天の川銀河でコーヒーを。

芥子菜ジパ子

「宇宙レベルで見たら」なんて、陳腐な話だけれど。


「メイ」

 コーヒーの香りと共に、テルがベランダに顔を覗かせる。仕事から帰ってきたようだ。

「おかえり」

「また天体観測?」

「『また』って言うほど『また』だった?」

「多分」

 両手に持ったカップの中身を零さないようにバランスを取りながら、よっこらせという掛け声と共に、テルは私の隣に腰掛けた。

「はい、コーヒー」

「ん、ありがと」

 猫の額以下の狭いベランダに並べられたキャンピングチェアは、同棲を始めたばかりの頃に私が買ったものだ。渋い顔をするテルに、一緒に夜空を眺めながらコーヒーを飲んだり食事をしたりしたいのだ、と駄々をこねた。大分ぶつくさ言われたが、あれから数年、なんだかんだでこうして時々、テルは私と一緒にコーヒーを飲んでくれている。


「で?今日は何見てんの」

「夏の大三角形」

「ああ、今日って七夕か」

「そ。さいわい今日は晴れてるし、織姫と彦星はどうしているかなぁって」

「メルヘンな奴」 

 そう言いながらも、テルは素直に夜空を見上げる。こういう人なのだ。


 都会のマンションのベランダからでは、実際星などほとんど見えない。見えたとしてひとつふたつ程度。それでも私は、こうして星を眺めるのが好きだ。見えないだけで確かにそこにある光は、なんてことのない日常に隠れた小さな幸せのように感じられる。そうたとえば、今隣でぽかんと口を開けながら、一所懸命夏の大三角形を探しているテルの姿とか。


「織姫と彦星ってあれだろ。一年に一度しか会えないっていう」

「一年間なんの保証もないのに待てるってすごいよね」

 ふん、と小さく鼻を鳴らすと、テルは夜空から手元のカップに視線を落とし、コーヒーの表面にふうと息を吹きかけた。

「もうずうっと同じことを続けてるんだろ?それこそ、それが保証になるんじゃないか?」

 返す言葉が思いつかず、適当に微笑んでコーヒーを啜る。なんともテルらしい。なんの疑いもなく、ただ続く日常を「保証」だと言う。だから私たちの関係も漠然と進行したまま、未だに到達点が定まらない。お互いにもういい歳だというのに。


「ねえ、天の川ってあるじゃない?」

「織姫と彦星が渡るやつな」

「そうそう。今日ちょっと調べてみたらさ、面白いことが分かったの」

「なに?」

 パーカーのポケットからスマートフォンを取り出して、ブックマークしておいた目当てのページを開く。

「私たちの住む地球って、天の川の中なんだって」

「なんだよそれ」

 テルが私のスマートフォンを覗き込む。この夜一番興味をひいた話題だったようだ。

「天の川って、宇宙にいくつも存在する銀河のひとつで、正式には『天の川銀河』っていうらしいの。でね、その天の川銀河のなかに太陽系があるんだってさ」

 興味は持ったものの今ひとつピンと来ないようで、テルは無言のままコーヒーカップを口に運んだ。こういう時は大抵自分の中で答えを探している時なので、私も返事を急かさずに、やはり無言でコーヒーカップを傾ける。最初こそ、いきなり黙り込まれてしまうのにイライラしたり不安になったりもしたが、もうすっかり慣れてしまった。


「てことは、織姫と彦星も俺らも、天の川の底で永遠にさまようちっぽけな存在ってことか」

 コーヒーカップが手元と口を何往復かした頃、ようやくテルが口を開いた。今日は少しだけ、処理に時間がかかったようだ。

「夢のないこと言わないでよ」

「でもそういうことだろ?」

「さまよっていたとしても、それぞれの到達点っていうのは存在すると思うよ、私は」

「広大な銀河のなかで、到達点もへったくれもないだろ」

 へらりとした笑いで流された。私は返事をせずに、カップの中の液体を睨みつける。思うところがあるとこうやって黙ってしまうのは、私の悪い癖だ。最近どうにも焦りがあるのか、この手の話をすぐにふっかけてしまう。テルがそういう話を嫌うのは、よく知っているくせに。


「まあでも、さ」

 珍しくテルが言葉を続ける。私が機嫌を悪くするとすぐにそれを察して、いつも黙ってそそくさと退散するくせに。

「到達点は置いておいて、俺らも織姫も彦星も、銀河レベルで見たら同じ場所にいるんだとしたら――だな」

「うん」

「俺らがこうして天の川の底でコーヒーを飲んでいるように、織姫と彦星も今頃、並んで茶でも飲んでるかもしれないってこった。同じように、天の川を見上げてさ」

 そう言うと、テルはまた夜空を見上げて、夏の大三角形を探し始める。やはり口をぽかんと開けながら。

 テルなりに、私のメルヘンを尊重してくれているのだろう。到達点の話は置いておかないで欲しかったが、見えないけれど確かにそこにあるこんな瞬間は、やっぱり愛おしい。

「……それは、そんなに悪いことじゃないね」

「だろ?」

 天の川の底から願い事をひとつするのなら、私の願いはこうだ。


「こんな瞬間を繋げた先にある未来でも、テルが隣でコーヒーを飲んでいてくれますように」

 ちいさく呟いた。


「なんか言ったか?」

「ううん、なんにも」

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天の川銀河でコーヒーを。 芥子菜ジパ子 @karashina285

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