第2話 美女と野獣
実は、死体で見つかったのは、その工場長の兄である川崎直哉氏であった。なぜ名字が違うのかというと、長男である直哉が養子に出たからだった。
普通では跡取りであるはずの直哉が家を継ぐはずだったのだが、直哉はそもそも工場を継ぐことを嫌がっていた。
直哉は中学時代から自分にコンプレックスを持っていて、どうしても女性にモテないということを、自分の容姿と、その容姿に匹敵するくらいに気にしていた。
「家が工場である」
という事実だった。
K市に生まれ育った人間であれば、他の土地と違って、先代から受け継がれる工場を持っていることが、どんな金持ちや権力者よりも立場が上だった。まさか他の土地では、油臭いとか言って、工場の工員が嫌がられる職業、いわゆる三Kだと言われているなどという知識は持っていなかった。
だが、中学生になった頃から直哉は自分の街が実は他の一般的な街と違って特殊であるということに気づいていた。自分独自に研究した結果、やはり、K市というのが特別なところで、そんな街を軽蔑するほど嫌いだということに気づいてしまったのだ。
そのことが、自分の容姿の醜さと混乱した頭が、工場のような油臭いところでの仕事はとてもできないと思わせた。
「いずれは、俺はここを去って、他の街に行くんだ」
ということが、将来への一番の目標になっていた。
かといって、それほど遠くに行くことはさすがに忍びなかった。隣の県庁所在地の市くらいにとどまっていたいという思いがあったからか。大学も都会に入った。K市出身の学生もいたが、彼らは都心部の連中と一切絡もうとしない。それを当然たと思っていた直哉は、そんな出身地の仲間を見て、
「あれじゃあ、孤立するのも当然だ:
と考えるようになった。
自分がどんどん、変わっていき、垢ぬけてきたような錯覚を抱くようになった。
その頃からだろうか、それまで鏡を見るのが一番嫌いだったはずなのに、見れるようになった。
そして、自分の容姿がそこまで悲観的になるほどではないと気付いたのだ。
確かにお世辞にもイケメンとは言えないが、女性にまったくモテないことはない。そう思い込むことによって、生まれて初めて彼女ができた。
その女性はまるで女王様のようないで立ちで、実際に大手企業の社長令嬢だったのだ。彼女は直哉のどこが気に入ったのか分からなかったが、素朴なところがよかったようだ。直哉も最初はそんな自分に自信を取り戻し、理想の男女関係を結ぶことができたと思っていたのに、最初にぎこちなくしたのは、直哉の方だった。
元々、自分に自信がなかったのは、容姿から来ているのだったが、その思いが自分を自虐的にしていた。それを意識することがないので、自虐しているという意識がないままに自虐状態に陥ると、思ったよりもゾクゾクした気持ちになるようだった。
彼女もそんな直哉に疑問を感じ始めた。
「最初はあんなに好きだったし、頼もしく感じていたのに、今はどこが空く立ったのか分からなくなり、頼もしさを感じていたはずだとは覚えているが、どのあたりにその頼もしさがあったのか、思い出そうとしても思い出せない。
二人はお互いに、完全に相手を見失ってしまっていた。
特に直哉の場合は、さらに自虐的になり、一度は完全に別れるかと思っていたのに、何がどうなったのか、あれよあれよという間に二人は結婚することになった。
彼女が気を緩めて、彼のいいところを探そうとしたのだったが、うまい具合に彼の意志と一致したことがあったので、本当に些細なことが、まるで砂漠で金を見つけたかのような大事件として錯覚し、再度お互いに愛を深めた。結婚したのはその頃だった。
子供が生まれるまでは二人はおしどり夫婦であった。お互いを支え合うことのできたごく短い期間ではあったが、その時間を満喫できたことで、お互いに距離ができても、離婚という意識に至ることはなかったのだ。
お互いに諦めの境地もあったのかも知れない。直哉は工場を出てきて自暴自棄になった時期もあったことでの後悔、彼女の方は、何か頼りない男ではあるが、そんな彼を支えられるのは自分しかいないという勘違い、さらには、二人の間に生まれた娘という宝ができたことで、離婚という選択肢はなくなっていたのだ。
ただ、直哉の自虐的な性格は治っていないし。そのために奥さんの力が必要だった。元々逃げたいと思ってたK市というところだったこともあり、
「結婚するなら養子に入ってほしい」
と言われて、間髪入れずに賛成した。
すでに実家からは勘当されていることもあって、養子に対しての抵抗はなかった。相手の父親とすれば、K市出身の婿は使い道があると思ったのか、後を継がせるつもりはないが、利用できるところは利用しようと思っていたのだった。奥さんに兄がいたこともよかったのだろう。その時点では嫁の実家側の一人勝ちのようなものだった。
養子になり、義父の会社に入れるかと思ったが、銀行に出向になった。元々細かいことが苦手で、いい加減なところがある娘婿を、そう簡単に自分の会社に入れて、何かあれば困るということで、武者修行の意味を込めて、銀行に出向となったのだ。
だが、自虐精神は止まらなかった。だが、そのうちに自分がどうすればいいのか分からなくなり、感覚もマヒしてきた。とりあえず銀行ではミスをしないようにしていればいいとうまく立ち回った。
彼の優れているところは、立ち回りのうまいところだった。とりあえず失敗せずにこなしていればいいという部署で、無難に過ごし、可もなく不可もない毎日を過ごしていると、マヒした感覚が心地よくなってくる。
ただ、欲望の中でも性欲には勝てなかったようだ。持ち前の要領の良さで、会社にバレないように適当に女性と付き合っていた。二股をかけていたとしても、そこはうまくやっていた。いや、それは本人が思い込んでいたのもあった。女は彼のお金が目当てだったのだ。
それなりのお金はあったので、適当に遊ぶくらいは何とかなった。
「ひょっとすると、会社の金に手を付けているのかも知れない」
というウワサまであったくらいだ。
さすがに要領の良さが幸いしてか、見つからない程度のお金を少しずつ着服しているのだから、始末が悪い。
ただ、奥さんの方も、父親の会社に入れると思っていたのが、いきなり銀行に出向などと彼の気持ちを思うと、どこか後ろめたさがあり、お金も与えていた。彼が絶妙にいまく立ち回ったことで、バレずに済んだのだが、奥さんは、ウスウス気付いていたもかも知れない。
旦那が情けないので、奥さんはしっかり者となった。名前は川崎治子。学生時代から真面目を絵に描いたような女性で、恋愛もしたことのないくらいだったが、彼女の男性の好みというのが、少し変わっていた。
見た目は冴えない直哉のことを好きになった。彼女が男性を好きになるのは。自分の性格に合う人を自分なりに想像して、そのイメージに嵌った男性を好きになる。つまり、好きになった男性がいるわけではなく、イメージに合う人を好きになるのだった。
そういう意味では見た目もだらしなく冴えない直哉だったが、そんな直哉を治子が好きになったとまわりが訊いた時、
「お嬢さんの気まぐれかしらね」
と言って笑っていた友達も、まさか結婚するまで行くとは思ってもいなかったので、彼女に親しい人ほど、この結婚を意外に思っていたようだ。
見た目のだらしなさを、直哉は意識していなかった。そもそも身だしなみなどに興味もなく、
「だらしなくて何が悪い」
と開き直るのが正しいと自分で思っているくらいだった。
そういう意味では変わり者同士、お似合いだったのかも知れない。
ただ、直哉を知っている人は、
「お嬢様がコロッと騙されちゃったか」
と、彼の要領の良さだけで、逆玉に乗ったということで、しばらくは友達でいることで、おこぼれに預かろうとしていた友人もいたようだ。
こんな男にお金を与えると、まさに猫に小判のようなもので、何に使うか、誰にも分からなかった。学生時代にはそんなに女の子に興味がある方ではなく、どちらかというとヲタクに近い方だった。
女の子への興味は、マンガに出てくるような二次元ばかりで、普段から人と話をするよりもパソコン相手が多かったというまったくのインドア派だったのだ。
そんなやつが逆玉に乗るだなんて。誰が想像したことだろう。
「世の中蓼食う虫も好き好きなんていう言葉もあるが、世の中の珍事を垣間見たようで、世の中不公平にできていることを思えば、俺にもチャンスがあるかも知れないな」
などと言っている連中といつも一緒にいた時点で、自分だけではなく、仲間も大したことがないのは分かり切っていたのだった。
それでも、一人前に結婚したことで、
「少しは、しっかりするんじゃないか?」
とまわりは思ったようだが、そう簡単なものではないことを、しっかりと本人が証明してくれたのだった。
「美女と野獣」
という映画が昔あったが、まさに表現上、見た目ともに、その通りではないかと思えていた。
どちらが最初に好きになったのかということはハッキリとは分かっていないが、交際中に積極的だったのは、治子の方だった。むしろ直哉の方は戸惑っていただろう。最初こそ、信じられないと思うような状況に、
「夢を見ているようだ。もし夢なら覚めないでくれ」
という思いでいたことであろう。
それなのに、実際付き合ってみると、相手がぐいぐい押してくる。世間とすれば二人に対して偏見を持った目で言いたい放題であったが。逆にそれがまわりの、
「負け犬の遠吠え」
のように聞こえ、それが自尊心をくすぐり、心地よかった。
今までは自分が負け犬だったということを、改めて思い知らされると、自分にも自尊心があるということが分かって、嬉しいくらいだった。
普通自尊心というとあまりいい意味では言われない。自尊心を傷つけられると、その後の感情的になった行動が、それまで築いてきた自分の地位を根底から覆すかのようになってしまう懸念があったからだ。
そんな中まわりから自分に対して向けられる汚い言葉や、本音とも思える吐き捨てるような言葉を嫉妬だと理解するまでに少し時間が掛かった。
それまでの自分は人に嫉妬することがないほど、容姿には自信が持てず、
「嫉妬をしてはいけない人間」
として、自分を感じていたのだった。
小学生のころは愚か、中学時代、、高校時代とモテるなどという言葉とは縁遠かった自分が、まさか、工場長の令嬢と婚約迄こぎつけるなど思ってもみなかった。
K市における、工場長という立場は、社長と同レベルである。最初は、工場長という話だけだったので、K市というものの実情を知らなかった直哉は、少なくとも彼女の金が目当てではなかったことは確かだった。
それから少しして、K市だけにとどまららず、他の市に会社を設立し、そこから、工場への流れを作ることで、スムーズな経営ができるようになった。社長も兼任することで、名実ともに社長令嬢となった治子だったが、養子に来てくれる婿を探してきたことに対して一応の評価を与えたことで、二人の間の結婚に障害はなくなった。
ただ、前述のように、出向という憂き目に遭ってしまったことは少しショックだったかも知れないが、変な責任があるわけでもなく、プレッシャーがないだけに、却って気が楽だとも言えるだろう。
引っ込み思案なところは、彼にとtって一長一短だった。
基本的に引っ込み思案というのは、暗い性格であり、あまりいいイメージで摂られないが、従順であることは上司にとっては使い勝手がよく、余計なことを言わない。そういう意味で部下としてはありがたかった。
結婚してから係長に就任し、課長クラスまではとんとん拍子だったが、そこから先はなかなか昇進というわけにはいかなかった。それは性格が災いしているというのもあったのだが、
「これ以上、出世を急いではいけない」
という、義父の裏からの圧力があったようだ。
性格的には変わっていないので、甘んじてその時々での役職を無難にこなしていたが、そんな彼を、治子は嫁の立場から、何かを口だそうという気にはならなかった。二人の関係は、終始そういう関係だった。
結婚してから、すぐに女の子を授かった。二人はともに二十四歳になっていて、ひょっとするとこの頃が一番自分が輝いていた時期だったかも知れないと、直哉は感じていた。
いつも何かを考えていても、すぐに我に返ってから思い出そうとすると、思い出せないという人生をずっと送ってきたが、その時だけは、考えていることの結論がしっかりと会ったように思えた。ただ、そんな時期を通り越してしまうと、そんな時期があったということさえ思い出せないほどに自分が情けなくなっていたのだ。
生まれた娘を見た時、
「目の中に入れても痛くない」
という言葉があるが、まさにその通りだった。
それまで、子供というものはうるさいだけで、実際には嫌いだった。イライラさせる存在なだけだと思っていたこともあって、乳幼児の、
「子供に時間は関係ない」
と言われるように、深夜であろうと、泣きわめく状態で、果たして会社の仕事をこなすことができるのかということを考えると、怖くなってきた。
子供を本当に欲しかったのかどうかと言われると、正直分からない。奥さんから、
「赤ちゃんができた」
と言われた時も、顔では喜んでいたと思ったが、相手に伝わっていたかどうか疑問なほど、自分の中で子供ができたということを、それ以上に喜んでいなかったと思っている。
それでも、時々一緒に、定期健診に行くと、自分に本当に子供ができたことが実感できた。
産婦人科などに赴くことなどないだろうと思っていたし、他のお腹の大きんあ妊婦さんを見るのも何か複雑な気がするのではないかと思っていたが、実際に産婦人科の待合室で待っている時、悪い気はしなかった。
産婦人科というところは、当然初産の人もたくさん来るわけで、出産という一大イベントが女性にとって嬉しいだけではないことは男の直哉にも分かっていた。
テレビドラマなどでたまに見る出産シーン、苦しみもがくようにして赤ん坊が母体から出てくるのを見ると、女性が心細くなるのも分かるというものだ。
産婦人科は、そんな奥さんの気持ちを少しでも和らげようと、待合室に癒しになるものをたくさん置いていた。熱帯魚の水槽であったり、大自然の映像を子巨大スクリーンで見せてみたり、産婦人科によってやり方は様々であろうが、細心の注意を払ってもてなしを受けることになるということだけは分かった。
付き添っている男性も意外と毎回数人いたりして、奥さんに対しての気遣いは見ていて微笑ましさがあった。
自分に果たしてそれだけの気遣いが行われているのか、自分でも自信がなかったが、産婦人科にいるだけで、自分も父親になるのだということに、実感がわいてくる気がしてくるのだ。
もちろん、実感めいたものはあったが、それは最初に感じた思いから、膨れ上がっているというものではなく、横ばいであった。
だが、産婦人科というところは、男の方の気持ちも高ぶらせてくれて、それまでの他人事のような気持ちではいられない作用があるようだ。
もし、産婦人科に行かなければ、お腹が大きくなってきてから徐々に感じてくるだけで、ある程度中途半端な気分になったところで、出産を迎えるということになったのではないだろうか。
そう思うと、奥さんが可哀そうに思えてきた。
「きっと苦しみの中で、まだ見ぬ赤ん坊と会えることを最大の楽しみにして、後は子供が生まれて、ホッとしている自分と、喜んでくれている夫の表情が癒しになるということを信じ、苦しみに耐えるんだ」
という気持ちになっているに違いない。
自分にとって奥さんがどれほど大切なのかということを一番思い知ったのは、この時だったかも知れない。
新しい命の生まれる瞬間、初めて感動というものを自分で感じ、
「結婚してよかった」
といまさらながらに感じることだろう。
まだ生まれたばかりの子供に対して、何も感じることはなかった。それは心底感じてくるものでなければ、その思いがウソになるのではないかと思ったからだ。
子供が生まれてきたことで、それまでの自分の人生までもがリセットできるのではないかと思えたほどだったが、それは明らかな間違いだというのは、すぐに分かった。
「子供の成長をこの奥さんと見守っていくんだ」
と、その時は満面の笑みでそう思い、生まれてしばらくは、赤ん坊の顔を見るのが楽しみで仕方がなかった。
夜泣きもそれなりにあった。思った以上に夜中眠れない時期もあり、思わず癇癪を起してしまったことも否めない。
その都度奥さんは無言で一人子供をあやすために表に出たりしてくれていたが、眠ってしまった赤ん坊の顔を見ると、それまでのイライラが消えてしまうほどに癒される。
――俺にもあんな時期があったんだな――
と感じる時期がまもなくやってくるのだが。女の子というのは、父親に懐くものだという言葉は本当のようだった。
マンションの入り口には、必ずカギをかけておくようにしていたが、父親が帰ってきた時、カギを捻る音に娘は反応し、扉を開けた途端、娘がとびつぃいてくる。そんな毎日が楽しみで楽しみで仕方がなかった。一日の中で一番嬉しい時であった。
「遥香ちゃん、パパと仲良しでいるんですよ」
と言っている間に、奥さんの治子が夕飯の準備をしている。
ちなみに、この子の名前は遥香と名付けた。字は違っているが、「はる」という母親の字をつけたかったのだ。
直哉は、母親がいう、
「パパと仲良しでいなさい」
という言葉が嬉しかった。
「仲良くしていなさい」
ではない、ニュアンスは一緒で、ほぼ言い回しも同じなのだが、もし、後者であったなら、この言葉をここまで好きになることはなかったと思うのだった。
遥香は、パパといる時、いつも膝の上に乗りたがっていた。まだ乳幼児の頃は、抱っこしてもらいたかったのだろう。抱っこされて、父親の顔をじっと見ているその顔がいたたまれなくなるくらいの癒しであった。
そのうちにだっこされるよりも、膝の上に座って父親と同じように正面を見るのが好きになったようで、まるで父親の膝がソファー替わりだった。
後頭部しか見えないその体勢も、パパは大好きだった。後ろから身体を支えるように抱きしめてあげられるからで、この体勢は、本当はまわりから見てみたい体勢であったことは間違いないと思っている。
遥香が直哉のことを、
「パパ」
と呼ぶと、奥さんの治子もパパと呼ぶ。
それも嬉しかった。今までの人生で、男としてモテたというと、治子だけだったが、これからも他の誰からも同じような思いを抱かれることはないと思っていたが、
「パパ」
と言って、懐いてくる娘の顔を見ていると、
――この子が大きくなっても、俺のことを好きでいてくれ続けるような気がするな――
と感じていた。
その思いがあまりにも都合よすぎるというのであれば、
――この子が好きになる男性のタイプは、父親である俺であるんだろうな――
とも感じていた。
それこそ、親バカというもので、いずれそのことを思い知らされることがあるのだが、その時は、
――まだまだ、こんな人生が続いてほしい――
と思っていた。
いや、続くに違いないと思っていたと言っても過言ではない。実際にある程度続いていたし、小学校に上がってもその様子は変わりなかった。娘が十歳に近づいてくると、自分も三十代後半になってきた。会社では、若い子からは、中年くらいのイメージで見られていたことだろう。
若い頃は野獣とまで言われた直哉だったが。三十代も後半に差し掛かってくると、却って落ち着いて見えてくるようで、それまでモテたこともなかった自分に、二十代の女子社員たちが何かを意識しているというのを感じてきた。
それまでは、上司の目、部下の目という程度の意識しかなかった。だが、そこに女性の目というものを感じてくると、それまでのまわりからの目が、あまり強い視線ではなかったということに気づかされた。
女性としての目は、いくつになっても、厚いものであり、意識をしっかり反映させているものだということに気づかせてくれた。
「俺って、年を取るごとに、いい男になってきているのかな?」
と思いながらも、
「勘違いだったら、恥ずかしいな」
という思いを抱いたのも間違いではない。
そんな頃の妻の治子の方であったが、二十代の頃はあれだけ綺麗だったのに、三十を過ぎると、急に老け込んできたように思えた。
子供を産んだあとも、それほど老け込んだり、変わったりしたわけでもなかったので、
「治子は、いつまでも美しいままなんだろうな」
と思い続けると思っていたが、どうもそっちも勘違いだったようだ。
どうして急に老け込んで見えるようになったのかも一つの疑問であったが、ある意味、自分が昔に比べてモテるのではないかと感じるようになったことで、却って奥さんに対して綺麗に見えなくなったのではないかという錯覚があったのかも知れない。
ただ、娘の遥香は、十歳になった時、すでに成熟しているのではないかと思うほどに大人びて見えていた。
ちょうどその頃から恥ずかしいということを頻繁に口にするようになって、明らかに変わってきたのが分かっていた。
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