第2話 殺害された社長
浅川刑事は川越博士の話を訊いていて、記憶の喪失と、薬物の関係について興味を持つようになった。薬物というと、どうしても麻薬のようなものを想像し、摂取すると、一時期は幸福感に包まれ、自分の感覚は普段の何十倍、あるいは何百倍と言えるほどの覚醒し、覚醒したものすべてが快感に包まれることになる。
感覚がマヒしてしまっていると言ってもいいのだろうが、その感覚をどのように表現していいのか分からないくらいに感じてしまうと、もう身体が薬がないとか満出来なくなってしまうのだ。
快楽の後には恐ろしい禁断c症状が襲ってくる。昔テレビのコマーシャルであったが、
「あなた、クスリやめマシ化? それとも人間やめますか?」
という名セリフがあったが、まさにその通りなのだろう。
刑事ドラマなどで禁断症状の人間を表現している番組があったが、目の下にはクマができていて、目は完全に焦点が合っておらず、血走った状態である。震えがとまることはなく、寒いのか、歯をガタガタ言わせている。
普通であれば、そんなシーンを薬物に手を出す前に見ていれば、少しは思いとどまったのではないだろうか。そう思うと、悔しさがこみあげてくる浅川刑事だった。
「麻薬患者の禁断症状では、幻覚を見たりするというが、血管の中を無数の小さな虫が蠢いているようだというが、想像を絶することであり、考えたくもないことであった。
川越博士は、
「薬物中毒で苦しんでいる人は見ていられませんよ。まわりが皆敵に見えてくるようで、どんなに押さえつけても、普段力の弱い人でも、人一人ではどうすることもできないんです。だから暴れ出し始める前に最初から足枷をつけておいたりして、まるで罪人扱いですよ」
と言っていた。
「確かに、自分の意志の弱さからクスリに手を出して一時の快楽を得ることで現実逃避をしたいのでしょうが、本当に進んでしまうと、人間をやめなければいけなくなってしまう。そんなことが普通に考えて耐えられますか? 最初から手を出しさえしなければいいんです。確かにこの世の中、現実から逃げたいと思っている人、逃げないと苦しむのが分かっている人にとっては、それでもクスリに手を出さなければいけないという感覚に陥るのだろうが、本当にどうしようもないことなんですよ。麻薬に手を出すということは」
と、川越博士は言った。
「そうですね。女性の中には、セックスの快感を得たいというだけで薬に手を出して、抜けられなくなり、廃人同様になる人もいる。気の毒で見ていられないとその時は思うんですが、冷静に考えると、男に騙されたわけでもなく、自分から手を出したのであれば、どんな理由があっても、正当化できるものではないということでしょう」
と続けた。
博士のように、薬物から患者を救おうとしている人と、クスリから何とかしてその人を引き離そうとする人とが同じ人であってもいいわけだ。
川越博士には妹がいて、実は妹も麻薬中毒になっていた。
麻薬の第一人者としての彼の立場は、こんなことが世間にバレれば、ひとたまりもなく消え失せてしまうだろう。
これは、彼という人物を邪魔に思っている組織の人にとっては、キリ札であったのかも知れない。
しかし、それを公表してしまっては最後、川越博士は麻薬第一人者として、中途区患者に示しがつくはずもなかった。要するに妹の話が明るみにでただけで騒ぎが大きくなるという意識はあった。だから、この問題はデリケートだったのだ。
博士は妹を、半分はモルモットとして利用していた。いくら好奇心から麻薬に手を染めてしまったとはいえ、人体実験のようなマネは、文明社会を自負する他の動物にはない優秀さを考えると、してはいけないことではないだろうか。だが、放っておくと、麻薬は世の中に蔓延し、何をどうしていいのか分からない状態に陥ってしまうだろう。
聡子が麻薬に手を染めたのは、実に最近のことで、麻薬による副作用があるということで、それが彼女の場合は記憶を失うことだった。前後不覚に陥ってしまい、自分が誰であるか分からない状態になることがあるのではないかというのが、博士の話だった。
「最近発見された麻薬の中には、禁断症状以外の副作用が見られるものも結構あるんです。その副作用のおかげで、禁断症状が緩和され、中には禁断症状を起こさずに、まるでタバコを吸うような感覚で嗜んでいる人もいるくらいなんですよ。実はこの方がいいことではなく、禁断症状がないとはいえ、身体を蝕んでいることに変わりはないんです。いや禁断症状がなく副作用はある分、余計に、身体に浸透するスピードは速いんです。本人に自覚がないだけに、こっちの方が厄介なんですよ」
と博士がいうと、
「そういう麻薬の話は最近、どこかからか聞いたことがありますね」
と浅川刑事がいうと、
「いや、人間の身体というのは、痛みを伴うから、自制できるんです。禁断症状があるから、麻薬を抜けることができると、もう二度とやらないと思えるのであって、禁断症状がないと、ズルズルと言ってしまう。麻薬は危ないものだという意識を禁断症状は身体を犠牲にすることで教えてくれるんですよ。例えば、人間は体調を崩したり風邪をひいたりすると発熱するでしょう? これは身体に侵入した菌と戦っていることで身体が反応している証拠なんですよ。だから、熱が上がっている間は、熱を下げようとするのではなく、逆に上がり切るまで身体を暖めるんです。汗が出ない時はまだ身体に熱が籠っている時なので、その時はまだ菌と戦っている時なんですね。でも、汗がどっと出てきた時は、菌をやっつけて、菌の毒素が身体から汗となって出ている証拠なので、身体のだるさも解消されていき、熱も下がり始めます。その時になってやっと冷やすようにするんですよ。解熱剤もそうです。摂取してから汗が出るまでを促進する形になるので、どちらにしても汗が出てくると楽になっていって、熱も下がり、治っていくのです。そういう意味で、身体というのは実に正直で、本人のために従順な反応をするものなんですよ」
と、川越博士は話してくれた。
「なるほど、よく分かる説明をありがとうございました。ところで、今回のこの女性なんですが、これは新種の薬物と言ってもいいんでしょうか?」
と浅川刑事が訊くと、
「そうですね。少なくとも調査するために、いろいろな文献を見てもこの薬については調べることはできません。でもネットの裏ではウワサになっているようで、一部のマニアだったり、ある種の組織の間では、幻のクスリとして評判になっているようです」
「でも、彼女は記憶を失くしているんですよね。よく分かりましたね」
「彼女が少しの間だけ覚醒したことがあったんです。暴れるまではありませんでしたが、不安に苛まれている様子は分かりました。その状態が、少し続いて、すぐに昏睡状態になったんです。ただ、その時、最後に一瞬、正気に戻ったので、すかさず私が質問すると、明らかに記憶喪失状態だったんですよ。昏睡は覚醒した痕、一瞬だけでしたが、正気に戻った。そのギャップが産んだということで、今の正体から目覚めるのには、少し時間が掛かるかも知れませんね」
と博士がいうと、
「じゃあ、ここで目覚めるのを待っていても厳しいということでしょうか?」
と浅川刑事が訊くと、
「ええ、いつ目覚めるかは私にも分からないくらい、今は深い眠りに陥っています」
「ひょっとして、目が覚めると完全に記憶を取り戻しているということはありませんかね?」
という浅川刑事の質問に、
「何とも言えませんが、絶対ということは、今回のこの患者に関しては言えないと思います。何よりお摂取している薬物が未知のものである以上、余談も許されないし、かといって、怖がってばかりでもいけないと思っています」
と、浅川刑事は言った。
「それじゃあ、少しだけ様子を見てから引き揚げようと思います。もし彼女に変化があったり、話ができる状態になったら、K警察の浅川までご連絡いただけると助かります」
と浅川刑事はそう言って、博士に導かれて、問題の彼女のところに見に行った。
ベッドの中で死んだように眠っていた。
どうして死んだように眠っていたのかという表現になるのかというと、息をしていないかのような無表情で、顔の筋肉のどこにも力が入っていない。
「まるで死んだように眠っているという話を訊いたことがあるが、彼女はまさにそんな雰囲気ですね」
と浅川が訊くと、
「やはり、覚醒の後の昏睡状態ということだからでしょうね。他のクスリを摂取して禁断症状を抜けることができた人は、皆こうやって昏睡状態に陥って、個人差はありますが、長い人出数日眠り続ける人もいます。クスリの種類にもよりますが、たぶん、個人差の方が大きいかも知れませんね」
と博士は言った。
「あの様子だと、本当に数日目を覚まさないと言われても無理もないような気がしてきました。とりあえず、今日は引き上げることにしましょう。またよろしくお願いいたします」
と言って、浅川刑事は、K大学病院を後にした。
浅川が感じたのは、彼女がもし記憶を取り戻したとして、肝心な部分の持っていた記憶を失ってしまっていたり、その部分だけを思い出せないでいたりするとすれば、この事件が何かの暗示のように思え、少し気持ちが悪いと思わせた。
F東区の工場地域に、昔から存在する玩具会社の校長があるのだが、そこで社長の死体が発見されたという通報があったのが、翌日の朝のことだった。発見したのは、いつも最初に出社してくる女性事務員で、いつものように事務所からのカギを開けて、事務所に入ってみると、そこに俯せになって倒れている男性が見つかった。
奇妙なことに経入れているのは床の上ではなく、机にであった。ちょうど腹部が机の端に当たっていて。それで後ろに倒れない安定感を保っているのかと思わせるようだった。しかも、両腕は完全に開いていて、まるで机の端を掴んでいるかのように見えるくらいだった。
さすがに怖くて最初は近寄れなかったが、横を向いているその人の顔を見た時、あまりにも断末魔の顔が恐怖に歪んでいたので、それが誰だったのか分からなかったが、時間の経過とともに少しずつ冷静さをとりもどしてくると、その顔が自分の会社の社長であることに気が付いた。
「社長」
と言って声を掛けるが、やはり返事がない。
首筋に頸動脈があるのが分かっていたので、首筋を触ってみると冷たくて、やはり脈を打っている様子はない。
それを感じてさらに青くなった事務員は、その時点で一気に現実に引き戻された気がしたのだろう。それまでは、まるで夢でも見ているのか、 映画を見ているような錯覚が、他人事で感じられていたのかお知れない。
それともう一つは、まだ誰も来ていないということで、部屋の中は寒く、外気を感じさせることで風が吹いている感覚もあった。そのせいなのか、鉄分を含んだ血の臭いを感じたことが、さらに死体発見のリアルさを物語っているようで恐ろしかったのだ。
気持ち悪さと恐ろしさの両方を感じていると、身体が金縛りに遭ったかのように、簡単に動かすことができず、気になるのは後方だった。
――知らない誰かに抱きつかれたりはしないだろうか?
という思いが、他の誰かが出社してくると、その物音でまるで自分が心臓麻痺でも起こして死んでしまうのではないかという恐怖スラ感じれた。
意外と恐怖を感じている時ほど、いろいろなことが頭に浮かんでくるものだと思うのは面白いことであったが、その時の本人にはそんな発想などどうでもよかった。まずは、その場からいかに逃げ去ることができるのかということが頭を巡り、この金縛りをまずはどうすればいいのかが最大の問題となっていた。
身体が重たいというよりも、誰かに押さえつけられているような思いがあり、そっちの方がよほど恐ろしかった。
恐怖というものがどういう影響を神経に与えるかなど、医者ではない自分には分からなかったが、少なくともそれくらいのことを考えない限り、今の状況を逃れることができないと感じてくる。そうすると、思ったよりも緊張がほぐれてきたようで、金縛りが解けてきたような気がした。
難しいことを考えようとしたことで身体が拒否反応を起こしたのかも知れないとも思ったが、それよちも単純に時間が経ったからだというだけの理由にも思えなくない。どちらにしても、現状を整理できるくらいまで頭の中が落ち着いてきていたのだった。
「まずは、目の前で人が死んでいるのを見つけた。そこにいる人は自分の会社の社長である。俯せになっているところを起こすのは忍びなかった。もしこれが殺人であるとすれば、現状保存が大切だからだ。とにかく警察に連絡しなければいけない。そして、その後には副社長に連絡であろう」
そこまで頭が回ったくるのを感じると、死体を横目に見ながら、警察へ通報した。きっと数十分もしないうちに捜査員が押しかけてくるに違いなかった。
そして、社長が殺害されたことを副社長に電話で報告した。警察に連絡は済んでいて、今から来るだろうというと、案の定、副社長からの指示は、
「とにかく、警察の方が来られたら、その指示に従ってください。その前に他の社員が来た時は、冷静になってもらって、その人にも警察が来ることを話して、警察の指示に従ってもらうように諭してください。私も今からそちらに向かいます」
ということであった。
その日の副社長は出張の予定だったが、緊急事態ということで、急遽出張を取りやめ、工場の事務所に来るようにしてくれた。会社の首脳陣としても、警察の捜査である程度のことが分からないと、善後策を取ることができないということになるのだろう。
第一発見者は末松弘子という。彼女は、高校を卒業して、この工場に配属され、ずっと庶務のような仕事をしてきた。年齢は二十五歳と、今年七年目になる工場ではベテランの域に達していた。工場長がある意味一番頼りにしているのは彼女であり、結構安心していたのだ。
この日、工場長は他県に出張をしていたので、昨日から、ビジネスホテルに滞在していた。副社長に連絡を取った後に工場長に連絡を入れると、ちょうど朝食の時間だったようで、事情を説明すると、かなり驚いていた。その様子は電話口からも想像ができ、時々言葉を切って、新井息遣いをしているのが感じられた。
きっといろいろ考えていたのだろう。善後策もその一つであろうし、そもそもなぜ社長がそこで殺害されていたのか、殺害の動機は何なのか? そんなことを考えていたのではないかと彼女は思ったのだ。工場長は本を読むのが好きで、いつもミステリーを読んでいるのを見ている印象が強かったので、社長が考え事をしているのが感じられると、自分なりに推理の真似事でもしているのではないかと感じられたのだ。
警察はやってきたのは、それから二十分くらいしてからのことだったが、慌ただしい仲にも統制された冷静さで、おごそかと言っていいのか、無言のうちに進められる作業は、庶務を行っている弘子には、見習うべきものであった。立入禁止のロープが張られ、表に制服警官を断たせ、中ではすでに鑑識が捜査に入っているのか、カメラのフラッシュが焚かれていた。
実際の捜査員と思われるスーツ姿に腕には腕章をつけた男性がメモ帳を開いている姿をみっると、
「いかにも刑事さん」
というイメージが浮かんできて、いよいよ死体発見現場の形が出来上がっているのが分かってきた。
刑事は鑑識の人にいろいろ聴いているようだった。小声なのと、まわりのざわつきが気になってか、集中できないでいることで、そこでどのような会話が行われていたのか分からなかったが、死因や思考推定時刻の話などが主な割れていたのだろうということは容易に想像がついた。
その時の捜査員の刑事と監察官は絶えず下を見ていて、その視線の先に、死体を捉えて離さないという雰囲気が感じられた。
さすがに、死体発見現場としての臨場感がすごいものなのだということを、弘子も初めて感じていたのだ。
警察や、医療関係者などでなければ、こんな場面に一生のうちで立ち会うことができる人など、そうはいないだろう。そう思うと、別の意味での興奮が自分の中に沸き上がってきていて、先ほどまでの恐怖と動揺とは打って変わって、どこか他人事のように見えている自分がいることに不思議な感覚を覚えていたのだ。
速やかにそして手際のいい時間の経過は見ていると、心地よささえあった。気持ち悪さの十万した空間でも、心地よい時間の経過を感じられたのは、せめてもの救いだったのかも知れない。意外とそういう緊張した時間や恐怖の時間には、感じることができるかできないかという違いはあるが、
「その裏には何か心地よい時間が潜伏しているのではないか」
と感じさせられたような気がした。
刑事はある程度、鑑識からの報告を受けて頭の中がまとまったのかも知れない。そそくさとこちらに向かって歩いてきた。
ずっと死体ばかりを見ていた刑事に、ずっとその場を見守っていた弘子の存在が分かっていたかどうか分からなかったが、鑑識との話が終わってから弘子のところに来るのは最初から計画されていたことで、一ミリものブレもないような気がしたのだ。
「あなたが、第一発見者の方ですか?」
とその刑事がいうので、
「ええ、私はこの工場の事務員で、末松弘子と言います。いつも私が一番最初の出社ですので、いつもと同じくらいの時間に出社してきて。発見したというわけです」
とひろ子が簡潔に説明した。
「私は、K警察署の桜井と言います。よろしくお願いします。まずは、あなたが、ここでお亡くなりになっている被害者の方をご存じですか?」
と訊かれて、
「ええ、この会社の社長です。うちの会社は、K市を拠点に県内と、近隣の県にいくつかの視点を持っていて、工場もいくつかあります。近代的な工場も最近華道し始めたんですが、ここのように昔からの会社もあるというわけです」
「ここの工場ではどのようなものをおつくりなんですか?」
「そうですね。主にぬいぐるみや小さなおもちゃ関係が多いですね。ゲームセンターなどの景品になるような簡単なものを作っていると思っていただければ、ピンとくるのではにあでしょうか?」
と言われた桜井刑事は。頭の中で通帳「ガチャガチャ」と言われるカプセルに入った小さなおもちゃであったり、アミューズメント施設などにある、UFOキャッチャーなどの景品を思い浮かべていた。
「なるほど、じゃあ、製品によって、工場が別れているという感じなんでしょうね?」
「ええ、そうですね。元々、うちの会社は、零細企業だったので、零細企業同士が合併することで生き残ってきたという側面があるので、別々のものを開発していたという会社同士の合併だったので、ある意味スムーズな合併でよかったと思っています」
「じゃあ、同じ会社に二つの事業部があるというようなイメージでしょうか?」
「ええ、そう思っていただけるといいと思います」
と、弘子は答えたが。どうやら、話をしている様子では、桜井刑事には弘子が言いたいことはちゃんと伝わっているようだった。
そう思った弘子は、ここから先の事件についての話も、相手が桜井刑事であれば、話がしやすいと思うのだった。
「ということは、社長さんはいつもこちらの工場にいるわけではないんですよね?」
と訊かれた弘子は、
「ええ、その通りです。社長はいつも本社ですので、工場視察は社長のスケジュールの中で他の仕事の優先獣医を比較して計画されるので、一か月先くらいまでは決まっています。今回の社長の来場予定日は、二週間後くらいだったはずだと記憶しています」
というと、
「その正確な日を後で構いませんから、ご提示ください。ところで、社長さんはいつも抜き打ちで来るわけではないでしょう? 誰も出社していない工場にいきなりいるようなことはないはずですよね?」
という桜井刑事の質問に、
「それはもちろんです。第一それであれば、来場予定日を最初から示すわけはありませんよね? しかも今日私が一つ疑問に思ったのは、どうして社長がここに入れたのかということなんですよ。社長はこの事務所のカギを持っているわけではないですし、例えば工場から入ってきたのだとしても、工場からもこの事務所は中からカギがかかるようになっていて。工場からカギがかかった状態で入ろうとすると表と同じようなカギが必要なんですよ。先ほど確認しましたが、カギはちゃんと内側から掛かっていました」
と弘子は言った。
被害者は。床の上に倒れていたわけではなく、机にもたれかかっているようにしているんですよね。まるで宙に倒れているかのような感じ、私にはとても違和感があるように思えるんですけどね」
と桜井刑事が言った。
「それは私も同じです。普通であればこんな殺害現場、見たことありませんよね。どうしてこんな状態になっているのか、私にも分かりません」
と弘子がいうと、
「この机は誰の机なんですか?」
と刑事が訊くので、
「今そこは、誰も座っていません」
「ということは、以前は誰かが座っていたというころでしょうか?」
「ええ、以前は主任さんが座っておられたんですが、ある日、工場内で事故があって、祖の事故が原因で向上の仕事が続けられなくなって退社されたんです」
と弘子が説明すると、
「ほう、事故ですか。かなり重かったんですか?」
「ええ、数か月の入院が必要でした。事故の原因は、本人の注意力散漫だったので、そのことは本人も分かっていたことから、揉めることもなかったのですが、退院してきてから職場復帰をしたようなんですが、本人の中に何かトラウマが残ったらしく前のようには仕事ができなくなったんです。後遺症はないという医者の話えしたが、どうも本人の栄進的なものなんでしょうね。医者もそういうことはありえることだと言っていたので。結局、本人が退職願を出したということでした」
と、弘子がいうと、
「では、その人が会社を恨んでいるということはないということですね?」
と言われて、
「ええ、それはないと思います」
「それはいつ頃のことですか?」
「そろそろ一年くらい経とうかとしていますね。主人さんが辞められてから、この工場では補充は行っていなかったので、あの席は一年前から空いたままだったということです」
と弘子は答えた。
「じゃあ、その人とこの事件は無関係のようですね?」
と桜井刑事はいうので、
「ただ、ですね。これはハッキリとした情報ではないのですが、その主任さんが二か月くらい前に、この工場の近くにいたという話をしていた人がいたんですよ。しかも、主任さんを見たという人は一人ではなく、複数の目撃証言があったということなので、まんざら気のせいだともいえないということもありました」
と弘子が言ったが、
「それは少し興味深い情報ですね」
と桜井刑事は関心を示した。
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