日走り込みをしておいて良かった。

「何か用?」

「……くんは来ないよ。ここで待っていても彼はやってこない」

「べ、別に誰のことも待ってなんていないよ」

「大丈夫。安心して。私は全部知っているから」

 あー、やばい。閑崎さんと話してる! もうニヤニヤが止まらない。そんな、いきなりにやけていたら、おかしな奴だと思われちゃう。

「全部って、何を?」

「あなたが彼を殺そうとしていること。そのためにホームセンターで二四八〇円の包丁と二〇〇〇円のレインコートを買ったことも知ってる。私の家の前まで来たことがあるのも知ってる」

 他にもいつも一人でお弁当を食べている事も、卵焼きを最初に食べることも知ってる。何だって知ってる。

「なんで、それを知っているの?」

「それは……」

 言っても良いのだろうか。彼女の事をよく知っている理由を。

 閑崎さんの言葉数が少ない。警戒しているのかな。それなら、話してあげたほうが良いか。

「私、閑崎さんの事をずっと見ていたの」

 私はこれまでの事を全て話した。私がいつから彼女の事を意識し、どれだけ彼女の事を知ろうとしたのか。

「そんな、ずっと私を見ていたの?」

「そう。ずっと。ずっとずっと見ていた。私はあなたの事をずっと見ていたの」

 私は閑崎さんの手を握る。

 手が冷たい。こんなにも冷えているなんて。きっと雨だけで無く、緊張も相まって身体が凍えてしまっているのだろう。

 こんなになるほどに私のために身体を張ってくれている。

「なんで、こんなことをしようと思ったの? こんなバカなこと」

「バカなこと? そう思う? 結花の一ヶ月を奪った男なのよ。そんな奴を許せると思う? 何一つ迷うことは無かったわ」

「……なんでそこまでしてくれるのよ」

「それは……私があなたを好きだから。入学式の日から、どうしようも無いくらいにあなたのことが好きなのよ。例え、男を一人殺してもいいと思えるくらいに、あなたが好き」

「ありがとう。私も、同じ」

 それから私たちは嬉しいさと恥ずかしさからしばらくの間声が出なかった。

「帰ろうか」

 初めに口を開いたのは閑崎さんだった。

 大雨の中、私たちは自分たちの家へ歩き出す。

「でも、なんで彼が来ないって分かったの?」

「こんな雨と風の中、自転車を漕ぐと思う? きっと学校までお母さんが車で迎えに来ているわ」

「……それもそうね」

 彼女のバツが悪そうにしている表情も愛おしかった。

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