第6話 都合がいいこと
この事件は、何かの力によって動かされているというのか、何か信念のようなものが感じられるというのか、それが偶然を誘発したり、都合よく見せているのかも知れないように見えた。
今までにも似たような事件がなかったわけではないが、今度の事件のように、端々で見え隠れしているような事件も珍しい、いきなり分かって、どんでん返しを食らうこともあるが、それはあくまでも結果論であった。
――誰かシナリオを描いている影のフィクサーがいるのだろうか?
と思えてくる。
その人物はもうすでにこの事件に姿を現しているのか、最後の最後に出てきて、大逆転が行われるのか、今のところ分からない。だが、ここにいる捜査陣は大なり小なり似たようなことを考えているのだろうが、一番強く感じているのは桜井刑事のようだった。
桜井刑事は、この事件に最初から首を突っ込んでいる。第一発見者の弘子とも話をしたのだが、肝心なことを聞く前に彼女は記憶を失ってしまった。ただ、この肝心なことというのは、取り調べの中で組み立てられる理論を最後に確認するという意味での肝心なことであり、途中で中断してしまうと、また最初からということになるのだった。
捜査本部の主要人物が皆黙り込んでしまったので、少し重苦しい空気になったが、今までほとんど何も言わずに聞いていた鑑識官が口を開いた。
「桜井刑事、先ほど病院から帰ってこられたようですが、川越博士とはお話をされたんですか?」
と言われた。
「ええ、第一発見者の女性が記憶喪失になってしまったので、記憶喪失についてのお話を訊いてきました」
というと、
「川越博士が記憶喪失についての自論を話したということでしょうか?」
と鑑識官が訊いてきたので、
「ええ、そうですよ」
と、この鑑識官は何をいいたいのだろうかと思いながら、曖昧な相手を探るような返事をした。
「私が知っている川越博士は、記憶喪失についての研究をする人ではなかったと思うんですがね。確かにいろいろなことを幅広く研究されている先生でしたが、私の知っている川越博士と以前話をした時に、記憶喪失というのはアンタッチャブルな分野で、『今の私には手を出すなど、おこがましいんですよね』と言っていたんですよ」
という話を訊いて、
「それはいつ頃のことなんですか?」
「ちょうど三年くらい前でしたか、K市のショッピングセンターで爆破事故があったのを覚えていらっしゃいますか?」
と訊かれて、
「ああ、覚えているよ。かなりの大きな事故だったようだけど、確か奇跡的にけが人はいたけど、死者はでなかったということだったよね。奇跡的だということで話題にはなったけど、死人がいなかったということもあってか、そこまで大きな話題になることはなかったと思ったんだけど」
と、松田警部補は言った。
「あの時のけが人はそのほとんどがK大学病院に搬送されたんです。重病の人も結構いましたからね。少し落ち着いてから、継承者は他の病院に転院させられる場合や、退院して通院に切り替わる人もいましたが、結構たくさんの人が入院となったんです。その時、死人が出なかった代わりに、かなりの人がショックからか、トラウマに見舞われて、後遺症となって残った人もいましたが、記憶喪失になった人も数人ですがいたようです。当時の博士はトラウマの治療を専門に行っていましたが、記憶喪失の人たちをどうしていいのか分からずに、右往左往していたんですよ。一人だったら何とかなると思っていたけど、たくさんだとなかなかうまくいかない。何しろ記憶喪失に立ち向かう人間が一人なのだから、限界がある。これをいまさら知ったわけだが、それは複数の記憶喪失者が反発しあって、記憶を呼び起こそうとする人の意志に目を向けないということになったんでしょうね。博士はそう言って、自分には記憶喪失を治すにも限界があるとおっしゃっていました。皮肉なことに、記憶喪失治療が、博士のトラウマになったんですよ。それなのに、今回の事件で博士が記憶喪失の治療ができるようになるなんて、トラウマが取れたのか、それとも博士が覚醒したのかの、どちらかなのかも知れないと思っています」
と、鑑識官は言った。
「そうなんですね。でも、そんなそぶりは川越博士からは感じられませんでしたよ」
というと、
「そうですか、じゃあ、克服されたんでしょうかね」
「ところで、その時の事故というのはどうんなものだったんですか? 私はあまり記憶にはないんですが」
と桜井刑事は言った。
「ちょうど桜井君は、他の事件の捜査で、県をまたぐ広域事件だったこともあって、捜査本部のあるO県に出張っていたはずだと思ったけどね」
と、浅川刑事が言った。
「ああ、あの時の事件ですか。だとすれば、私は意識がなかったかも知れません」
「あの事件は、ちょうど道路工事と、ガス管工事が行われていて、連絡がしっかり行き届いていなくて、不慮の事故ではあったんですが、作業を請け負った会社の監督ミスではないかということで、鑑識の方でも結構調べたつもりだったんですが、ハッキリとした証拠が出てくることもなく、請負会社を起訴することができなかったんです。松田警部補などは、歯がゆい気持ちだったと思いますが、我々鑑識もまったく面目は丸つぶれだし、あれだけの被害者に対して顔向けできないしで、これほど歯がゆかったことはなかったですね。死者は確かにいなかったんですが、重傷者や精神的な後遺症を持った人をたくさん作ってしまったことで、かなり世間から責められたりしましたね。請負会社の方も起訴は免れましたが、信用という意味では地に落ちてしまい。しばらくしてから倒産したようです。ちょっとしたことで防げた事故だという検証もあったことから、世の中に課題を残した事件としても言われるようになりましたね」
と鑑識官は言った。
「それで、川越博士の方は?」
「博士も一生懸命に精神的な被害者の治療には当たっていましたが、どうしても精神的なケアは目に見えるものではない。専門的には徐々に良くなっていっているのが分かるんでしょうが、何しろ素人にはよく分からない。怪我が治って家に帰っても、ボーっとしているだけで、数区は気を遣わなければいけない。まるで痴呆症のような感じなので、目も話せない。中にはヘルパーさんを雇った人もいるようですが、いいヘルパーさんならいいのですが、中にはヘルパーになってはいけないという程度の低い人までいたりする。そんな人がたくさん後遺症としての記憶喪失を抱えたまま残ってしまったことで、家族からも非難を受ける。そんな状態だったのではないでしょうか?」
と、鑑識官は言っている。
「私が話を訊いてきた限りでは。博士の理論は理路整然としていて、理屈に適っていたように思えました。それに、分からないことはしっかりと分からないと言っていたのが印象的だったので、過去にそんなことがあった人とは思えないほどでした。もっとも、私がその話を知っているうえで博士に逢っていたのであれば、また違った印象を持つのかも知れませんね」
と、桜井刑事は言った。
「もちろん、今回の事件と四年前の事故、そして博士が関わっているとは思えないのですが、偶然と都合のよさというのを考えてみると、今のところカギを握っているのが、記憶を失った人の証言ということもあり、博士が関わっていることに違いはないですからね」
と浅川刑事は言ったが、
「浅川さんは博士のことをどう思いましたか?」
と鑑識官の人が言った。
「どうって、私も桜井刑事と同じイメージを抱いたにすぎませんが、確かに何か都合のいい環境を感じてしまう気がしますね」
という浅川刑事に対して、
「そういえば、浅川刑事が面会した九条聡子さんなんですけどね。彼女は実は私の中学時代の同級生なんですよ。彼女は酒匂刑事もご存じの通り、記憶喪失なんですが、私はそのことを知らなかったんですが、車いすに乗って看護師に押されて散歩をしていたんですが、急に私を見て、懐かしそうに私に話しかけるんですよ。それは完全に中学時代の彼女でした。しかも、あれから十数年経っている私なのに、自分が中学生になったかのように振る舞っている彼女がどうして私を見て私が分かるのか、それも不思議でした。いや、不思議というよりも、都合がいいと言った方が正解なのかも知れないですね」
と、桜井刑事が言った。
「それを都合がいいというのは、少し違うような気がするんだけどね。都合がいいというよりも、操られている人形。つまり傀儡人形というべきでしょうか? ピエロの恰好をしていれば、年齢も性別もごまかせる、そんな雰囲気を感じたんだよね。奇抜な格好をしているのには違和感がないのだが、それは逆に発言が奇抜な格好で五か貸されてしまうような道化師と同じなのではないかと思うんです」
と、浅川刑事はそういうのだった。
「何か催眠術のようなものにでもかかっているのかと思いましたよ。馴れ馴れしく話しかけてくるんだけど、その様子は中学生。だけど、雰囲気は違っている。大人なんだから、いくら馴れ馴れしくても、表情は変わらないんですよ。そこに大いなる違和感があったのですが、その違和感がどこから来るのか分からない」
と、桜井刑事は言った。
「傀儡人形と、催眠術。どちらも発想としては同じところから出ていると思うんだけど、行き着く先が違う。もっというと、目的の違いが大きく表れている気がするんだけど、考えすぎだろうか?」
と浅川刑事が言った。
「まあ、皆それぞれに思いがあっての発言なのだろうが、とりあえず、今の我々には、集められるだけの情報を集めて、早期の事件解決に導くというのが目標としてあるので、そこを間違いないようにしていただきたい」
と松田警部補は話した。
浅川刑事にしても、桜井刑事にしても、特に桜井刑事の方には、この事件における記憶喪失という状況が、彼自身に大いにのしかかってきているのだから、仕方のない部分もあるだろう。それを考えると、彼らが博士にこだわる気持ちも分からなくもない。まさか見えない力が二人を博士に集中させているのが問題のだろうか。
いや、逆にこの事件がまさかとは思うが、大きな犯罪の隠れ蓑ということはないだろうか?そんなバカなことを一瞬でも考えたことに対して、松田警部補は穴があったら入りたかったくらいだ。
そう考えてみると、まわりが変に偶然が重なったり都合のいい様子が垣間見られてはいるが、事件の様子は案外と簡単なようだった。
今回の事件で、防犯カメラの映像が残っていたので、それを解析してみると、社長を刺し殺したのは、顔から目出し帽をかぶった男だった。まるで昔のプロレスラー「デストロイヤー」が被っていたような覆面である。殺害現場だという臨場感が溢れているはずのその場所がどこか滑稽に感じられることも、特徴的なところであった。
身長は社長の肩くらいまでしかなかった。だからと言って、ずんぐりむっくりというわけではない。動きや体格から考えると、女性だと思う方がすっきりとしていて、今まで犯人を男性だと思っていたことが思い込みであると、感じさせられた。
ただ、女性と思うのも思い込みであり、危険でもあった。それを突破したのは、ここぞという時の浅川刑事であった。
だが、犯人が容易に分かるわけではなかった。
「この事件が解決する時、もう一つm何かが分かる時のような気がするんだ。そういう意味ではこの事件を見えているところだけを見ていると、結局何も見えていないことになる。かといって見えている部分もおろそかにはできない。少なくとも、今見えている部分だけが我々にとってのヒントでしかないんだからな」
と浅川刑事は言った。
確かにこの事件は見えている部分は狭い一か所に固まっていた。その部分だけを見ていては完全にミスリードさせられる。
ほとんどの犯罪計画というのは、犯罪計画が大きなものとしてあり。その中でいろいろと偽装工作であったり、ミスリードするように計画されるものだが、あくまでも、それは犯人の中における。
今のところ、会社社長の殺害ということに絞られて事件を割り出すことに集中しているが、この事件が何か他の大きな事件の一環であったり、あるいはカモフラージュであったりなどということは考えられないだろうか。
この考えに今のところ柔軟に受け入れることができると思っているのは、桜井刑事と浅川刑事だけだった。
どうしてなのかと言われると、二人にもハッキリとした理由が分かっていなかったが、二人の共通点として、
「K大学病院にて、記憶喪失の患者を診ている」
ということである。
そこには川越博士がいて、二人はそれぞれに博士と意見を言い交した。話は白熱し、どちらからというわけでもなく、盛り上がっていった。この会話の行方が事件を暗示させているような気がしたのだ。
「会話というのは、同じ意見だけではどちらかが、意見をおさらいする形で終わってしまうので、発展はないが、様々な状況の中で、それぞれに意見の違う二人が切磋琢磨しながら、会話を重ねていく。どこで、思いもしなかった発想が生まれることで、会話をしているという醍醐味を味わうことができるというものだ」
と、浅川刑事も桜井刑事も感じていて、さらには川越博士も共有している考えであった。
――ということは、川越博士は、我々に心理的な挑戦をしてきているのではないだろうか?
と、浅川は感じていた。
博士の挑戦というのは、
「敵である自分の考えていることが分かるか?」
というようなものではなく、話の中で発想がいくらでも膨らむために相手を挑発し、ひいては自分の意見も充実させようという、あくまでも自分のための作戦である。
会話というものに力があるとすれば、それはまさしく博士の考えている考え方が裏に潜んでいるからではないだろうか。無意識に会話が膨らんでいくことを会話の醍醐味として楽しんでいる人は多いだろう。だから、人と話さなくなると、寂しいのだ。
寂しいから誰かを求めるというのは当たり前のことで、会話がなくとも、寂しさを紛らわせることができる。
それは身体の関係であろう。
男と女の性行為は、そういう心の隙間を埋めるという意味でも大切なことだ。心には必ず隙間というものがあり、その隙間をピタリと受けられるのが、人間の性欲であり、それに伴う性行為である。
そもそも性行為とは、
「お互いに足りないところを埋め合って、雄ネジと雌ネジのように、パッタリと重なって、決して外れることのない絆」
それを求めることなのではないだろうか。
それは太古の昔、「古事記」にも書かれていることであり。古事記では国の誕生を記しているが、代々つながる人間の数千年という歴史は、まさにここから始まっていると言ってもいい。
だが、人間は性行為というものに、羞恥心というものを持つようになった。それは神によってもたらされたと思うようになっているが、それはきっと、人間が自分で持つということが矛盾に満ちているからであろう。
「人間というのは神が作った」
と言われるが、神だって人間が創造したものだと言えるのではないだろうか。
これはまるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」
という禅問答を、
「メビウスの輪」
のような矛盾した考えに置き換えてみると、面白い考えが浮かんでくるようだ。
だが、その考えがどういうものなのかということをハッキリと示すことはできない。なぜならあくまでもそれは人が勝手に考える、しかも限りない余地を残した発想であるだけに、一つとして同じものができあがるわけではない。
つまりは、人の数だけ考えがあるということであろう
さらには、それは三次元的な考えで、さらに時間という四次元の要素が絡んでくると、人類の歴史における果てしない人たちのかずだけ、考えがあることになり、その間にはいくつもの同じ考えがあると言っても過言ではにあだろう、
「人間は愚かなことは繰り返す」
と言われているが、同じ考えが回帰すると考えれば分からなくもない。
それを、
「輪廻転生」
などという考えに重ね合わせると、さらに理屈としてであるが、辻褄が合うと思うのはどれだけの人間であろうか。
その中で偶然と言われることや、デジャブや既視感などという心理的な人間の作用で、ハッキリと理屈のあ分かっていないものもたくさんある。
逆に、人間が発展し、成長していく中で、数々の文明が作られてきたが、その文明には限りというものがある。
その限りというのは、研究を続ければ続けるほど、その限界を味わうだけというところに落ち着いてしまうというジレンマではないだろうか。
例えば今の世の中でいえば、ロボット開発であったり、タイムマシンである。ただ、この考えは今までにもあったことではないだろうか。それぞれの時代において、同じような限界を感じてきたはずである。
ただ、その限界がどうなったかは過去の人が分かっていたのかどうか分からない。つまり答えを出せないまま脈々と受け継がれてきたのか、それとも知らぬ間に消えてしまっていたのか、時代が変わってしまうと分からなくなってしまうだろう。
ひょっとすると、タイムマシンやロボットという発想は、ずっと昔からあり、
「そんなものはしょせん不可能なんだ」
とその時代時代で最終的に諦められてきたことで、今の世に考えが受け継がれずに、新たな発想として生まれたものとして君臨しているのかも知れない。
かなり強引な考えであるが、辻褄は合っているように思えた。まるで、犯罪捜査における推理をしているような感覚なのだろう。
確かに江戸時代などから、カラクリ人形と呼ばれるようなロボットもどきのものがあり、世界に発表できるようなものすらあった。パリ万国博覧会に出品されたカラクリ人形は、入場者の賞賛を浴びたというような話を訊いたことがあった。
さらにタイムマシンなどは、開発こそされてはいないが、その発想はかなり前からあったのではないだろうか。いわゆる「相対性理論」と呼ばれるものであるが、室町時代に編纂されたと言われる御伽草子で、浦島太郎の話などがあるが、あれこそ相対性理論の賜物と言えるのではないだろうか。
室町時代というと、今から六百年くらい前ということになるであろうか。欧州では中世と呼ばれていた時代である。ルネッサンスなどの芸術的なものや、天体についても、やっとガリレイによって、今に近い発想が芽生えてきたくらいの時代であった。そんな時代に浦島太郎の発想は、宇宙人説が出てきても不思議のないレベルであろう。
カメに乗って海の中に行くという発想であるが、何が相対性理論なのかというと、浦島太郎が竜宮城から帰ってくると、陸の世界はすっかり変わっていて、自分を知っている人はおろか、自分が知っている人もいない。実際には七百年後だということなので、ひょっとすると、今の時代のことを書かれているのかも知れない。しかし、問題はたったの数日しか経っていないはずのものが、七百年も陸では経過していたなど、誰が信じられるであろうか? 何と言っても自分は年を取っていないのである。当然、他の世界だけが早く過ぎてしまったのか、それとも、自分のいた世界があまりにもゆっくりだったのかは分からないが、自分だけが違う世界にいたということは間違いのないことだろう。
相対性理論では、光の速度を超えるような高速で移動した場合。時間の経過は極端に遅くなると言われている。宇宙ロケットで地球を飛び立って、一年後くらいに戻ってくると、地球上では数百年過ぎているという計算になるらしい。だがこれらのタイムマシンでも、ロボット開発でもタブーというものが発想の中にあり、それが開発であったり、発想を豊かになることを妨げている。
タイムマシンでは、いわゆるパラドックスというものがあり、これが解決しない限り、開発できないという宿命がある。
タイムマシンというのは、それに乗れば別の時間へ移動できるというものであるが、例えば過去に向かったとして、自分の親に遭ったとしよう。未来から来た自分と過去の自分が出会ってしまった。何らかのトラブルがあって、どちらかが殺されてしまったとしよう。その時にどうなるかということである。
もし、過去の自分が死んでしまうと、それ以降の自分が存在しないということになるから、どちらも存在しえない。では逆に過去に戻った自分が殺されてしまうとどうなるだろう?
そのまま自分は生き続けるのであるが、過去に戻って殺されることになるのだが、自分の手で未来を変えることになる。この場合は普通なら何も起こらないはずなのだが、いくら未来の自分でも、自分で自分を殺すということが、果たして許されるのだろうか?
そんな倫理的な発想と、現実との狭間でいかに考えるかということであるが、このようなことがあり得てしまうと、時系列の秩序は保たれなくなるに違いない。やはり、人間が勝手に時間を飛び越えるということは限界があると言えないだろうか。普通なら、過去に言った場合に、
「自分の親を殺してしまった場合」
ということで説明されるのだろうが、さらに曖昧な条件にしてしまうと、どう説明していいのか分からない。そこに限界を感じるのだ。
この考えは、
「自分の尻尾にかじりついたヘビが、自分をどんどん飲み込んでいく」
という発想に似ている。
最後にはどうなるのか?
曖昧過ぎて発想できないことを限界として言い訳するのであれば、
「開発は不可能だ」
と説明すればいいものを、いかに誰もが理解できるような発想を繋ぐことができるかがハッキリしないため、タイムマシンというものへの執着をいまだに持っている科学者や、その開発に期待するほとんどの人類という構図が出来上がっているのだろう。
それはタイムマシンに限ったことではない。まだタイムマシンの方が限界を感覚で分かっている分だけ、開発が難しいことは世間的にも理解されていそうな感じだが、ロボット工学に関しては、矛盾と辻褄のジレンマが絶望的であるくせに、タイムマシンよりも期待している人が多いだろう。
確かに、理論的なことを解決できれば、開発も無理ではないか、それには人間というもののメカニズムが分からなければできることではない。
つまり、人間が一番、人間を理解していないということであろう。
ロボット開発には、
「ロボット工学三原則」
という問題と、
「フレーム問題」
の二つが存在する。
ロボットを開発するうえで、一番の問題になってくるのが、いわゆるロボットに対しての制御の問題である。これはロボットに限らず、兵器と呼ばれるものには、必ずと言っていいほど、形は違えども存在するのが、この制御である。
例えば、拳銃のような小さなまのから、原子爆弾のような強烈な破壊力のある爆弾まで、安全装置が存在しているではないか。
また車や電車などの乗り物にも、安全停止装置のようなものがついていたりする。
すべては暴発を防ぐためのもので、これから開発されるであろうロボットにも、当然人間のために暴発しないような安全装置が必要になってくる。ただ、これはあくまでも観念の問題であって、AIと呼ばれる人間が判断するのと同じ破断をロボットがするための装置に組み込まれるものである。
kの三原則は、
「人間の人間による人間のための理論」
が組み込まれなければいけない。
「ロボットは、人間を襲ってはいけない」
「ロボットは人間に服従しなければいけない」
「ロボットは自分の身を自らで守らなければならない」
というのが大きな三原則になるのだが、ここには絶対的な優先順位が存在する。つまり解釈によって、判断が難しい部分があるのだ。矛盾している部分も存在し、人間であっても、とっさの際には判断を誤ってしまうのではないかと思われることが、孕んでいるのだから、ロボットにどこまで解釈できるかが問題だということだ。
ちなみに、この三原則は、実は科学者が考えたものではない。あるアメリカの小説家が自分の小説のネタとして提起したものであった。そこでは、この三原則を保持したロボットが、いかに考えるか、さらにはこのよくできていると思われる三原則のどこに矛盾が隠れているのかということを、よく研究して描かれている。
だが、今でもこの三原則は実際に組み込まれたロボットが開発中であり、ロボット開発のバイブルとして、大学の工学部などでは、最大の原則として研究が続けられているのであった。
さて、このロボット工学三原則というのは、ある程度までロボットのAIが開発されていての話であるが、AIそのものを開発するうえで、一番の困難な問題は、前述の、
「フレーム問題」
である。
フレーム問題というのは、ロボットが人間の命令を訊いて、どこまで自分で判断できるかというところに関わってくるのだが、例えば、ロボットが命令者から、
「洞窟の中に燃料が入った箱が置いてあるので、それを持ってきなさい」
という命令を受けて、洞窟の中に入った。そこには燃料のが言った箱があり、その下に上の箱を外すと爆発するという爆弾があったのだ。
ロボットは何も知らずに、命令通り箱を持ち合えたので、そのまま爆発してしまった。
では、次に開発されたロボットは、下が爆弾であり、爆弾を持ち上げれば、爆発することを理解する電子頭脳を組み込まれたものに改良され、同じように燃料を持ってくるように、命令した。すると、今度は洞窟に入ると、ロボットはまったく動作しなくなったのである。彼は頭の中で、爆弾が×初したらどうなるか?」などという問題の他にも、「天井が落ちてきたらどうしよう?」、「色が変わったらどうしよう」などという、爆弾とは直接関係のないことまで考えてしまったのである。
つまり、何が問題なのか、それを選定することができないのであった。
そこで、目的を遂行するにあたって無関係な事項は考慮しないように改良されたロボットに同じ命令をしたのだが、今度は洞窟を前にして、まったく動かなくなってしまったのだ。
その理由は、最初に可能性を考えて。まったく動けなかったロボットに、目的を遂行するにあたって無関係なことを考慮しないと言ったとしても、何が無関係なのかという可能性も無限に存在しているのである。結局、無限を無限で補おうとしても、土台無理なことであり、ロボット開発は頓挫することになったしまうのだ。
だが、考えてみれば、人間はそのことを意識することすらなく、本能で行動している。つまりは考え方として、フレーム問題の根本を解決できたわけではなく、ただ、うまく対処できているだけだという発想もありえることだということだ。
フレーム問題が解決しない限り、ロボット開発も、そこで発生するであろう、ロボット工学三原則の問題にも行き着くことができないのだ。
これはタイムマシンと同じで、社会倫理としての大きな問題を孕んでいて、開発における限界が見えているということの証明であろう。
そういう意味で、人間はそれらを克服できていて、今はタイムマシンもロボットも必要なく、自分たちで生存できている都合のいい生き物だと言えるのではないだろうか。結局、話はそのまま曖昧なまま、その場でのラフな捜査会議は終了していた。
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